ハウザーの恋人

「エミリア・カーウィっていうんだ。うちの分家とは関係のない商家の娘でね、幼馴染なんだ。初めて会った時は、使用人から竜は人を食うって吹き込まれていて、僕にかじられてしまうって泣いてたっけ」


 ハウザーはとてもやさしい顔をしてエミリアを語る。


「それから、しょっちゅうバロッキー家に遊びに来るようになった。バロッキーの子どもたちは皆エミリアを姉と慕っているよ。イヴさんはどちらかというとバロッキーの外の事には疎いから、外での女性への接し方なんか、全部エミリアが教えたくらいさ」

「この国では稀な女性なんでしょうね」

「そう。バロッキーにとっては得難い友人さ。しかしカーウィ家だって大きな商家だ。放っておいても色々な所から縁談が来る。でもさ、バロッキーである僕から先方に妻に欲しいと頼むわけにはいかないというか、バロッキーと縁続きにしてしまうのは申し訳ないというか……」

 

 ハウザーはエミリアに別の縁談がまとまりそうなの知りながら、仲を断ち切れずにいる。

 私は、エミリアの実家の商家がハウザーとの結婚を認めないのかと思っていたのだが、そうでもないらしい。

 ハウザーと結婚するつもりのエミリアは片っ端から縁談を断り、両親を困らせているらしい。


「ははは、最近では、カーウィ家から僕にエミリアをもらってくれと遠回しに言われるくらいだよ」


 そこまで聞いて急に馬鹿馬鹿しくなった。


「なんですかそれは。もっと大変な話かと思えば。ハウザーさんのせいですよね、普通に」


 私は眉間を揉みながらハウザーを責めた。


「僕だって、このままでいいとは思ってないよ。ちゃんと時期を見て……」

「ほかの人と結婚する気が無い人を待たせて、何か良い状況に変わるんですか? 竜の目玉が取れて新しい血と入れ替わる奇跡でもおきますか? どうせ、その様子ではエミリアさんを手放す気も無いんでしょ」

「……でもさ」


 ハウザーはごにょごにょと言い訳を続ける。

「決断すべき時にしないと。バロッキーは大きな商家だとお見受けします。その次期当主がそのような買い時を逃すような態度では先が思いやられますよ」


 利にしがみつく商売人は足元を掬われがちだが、石橋を叩いて安全を確認したのに渡らないような商人ではだめだ。

 橋があったら渡らねば。


「そう、だよね……」


 ハウザーはすっかりしょげ返ってしまった。

 

 私は、自分が腹を立てていることが分かった。


「えと……よく知らないのに偉そうに、すみません」


 今更とってつけたような謝罪をするが、ハウザーの決断力の無さが私にはどうにも我慢がならなかった。

 しかし、商人として、こんなことで声を荒げるなんて三流だ。

 他人が出来ることをしないでいることに、こんなに腹が立つなんて思わなかった。

 なんだか久しぶりに青くて痛々しい感情が動き出して、一気に恥ずかしくなって、私も黙り込んだ。


「いや、君が正しいよ、サリ。本当にそうなんだ――」

 


 私は少し先の未来を想っていた。


 (私は自身の命を絶つべき時に躊躇ためらわないでいられるだろうか)


 いや、躊躇わないでいよう。

 私が出来ることはもう全てやってきたし、ここでの仕事が終わればなんの後悔もない。

 それがきっと望まれる在り方だ。

 私はいさぎよいのが好きなのだ。

 



 何かを決意したように黙り込んだハウザーに、別の話題を振ってみる。

 図書室内の本の中にはかなり古いものも含まれている。

 古美術品でしか見たことのないような、金属の鋲や宝石の類が表紙に埋め込まれている物もある。

 何の材質で表紙が作られているのかわからない本もあるが、あの箔押しは本物の金箔のようにも見える。


「図書室というだけあって、すごい本の量ですね」


 実際、この部屋の書架には収まりきれていない積み上げられた本の山に感想を述べてみる。


「かなり古い本もあるんだよ。普通なら禁書となるような古いやつもね。でも、家人なら誰でも自由に使えるんだ。もちろんサリもね」


 禁書は流石に読んだらまずいのではないだろうか。


「興味のある本があったら持ち出してもいいよ」


 そして、目を細めて優しく私に尋ねる。


「本は好き?」

「さぁ、どうでしょう。あまり読む機会がなかったので」


 するとハウザーは驚いたような顔をした。


「学校は?」

「行ってましたが、あまり参加してなかったので」

「どうして?」


(はい、学校に行っている間に良家の子女がするような事ではないことばかりしていたんです!)


