クララベル・カヤロナ
門からの長い路を煌びやかな馬車が走る。
華美と言ってもいいほどの馬車にバロッキーの美意識がどう判断したのか、ジェームズさんが、うげぇ、と小さく呟くのが聞こえる。
……お気に召さなかったようだ。
外見は似なかったけれど、中身はミスティの父だな、と思う。
ジェームズさんにエスコートされて馬車を降りた姫様を私とヒースが迎える。
「久しぶりね、ヒース。いつぶりかしら?」
お姫様は想像以上にお姫様だった。
山吹色の髪に青い瞳、煌びやかな青の外出着を着ている。
社交界に出たばかりだというから、私と同い年なのだろう、少し吊り上がった目が愛らしい。
白く透き通った眩い肌も、女性らしく出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ体つきも、絵に描いたような嫋やかさだ。
「クララベル、直接バロッキーにいらっしゃるなんて、どういう風の吹き回しでしょうか?」
行儀良く取り繕ったヒースが姫を出迎える。
日頃の力の抜けた感じとは違い、改まった席では、ヒースは年齢以上の落ち着いた雰囲気を出せる。
こういう時のヒースの圧倒的な作り物感は空恐ろしいほどだ。
日頃のバタバタ感で忘れがちな整った容姿が際立つが、本当にこの態度で姫様に接してきて大丈夫だったのかと心配になる。
さすがに慇懃無礼にあたるのでは?
完璧に礼儀正しく、冷たいけれど柔和に女性に話しかけるヒースって、衝撃的だわ。
「あら、ヒースに婚約者が出来たってきいたから挨拶に来たのよ」
姫様はにっこりと笑うが、敵意は剥き出しだ。
いい商売人にはなれないわね。
「私に隠していただなんて、ジェームズもひとが悪いわ。ヒースは私が貰うわってずっと言っていたのに、ね」
近づいていこうとする姫の動きを、ヒースは私に視線をやることで上手にかわす。
こちらへ、と手を差し出され、白い手袋に包まれたヒースの掌に手を乗せれば、優雅な所作で私を引き寄せる。
礼儀正しくは見えるけれど、表情筋の一筋も動かさず、姫様と視線を合わせようともしない。
ヒースってば、こういうソツのないあしらい方も出来るのね。
「申し訳ないですが、了承した覚えはありませんよ。だいたい、いつの話ですか? 社交界に出る前のことでは?」
この辺りの国では社交界に出られる年齢になってからでないと、決まった結婚であっても内々の約束も結べない。
「そ、そうだったかしら?」
だいぶ強気で来たのかと思えば、ヒースの言葉に動揺を隠せずにいる。
ヒースが女の子と話しているのに劣勢ではないなんて……異世界に迷い込んでしまったかしら。
「それに、クララベルはサルベリア国へお輿入れだと、うわさをきいておりますよ。おめでたいことでございます」
定規で測ったような笑みを貼り付ける。
冷た過ぎて、いつものクシャクシャの笑い顔が恋しくなるほどだ。
「なっ、そんな戯言をどこから?! そんなのはでたらめよ! 決まってもいない話を広めないで」
プイと横を向く姿は幼さを感じる。
まぁ、そうよね、まだ十六だし。
私のように枯れた人生を送ってきた者とは感情の瑞々しさが違う。
どうやら姫様は決まりそうな婚約があるのに、バロッキーに乗り込んできてしまったようだ。
「サリ、こちらはクララベル・カヤロナ王女殿下だ。サリ、クララベル様にご挨拶を」
ヒースに促され姫様の前に立つ。
私は腰を折り、淑女の礼の姿勢をとった。
「サリ・トーウェンと申します」
顔をあげると、姫様の後ろに見覚えのある女性が立っている。
レトさんだ!
妹たちをシュロからカヤロナに送り届けてくれた彼女が今、護衛として姫様の後ろに控えている。
数人の警備の者達に混ざり、彼女は騎士といった風貌の軽甲冑を付けて背筋を伸ばし警備中といった様子だ。
ど、どうしよう、声をかけるべき?
ちらっと視線を送るとうっすらと首を振り、にこりと笑う。
黙っていた方が良さそうね。
「そうだわ、ジェームズの息子を呼んで頂戴。一度見てみたかったのよね」
私の挨拶に一瞥もくれず、ジェームズさんに注文をつけ、屋敷の中に入っていく。
分かりやすい!
いっそ好感がもてるほど分かりやすいわ!
まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのだろう、ミスティは油絵具の匂いをさせながら難しい顔をして客間に入ってきた。
作業中だったのだろう、髪を高い所で結い上げている。
もちろん、いつものヒラヒラした服だ。
「こちらがミスティでございます、殿下」
「お初にお目にかかります。ミスティ・バロッキーです」
明らかにむくれている。
そうね、これも正しい十六歳よね。
「娘? ではないわよね?」
目をパチパチとさせている姫様は、セルロイドの人形のよう。複雑に結われた髪も鬘にしたら、さぞ高く売れるだろう。
「はい、息子でございますよ」
ジェームズさんが苦笑いする。
ミスティの名誉のために言うが、ミスティはこれでも半年で随分背が伸びたのだ。
秀でた額は男性的な鋭さも出てきたと思う。
美少年から美青年になりかけなのであって、決して今はもう娘には見えない……と思うけど?
「綺麗だけど、ジェームズには似ていないのね。なんだか、がっかりだわ」
ミスティは猫を被るのも忘れたようで、半眼で姫を睨む。
「お綺麗だけど、こんな不躾な姫様だとはびっくりです。なんだか、がっかりだわー」
振りまでつけて、姫様の口調を真似る。
……ミスティ、ジェームズさんの顔色がおかしいからもうやめてあげて。
「なんですって、無礼よ! ジェームズの息子だなんて信じられない! もういいから、出て行って!」
ミスティはフンっと顎を突き出して、姫様を見下ろす。
「言われなくても出ていくしっ!」
これは……相性は最悪のようだ。
「性格も最悪ね。やっぱりヒースにするわ」
もういいわ、とミスティを下がらせるために手をパタパタとさせる。
ミスティは私の横をどすどすと通るときに、あのブス、とか私にだけ聞こえるように言って去っていった。
竜の耳には聞こえてたのだろう、ヒースとジェームズさんが微妙な顔をする。
割と、カヤロナ王家は無礼には寛容なようね。
「ねぇ、ジェームズ、あの娘にヒースをわたくしに譲るように申し付けて」
ミスティが出て行った後、姫様はジェームズさんを近くに呼ぶと、甘えた声でヒースを強請る。
私には直接言うつもりはないらしい。
「ご勘弁ください。サリは遠くシュロより貰い受けた大切な娘にございます」
「じゃぁ、その大切な子はミスティに嫁がせたらいいじゃない。あの無礼者にお似合いだわ。ヒースは私が貰うから」
ジェームズは優しい笑顔を絶やさずに応じる。
「姫様、姫様は竜の性質について、ご存知ですか? 竜は一度相手を選んだら、離れられぬ性なのでございます。無理やり引き離しでもすれば狂って死んでしまいますよ」
なんだか、イヴさんの苦労が見えてきたわ。
ジェームズは姫様のお気に入りなのだろう。
それを理由に城に留め置かれているのだったら気の毒だ。
「だって、まだ婚約しているだけでしょ? 恋仲ではないようだと聞いているわ。私が代わりにヒースの番になるから問題ないじゃない? わからないけれど、ヒースは特別、好ましい気がするのよ」
ニコニコと笑う姿は本当に可愛らしい。
「番を選ぶのは竜の血にございます」
あくまでもヒースに選択権が有るのだとジェームズさんは主張するが、はたしてどれだけ通じているのやら。
「じゃぁ、とりあえず今日はヒースが私をエスコートするのよ。そのくらいなら構わないでしょ?」
ヒースに庭を案内させるからと言って、引き連れていく。
もう一人の騎士を先に行かせて、レトさんが立ち止まり、心配しないようにと小さく告げた。
まぁ、なんだか気が抜けたわ。
ヒースをよろしく、と見送る。
「何アレ、本当にあれが本物のクララベル様!? 下品! 俺の思ってたのと全然違うし! 絶対ヤダ! 感じ悪っ!!」
姫とヒースが出て行ったのを見て食堂に下がるとミスティが荒れていた。
語彙力が後退している。
「けっ、見た目に騙されてたよ。ひっどいな、アレ。百年の恋も覚めるって感じ」
少なくとも、見た目は好みだと言っているように聞こえるが、ミスティの不平不満は止まらない。
「肖像画を頼まれて姿を見たことがあったのよね? あんな様子ではなかったの?」
なだめるようにエミリアが訊く。
「あの時は遠くから双眼鏡で覗いただけだったけど、少なくとも、あんな甘ったれた感じじゃなかったよ」
