第3話:取引


 しばらくして、右手側の貸家から、一人の老人が姿を現した。鱗混じりの相貌。細目の金眼。牡鹿のような双角。長く蓄えられた白い顎髭。ゆったりとした外衣を着た、竜人族の老翁だ。


「──付近の住民を代表して、儂がお答えしよう。儂の名はリーザル。お嬢ちゃんたちは?」


「リブラのスーですわ」

「同じく、マイだぞ!」


「──勘の良い憲兵であれば始末していたところだが、魔王軍の特務機関であれば仕方がない……。ここは一つ、取引をしようじゃないか」


 リーザルは、やんわりと語りかけた。


「憲兵が腑抜けとは言え、虚偽の証言は重罪ですわ。それ相応の対価がなければ、見逃すことはできませんわよ?」


 マイは困り眉で言った。


「第一に、近隣住民の口裏を合わせたのは儂だ。そして、儂以外の住民は、此度の事件に何ら関与してない」


「じゃあ、リーザルさんは関係しているのか?」


 マイは訊いた。


「ぁあ。……犯人たちは、貸家の隠し通路から街の地下水路へ逃走した。それから先のことについては知らない」


「強盗犯は、人間でしたの?」


 スーは問うた。


「ぃいや。彼らは、魔族だ。獣人族もいた。あいつらが逃げる時間を稼ぐために、憲兵隊には、強盗犯は人間族だったと証言した。転移魔法を使ったと言ったのも、同じ理由だ」


「どうして、そこまでして犯人たちを庇ったんだ? 犯人たちは、リーザルさんの家族とか、親友とか、そういう大事な人たちだったのか?」


 マイが訊いた。


「家族ではないし、親友とも言いがたい。……が、見捨てるには忍びない者たちであった。……あいつらは全員、儂が営む貸家の住民たちだ」


 リーザルは息を吐いた。

 そして、再び語り出す。


「隣と真向かい、そして斜向かいを含め、この袋小路に建っている4件の貸家は、全て儂の持ち物じゃ。儂は、居場所を追われた貧者たちを相手に、格安の宿泊業を営んでおる。ここ最近は利用者が増える一方で、客の中には、儂のコントロールが及ばない血の気の多い連中も少なくない」


「そういう宿屋の繁盛は、あんまり良い話じゃないな……」


 マイは、沈んだ声で言った。


「全くだ。……十年前なら攫ってきた人間に任せていた仕事も、最近じゃぁ魔界の貧民がやらなきゃならん。折檻や鞭打ち、転売が当たり前の職場で、魔族の乞食がやっていけるわけがない。横暴な雇い主から逃げ出したり、乱暴が過ぎて捨てられたりした魔族の奴隷たちが、儂のところに転がり込んでくるのだ」


「リーザルさんは、そんな不憫な魔族たちを救いたい。……と?」


 スーは問うた。


「そうだ。……理念よりも食料。夢よりも金。国よりも家。戦時も平時も、御上の勝手な行いのせいで割を食うのは、決まって儂らのような臣民だ。多少の行いは、目を瞑ってもらいたい。無論、今回のことについては、儂が責任を取る。……」


 そう言うと、リーザルは両手を突き出した。


「儂もこの年だ。今更、命など惜しくはない。ただ願わくば、この貸家を、使える状態で残してやって欲しい。……御上が気まぐれの和平を結ぶ代償として、貧者の救済を要求する」


「どうする? スー」


 マイは、マジックパックから手錠と口枷を取り出した。魔界には、魔法を使える者が大勢いる。誰かを拘束する際には、詠唱を封じるために口も抑えるのが一般的である。


「ひとまず、自白の裏付けが必要ですわ。……リーザルさん。地下水路に繋がっている隠し通路とやらは、どこにあるのですか?」


「一階ロビーの壁に、大きなタペストリーが掛かっている。それをめくると、古い木戸がある。それが、隠し通路への入り口だ」


「マイ。確かめるのです」

「任せろ!」


 マイは、貸家に上がり込んだ。


「ところでリーザルさん」


「何かな? お嬢ちゃん」


「いまひとつ、解せませんわ……」


 スーは、鎌を掛けるように呟く。


「今し方の理屈を聞いた限り、リーザルさんは高潔の士。であれば盗んだ金は十人足らずの盗人ではなく、全ての貧者を救う貸家のために使うはず。リーザルさん。犯人たちが盗んだ小金貨6000枚は、今どこに?」


