優秀な姉、落ちこぼれの妹

 もう時間も遅いですし、本当なら桜子さんを帰した方が良いというのは分かっています。ですがこのまま家まで送ってサヨナラをする気にはなれずに、二人そろってベンチに腰を下ろしました。

 桜子さんは狐の姿をしているので、なんだか不思議な絵面になっていますけど。


「それで、君はいったい何をそんなに焦っているのですか?」

「実はワタシの家は、故郷の里の名家で、家族はみんな立派な仕事についているんだコン。もちろん桜花お姉ちゃんも」


 ポツポツと語り始める桜子さん。そういえば桜花さんは、卒業したらお山に帰らなければならないって言っていましたっけ。

 例え話として言っていたことではありますけど、きっとあれは本当のことだったのでしょう。


「ワタシ、昔からお姉ちゃんに憧れてたんだコン。格好良くて、頭の良い、何でもできるお姉ちゃんに。だからワタシも、お姉ちゃんみたいになりたいけど、みんな無理だって言うコン」


 話を聞いて、僕は桜花さんと桜子さんの姿を重ねてみました。


 なるほど、二人は容姿こそ似ていますけど、中身はあまり。

 桜花さんは、一言で言えば天才肌。一度習った事なら、何でも卒なくこなせるような人でした。

 対して桜子さんは、いささか不器用と言うか。気持ちが先走って、失敗してしまうことが多いように思えます。


 お姉ちゃんのようにはなれない、ですか。

 酷な話ですが、一学期の間担任として見守ってきた僕としては、ここで「そんなことない」と優しい言葉をかけることはできませんでした。

 それほどに、二人には大きな差があったのです。


「少しでもお姉ちゃんに近づきたくて、それでお姉ちゃんの母校に入ったんだコン。お姉ちゃん、人間に交じって勉強……ゲホゲホッ、里から離れて勉強することで、たくさんのことを学べたって言っていたコン」

「なるほど、君がうちの学校を選んだのには、そういう経緯があったのですね」

「けど、やっぱりワタシは優秀じゃないから、お姉ちゃんみたいになるには狐一倍……人一倍、努力しなくちゃいけないコン。勉強だけじゃなくて妖術……習い事の練習もしなきゃダメだって思って、夜遅くまで頑張ってたんだコン」


 なるほど、大体の事情はわかりました。お姉さんがあまりに優秀なために、焦ってしまっているのですね。

 僕がこれまで見てきた生徒の中にも、似たようなコンプレックスを抱えている子はいました。

 出来の良い姉を持つということは、良いことばかりとは限らないみたいです。


 そして一通りの説明を終えると、桜子さんは悲しそうな目をします。


「でも、最近思うコン。いくら頑張っても、お姉ちゃんみたいにはなれないんじゃないかって。お姉ちゃんも、無理だって言ってたコン」

「えっ?」


 これは妙ですねえ。少なくとも僕の知っている桜花さんは、健気に頑張っている妹に、そんな冷たいことを言うような人ではないはずなのに。


「本当に、桜花さんがそう言ったのですか? 何かの間違いじゃないのですか?」

「ええと、無理と言うか、高校に入る前に、『もう私の真似をするのは止めなさい』って言われたコン。お姉ちゃんだけじゃなくて、お父さんやお母さんも。きっとワタシじゃ、無理だと思ったからそう言ったんだコン。落ちこぼれだから」


 お父さんとお母さんもですか。

 僕は桜子さんのご両親と、会ったことはありません。四月に家庭訪問はあったのですが、桜子さんは地元を離れて、アパートで独り暮らしをしていましたから、会うことは叶いませんでした。

 しかし、桜花さんがそんなことをねえ。


「お姉ちゃんみたいに良い成績をとって、お姉ちゃんのみたいに一流企業に就職して、みんなを見返してやるって思ってたコン。だけど何をやっても上手くいかなくて。今日だって修行中に寝入っちゃうし、このままずっとダメダメなままなのかもって、不安になるコン」


