不殺の不死王の済世記

第一章 立てる者は骨でも使え その１

　テリオスは自己紹介を終えて、子供達からも名前を聞くと静かに席を立った。

「私は少し後始末をしてきますので、皆さんはベッドで安静にしていてください」

　霊（れい）薬（やく）によって伝染病が治り、麦（むぎ）粥（がゆ）で空腹を満たしたとはいえ、数日間ろくに食事もできず痩（や）せ細（ほそ）っていた肉体がすぐに回復するわけではない。

　事実、体はまだ休息を必要としているようで、子供達は起きたばかりだというのに、眠そうに目を擦（こす）っていた。

「すみません。それじゃあ休ませて貰（もら）います」

　助けられた時に意識があったためか、怯（おび）えた様子もなくわりと好意的で、痩せ細ってもなお美しい白髪の少女・ミラが頭を下げ、他の子供達の背中を押して寝室へと向かった。

　それを見送って、テリオスは玄関扉を開けて外に出る。

「助かった子供が九人。これでも多い方でしょうね」

　そう呟（つぶや）きながら、改めて村の中を見回す。

　ほんの二週間ほど前までは、平和に暮らしていた小さな農村が、今や緑色に変色した死体が無数に転がる地獄と化していた。

　初夏の日差しにやられて腐敗した遺体は、虫が湧（わ）いて酷（ひど）い有（あり）様（さま）となっており、とても子供達には見せられない。

「こういう時、骸（がい）骨（こつ）は楽でいいですね」

　テリオスは白い歯を鳴らして笑う。不死者（アンデツド）である彼は見ての通り鼻も胃もないので、死体の腐臭にやられて嘔（おう）吐（と）する事もないし、伝染病に感染する危険もない。

「しかし、緑（りよく）腐（ふ）病（びよう）ですか」

　家の中に転がっていた死体を担（かつ）ぎ、村の外れにあった墓地らしき空き地へと運んでいきながら、テリオスは顎（あご）に指を当てて考え込む。

　緑腐病は空気感染し、治療しなければ十数日で必ず死亡するという、最も危険な伝染病の一つである。

　ただ、潜伏期間が短くすぐに発症するため、知らぬ間に感染が拡大する事は少ない。

　そして、極（ごく）一部の例外を除（のぞ）き、人間以外の動植物には感染しないという、病原菌としては致（ち）命（めい）的（てき）な欠（けつ）点（てん）を抱（かか）えていた。そのため──

「二百年前に根（こん）絶（ぜつ）したと思っていたのですが……」

「あら、随（ずい）分（ぶん）な思い上がりね」

　テリオスの独り言に答えて、黒猫がどこからともなく現れ、彼の肩に飛び乗ってくる。

「人間ごときが死の化身たる病魔を滅（ほろ）ぼそうだなんて、冥（めい）界（かい）神（しん）に喧（けん）嘩（か）でも売る気かしら？」

「平和のために必要とあれば、神との争いも辞（じ）しませんがね」

「あら怖い」

　硬い声で答えるテリオスに対して、黒猫は愉（ゆ）快（かい）そうに髭（ひげ）を揺らして笑う。

　それを見て、テリオスは痛覚を失ったはずの体に頭痛を覚えた。

「何の用ですか？　暇（ひま）なら子供達の相手をしてあげてください」

「あいつらなら全員、死体のように眠ってるわよ」

「もう少し言い方を考えてください」

　彼の到着があと数時間も遅れていたら、本当に死体と化していただけに、全く笑えなかった。

　そう注意するテリオスに向かって、黒猫は意地悪な笑みを浮かべる。

「でも、よかったわね」

「何がですか？」

「こんなに都合の良い村が見つかるなんて、あんたはやっぱり運命に愛されているわ」

「呪（のろ）われている、の間違いでしょう」

　冗談にしても質（たち）が悪すぎると、テリオスは不満げに言い返す。

　だが、黒猫は追撃の手を緩（ゆる）めなかった。

「でも事実でしょう？　病魔に冒（おか）されて救いの手を待つ哀（あわ）れな子供達なんて、取り込むのにこれほど最適な者達はいないわ」

「…………」

　テリオスは黙って口を閉じる。黒猫の指摘が確かに事実であったからだ。

　平和な世界を築くという目的を達成するためには、彼の存在を人々に受け入れて貰う必要がある。

　だが、一般に邪悪な魔物とされる不死者を、それも一国を滅ぼすほど危険な力を持った不死王（ノーライフ・キング）を、人々が受け入れる事など普通はありえない。

　そう、普通の状態ではありえない。だが、非常事態ならば話は違う。

　神でも悪魔でも何でもいいから救って欲しいと願うほど、悲（ひ）惨（さん）な状況に追い込まれていれば、弱い人々は邪悪な不死者にだってすがりつく。

「領主の重税に苦しむ民でもいれば、とは考えていましたがね」

　テリオスは深い溜（ため）息（いき）を吐（つ）く。緑腐病によって全滅しかけた村と遭遇するなんて、彼にとっても想定外の事態だったのだ。

「確かに好都合でしたが、都合が良すぎで私が緑腐病をばらまいたなどと、あらぬ疑いをかけられかねません。本当に運命とやらが仕組んだのだとしたら、嫌がらせにもほどがあります」

「なら、別の所でやり直す？」

　黒猫の提案に対して、テリオスは少し思案してから首を横に振る。

「いいえ。計画を始めるにあたって、ここより理想的な土地はないでしょうし」

　ここはトロキア大陸の最北西に位置する、エリュトロン王国の領土内である。

　そのエリュトロン王国だが、北から東にかけては高い山脈に遮（さえぎ）られ、西は海に面しているが、海（かい）竜（りゆう）が生息しているため船での行き来が難しく、他国と繋（つな）がるのが南側の沼地のみという、とても攻め込まれ難（にく）く守りやすい地形をしていた。

「計画を進めていけば、どうしたって私を滅ぼそうとする者達が現れます。その際、四方八方から攻め込まれては堪（たま）りませんからね」

　多方面作戦は最大の愚（ぐ）行（こう）であり、戦線を一つに絞って早期解決を図（はか）るのが、戦争で最も重要な事だと、テリオスは骨身に染（し）みて知っていた。

「このエリュトロン王国は天然の要（よう）塞（さい）に守られている分、それが領土の拡張を阻（はば）んでいるという欠点もありますが、利点の方が大きいですからね」

　そう考えて王国を訪れ、『幻影（イリユージヨン）』の魔術で人間に化けて国内の情報を探っていたら、伝染病に冒されたクリオ村の話が耳に入って、今に至るというわけであった。

「計画が目論見通りに進まない事は、生前も嫌というほど味わいましたが、こうまで都合が良すぎる状況を用意されると、誰かの陰（いん）謀（ぼう）を勘（かん）ぐりたくなってしまいます」

「言っておくけど、私は何もしていないわよ」

「そこは信用していますよ」

　黒猫とそんな話をしつつ、テリオスは村中の死体を墓地に集めていった。