「……満額、彼らに持たせてやった。やむを得ない事情があったとは言え、不法の行いに手を染めた者たち。儂の元に、長居をすることは許されない。盗んだ金は、手切れ金のようなものだ」


「解せませんわ……。……本当に解せませんわ……」


 スーは上目遣いに、リーザルの蜥蜴顔を覗き込む。

 彼女の瞳は、猫目にも似た不気味な光りを帯びる。


「リーザルさんは、まだ、何か隠しているのでは?」


「何もないよ。そんなに疑うなら、君の可愛い相棒に、好きなだけ家捜しさせれば良い」


 リーザルは、顎で後ろの貸家を指した。


「隠し通路、発見したぞ! 確かに、地下水路に繋がっていたぞ!」


 マイが戻って来た。

彼女の体からは、ほんの少しだけ生臭い下水の臭いが漂ってくる。


「水路を捜索しても、強盗犯に辿り着くのは難しいでしょう。それよりも、御仁に付いた埃を叩く方が先決ですわ。リーザルさんは、逃げ道の確保に不可欠な存在。しかも、犯人たちにとってリーザルさんは、恩人とも言える存在。リーザルさんが計画を事前に知っていたにせよ、犯行当時まで知らなかったにせよ、強盗犯たちが一銭も置いていかないというのも、それはそれで不自然な話ですわ」

「随分とひねくれ者なんだね。お嬢ちゃんは。……」


 リーザルは薄く笑った。


「わたくしにとって、ひねくれ者は褒め言葉ですわ」


 スーは鼻で笑った。彼女は、追及の手を緩めない。


「……さて。リーザルさんが、強盗犯たちの保護者のような存在であったとして。その関係は、犯罪においても同じであるとは限りませんわ」

「どういう意味だ?」


 マイは、首を傾げた。

 彼女は、リーザルの真後ろに立つ。天然な彼女に他意はなかろうが、リーザルにとってはそれなりのプレッシャーになる。


「例えば、リーザルさんも強盗一味も、同様に駒であるという可能性ですわ。……『大金を持った強盗がいて、それを敢えて見逃した親分がいる』と考えるよりも、『黒幕がリーザル殿に指図をして、リーザル殿が手元の浮浪者たちを利用した』と考える方が、幾分スムーズな気がいたしません?」


「横暴な推論だな。……食い扶持にはぐれた不憫な者たちが、泣く泣く犯罪に手を染めた。臆病な紳士は、彼らを自由と危険に満ちた暗黒の世界へと逃がした。……お嬢ちゃんは、これ以外に何の物語を望むのか?」


「真実ですわ。わたくしは最初から、真実しか求めていません。……ゆえに、今の推論がどのくらい妥当なのか、確かめに行きますわ。まずは、徴税人たちの証言を再検討しましょう。果たして、彼らは本当に、強盗犯を人間族と見間違えたのか。或いは、故意に嘘を言ったのか。リーザル殿と徴税人の間柄も、調べてみることにしますわ」


「……っ」


 リーザルの金眼が、僅かに動揺した。


「……時にリーザルさん。この辺りの徴税請負人は、いったい誰ですの?」

「……それは」


 スーは、リーザルの懐に踏み込んだ。


「貸家の運転資金とて、決して潤沢ではないのでしょう? もしも、素直に答えてもらえるのであれば、この辺りのスリや置き引きはいくらか見逃すよう、憲兵隊に口を利いて差しが得ますわ」


「…………」


「どうしますの? リーザルさんは、取引がしたいのでしょう?」


「……ペント」


 リーザルは、小声で言った。


「もう一度」


 スーは促した。


「……蛇頭族の青年。……ペント・スネイサーだ」


「ペント……。……! さっき聞いた名前だぞ!」


 マイの頭に「!」が跳ねる。


「リーザルさんは取引が得意なご様子。大方、徴税人が取り立ての手を緩めるのと引き替えに、今回の『謀略』に手を貸せと迫られたのでしょう?」


「これ以上は何も言えない。……吐かせたければ、逮捕して尋問でも拷問でもするが良い」


「推測と憶測だけで逮捕なんてできませんわ。それに、弱者を守る老人をいたぶる趣味もありませんの。──推測をするときは、脳に翼を生やすべし。証拠を集めるときは、自らの足で稼ぐべし。……マイ! 徴税人ペント・スネイサーについて、徹底的に調べますわよ」

「らじゃー!」


 スーとマイは、颯爽とした足取りで、袋小路を後にした。


「……」


 リーザルは静かに、貸家の中へと戻っていった。

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