バロッキー家の人々

 ヒースに連れられて向かったのは、厨房と繋がる広い食堂だった。

 夕刻なので重いビロードのカーテンに閉ざされててはいるが、窓が大きくしつらえてあり、昼間は陽光が沢山入るようになっているのだろう。

 美しく磨かれた大理石のテーブルには、先程見かけた何人かが既にテーブルに着き、夕食を待っている。

 使うスパイスが違うのだろうか、部屋中に異国情緒あふれる香りが漂う。


 急に空腹を思い出した。

 先程、怪我をしたヒースを手当てした時に最初に来た青年、ルミレスがこちらに向かってひらひらと手を振る。

 軽い。ルミレスはなんとなく軽い。

 ヒースに椅子を引かれて着席をうながされ、椅子に腰かけると、ヒースはそのまま私の隣に座った。


「サリ君、長旅で疲れただろう。食卓に誰かを招くのは久しぶりだね。ほら、おまえたち、行儀よくしないとお客様に嫌われてしまうよ」


 バロッキー家の当主、トムズさんに再び優しく出迎えられ、長旅を労われる。

 

(なんか、こんなのでいいのかな? 扱いが良すぎないだろうか)


 それともこれは、これから始まる過酷な生活への前振りだと心構えしておくべきだろうか。


「まずは楽にして、食事を楽しんでおくれ」


 色々聞きたいことがあったが、トムズさんに従うことにする。


「母さんのスープは絶品なんだよ!」


 私の妹達とそう変わらないくらいの年齢の賢そうな少年が屈託くったくなく笑う。


「遠慮せずに召し上がれ。ここはあなたの家になるのだからね」


 イヴさんが優しく言う。


「まだ決まったわけじゃ無いよ、気が早いよ母さん」


 フワフワ頭の天使のような少年? 少年よね?……がたしなめると、イヴさんは、あらあらと笑った。


 そういえば、まともな食事をとったのはいつぶりだろう。

 馬車で移動していたので、硬いパンと木の実ばかりで食事を済ませていた。

 温かい食事は久しぶりだ。

 イヴさんは運んできたスープを自ら取り分け、私の前に置いてくれる。


「料理人は雇っているのだけど、これだけは私に任せてもらっているの。私はここで働かせてもらっていたから、屋敷の中で動いている方が性に合っていてね」


 優しく笑う瞳は慈愛に満ちていて、まぶしいくらい。


 お祈りなどはないようで、イヴさんの「さあ、いただきましょう」という声で穏やかに食事が始まる。

 母の作った味とはかけ離れた異国の味なのに、懐かしいような、胸が締め付けられるような気持ちになった。


「……おいしい」


 思わずこぼれるように本心が口から出てしまって、耳を熱くして下を向く。

 目頭に熱を持つのを感じて、慌てて口調を改める。


「いえ、たいへん味の良いスープですね」


 失礼の無いように笑顔を作り、イヴさんに答える。

 皆がこちらを見ているが、無作法だっただろうか。


「お口にあった?」


 満面の笑みだ。

 良かった、こんな所で泣いたら困ったことになる所だった。


「はい。おもてなし頂き、有難うございます」


 どうして今こんな所で亡き母を思い出してしまったのだろう。

 今まで目の前の事に集中する為に、締め出していた記憶や感情が膨らみやすくなっているのかもしれない。


「懐かしいご実家の味とは違うとおもうけれど、好物があれば教えてね」


 実家が恋しくなったと勘違いさせただろうか。

 私はちゃんと覚悟してここに来たのだ――優しい人に要らぬ気をつかわせてしまうのは気がとがめるし。


「いえ、母は早くに亡くなりましたので、懐かしがる実家の味はありません。きちんと未練は断ち切って参りましたのでお気遣いなく」


 そう。私は大丈夫。

 もうすぐ母さんとも会える予定だ。


「そう? 無理はしないでね。でも、もう少しスープは飲みそうよね。移動でろくに食べていなかったのではなくて?」


 図星です。

 食べれば食べるほど食欲が刺激される。


「……はい。遠慮なくいただきます」


 死にたいのにお腹が空くのは矛盾している。

 でも、借金が帳消しになるその時までは生きていないと。

 その為には、シュロの人々が恐れる魔物の様な男に嫁がされなければ。



 

 次々と食卓にのぼる珍しい料理が皆の胃におさまり、食事が落ち着いた頃、トムズさんが家人の紹介を始めた。


「バロッキーの子ども達は、この家に集められて育つ。私も同じように従兄弟や義理の兄弟達と叔母を母として育ったのだよ」


 不思議な習慣だとは思うが、国を隔てれば文化も変わってくるのだろう。


「この世代はイヴに世話をしてもらっているので、皆イヴを母親のようにして育っている。まぁ、ここが仕事の拠点でもあるから大人たちは出たり入ったりだ」


 今は大人達は地方に仕事で出かけている者が多く、本家に残っているのは歩くのが不自由なトムズさんだけなのだそうだ。


「サリがここの誰かに嫁いでくれたら、いつか他の子の赤ん坊を世話してもらうこともあるかもしれないね」


 そんな日は来ないような気がしたが、曖昧あいまいに頷いて見せた。


 一番年上のハウザーは二十四歳で、トムズさんの息子。

 その下が、この場には居ないが、分家から通って来ているアルノという青年と、ヒース。二人とも十九歳。

 私より一つ年上のルミレスは、トムズさんの従兄弟であるライアンさんの息子だそうだ。

 私と同じ十六歳のミスティと、十一歳のラルゴは、トムズさんの異母弟ジェームズさんとイヴさんの息子だ。


 ざっと紹介されたが、はたして契約に見合うような人がいるのかどうか、見た目は皆、よく整った顔立ちだし、中身が破綻はたんしている事を願うばかりだ。

 皆、私でなくとも嫁が来そうな顔だし。


「アルノとは別の分家にも適齢の男子が何人かいるにはいるのだが……申し訳ないが出来ることならばうちの子で手を打って欲しいと願っている。ラルゴはまだ幼いし、ハウザーからミスティまでが年齢としては相応しいかと思うが、順に実際に会ってみて吟味して欲しい」


 分家にもいるなら、本家の優良物件を避ければ、どうにか地雷に当たる事ができるかもしれない。


「あの、お言葉ですが、吟味だなんて本当に困ります。できれば私に決定権など持たせないで頂きたいのです」


 私の扱いが良すぎるのが困り物だ。


「ただでさえ、あんな契約書を持ち出して押し掛けて、厚顔こうがんはなはだしい身分です。そんな利を貪る為にこちらを訪ねて来たのではありません。ただでさえあまり私に利があると肩身が狭いのに、こちらに決定権を持されては立つ瀬がありませんので……」

 私は商人だ。利が勝ちすぎる商売の恐ろしさも知っている。


「いやいや、君は契約書に見合うだけの娘さんだよ。そんな事をいわずにうちの子らに会ってみてくれませんかな」


 有り難いけれど、困惑しかない。


「うちの子たちはみんないい子だから、安心してね」


 どう思っているのか、イヴさんは始終にこにこと私に話しかける。

 まぁ、イヴさんが母親であるなら間違いなく皆イイ子なのだろう。

 でも、皆いい子そうだから心配している、なんて言えない。


「早速、明日から、一人ずつ時間を作るようにするから、よろしく頼む」

「こちらこそ、よろしくお願い致します」


 一人くらい道を踏み外した悪魔がいるようにと願いながら腰をかがめた。

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