5_メディア室ではお静かに

 男の首元には銀のネックレスが光っていた。灰色の七分丈のシャツに、黒いジーパンを履いている。

 茶色の頭髪は幾つかの突起になっており、栗のイガを連想させた。


「んで、どうなの?」


 男は何かを尋ねている。不意打ち的に声を掛けられた僕には、どうなの? の指す意味が判然としない。


「何が?」

 質問に質問で返す。やってはいけないことだ。


「それって詩? それとも歌詞?」


 男は机に置いてる紙を指さす。


「これは、歌詞だよ」

 絵本から切って取ってきたような一言。


「そっかぁ、歌詞か。いいな」


 男が笑みを見せる。人懐っこい笑顔だ。


 ありがとう、と僕は返す。初対面とは思えない馴れ馴れしさに、追い詰められている気さえする。


 相手はもう、僕を初対面の他人から、親友手前まで格上げしているのではないか。

 その親友手前ゾーンで横を見ると、うん百人の人がずらっと景色の果てまで並んでいるのだ。


「面白いじゃねぇか」


 男は簡潔な感想を述べた。けれど素直に、ありがとう、とは言えない。

 面白い、は昨日今日で信用できないセリフ第一位まで昇りつめたからだ。


 ちなみに前第一位、現第二位は

「土日にシフトは組まないから」


 現第三位は「駅から歩いて三分」

 社会は嘘つきばかりだ。


「よしっ、楽器買いに行こうぜ」


「え、いや何で?」


 突然声を掛けてきた男はそれが自然な流れであるかのように、突飛な誘いを持ち掛けてきた。

 計算問題で途中式を書かず、解のみを埋めるかのようでもあった。


「だって、歌詞には曲が、曲には楽器が必要だろ?」

 だからだよ、とごもっともな論法をかましてきた。

「早く行こうぜ」と僕を急かす。


「待ってくれ。言ってることは正しいけど順序が滅茶苦茶だ。まず、君は誰なんだ?」


「そんなのどうでもいいだろ。ロックじゃねぇなぁ」


 ピキッと、自分の額に青筋が立つのが分かった。まさかそのセリフを言われる日が来るとは。

 先程まで僕が罵り、軽蔑けいべつしていた連中と同類扱いされた。自己紹介とロックは無関係だと思うが、それでも聞き捨てならない。


「わかった。いいよ。行こうじゃん。楽器屋」


 歌詞をクリアファイルに仕舞い、リュックに戻す。半ばヤケだった。


「よっし。そう来なくっちゃ」


 男は手を一度ぱちんと叩いた。その音がフロアによく通る。それを聞いて


 僕らの青臭いやり取りも筒抜けになっていたのではないか


 と今さらながら恥ずかしくなった。全員ではなくとも、もっとも距離の近い人物、二つ隣の席の女性には聞かれていたかもしれない。


 真相を確かめるため椅子から立ち上がり、仕切りの上から覗く。彼女の耳にはイヤホンが付けられており、顔もモニターとにらめっこしている。ほっと胸をなでおろす。


「どうした? 行こうぜ」


 男が急かす。立ってみると、彼の方が僕より若干背が高い。僕の身長が約百六十八センチだから、彼の身長は百七十五センチあたりと推測できる。そのツンツンした頭髪は、憧れの百八十センチメートルへの挑戦なのか。