「……」


 とは言えないわね、やっぱり。

 あいまいに笑ってやり過ごすことにした。


「腹の探り合いは無意味なんじゃなかったの?」


 口を尖らして揶揄するので、しかたなく本当のことを告げる。

 まぁ、たしかに隠していても意味が無いか。


「……内職してたので」

「学校で?」

「はぁ」


 ハウザーの声に咎めるような響きを認めて、まずかったかな、と苦笑いを浮かべる。

 ハウザーは眉をひそめ声を低くし更に問い詰める。


「学校でも?」

「まぁ。借金が膨大ですからね」

 

 ハウザーは短く息を吐くと、君も大概だね、と困ったように笑った。


「ねぇ、サリ、どんなのが読みたい? 字は読めるよね」

「はい。字は読めますが、私の学問はとても狭いから、何にでも興味はあります」

「じゃあ、この当たりから手をつけるといいよ。興味の出た分野をもっと深く読むといい」

 

 そう言って何冊かの本を差し出した。


「それと、これは取っておきの本なんだ」


 うやうやしく取り出したのは少し表紙が擦り切れた古い装丁の絵本だった。


「僕がヒースが子どもの頃に寝物語として読んであげていたんだ。寝る前に読むといい」


 ハウザーは愛おしむように、懐かしむように、ゆっくりと擦り切れた表紙を撫でる。

 途端に、もう二度と会えないだろう愛らしい妹たちの姿が脳裏に浮かぶ。


「私……も……妹達に毎晩本を読んであげていました」

「そう」


 それからハウザーは優しい顔で故郷の話を聞いてくれた。

 二人で思い思いに本を開いて、没頭して本を読んだ。

 エミリアとの思い出話もしてくれた。

 

 迷っていること、恐れていること。

 

 この人が夫の候補から外れてほっとした。

 この人は優しい人だ。

 

 多少優しさに問題ありだが。



✳︎✳︎✳︎✳︎



 部屋に帰って来ると、ヒースがお茶の支度をしてくれていた。

 お茶をいれてもなかなか退室しないのは、ハウザーとのことを聞きたいのだろうか。


「一緒に飲む?」


 躊躇ちゅうちょしたのか、少し間を置いてから、

「……自分のカップをとってくる」と返事が来た。

 それから、少しぬるくなってしまったお茶を囲んでヒースとのお茶会が始まる。


「ハウザーさんは、あなたを薦めてきたわ」

「俺を?」

「そう。彼、恋人がいるんですって」

「え? そうなのか?!」

 

 ひどく驚いた様子だ。本当に初耳だったのだろう。


「内緒にしていたらしいわ」

 

 今度は何か思い当たる節があるようで、思案するように黙り込む。


「それは、俺が聞いて良かったのか?」

「知らないわ。でも、この状況で黙っていても仕方ない話でしょ。それで他を当たって欲しいということなんじゃないかしら」


 口止めはされなかったし。

 真剣なら、一刻も早く表沙汰になった方がいいに決まってる。

 ヒースは困ったような顔ばかりする。


「ハウザーは、優しいんだ。自分のことは後回しにして、他人の幸せばかりを心配している」

 

 いや、あれは優柔不断をこじらせている感じだったけど……?


「そう? べつに、あなたは他人じゃないでしょ?」

「血統的に俺は赤の他人だよ」

「ハウザーさんはそうは思っていないみたいだけどね」


 何回も繰り返し読まれた絵本のしなびたページには、家族としての愛情が染み付いている。

 こんなに目に見える愛はないというのに、本人には気がつかないのだろうか。


「しかし、ハウザーに恋人か。考えてもみなかったな」

「難しい状況みたいなの。上手くいくといいわね」


 閉塞された状況は何も生まないし、どうせ出す答えは一つだ。

 長い春を終わらせる決断さえすれば、どちらに転んでも利を生み始めるだろう。

 

 ヒースは落ち着かなくそわそわとし始めた。


「ハウザーと話してくる。なんでいつも大事なことは黙ってるんだ、あいつ」

「今から出かけるって言ってたわ。白黒はっきりさせてくるって」


 部屋を飛び出して行く勢いだったヒースにハウザーの不在を告げると、モヤモヤした様子だったが仕方なくまた椅子に腰を落ち着けた。


 ヒースの淹れたお茶は美味しい。

 何気なく外に目を向けると、すそさばきも荒々しく、常ならざる勢いで玄関に向かう女性の姿が見えた。


「あれ、エミリアだな。一人でうちに来るなんて珍しいな」

「どなた?」

「城下の商家の娘さんで、ハウザーの幼なじみなんだ」

「……あらあら」

「……って、まさか」

「どうやら行き違いのようねぇ」


 人の色恋沙汰を見守るのは割と面白いものだったのね。

 私はまた一つ、忘れていた感情を取り戻したような気になった。

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