鉱山
「それで、今はどう? 私が来て少しは落ち着いたの?」
そうだ、私のことより、今は何よりそれが大事だ。
ヒースの特性について今更知ったからといって、何か変わるわけではない。
「安定している、と思う。少なくとも不安感はない」
「なら、来た甲斐があったわね。来てみたはいいけど、なんの手助けも出来なかったら、何のために来たのか分からなくなるわ」
本当に病気や怪我でなくてよかった。
手紙を書くこともできないほど病んでいるのではと心配していた。
見たところ寝不足くらいで他に目立った支障が無いことに安心させられた。
「自分で傷つけておいて、差し出がましいが、傷を消毒しておこうか?」
おずおずと申し出る姿に先ほどの熱っぽさは感じられない。
こういうところはいつものヒースよね。
「そうね、お願いしようかしら。アルノが後から色々送ってくれるはずだけど、私は着替えくらいしか持ってきてないの」
傷を見て痛そうに眉をひそめる。
「うっ……これは、スカーフかストールか何かが必要だな」
「本家にいたら盛大にからかわれる所だったわね」
ミスティとかこういうの大好物よね。
「……そうだな」
同じ人物が浮かんだのか、二人で苦笑いをする。
恐る恐る消毒液に浸した脱脂綿を噛み跡に触れさせる。
なるべくどこにも触らないように手当てされているのがもどかしい。
「……今も何か……匂いがするの、よね?」
思わずまた言及してしまって、ヒースが動きをとめる。
「ああ、それはもう、こんな近くにいれば。どう表現したらいいかわからないが、その……いい匂いがする」
ヒースはいつまでもしつこい私に呆れたのか、開き直ったように言う。
こんなに人との距離に何か思うことってあまりなかったわ。
嗅覚が相手では不可抗力すぎて対処法が見つからない。
「……」
耐えきれずにテーブルに突っ伏する。
「この話はやめたんじゃないのか?」
私がばたつく様の何が面白いのか、小さく笑う。
先に開き直ってずるいわ。
「だって、なんというか、色々と衝撃の連続で……」
ヒースは出会ってすぐから、私が思うよりももっと多くの情報量で私をみていたはずだ。
それでも好意をもってそばにいてくれる。
うずうずと心がざわめく。
嬉しいと思うことに罪悪感すら感じるなんて。
「サリが気に病むことは無い。全部俺の瑕疵だ。
同意もなく、か、嗅いで舐めて齧ったなんて、立派な変質者だ。婚約者という肩書がなければ犯罪者だな。穴でも掘って埋まりたいのは俺の方だろ」
さらに開き直った風に言うから、つい笑ってしまう。
「……本当にすまなかった。痛かっただろ。一応誤解の無いように言っておくが、人を傷つけて悦に入るような性癖はないからな」
触れずに傷の上をなぞるヒースの体温を感じる。
「まあ、痛かったけど。もういいわ。正気じゃなかったみたいだし、お互い水に流しましょう」
噛まれるのはともかく、縋られて悪い気はしなかったし。
「それにしても、竜同士だけじゃなく、私の気配にまで影響されるなんて、難儀なことね」
笑って言うが、胸のどこかに何か重い引っ掛かりがあるのを感じていた。
ヒースがうっかり書類に署名してしまわなければ、こんなに竜の血が私に反応することはなかったかもしれない。
もっと言えば、私がバロッキーに来てしまったことが、ヒースの自由を奪ってしまったのかもと思う。
「サリ、巻き込んでおいて今更なんだが、こうなるのは、もとを正せば幸せなことなんだ。孤独ではないという証明だから」
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
嗅覚の鋭さを気味悪がられて、避けられることを心配していたのだが、サリがこんなに恥ずかしがるとは想定外だった。
耳まで真っ赤にして狼狽するとは……。
普段の凛として迷いの無いサリには見られない反応を引き出してしまった仄暗い悦びに、小さく身震いする。
……可愛い。
可愛くてつらい。
首筋に執着の跡までつけられて、俺から逃げようとしないなんて。
俺の不注意で成立してしまった婚約でバロッキーに縛りつけられたサリが、哀れで愛しくて、やっぱり離れ難くて、つらい。