「いやその前に自己紹介、自己紹介をしよう」


 一旦話を現実世界に戻さなければ。

 このままだと男の勢いに乗せられ不思議の国まで連れてかれてしまう。それはそれで興味はあるが、僕はこの世界で叶えたいことがある。


「まずは僕から。僕は文学部日本文学科の」


さとるだろ? あだ名とかはいらねぇよな?」


 ドキリとした。彼は日本の首都を答えるように、いとも容易く僕の名前を的中させた。


「何で僕の名前を?」恐る恐る問いかける。


「だって、さっき見たし」


「見た?」


 彼は右の人差し指で、僕のリュックを指さす。


「歌詞の紙に載ってた。あれ本名だろ?」

 違うか? 彼が正否のほどを聞いてくる。


 違わない。僕は好きなロックバンドのメンバーが本名で活動してるのを真似て、ペンネーム等は使っていない。


「そうだよ」


「やっぱりな! その姿勢、ロックだぜ」


 男はガッツポースをとるように勢いよく右の指をパチンと鳴らし、満足げな表情で僕を指差した。


 なぜだろう。頬に熱を感じていた。


 この熱は中学生にもなって、下着の内側に名前を書いているのが友達にばれた場面の熱と酷似していた。


 あれは仕方ないのだ。年の近い兄弟がいたから、母親が洗濯物を見分けやすいように勝手に書いたのだ。僕の意志ではない


「どうした? もしかして譲れないあだ名でもあったか?」


「ううん。特にないから呼び捨てで構わないよ」


 過去の記憶と動揺を封印しつつ、会話を続ける。


「君の名前は?」


「俺は文学部世界史科のよねなか。よろしくな」


 彼は口角を上げ、自己紹介を締めくくる。


「他に聞きたいことあるか?」


 米仲は頭髪の突起を左手でいじっている。聞きたいことはたくさんあった。


 音楽の経験はどれくらい?

 なんで手ぶらなんだ? 荷物はどうした?

 どうして初対面の僕にずけずけと誘い話を持ち掛けたの?

 何なんだ。一体何なんだ。

 とどのつまり、米仲への質問はこの一言に集約される。


 君は何者なんだ?


「特にないね」

 すべての疑問にふたをする。


 疑問符で構築されているこの男に質問をぶつけても、新たな疑問が誕生するだけだ。

 どこを掘り下げても水脈にぶつかり、掘り下げた分以上の謎が噴き出す。そんな未来が浮かんだ。


「よっし、じゃあ善は急げだ。知ってる楽器屋があるから、そこ行こう」


 米仲が歩き始める。


「ストップ、パソコン消すから待ってくれ」


 マウスを操作し、入学時に教わった正しい手順でパソコンの電源を切る。さっきから、制止を求めてばっかりだ。


「おーい。置いてくぞー」


 数メートル先を行く米仲が、室内、特に沈黙が金とされる場所では御法度と言える声量で呼びかけてきた。


 そのセリフをその声量で発していいのは、ハイキング中のお父さんがへばりかけた息子を励ます時だけだ。


 フロア真ん中のカウンターに常駐している大学職員をはじめ、メディア室利用者の大多数の視線が突き刺さる。

 どうして発信源の米仲ではなく受信者、もとい被害者の僕に尖った眼差しを向けるのだ。


 ホームグラウンドがほんの数秒で針のむしろに早変わり。


 旗色が悪くなった僕はリュックを片方の肩にかけ、小走りで米仲を追う。

 米仲は既に階段を降り始めていた。机と机の間を抜け、階段への最短距離を駆ける。


 途中、USBメモリーを忘れてないか気になった。だが、戻っている暇はない。


 大丈夫。ちゃんと持ってる、と自分に言い聞かせる。あの大切なUSBメモリーを置き忘れるわけがない。


 パソコンの海を犬かきで進む。階段手前のパソコンでは、アニメキャラクターが画面いっぱいに躍動していた。利用者が誰かは分からないが、女でも男でもふたなりでも何でもいい。


 家で視ろ。


 階段を駆け下り一階に到着する。


「おせーよ」


 とゲートの前で米仲が待っているのではないか、と甘い期待をしていたのだが、それは本当に甘い期待だった。

 米仲は待つどころか、五号館の扉を押し開け、外の世界に旅立たんとしていた。


 僕は何を必死に追いかけているんだ。

 問題が自分から離れていっているのだから、放っておけばいいじゃん。足を止めればいいじゃん。


 僕の怠惰たいだな部分が、お菓子片手にささやいてくる。

 一緒にチョコでも食べようぜ、と。


 若干心が傾いたが、鼻で深呼吸し、すぐさまはかりを均等に戻す。怠惰の誘惑はいつも名案に聞こえる。

 けれど、それは刹那の享楽。未来へは続かない。


 僕はこういう出来事を待っていたのだ。

 のっそりと空気が流れる田舎では起きない、前触れもない、特別な始まりを。


 学生証をかざし、ゲートを突破する。

 五号館の扉を押し開けたところで

「ストップ! 待てよ!」と叫んだ。

 

 米仲は加速した。

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