へえ、覗きで肖像画って描けるのね。
「もう、エミリア姉さん、アレどうにかしてよ!」
「どうしようもないわよね……私だって流石に姫君をどうこう出来るとはおもってないわ」
「なんか、がっかりだよね」
頭を寄せ合ってヒソヒソ話をしている。
「ルミレスがいれば聞いてみたいものだけど、自分でも竜の血が流れているから、ヒースに惹かれてしまう……とかあるのかしら?」
「呑気な事言ってないで、サリはヒースたちの邪魔をしてきたらいいじゃんか?」
ミスティが心配そうに言うが、実物を見て嫉妬に燃えていたはずの闘志はだいぶ萎んでしまっていた。
あの子の……クララベルの不遜な態度に隠れたキラキラとした瞳は、それなりの熱量があると気がついてしまったから。
紛れもなく恋をしている顔だった……。
……可哀想なクララベル。
ヒースの言うように、これはクララベルとヒースの問題で、私に出来る事は無かったかもしれない。
私はこっそりため息を逃がした。
「サリ、とやら」
人に指先を向けてはいけませんよ、姫様。
「あなた、借金の返済の為にバロッキーに来たんですってね。私は、ヒースが気に入っているの。あなたは身を引くのが賢明ね」
なるべく顔を合わさないように引っ込んでいたというのに、帰りがけのクララベルに捕まってしまった。
私となんか、少しも話したくないだろうに、ジェームズに取り次いでもらえる気配が無いのに痺れを切らし、流れも何もなく私を客間に引っ張り込んだ。
その場に残ろうとする従者やらジェームズさんやらを蹴散らし、私と話すのだとごねる。
心配するヒースを私が追い出し、さすがに二人きりになるわけにはいかないので、レトさんに残ってもらうように合図した。
私は腰を折り、礼をとってクララベルの話が終わるのを待つ。
「あなた達の関係は、恋人ではないのでしょ? 私にもそう見えないわ! 形だけの婚約者なら、ほかの余っている者とでも婚約すればいいわ」
私はなおも低く腰を折る。
「私の身はバロッキー家の采配のもとにあります。バロッキーの利を鑑みて決められた婚約に関して、私の感情は関係致しません。婚約改正の必要があるのでしたら、バロッキー当主とお話しください」
低い姿勢から、ワナワナと震える握り拳だけが見える。
「あなたがヒースとの婚約が嫌だとトムズに訴えればいいのよ! トムズは嫌がる娘を無理やり婚約者に据えるようなことはしないわ」
泣きそうな勢いに、なんとなく私が悪いことをしているような感覚になってしまう。
「恐れながら、殿下、私にはこの婚約を断る理由も権利もございません。恩義のある家の者を嫌うなど、不義理なことは致しません」
きっとクララベルだって、わかっているのだ。
そんなにヒースが欲しいなら、私ではなくトムズさんと話をするべきなのだと。
もしかしたらこうして押し掛けてきたのは、既にトムズさんに退けられた申し出だったからかもしれない。
叶わない交渉だったのだろう。
だから私に直接言いに来たのだ。
自分の結婚が自分の思い通りにならないなんて、貴族や商人の娘においてはよくあることだ。
まして、一国の王女なら。
それ以上何も言わず、また来るわ、と捨て台詞を残してクララベルは王宮に帰っていった。
また来るのね……。
「大丈夫だったか?」
クララベルの馬車を送り出して、深刻そうな顔をしたヒースに詰めよられる。
そのまま、庭を散歩しながら話をきくことにした。
「ええ、なんともないわ。レトさんもいたし、ヒースを譲ってほしいという丁寧なお願いがあっただけよ」
どうせ、ヒースはドアの外で聞いていたはずだ。
まぁ、あんな泣きそうな顔をするなんて、ずるいと思うけど。
「俺がどうにかするといったのに……済まない……」
「もう少し状況を確認するために事情を知りたいわ。姫様はサルベリア国との婚姻が決まりそうだというのは確か?」
「その可能性がある程度だ。おそらくバロッキーから婿をとるなら、サルべリア国との婚姻は別の王子か王女に任されるだろう。カヤロナ王家は何人も王子王女がいるから」
「代わりがいるから自分に自由があると思ってしまったのかしら? それともサルべリアに行きたくない理由があるの?」
少しだけ鎌をかけてみる。
ヒースはアレに何も気が付かないのかしら?