 だんだんと声に元気がなくなっていきます。

 耳も尻尾も垂れ下がって、とてもしょんぼりした様子。


 そして僕はというと、話を聞いているうちに、胸の奥がつつかれるような感じがしました。

 自分に本当にできるのか、頑張っても無駄なんじゃないか。そんな風に悩んだ経験が、僕にもあったからです。


 努力はしているのに、全然上手くいかなくて焦ってばかり。そんな風に悩むのは、僕や桜子さんに限ったことではなく、高校生くらいの子にはよくある事です。

 けど、よくある悩みだからといって、軽んじていいわけではありません。


 学校での桜子さんは、いつも明るく振る舞っていましたけど、胸にこんな不安を抱えていたのですね。

 だけど今日、こうして会えてよかった。おかげで、今まで気づかなかったこの子の胸の内を、知ることができたのですから。


「話は分かりました。なるほど、頑張っても結果が出ないと、確かに不安になりますね」

「先生、分かってくれるコン?」

「もちろんですとも。僕も君くらいの時に、同じように悩んでいた時期がありましたから。どうやら悩みというものは、人間も狐も同じみたいですね」


 先生として、かつて似たような経験をした者として、この子の力になってあげたい、そう思いました。

 あの人が、僕の力になってくれたように。


「気持ちは分かります。だけどねえ桜子さん……桜子さん?」


 どうしたことでしょう? 桜子さんは驚いたように、目を見開いています。

 不思議に思っていると、桜子さんは口をパクパク動かしながら、震えるような声で喋り出しました。


「えっ、ええと、先生。今なんて言ったコン?」

「ん? 焦る気持ちは分かる、ですか?」

「違うコン、その前だコン」

「その前というと、悩みは人間も狐も同じ、ですか?」

「そう、それだコン! 今、狐って言ったコン?」


 はあ、確かに言いましたけど。

 すると桜子さんは動揺したみたいに、オドオドし始めました。


「は、ははは。先生、何を言っているコン? ワタシは狐じゃなくて、人間コン」


 目を泳がせながら、不自然に笑う桜子さんですが……。いや、そうは言ってもねえ。


「あの、桜子さん。お言葉ですがその姿で自分は人間だと言っても、説得力はありませんよ。だって今のアナタは、どこからどう見ても完全な狐じゃないですか」

「……………………コン?」


 意味が分からないと言った様子で、小首を傾げます。そしておもむろに自分の手、もとい前足を見つめました。

 そこには五本の指ではなく、ぷにぷにとした可愛らしい肉球があります。


「……コン?」


 あ、今度は頭の上に生えた、耳を触りました。次に体をくねらせて、お尻に生えた尻尾を確認しています。

 その仕草はとても可愛らしく、見ていてつい、頬が緩んでしまったのですが。


 全身を見終わった後、桜子さんは動きを止めました。そして。


「コオォォォォォォォォォォォォォォォォン!?」


 全身の毛をぶるっと震わせたかと思うと、夜の静けさを吹き飛ばすような大きな雄叫びを、公園中に響かせました。

 木の上で眠っていたであろう鳥が、バサバサと音を立てて飛んで行き、僕も思わす耳を塞ぎます。

 桜子さん、近所迷惑ですよ!


 しかし、桜子さんは僕以上に驚いた……もとい、まるで何かに怯えているような様子で、全身をガタガタと震わせています。


「ほ、本当だコン。変化の術が解けてるコン。い、いったいいつから、狐になってたコン?」

「いつからって、最初からですよ。眠っていた時からずっと、狐の姿でした。だから最初は、桜子さんだって分からなかったのですが。もしかして、気づいていませんでした?」


 薄々そうじゃないかとは思っていましたけど、おそらく彼女は学校にいる時と同じ、人間の姿をしているつもりでいたのでしょう。

 今日は終始、狐の姿だったことを思うと、笑えてきますけど。


 しかしそんな和んでいる僕とは違って、桜子さんは泣きそうな顔をします。


「ひ、酷いコン。知ってて黙っていたコン。秘密を知られたからには、もう学校には行けないコン」

「え、そうだったんですか?」

「そうだコン。だって正体がバレたら狐汁にされちゃうって、お姉ちゃんが言ってたコン。ワタシ、食べられるなんて嫌だコン!」

「狐汁って、今時そんな。桜子さん、僕はアナタを食べたりなんか……」


 慌てて駆け寄りましたけど、桜子さんは怯えたように、「ひっ」と声を上げて後ずさりました。

 生徒からこんな反応をされたことは今までなかったので、ショックです。


「こ、来ないでコン! えーん、狐汁にされるコーン!」


 あ、待って下さい。


 止めようとしましたけど、桜子さんはコンコン泣きながら、僕に背を向けて走り去ってしまいました。

 追いかけようにも、狐の足の速さには太刀打ちできません。


「桜子さん、話を聞いてくださいよ」


 狐汁なんてそんな、誤解なのに。


 静けさを取り戻した公園で、僕は一人佇むばかり。

 そしてすっかり忘れていましたけど、先ほどコンビニで買ってきたアイスは、完全に溶けてしまっていたのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る