6_光の午後
「おー。凄く沢山楽器があるんだね」
僕は当り前のことを言った。
「そりゃ、楽器屋だからな」
米仲も当り前の言葉を返す。
結局、米仲と僕を引き合わせてくれたのは大通りの赤信号だった。ロックを信条にしている米仲も法令は
ただ、この時間帯の大学脇の道路は車通りが
「悪いことをしない」をポリシーとしている僕ですら渡ってしまうスカスカの横断歩道を前に、常識破りというか常識知らずの米仲が、待て、を命じられた忠犬の如く動かずにいるのが意外だった。
何で待ってくれないんだよ、とこぼすはずだった愚痴の代わりに、何で止まっているんだよ、という質問が口をついて出た。
「信号だって無視されちゃ可哀想だろ? 無視されるのは慣れてるが痛くないわけじゃないからな」
米仲は淡々とした口調で答える。
僕は何も言わず、米仲のこれまでにちょっと思いを
□
米仲オススメの楽器屋
「押忍! 奏でろ! 楽器団」
は古びたビルの一階で営業していた。この店がチェーン店なのか個人経営なのかは、楽器屋に疎い僕にはわからない。
外観よりも奥行きがある店内。その壁にはギターやベースが
床上にはドラムセットやキーボードが並べられ、ショーケースの中では管楽器が偉そうに居座っていた。
僕達はまずギターエリアへ向かった。
「どれも高くない? それともこれが相場なの?」
ギターエリアをざっと見ただけでも、一本五万円以上するものばかりだった。財布には口座から下ろした十万円が入っている。
幼き頃から没収され続けたお年玉やお盆の小遣い、おばあちゃんからの
一人暮らしを機に母親から通帳を渡された。喜々としてページを開くと、そこには三十万円の残高があった。顔は笑顔を保ったまま、脳内で、家賃が五万だから六か月分かぁ、と、ひどく現実的な試算をしたことを覚えている。今回金を下ろしたことで残高が七万円になった。
なに? それだと計算が合わないって?
それは僕も知っている。だが、どこに使ったのかは覚えていない。マジで覚えてない。生活していたら減っていた。
使ったら減るなんて理不尽すぎる。僕の諭吉さん達は何処に消えた? 誰でもいいから返してくれ。
「分からんが、そうなんじゃねぇか?」
米仲はギターに付けられた値札をつかみ、難しい顔をしながら答える。
「分からんて、米仲君は音楽に詳しくないの?」
「おう。ずぶの素人だ。でも、これから凄くなる予定だ。あと君づけはいらない」
僕はその発言に衝撃を受けていた。ギターの価格以上の衝撃だ。君づけを拒否したことじゃない。それは拒否されると薄々思っていた。
僕が驚いたのは、米仲が音楽に関して
『ずぶ』の素人だと言うことだ。
「素人なのにあんなに自信満々に勧誘を?」
僕の質問に米仲はやっとこちらを向いた。
「音楽は素人でも勧誘には慣れてるからな。それに」
「それに?」
「断られるのにはもっと慣れてる」
少し寂しげな表情に見えたのは気のせいだろうか。
「じゃあ、この楽器屋がオススメだっていうのは?」
「ネットにレビューが載っててな。それが高評価でな。先週初めてきたから、今回で二回目だな」
僕は熱を測るように右手をおでこにあてる。
乗る船を間違えたか?
これはノアの箱舟じゃなくて泥船だったか?
「よし。俺はこれにするぜ」
泥船の船長は茶色いギターを指差す。
ギター先端のネジに似た部分から伸びる
「悟はどうする?」
「うーん、僕は」
正直、どれも欲しくなかった。
楽器なんて小学校のリコーダー以来演奏していないし、そのリコーダーも低音の「ド」が上手に出せず素っ頓狂な音色ばかり奏で、音楽の先生の手を焼かせた。
そんな僕がリコーダーよりも遥かに難しいであろうギターを演奏できるわけがない。
僕は作詞がしたいんだ。
それに高い。
やっぱり高い。
「米仲、悪いが僕は作詞がしたいんだ。だから楽器は他に出来る奴を集めよう」
そう米仲に提案しよう。
「米仲、悪いが」
言いかけて口が止まる。正確には止められた。頭の中であるセリフがもう一度再生された。胸にも、頭にも来るセリフだ。
それじゃあ駄目だよ。歌詞専門なんてプロじゃなきゃ許されないよ?
「どうかしたのか?」
米仲がフリーズした僕を不思議そうに眺める。
「米仲、僕はこれにするよ!」
そばにあったギターを指さす。黒色で、角ばってて、
「やっぱり、こっちにするわ」
その隣の茶色で、
米仲と色がお揃いみたいになるのは気が進まなかったが、初心者にはこの値段が丁度いいだろう。
「悟、それは駄目だ」
米仲が首を横に振る。
「どうしてダメなんだ?」
「それは、お前がベース担当だからだ」
がしっと米仲に両肩をつかまれる。
「え、初耳なんだけど」
「もう決まったことなんだ」
「いや、いつ誰が決めたんだよ」
愚問だ。さっきにでも米仲が決めたに決まっている。
「さっき、俺が決めた」
やっぱり。
「だから、悟はあっちのベースコーナーから好きなのを選んできてくれ」
米仲はギターコーナーの隣を指さす。そこにはギターと瓜二つの楽器が密集していた。
「ベースってギターと何が違うの?」
素朴な疑問をぶつける。ベースという名称は知っているが、バンドにおける必要性はそこまで理解できていなかった。
音楽活動を扱った漫画のベース担当の女の子が可愛かった。
これが僕のベースに対する全知識だ。
「お前、そんなことも知らなかったのか」
米仲は少々あきれた様子だった。
「いいか、ベースとギターは違うぞ」
「どこが違うの?」
僕の問に、米仲はわずかに首を傾ける。そして傾けたまま答えを出す。
「ギターがやんちゃ坊主なら、ベースは大黒柱だ」
バンドを家族に例えてきた。何となくわかる気がする。漫画の女の子もメンバーをまとめる良い娘だった。
「じゃあ、ボーカルとドラムは?」
またしても思考に入る米仲。なんだか大喜利で無茶なお題を振っているみたいで、こちらとしては楽しい。
「ボーカルは」
「ボーカルは?」
眉間にしわを寄せたまま、米仲は答えを産む。
「ボーカルは花形で、ドラムは親方」
「なんじゃそりゃ」
所詮は音楽未経験者同士の問答。正解不正解は
大喜利を終了させ、ベースコーナーへと向かう。数十本ものベースが専用のスタンドに立てられていた。そして見れば見るほど、ギターにそっくりだった。
「じゃあ、ひとつ選ぶよ」
僕はベースを一本ずつ凝視する。本体ではなく、先端にくくりつけられた値札、その値段を。安くて良いものを、などは
自分がこの上なく
あ、五万円。
これにしよう。
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