第6話 手紙

 ピロピロピロっと目覚まし時計のアラーム音が1kの部屋に響き渡る。時刻は7時、カーテンの隙間からは朝日が差し込み、エアコンが轟々と唸りながら冷気を出す。連日の残業の影響で重くだるい体を起き上がらせ、カーテンを開けるとマンションの6階の一室、窓の目の前には鉄道の高架がああり、一定の周期で通る列車の振動と音で部屋はいつでも揺れていた。テレビをつけ、袋麺を作り市販の乾いたカットネギ載せて朝食にする。30分で身支度をしヨレヨレのシャツにヨレヨレのスーツを着て家を出る。ジメジメと熱い太陽の熱気に晒されて、部屋を出た瞬間に汗を掻く。自転車で最寄りの駅まで行き、人混みの波に乗り蒸し暑い階段を登り、人の汗やOLの香水、デオドラントの匂いが充満した満員列車で周りのサラリーマンの体温を感じながら。目的地まで向かう。タバコ臭いオフィスに付き一息入れる間も無く、朝の体操が始まり、性格の悪いハゲでデブの上司が無駄に勢いの良い体操をするのを見る。朝礼ではクソみたいな上司が嫌味の様に長い業務報告をし、イラつかせる。その後各々が白い営業車に乗り、売れる見込みのない工具セットを町工場に駆け込んでセールスをする。夜遅く仕事が終わればお酒を買って一人で晩酌をし意識を失う様に眠りにつく。毎日がこんなクソみたいな1日の繰り返しだったが、それでもあの冬の日々を頭から忘れるのには丁度よかった。あの日々が別の世界の出来事の様な感覚になれて、まるでゲームをしていたかの様に感じられた。

 彩芽さんが居なくなったあの日、私は室谷まで彼女を探しに行った。一日中探した後、飛行機のチケットを取り、薩島のコシキ浮島に向かい情報を集めてたが、彼女の家族は数年前に家を売っていて、どこに住んでいるか分からなかった。仕事を探したのは家に帰ってすぐだった。もう会うことができない彩芽さんを忘れる様にクソみたいな生活に没頭して行った。その甲斐あって少しず忘れることができてるんじゃないかと思うことができた。しかし時々夢を見てしまう、どんなに忘れようとしても、脳神経の端の端に彼女の記憶がこびりついてるのだ。

 そんな毎日のある朝ヨレヨレのスーツを着ようとしてお尻のあたりに大きな穴があることに気づき、変えのスーツを探してクローゼットを開けるとあの冬に着ていた紺のハーフコートを見つけ、目が離せなくなった、コートを手に取る、手を震わせながら鼻に近付けるが、彼女の匂いは全く残っていなかった。ふと我に帰り自分に怒りを覚えコートを床に投げ捨てた。片付ける気が起こらず、その日は急いで家を出た。夜になり帰ってきて、床にコートが転がっているのを見て朝のことを思い出すと、そのコートをごみ箱に投げ込んだ。風呂上りにごみ箱に捨ててあるコートのいつも使わない内側胸ポケットから白いものが見えた。取り出すとそれは白い封筒に入った手紙だった。

  

拝啓

                                        田中一輝様

  旅の目的地までゆく約束を反故にし、黙って別れることお許しください。この2日間は私にとって人生で最も充実した2日間でした。信じてもらえないかも知れませんが、私はこの二日間であなたの事を愛してしまいました。しかし私は貴方の前から消えなければなりません、それは私が既婚者だからです。

 私は大学を卒業した後、お父様が決めた許嫁と結婚させられました。しかし私はその結婚相手を好いていませんでした。結婚してからの3年間夫婦の営みはほとんど無く私に課されていた、男児の出産どころか子供を身篭ることすらできず。家庭の中で忌避も目で見られる様になっていきました。私はそれに耐えて来ましたが、私も人の子であり辛抱できない所まで来たのです。それが貴方と会ったあの日でした。この旅の間貴方と一緒にいる事が本当楽しく、貴方の顔はいつまでも見ている事ができ貴方の香りは私にとって心地よかった。しかし私が既婚者である以上私は、貴方と愛し合うわけにはいきません、それは私の生来の融通の効かなさから来る物でしょう。その為、私は半年をかけて、夫と離婚をするつもりです。そこで、もしですが貴方も私の考えに共感していただけるのであれば。半年後の8月3日、あの旅の目的地で逢いましょう。

 直接伝えず。置き手紙で済ましてしまう事をお許しください

                                   森彩芽より

 手紙を読み切る前から涙が溢れ、視界が歪んで最後までちゃんと読めないほどだった。膝には力が入らずその場で倒れ込んでしまい。地面に這いつくばって涙を流した。今日は7月26日だった。

 次の日私は辞表を出し、その日以降会社に行くことはなかった。

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