序章 シと出会った夜 その2

「……お母さん」

 なつかしくて優しい、だからこそ涙があふれる夢から目覚めると、自宅とは違うが覚えのある天井が目に入ってきた。

「ここは、村長さんの家?」

 ミラはまどいながらも起き上がって周囲をうかがう。

 広い部屋の中には簡素なわらのベッドがめられており、そこには友達である村の子供達が寝かされていた。

「みんな!」

 ミラは大慌てで、眠る子供達の体を調べて回る。

 その肌にはまだ緑色の斑点がうつすらと残っていたが、呼吸は安定しておりおだやかな寝顔を浮かべていた。

「よかった……」

 ミラはあんの息を吐いて座り込む。皆もあの霊薬という不思議な液体を飲まされて、一命を取り留めたのだろう。

「そうだ、あの人は?」

 死神のような動く骸骨。あれが死の間際に見た幻覚でなければ、自分達を救ってくれた恩人に違いない。

「いや、おんこつ?」

 ミラは首をかしげて考え込む。あれは人間ではない。村の老人達が話してくれた不死者アンデツドと呼ばれる魔物だろう。

 その中でも人間と同等以上の知能を持ち、山を消し飛ばすほどの魔術をあやつる、不死者達の王──不死王ノーライフ・キングと呼ばれる、最も危険な存在だとミラが知るのは、もう少し後の事である。

