7_光の午後@2
米仲も特に反対意見を出さなかったので、本体が黒いベースを買うことにした。二人で男性店員に購入の意を伝える。
男性店員の赤い長髪は、自分、バンドマンなんですよ、と周囲に伝える名刺代わりになっていた。
「こっちのギターと、こっちのベース下さい」
米仲の言葉に店員は「ありがとうございます」と見た目に反し、丁寧なお辞儀をしてきた。
「こちらのエレキギターとエレキベースですね?」
あー。これが
しかし、エレキとは何の略称なんだろうか。中学、高校と英語の赤点スレスレを滑空してきた僕にはわからない。米仲は知っているのだろうか?
「はい。ダブルエレキでお願いしまっす」
聞くまでもなかった。ハンバーガーショップの新メニューじゃないんだから。
しかし、男性店員は米仲の素人丸出しの応答にも吹き出すことなく、「かしこまりました」と腰の低い対応を徹底している。
何はともあれ、無事、楽器を入手できそうだ。
理想とはだいぶ異なったが、都会に来てからやっと夢へ一歩近づけた。もしかしたら、僕の夢には米仲のようなド派手な起爆剤が必要なのかもしれない。
目の前では、茶色のツンツン頭と赤い長髪がコミュニケーションを取っている。自然と笑みがこぼれる。
田舎じゃ野良猫とカエルのにらめっこが関の山だ。
「どう、買えそう?」米仲に声を掛ける。
「ああ、あとは払うもんだけ払えばバッチリだ」
米仲は既に、日本で一番高額のお札を六枚取り出していた。お札越しに店員の営業スマイルが見える。正のオーラしか感じさせないのがかえって不気味な、邪悪なスマイルだった。
この店員は実は鬼か何かで、お金に触れたら変身が解け本来の姿に戻るのではないか。
その赤い長髪は隠しきれない正体の一部でそれをカバーするために、見た目とは裏腹な
「おい、悟、どうしたんだよ。早く払って掻き鳴らそうぜ」
米仲の持っていた六万円は、もう店員の手に渡っていた。無論、ピンク色の煙が辺りを包むわけでも、おどろおどろしい効果音が鳴るわけもなく、男性店員は人間のままお札を数えている。
無駄な抵抗はやめだ。
一歩を踏み出すんだ。
夢見る人が現実にひるんでどうする。
「これで、ベース、ください」
幼き頃からのお年玉が、おばあちゃんのお小遣いが、じいちゃんの年金が、一か月分の家賃が、赤い長髪に掴まれて
「ありがとうございます。ただ今商品をお持ちしますね。カウンターでお待ちください」
男性店員は計十一万円の現金を二つに折りにし、ポケットに仕舞うと、僕達が選んだ楽器を取りに行った。
「やったな。これで俺達もバンドマンだ。あの店員と同じ土俵だ」
米仲は興奮気味に語る。
「そうだね。でも、あの人みたいに髪を染めろとか言うのは無しな」
爆走機関車に念のためブレーキを掛けておく。
「よく分かったな。お前、エスパーか?」
スプーン曲げられる感じか? 米仲は珍獣でも見るような目で僕をいろんな角度から観察する。図星だったのかよ。
「お待たせいたしました。エレキギターとベースでございます。簡素な品で恐縮なのですが、このギターギグバッグはサービスです。どうぞ、楽器を大切に」
巨大な黒いバッグを渡される。この中にベースが入ってるのか。ずっしりと質量を感じさせる重さ。その確かな手ごたえに体の血が熱くなる。気分が
「米仲、やったな!」
「おう。けど、これからだ。カラオケで早速、音出ししようぜ」
「それいいな。ベースってどんな音出すのかな?」
「あのー、お客様。ちょっとお
若者の前途ある会話に赤い長髪店員が割って入ってきた。盛り上がっていたところなのに、どうしたというのだろう。そういやこの人は何歳なのか。
「会話や所作から察するに、お客様方は楽器を買うのは初めてとお見受けしますが、そうでしょうか?」
店員は僕と米仲を交互に見る。
「初めてだよな?」米仲が確認してくる。
「うん。初めてです」僕は肯定する。
「左様でございますか。それでしたら、クリーナーやシールド、チューナーなどがあると便利かと思いますが、どうなされますか?」
男性店員はにこやかな表情とともに告げる。僕と米仲は専門用語の嵐に顔を見合わせる。そして
「「じゃあ、セットで」」
ハンバーガーショップ再び、である。
店員が選んだ初心者セットも購入し、今度こそ買い物は終了した。財布の中身は数分前の半額以下になっていた。
「使用方法は付属のマニュアルをご参照ください。ギターとベース、諦めないで続けてくださいね。慣れるまで少し時間がかかるかもしれませんが、僕にも弾けたくらいなので」
店員はギターを弾く真似をする。もしかしたらベースを弾く真似だったのかもしれない。どちらにせよ、コメントから察するに経験者なのだろう。
「うす。ギターで天下とるっす」
米仲が握りこぶし作り、腰のあたりで両肘を背後へ引く。僕はそんな米仲をぼんやり捉えながら男性店員の「僕にも弾けたくらいなので」というフレーズにいちゃもんをつけようとしていた。
男性店員の言葉は、これから音楽の道へ進まんとする若人への激励兼社交辞令なのは重々承知している。それでも、僕は「自分にも出来たから」を根拠とする理論には反吐が出る。
「自分にも出来たから」何だというのだ。何、自分を世界の基準点にしているのだ。何様だ。人それぞれ、と教えてくれる人はいなかったのか? それとも、本気で他人にも自分程の性質を求めているのか? その眼には僕の髪が赤く映っているのか?
自分にも出来たからといって、他人にもそれを求めるのは傲慢だ。それを理解する人が増えれば、世の中はもっと生きやすくなる。だけど、この店員はきっと悪い人ではない。それはわかっている。
誰かに論破される前に、いちゃもんを片付ける。リュックを右手に持ち、ベースを背負う。
米仲の後に続いて「押忍! 奏でろ! 楽器団」を去ろうとする。
自動ドアがその名に恥じず、ひとりでに開く。
僕達が退店するよりも先に、温められた空気が入店してくる。日の香りがした。
「ありがとうございました」背後から店員の声が聞こえた。
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