「多少歳は離れているが、割と無難な縁談だとおもう。まぁ、あくまで一般論だがな」
なんというか……一方向に向かってのこの鈍さ。
……竜って罪深い生き物だわ。
「サリ、俺は次に来たら、正式に断って追い返すつもりでいる。サリにこれ以上嫌な思いをさせるのは嫌なんだ」
特に嫌なことはなかったと思う。
知る必要もなかった少女の恋の終わりを知ってしまっただけで。
「散歩の時に、本気かどうかは知らないが、ク……姫が、俺たちが恋人に見えるなら諦めるといっていた」
「もう、クララベルでいいわ。私もそう呼ぶから」
気やすさとは違う感じだったから、きっと名前でよぶように強要されているのだろうし。
「だから……クララベルの前で、それらしく振る舞うのを許して欲しい」
「それらしくってどんな?」
「……サリと恋人のように振る舞うのを」
「だから、恋人のようにって、キスでもするの?」
「キ……って、人前でか?!」
慌てて手をバタバタさせる。
手袋は取ってしまっていて、手を振るたびにヒースの爪の残像が見える。
いやいや、ヒースが言い出したんじゃない!?
「さすがに人前では恥ずかしいけど。必要なら、するの?」
「し、しない。しないからな! ちょっと肩を抱いたり、手を握ったり、そういうことだ!!」
冷やかしたくなるくらいの、慌てぶりだ。
こっちが甘酸っぱい気持ちになるわ。
さっきの無表情な紳士ぶりとの落差が激しい。
ほぼ別人よね。
「そんなこといちいち断りをいれることないのに。婚約者をどうこうするのなんかヒースの自由よ」
私が言うと、ぎゅっと眉をしかめる。
「違う、そういう事じゃないんだ」
ああ、どんどん欲が出る。
ヒースの言葉でヒースの事が知りたいと思う。
「じゃぁ、どういうことなの?」
悩んでしまったのか、俯いて口を閉ざしてしまった。
少し身を寄せて下から俯いた顔を覗きみる。
視線に耐えられなかったのか今度は顔を背けられてしまう。
ニルソンでしばらく同じ生活空間にいて、間合いに入るとヒースがどうなるのか、もうよく分かってしまっている。
「言わないの?」
だんまりの横顔は柔かい髪質の波打った髪に縁どられている。
そういえばちゃんと触ったことないなと、手を伸ばし毛先を弄ぶ。
柔らかな指通りに口もとが緩む。
チラチラとこちらをのぞき見ているのは分かっているのだから、こちらを向けばいいのに。
こっちを向いて。
願いを込めて、指に絡んだ毛を引っ張ってみる。
流石にこちらに向き直り、抗議の視線を送ってくる。
ヒースが、私に何でも話してくれればいいのに、と思う。
私のことが感覚としてヒースに筒抜けなのだから、私にもヒースの事がもっとわかるように、言葉を尽くしてくれたらいいのに。
ヒースは髪を弄んでいた私の手首をぎゅっと掴んで、ため息をつく。
私はヒースのこの手が好きだ。
濡れ羽色に光る爪は長い指を彩る宝石のよう。
「俺は、サリの婚約者になったが、その肩書きをサリを蹂躙する為に使いたくない」
真っ直ぐに私の目を覗き込む。
「サリが、大切だから」
嬉しくて、口元が弛む。
「そんなの叶わないかもしれないけれど、肩書だけの婚約者ではなくて、俺は、サリの……心が欲しいんだ」
こ、これは、参った。
思った以上の言葉を貰えて、こめかみの辺りが脈打って目眩がしそうだ。
手首を掴まれていなければ、愛しくて、ヒースを抱きしめてしまいそうだった。
「ヒース……ごめん、あの……」
言いかけた途中で、ヒースは顔色を無くしてあわてて掴んでいた手を離した。
「その、悪かった……出過ぎた事を言ったな……」
しまった。
変なところで言い澱んだから誤解させてしまったようだ。
どうしてヒースって、こんなに浮き沈みが激しいのかしら。
「違う違う、そうじゃなくて。ごめんなさいってことじゃなくて、私が変な切り出し方をしちゃったから」
もう一度手を握り直し、慌ててごめんの続きを繋げる。
「ごめんって言ったのは、私もヒースに言えてないことがあって……黙っているのが後ろめたかったの」
「なんなんだ?」
感情が入り乱れたかすれた声できく。
ヒースにとって大きな打ち明け話だったはずだ。
だから、安心させるようにそっとその手を握る。
「その、気が付いてないかもしれないんだけど。いえ、私が気が付いていることに気が付いていないかもしれないんだけど、かしら。あのね、随分前からだけどね、」
ゴクリと、ヒースの喉が鳴る。
「ヒースの目、こういう時、いつも光ってるんだけど……」
しばらく沈黙が続き、鹿が二匹連れ立って森から出てきて、私たちを横切って消えた。
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