「魔物は人を襲う危険なものだから、見かけたら全力で逃げなさいって言われていたけど……」

 そんな魔物が人を救うなんて、聞いていた話と違いすぎる。

 ミラが困惑していると、彼女のひとごとに触発されたのか、子供達が目を覚まし始めた。

「ん、ミラお姉ちゃん?」

「あれっ、俺は死んだはずじゃ……」

「体が痛くない。どうなってるの?」

 皆はミラと違って意識を失っていたのか、骸骨に薬を飲まされた事を覚えていないようで、どうして自分達が生きているのか分からず、戸惑いの表情を浮かべている。

 ともあれ、友達の元気そうな様子を見て、ミラはじりから大粒の涙を零した。

「みんな、助かって本当に良かった」

「おいおい、泣くなよ」

 同い年の少年・トリオが、肩をたたいてはげましてくれる。

「うん、ありがとう」

「お、おう」

 ミラが涙をぬぐって微笑むと、トリオはほおを染めて顔をらす。

 そうして微笑ましい空気が流れたところで、一人の女の子がふとつぶやいた。

「ねぇ、パパとママは?」

「──っ」

 ミラは顔をこわらせてだまむ。おそらく、この場にいる彼女をふくめた九人の子供以外は、もう誰も生きてはいないのだろう。

 女の子の両親だけでなく、他の子の親兄弟も、そしてミラの母親も。

 だが、その事実を認めるのが怖くて、しの言葉も見つからなくて、ミラが意味もなく口を開閉していると、部屋の扉が急に開いて、あのローブを羽織った骸骨が現れた。

「ひぃっ!」

「ば、化け物っ!?」

 やはり他の子供達は骸骨を見ていなかったようで、悲鳴を上げて部屋のすみに逃げてしまう。

「えっと……」

 ミラは困って言葉に詰まる。命の恩人である骸骨をかばいたいが、不死者が自分達を助けてくれただなんて、とても信じてもらえるとは思えなかった。

 とはいえ、このまま何もしないわけにはいかない。

「みんな、多分大丈夫だから落ち着いて」

 効果はなさそうだと半分あきらめながらも、皆に声をかけたまさにその時、グゥ~という可愛かわいらしい音が、ミラのお腹から響いてきた。

「あっ……」

 思えばこの数日間、ベッドから起き上がれず看護してくれる者もおらず、母親が枕元に置いていってくれた水とハチミツ以外は、何も口にできていなかった。

 改めて自分の体を見ると、まるで骨のようにほそってしまっており、骸骨が飲ませてくれた霊薬の効果がなければ、今こうして話す事すら不可能だっただろう。

「お腹減った……」

 ミラが鳴らしたお腹の音で、他の子供達も空腹を思い出したようで、その場にへたり込んでしまう。

 それを黙って見守っていた骸骨は、白い歯をカタカタと鳴らして笑った。

「空腹を感じるのは生きている証拠ですよ。さあ、むぎがゆを用意しておきましたから、皆さんこちらにいらしてください」

 骸骨はそう言って手を振り、ついてくるよううながしてくる。

「…………」

 恐ろしい死神のような姿と、それといな親切で礼儀正しい態度に、子供達はそろって困惑し黙り込んでしまう。

 そんな中で、ミラは廊下からただよってくる麦粥の匂いにあらがえず、気がつけばゴクリとつばを飲み込んで立ち上がっていた。

「おい、危ないぞっ!」

「大丈夫だよ」

 手を摑んで止めようとしてきたトリオに、ミラは平然と笑い返す。

「この……おじさん? がその気だったら、私達はとっくに殺されてるよ」

 死のふちのぞいた事で、みようきようでもついたのだろうか。

 低い声からして男性なのは間違いないが、年齢は不明な骸骨の呼び方で少し迷いながらも、ミラはそう断言して逆にトリオの手を引っ張った。

 それから、骸骨に向かって改めてたずねる。

「私達を殺したりしませんか?」

 すると、骸骨はローブの前を開き、からっぽの腹を見せて笑った。

「子供を太らせて食べる趣味はありませんから、ご安心ください」

「ふふっ」

 そんな童話を母親が話してくれたなと、ミラは思い出して笑い、少しだけ浮かんだ涙を拭ってから、不安そうに固まっている子供達を手招きした。

「行こう。せっかく助かったのに、お腹がいて死んじゃったら馬鹿馬鹿しいよ」

 それこそ、助からなかった他の村人達に申し訳が立たない。

 ミラが開き直って骸骨と共に廊下へ出ると、他の子供達もやはり空腹には勝てなかったのか、戸惑いながらも後を追ってきた。

 そうして、彼女達は骸骨に案内されて居間に入る。

 宿屋なんてない小さな村では、来訪した役人を泊める役割もあるため、村長宅の居間は他の家よりも広く、大きめのテーブルが用意されている。

 そこに今、美味しそうに湯気を立てる麦粥の盛られた皿が、子供達の人数分だけ並べられていた。

「うわ~っ!」

「申し訳ありませんが、味の方は保証できませんよ。何せ舌がありませんので」

 骸骨が空っぽの口内を見せて注意するが、飢えた子供達の耳には届いていなかった。

 溢れ出る食欲の前では、先程までの警戒心など吹き飛んでしまい、我先にと麦粥の皿に手を伸ばす。

「はぐはぐ、熱っ!」

「まだまだたくさんありますから、慌てなくとも大丈夫ですよ」

 がっつく子供達の姿を見て、骸骨は微笑んでいるのか、青い炎のような目を細めながら、おわりのつまった鍋を持ってくる。

 それを横目で窺いながら、ミラも麦粥を口に運んだ。

「……美味しい」

 やはり空腹は最高の調味料なのだろう。麦をお湯で煮ただけの味気ない粥が、焼き立てのパンやにわとりの肉よりも美味しく感じられて、思わず涙が浮かんでしまう。

 そうして、ミラ達が何杯もお代わりを重ね、ようやく腹が落ち着いたのをはからって、骸骨はゆっくりと口を開いた。

「さて、まずは自己紹介と致しましょう。私の名前は……何でしたっけ?」

「えっ?」

 困って首を傾げる骸骨に、ミラ達もまつたく同じ動作を返す。

 こちらをなごませるための冗談なのかもしれないが、何年も人から名前を呼ばれていなかったせいで、本当に名前を忘れてしまったような深刻さが感じられて、に突っ込んで聞く事もできない。

 そんな黙り込むミラ達に代わって、不意に聞き覚えのない女性の声が響いてきた。

「あらあら、としを取るとボケちゃって嫌ね」

「誰っ!?」

 驚いて周囲を見回す子供達の前で、テーブルの上に黒い影が飛び出てくる。

 それはつややかな黒い体毛と、月を思わせる黄金のひとみをした──

「猫さんがしやべってる?」

「骸骨が喋るんですもの、猫だって喋るわよ」

 驚いてパチパチとまばたきを繰り返すミラに、急に現れた黒猫はそう言い返して、テーブルの上で丸くなった。

 それを見て、今まで終始穏やかな様子を崩さなかった骸骨が、初めてとげのある声を出した。

「加齢によるほうを警戒すべきなのは、貴方あなたの方ではありませんか?」

「この若くみずみずしい体が目に入らないなんて、目玉が腐っているのかしら? あら、ごめんなさい。腐る目玉がなかったわね」

 言葉遣いはていねいながら、骸骨と黒猫は険悪なふんにらう。

 それを見て他の子供達が怯えているのに気がついて、ミラは恐る恐る一人と一匹に声をかけた。

「あの……」

「失礼しました。これの事は気にしないでください」

「そうね、私はただの観客だから、気にしなくていいわ」

「はぁ……」

 仲が良いのか悪いのか、何とも不思議な骸骨と黒猫に、ミラはあいまいな返事をするしかなかった。

 そんな彼女をに、骸骨は話題を元に戻す。

「私の名前ですが……テリオス、とでも名乗っておきましょう」

 いかにも今考えためいであったが、それを問う間も与えず、骸骨──テリオスはたたみかけるように宣言した。

「世界では毎日、病で、で、戦争で、人が死んだり殺されたりしています」

 ミラ達もそうなりかけていた。この世界において、死は隣人のように近い。

「けれども、私はそれがまんなりません。人が寿命以外で死ぬ事もなく、争いによって殺される事もない、平和な世界を築きたいのです」

 死の象徴たる死神めいた骸骨が、不条理な死のない世界を望むなど、悪い冗談にもほどがある。

 けれども、テリオスはどこまでもな声で、ミラ達に向かって断言した。

「私は必ずや、千年続く平和な世界を実現してみせます。だから皆さん、どうか安心してください」

 そう告げて、白い歯をカタカタと鳴らして微笑む。

 ただ、あまりにも壮大すぎる夢物語に、ミラも他の子供達もついていけず、呆然と口を開ける事しかできなかった。

「千年続く平和な世界……」

 決して豊かではなかったが、争いもなく穏やかで、それがずっと続くと思っていたこの村での生活は、急に降っていた伝染病によってあっさりと崩れ去った。

 ミラは幸運にも一命を取り留めたが、かつてと同じ生活を取り戻したとしても、それがいつか何の予兆もなく壊れてしまう恐怖を、ふとしたひように思い出し続けるのだろう。

 だからこそ、テリオスの語るずっと続く平和というものが、とても輝いて聞こえたのだった。

「素敵ですね」

「はい、きっと素敵な世界になりますよ」

 思わず呟いたミラに、テリオスはまた歯を鳴らして笑い返す。

 この瞬間こそ、自分と不死王の運命がまじわったのだと、彼女は死んでも忘れる事がなかった。

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