ハウザー・バロッキー

「きみ、魚のうろことか抵抗ある?」

「爬虫類とかは?」


 案内された図書室にはいると、ハウザーは滑らかに塗られた文机で本を読んでいた。

 木漏れ日からの採光は目に優しい。


 私の夫候補の中で一番年長のハウザーは、麗人寄りの美男だ。

 色素の薄い長髪が真昼の光で、より一層明るい色に見える。

 ミルクをたっぷり入れたお茶のような優しい色だ。

 長い手足が絶妙のバランスで、華奢きゃしゃな体によく似合っている。


 招かれた図書室には壁一面に本が収められていたが、床にも本の塔が何基も築かれている。

 ――ああ、心が躍る。


 (私の人生が終わるまでに、この中の何冊かを読める時間があったらいいな)


 今まで娯楽で本を読む時間なんて無かったから、本を見ると無性に読みたくなってしまう。


 ……さて。


 ハウザーに会いに行って、開口一番に言われたのが自己紹介でも拒絶でもなく、何だかわからないだったので、しばし部屋の観察をしてから、やっと意識が戻ってきた。


「はい?」

 

 唐突過ぎて何の話だか呑み込めずに、思わず険のある返事をしてしまう。


「僕はね、ヒースには幸せになってほしいんだ」


 なんの告白だ? と眉根を寄せたのに、ふわふわとハウザーの話は続く。


「僕が森を歩いている時に見つけたんだよ。まだ小さくてね、それなのに健気になんでも自分のことは自分でやろうとしてね……すごく愛らしかった!」


 ああ、ヒースの話か。

 この人、出会いがしらにヒースを如何に愛しているかを語り始めたのか。

 唐突で驚くなぁ。

 これはひょっとすると、当たりかな?

 一人目にしておかしな人を引き当てたかもしれない。

 気を取り直して聞き直す。


「ええと、ハウザーさんがヒースを?」

「そうなんだ! 家の前まで連れてきてくれれば良かったのに、森の中に置いていかれてしまったらしくてね。僕が拾ったんだよ」


 親に……捨てられたって言ってたけど、置き去りにされたのか……。

 過酷だなぁ。


「ええと、ヒースの両親が幼いヒースを森の中に置き去りにしたのをハウザーさんが見つけた、と?」


 どうにか把握した内容をまとめると、ハウザーは満面の笑みでうなずいた。


「そう。あれ……驚かないね? ヒースから聞いていた?」

「まぁ。はぁ」

「ふーん」


 ハウザーは嬉しそうに笑うが、私はこの話題は少々居心地が悪い。


「でも、そういった詳細をハウザーさんから聞いていいものかどうかは分かりません」


 ヒースは傷ついたような顔で捨てられた事を語っていた。

 いくらヒースを拾った家族とはいえ、これ以上の詳細を勝手に私が知ってしまうのはどうなのだろう。

 そもそも、私が知ってどうなるというものでもないし……。


「君は、家族が納得しないうちに単身飛び出してきたんだろう?」


 ハウザーは私の言ったことには何も応えず、また別の切り口から会話を始めた。

 ハウザーの話からは意図が見えてこないので、諦めて流されることにしよう。

 私は郷に入れば郷に従うのだ。


「はい。私が自らここに来ると決めたのに、父がなかなかうんと言わなくて……」

「それじゃ、誰かが追いかけてくる可能性もあるわけだ。君は、それまでに結婚の契約を結んでおきたい。違うかい?」

「その通りです」

「じゃぁ、あまり時間が無いね? それなら、駆け引きも無用だ。だから知るべきことを知ってから判断して欲しいと思ってさ」


 私は首を傾げ続けなければならなかったが、ハウザーは話の着地点を見つけたようで、満足そうに微笑む。

 遠くから、遠くから話を詰めて来るタイプの人なんだな、きっと。

 まぁ、ヒースについて、個人的に好奇心が動いてしまうのは事実だし、少し後ろめたさは残るけれどハウザーの話に付き合うことにした。


 ハウザーの口から、多分に偏ったヒースの生い立ちが語られる。

 好物がどうとか、寝相がどうとか、本筋とは関係なさそうな情報が多いので相槌あいづちがおざなりになってくるのは許して欲しい。


 それにしても、バロッキーの人達は血族の結びつきが強そうなのに、ヒースの母親は、どうして子を捨てる必要があったんだろうか。

 普通に預けるなり養子に出すなりすれば良かったんじゃないんだろうか。


「ヒースはバロッキーの血筋なんですよね?」


 十歳の誕生日にテーブルに上がった猫にクリームを舐め上げられてケーキをダメにされた話が一段落したようなので、口を挟んでみる。


「バロッキーかはさておき竜には違いないだろうね。ヒースの血筋を辿れば必ず竜の家系に辿り着くはずだよ。それでなくても特徴がはっきり出ている。でも、両親にはなにもバロッキーらしい所はなかったようだね」

「そんなことがあるんですか?」

「竜は男性が多いけどね、稀にだけど女児がうまれることもあるんだ。女性には見た目は引き継がれないから見ただけではわからない。それに、市井で生活していて、男児を産まずにいたら自分がバロッキーだと知られずに生きられる可能性はある」


 そんなこともあるのか、と頷く。

 普通では理解しがたい種としての違いがあるようだ。


「例えばバロッキーの姓を持っていたとしてもね、少しでも血統的に遠ければ竜の形質は現れないんだよ。兄弟の中でこの目を継ぐ者とそうでない者と分かれることさえある。竜の血は気まぐれだよね」


