エミリア

「おじ様、見損ないました!」


 訴えるような声は遠くからでも聞こえた。


「聞けば借金のかたに連れてこられたのだとか。行き遅れのハウザーにあてがうおつもりですか? 時代錯誤もはなはだしい!!」

 

 玄関あたりで、毛量の多い黒髪を振り乱した女性がトムズさんに詰め寄っていた。

 ほつれた髪だが彼女の美しさを幾分も損ねてはいない。

 上気した頬が色の白さを際立たせ、艶めかしいほどだ。


「エミリア、落ち着いて」

「落ち着いてなどいられません。ハウザーは、どこですか? 私になんの相談もないなんてっ!」

 

 トムズさんは慣れた様子でエミリアをなだめている。

 エミリアはいよいよ泣き出さんばかりの勢いでトムズさんに迫った。


「おじ様、私にハウザーを下さいませっ! 私が家を出ます! 私がここに! ハウザーに嫁ぎます! だから、その可哀想な娘さんは家に帰してさしあげて!」

 

 おっと、私に関係する事案だったのを忘れていた。

 どうか安心して欲しい。

 ハウザーみたいな善良な人はこちらから願い下げだから。


「ハウザー! ハウザー、出てらっしゃい! あなたがうかうかしているばっかりに、罪のないお嬢さんにまで迷惑かけて!」


 奥に向かって叫ぶエミリアに、恐る恐る話しかけてみる。


「あの、ハウザーさんなら出かけましたよ」


 声をかけた私に一瞬いぶかしげな顔を向け、取り繕うように笑顔をつくる。


「あら、留守だったの? どこに出かけるか聞いてないかしら?」

「今から恋人に結婚を申し込むって、勇んで出かけていきましたよ」

「なっ……なんですってぇ?!」


 美女は大口を開けても美しいのね。


***************


「ごめんなさい。取り乱しました。そういう事情だったのね」


 一通り、私がここに来た経緯と、ハウザーとの面会であったことを説明し終えた頃には、エミリアは落ち着きを取り戻していた。

 トムズは部屋に戻り、代わりにルミレスとミスティが客間で一緒にお茶を飲んでいる。


「でも、サリ、あなた本当に家に帰らなくて大丈夫なの?」


 私が部屋に帰る前、ハウザーは自分がどうすべきなのかは分かっていたと告げた。

 そうでなくては困る。

 嫌だと言っている相手ならともかく、お互い恋人同士で、家の反対も無く、むしろ望まれているのに何年待たせているのだろう。

 商人とは思えない鈍さだ。

 時間の無駄だし、資源の無駄だと思う。


 家族は覚悟さえすればそれなりに成り立つものだ。

 だって、人はいずれ別れがくる。

 自分が消えるか、相手が目の前から消えるかで、誰もそれに抗えない。

 だから、別れが来るまでは過ごしたい人と過ごした方がいい。

 

 ――そう、別れは必ずくる。

 その点、私は家族との別れはもう済んでいる……。身軽なものだ。


「私がこちらに嫁ぐだけで返済が済むなら、破格の計らいです。それに、実は国元くにもとで、借金を肩代わりするから孫と結婚しろと仰る御仁ごじんがおりまして。それがどうにも良い取引にはなりそうになくて困り果てておりましたので」


 思い出すだけで、苦笑いが止められない。


「妹達の見える場所で不幸な結婚を見せるくらいなら、遠い地で誰とも知らない人の妻になったほうがまだ妹達に明るい生活を残せます。私にとってバロッキー家との縁談は渡りに船。幸運なことに、バロッキーの方々には色々良くしていただいております」


 欲を言えば、はやくダメな夫を提供して頂きたいものだが。

 この調子で皆良い人でしたということになったら、色々面倒くさい。

 これから先の予定は何もないのだ。

 ――叔母達に一泡吹かせること以外は。


「サリ、そんな事情でここに来ることになったのか?」


 ヒースが心配そうにこちらを見る。

 私が本当に危機感を感じていたのは、私が孫のマルスと結婚したら姻戚関係になる妹たちに危害が及ぶことだった。

 あの男、綺麗な顔をしているが、酷い性癖を持っていた。

 あれを妹たちの義兄にしなくちゃいけないことに比べれば、金で買われる先を変えることくらい、たいしたことではない。


「わざわざ貸元を変えて借金を複雑にする必要もないでしょう。まぁ、孫息子がヒースのような好青年だったら事情も変わったかもしれないけど……。相手が本当に、本物の、稀に見る変態だったのよ!」


 それにしても、ここに来てからなんの心配をされているやら。

 私が納得づくでここに来ているのを説明するのがこんなに手間がかかることだとは思わなかった。


「サリ……なにを……」


 ヒースは何があったのか口をパクパクとさせて二の句を継げられずにいる。

 ヒースは本物の変態を見たことがないんだろうか。

 まぁ、ヒースは健全そうだしな。


「いい? 変態は実在するのよ、ヒース」


 エミリアは美しい眉根を寄せて、ヒースを見ると、今度は私の顔を覗き込む。

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