桜子の誤解
桜子さんに、誤解されてしまいました。
しかも正体を知ったから、彼女を狐汁にするというおかしな誤解です。
こんなことになるなら、不用意に狐だなんて言うべきではありませんでした。
しかし今さら悔やんでも後の祭り。一夜明けて、僕は誤解を解こうと桜子さんの住んでいるアパートを訪れましたけど、留守でした。
もしかしたら、正体がバレてしまったので逃げ出したのでは? だとしたら夏休みが明けても、もう学校に戻ってこないのでしょうか?
そんな考えが、頭をよぎります。
次の日も、また次の日も様子を見に行きましたけど、結果は変わらず。
桜子さん、アナタは今どこで、何をしているのです?
そして、そんな日が三日ほど続いたのですが……。
夜になって、僕はまた家を出ました。
これは何も、桜子さんがどうこうというわけではありません。理由はあの日と同じで、アイスを買いに行っただけです。
数日前の教訓を全く活かせずに、今日もまた買い忘れてしまっていたので。
もちろん行くのは、前回と同じコンビニ。そうなると当然、あの公園を通る事になります。
もしかしたら、またそこに桜子さんがいるかもしれないとも思いましたが、向こうは僕から逃げ出したのです。わざわざ同じ場所に姿を現すとは思えません。思わなかったのですが。
コンコン、コンコン!
公園まで来ると、どこからか響いてきたソレを聞いて、足を止めました。
これは、藁人形に釘を打つ音? いいえ、違います。これはきっと。
「コンコン、コンコン。ううっ、中々上手くいかないコン」
その姿を見て、僕は驚きました。
あの日と同じ、ベンチの前。そこにいたのは、てっきりここにはもう近づかないと思っていた桜子さんに他なりません。
あの日と違うのは、彼女が狐ではなく人間の姿をしているという事。狐の耳や、尻尾も生えていません。
レモン色のブラウスに紺色のショートパンツという格好で、彼女はコンコンと鳴きながら、何やら妙な踊りを踊っていたのです。
いったい何をしているのでしょう?
僕は咄嗟に滑り台の陰に隠れて、様子を窺いました。すると。
「頑張らないと。早く忘却術を覚えて、先生の記憶を消すんだコン」
そんなことを言いました。
忘却術。どうやら記憶を消去する術のようですけど、狐の妖怪はそんなこともできるのでしょうか。
「でないと、もう学校に通えないコン。せっかくみんなと仲良くなったのに、そんなの嫌だコン」
心配しなくても、追い出す気も正体をバラす気もないのに。忘却術とやらを使って、僕の記憶を消すつもりのようです。
まったく、酷い誤解ですよ。だけど不思議なものです。今の桜子さんを見ていると、何だか微笑ましく思えてくるのですから。
どうしましょう、もう少しこのまま、様子を見ておきましょうか?
「術を使ったら、ショックで先生のIQが十分の一くらいになっちゃうけど、仕方がないコン」
…………うん、彼女を止めましょう、今すぐに。
僕は隠れるのをやめて、背後からそっと近づきました。
「桜子さん」
「うーん、うーん。あ、ちょっとコツを掴んだかもしれないコン」
声をかけても、彼女は夢中でくるくると回りながら、不思議な躍りを踊っています。
おそらくこの躍りが、忘却術と関係があるのでしょうけど、完成してしまったら大変です。
「桜子さん」
「うーん、今良いところだから、後にしてほしいコン」
「桜子さん!」
「だから今は……コン?」
桜子さんはようやく振り返り、僕を見ると目が点になりました。
ふう、これでようやく話ができる。と、思ったのも束の間。
「コオォォォォォォォォォォォォォォォォン!?」
この前と同じように、雄叫びをあげる桜子さん。同時に、耳と尻尾がニョキっと生えます。もしかしてビックリしたら、これらが生える仕組みなのかもしれませんねえ。
って、呑気なことを考えている場合ではありません。
「先生がここまで追ってきたコーン! 狐汁にされちゃうコーン!」
背を向けて、駆け出そうとする桜子さん。だけど、逃がしませんよ。
腕を伸ばして、生えている尻尾を掴みました。
「ギャッ!?」
「桜子さん、落ち着いて僕の話を……」
「えーん、やだやだ、誰か助けてー! 先生に食べられちゃうコーン!」
「大人しくしてください。お願いだから落ち着いて」
結局、暴れる桜子さんを静めるのに、かなりの時間を有しました。
いつかと同じように、二人並んでベンチに腰掛けながら、半泣き状態の桜子さんを宥めます。
最初は話をするどころではありませんでしたけど、暴れ疲れたのか、ようやく大人しくなってくれたのでした。
「少しは落ち着きましたか?」
「はい、コン。先生、本当にワタシのこと、狐汁にしないコン?」
「しませんって。可愛い生徒にそんな酷い仕打ちをする教師が、どこにいますか。そもそも今時、狐汁を作る人なんていませんって」
「で、でも。正体がバレたら狐汁にされるってお姉ちゃんが」
お姉ちゃん、ですか。イタズラっぽくニヤリと笑う桜花さんの顔が、目に浮かびます。
そう言えば彼女、時々突拍子もない冗談を言って、からかってくることがありましたっけ。
「あの、桜子さん。たぶんですけど、お姉さんは冗談を言っていたのではないでしょうか?」
「え? まさか、お姉ちゃんに限ってそんな……あり得るコン」
「でなければ、正体がバレないよう気を付けてほしいと思って、嘘をついたとか。嘘も方便というやつですよ」
「そうかもしれないコン。だけどそれなら、お姉ちゃんも心配性コン。嘘なんてつかなくても、秘密はしっかり守るコン」
僕にまんまと正体を知られたのに、どの口が言いますか?
「まあとにかく、君を狐汁にする気なんてありませんし、正体は他言しません。これで安心しましたか?」
「うん……ありがとうコン。おかげでこれからも、学校に通えるコン」
頭に生えた耳をピョコピョコと動かしながら、嬉しそうに笑います。
それはそうと、ひとつ気になることがあるのですが。
「そう言えばこの前、君は言っていましたよね。将来はお姉さんみたいな、立派な仕事につきたいと」
「そうだコン。お姉ちゃんはお山にある一流企業、『㈱子狐印のいなり寿司』で、働いているんだコン。イケてるキャリアウーマンって感じで、とっても格好良いんだコン。アタシもそんな、お姉ちゃんみたいになりたいんだコン!」
山にはそんな会社があるのですね。
よほど桜花さんのことが好きなのか、興奮ぎみに喋る桜子さん。しかし。
僕はあの日、桜子さんの話を聞いて感じたことを、彼女にぶつけてみました。
「お姉さんみたいにですか、いいですね。だけどひとつ教えてください。アナタは具体的にどんな仕事をして、どんな風に働きたいのですか?」
「…………コン?」
桜子さんは分からないといった様子で、小さく鳴きます。
「例えばさっき言っていた会社。アナタはそこで、お姉さんのように働いてみたいですか? それは本当にアナタが、やりたい事なのですか?」
「…………」
そう難しくない質問のはずなのに、桜子さんは答えられないまま、黙ってしまいました。
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