 ハウザーは、おどけた様な表情を落ち着かせ、言葉を選ぶように目を伏せる。


「ヒースの母親は自分がバロッキーの子を産んだことを受け入れられなかったみたいなんだ」

「捨てるくらいにですか?」

「うちに託したくらいだから鬼ではないよ。普通は産まれた時にいなかったことにされてしまうだろうからね。ある程度まで育てたのは――結果はともあれ、親としての愛があったのだと思うよ。手放したのは、大きくなってきて色々隠しきれなくなったんだろうね」


 私にはヒースの感じたであろう痛みを推し量れても、自分の子供を手放す母親の気持ちには到底同調は出来そうにない。

 妹ですら命を捧げてもかまわないくらい愛おしいのに、自分の身を分けた子を手放したいと思うのだろうか。


「ヒースは特にバロッキーの特徴が強く現れていたから、母親は悩んだことだろう。君もヒースの爪を見ただろう?」

「はい」


 ヒースの爪はカラスの羽のごとく深い金属の色をしている。

 塗った爪と大して変わらない見た目なのに。

 あれしきのことでこの国では別離の対象になるのか。

 もやもやと黒い気持ちがこみあげる。


「あのせいでヒースはバロッキー家にしか居場所がなかった。だからさ、誰かヒースを――ヒースだけを見てくれる人が居たらいいのになって、僕は常々思っているんだよね」

「はぁ」

「サリ、ヒースどうかな? いいでしょう? 僕も育てたからお墨付きだよ。僕はヒースが可愛くて仕方ないんだ!」


 圧が凄い。何がどうお墨付きなんだか。

 ヒースに対する愛がひしひしと伝わってくるけど、なんか重い。

 期待を込めた目で私が答えるのを待っている。


  えーと、えーと……。


「えーと、ハウザーさんは何か特殊な性癖でもお持ちなんですか?」

「えっ? なんでだい?」

「……」


 男色とか、年下に常ならざらぬ愛情を抱く方ですか? とは言いにくいなぁ。

 沈黙の意図する所に気がついたようで、顔色を変える。


「誤解だ、誤解だよ。そういうことではないんだ。僕にはちゃんと恋人もいるし」

「同性か、法に触れるほど歳下の恋人ですか?」


 弱ったなぁ、とブツブツ言いながら、今度は観念したようにえりを正した。


「僕には、同い年の異性の恋人がいるんです。将来を考えている真剣なお付き合いなので、サリちゃんのお相手にはなれません。せっかく夫候補として会いに来てもらっているのに、初めからこんな話でごめんね」


 真剣な顔をしてハウザーはうっすらと目を光らせて私に告げた。

 ハウザーについてよく知らないが、それは何かを誤魔化すようなものではいように思えた。


「そうなんですか。普通な感じですね」

「なんで少し残念そうなの? 僕が同性愛者や若年者を略取するような奴だったら何かいいことでもあった?」


(そうだったら、立派な夫候補でした)


 ハウザーが善良な人だったとして、どうしようもない性癖を隠す隠れ蓑としての結婚はアリだと思ったのだ。


「ハウザーさんに恋人がいることは皆さん知らないのですか? 婚約者に相当する女性がいるというならこうやって私に会う必要もないですよね。手間だし」


 諦めたようにため息をつく横顔は、艶かしい憂いを湛えている……無駄に。


「……そう。サリに隠しても意味ないものね」


 そりゃそうだ。夫候補でも無いのなら、ハウザーと会う時間も無駄なのだ。

 私は契約を進めるためにこうしているのに。


「皆にはまだ知らせてない。でも彼女の事は本気で考えているんだ。だから僕は候補から外して欲しい」

「それで別のひとを推してきたわけですね」

「うーん。そうとも限らないと言うか、ヒースが大切なのは本当なんだ」


 照れたように小首を傾げる。


「やっぱりそういう性癖なんですね」

「そうじゃないってば!」

「冗談です」

「調子狂うなぁ」

「ごめんなさい」


 バロッキー家に嫁の来手きてが不足しているという話は果たして本当だろうか?

 なんだか怪しくなってきた。

 


「どうして恋人のこと、皆さんに伝えないんですか。出会って間もないから、まだ様子見なのですか?」

「いや……それが、幼なじみでね。お付き合いも長いんだけど、まだ、彼女に結婚を申し込んでないんだ。相手の家のこともあるし」

「幼馴染って、お相手も同じ歳って言ってませんでしたか?」


 この周辺の国では女性は私くらいの年齢から結婚するのが普通だ。

 結婚とまでいかなくても、その年ならだいたい婚約者がいる。

 男性ならまだしも、女性で二十四になっても婚約が決まらないとかなり焦る。

 シュロだったら修道院の見学に行く頃だ。

 ハウザーは顔色を失くしてうつむいた。


(ははぁ……)


 私はハウザーが既に相手の女性の未来に影響してしまうほどにはと断定した。

 

「……バロッキーの家名はこの国ではそんな重いんですか?」


 バロッキーと結婚となると、恋人の実家に反対されたりするのだろう。


「容赦ないね」

「腹の探り合いは無意味です」

「……僕は彼女をこの家に巻き込むことをためらっている。だからと言って外でバロッキーの子を育てるのは……いろいろ、ね」

 

 言葉を選ぶか、正直に言うか少し葛藤して、結局わたしは時間を短縮する方法をとった。


「私にはあまり関係無さそうですが……。そういう時はどちらにしても早く覚悟しないと――っていうかもう、悪化していますよね? 修正が効かないくらいには悪化させてますよね?」


 あ、気まずい沈黙。図星か?図星なのか?!


「……どろぬま?」


 恐る恐る状況を言い当てることばを音にする。


「ひっ……」


 ハウザーは言葉に刺されたようで、文机に頭を抱えて撃沈した。


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