恥ずかしがるたびに体温に炙られて、いっそうサリから甘い香りがすると告げたらサリはどうするだろうか。
幻かと思っていたが、サリの髪の絹のような手触りも、柔らかい頬も、腕に収まる小さな体躯のしなやかさも知ってしまった。
サリの目をあんな近くで覗き込み、その色を知ってしまった。
サリが来て安定したなんて嘘だ、俺の細胞はおかしなほど歓喜している。
サリを傷つける事になってしまったが、あの状態で触れたのがうなじで助かった。
うっかり他の場所に口付けていたらサリから何を奪ってしまったがわからない。
これが竜の番に対する反応だとはサリはまだ知らないだろう。
サリが来てから泥の中にいるような感覚が一変した。
薄い膜を一枚取り去ったみたいだ。
不安定な関係の時に反応は強くなり、婚姻を結べば落ち着くとジェームズさんの手紙にあったが、当てにならない。
ハウザーのように人が見てそれとわからないくらいのものもある。
血の濃さに由来するのか、ハウザーとエミリアの関係が安定した揺るぎないものだからなのかはわからないが。
「サリ、巻き込んでおいて今更なんだが、こうなるのは、もとを正せば幸せなことなんだ。孤独ではないという証明だから」
不安感が引き金なのはわかっている。
「俺が子供の頃……バロッキーに来て、少しずつ皆に慣れた頃、これと似たような状態になったことがあった」
親しい者が、自分から去っていくのでは無いかと言う不安。
「拾われてすぐ、俺はまず俺を拾ってきたハウザーに懐いたんだ。ハウザーが仕事で暫く帰ってこなくて……。俺はよく覚えていないが、夜な夜な探し回ったらしくてな。慌てたハウザーが仕事を放り出して帰ってきて、その後暫く気持ち悪いくらい優しかった」
「あはは、それは愛らしいわね。ハウザーがヒースに甘い理由がよくわかるわ」
「エミリアと二人揃うと、必ずその話だ」
小さい頃の俺がいかに可愛かったかを真面目に説明されるのは流石に辟易している。
「つまり、私もヒースの家族として認識され始めているってこと?」
家族以上だと言ってしまってもいいのだろうか。
「そんなところかもしれない」
一度はサリを分家にやらねばと覚悟したというのに。
今はわかる。
そんなの絶対に無理だ。
少し離れただけでこの様だ。
別の場所で、別の誰かのものになると思うだけで胸が潰れそうだ。
俺はもう、サリを取り上げられたら狂う所まで来てしまっている。
さっきの唇を落とし舐め齧った皮膚の感触を思い出し、ぎくりとする。
俺から遠ざけねば、サリが危ない。
サリは無防備に俺を撫でたりするが、今の俺はサリに飢えた獣だ。
これ以上サリを傷つけるわけにはいかない。
夕食は宿舎の食堂で調理された物が届けられる。
今日はサリの分も用意されていた。
ノーウェルが気を利かせてくれたのだろう。
「そういう事情なら、しばらく、ここに滞在させて貰った方がいいわよね?」
ざわりと背中の鱗が逆立つ。
ここって、ここか?
いや、まずいだろ。
二人きりだぞ。
俺は俺が信用ならん。
ここじゃなくても空いているコテージはたくさんある。
歓喜する一方で、サリの身を案じる理性が警告する。
「まぁ、サリがそれでいいなら」
しかし、俺の口から出たのは欲にまみれた回答だった。
あっという間に理性は仕事を放棄したようだ。
「また再発したら、仕事にならないじゃない? 気配が無いことが問題なら、近くにいるのが対処法でしょ?」
サリが俺に都合の良いことしか言わない。
飢えに飢えた俺は、サリのことしか考えられない。
「それはそうだが、あんな事があった後だぞ、俺が何かやらかさないか心配なんだ」
サリを傷つけたくない。
サリに嫌われたくない。
サリの側にいたい。
サリに触れたい。
サリに……。
見ろ、後半はもう理性のかけらもない。
「それに、万が一が起きても、婚約者だし、外面的にも問題無いわよ」
サリがとんでも無いことを言い出して、一気に正気に戻される。
そうだ、浮かれて忘れていた。
サリは役目としてここに居るのだ。
俺が書面上の婚約者だから。
俺が欲しいのは契約に縛られた関係では無い。
そこにサリの幸せが無ければ、獣と同じだ。
「明日、採石現場に来てみるか?」
現実を思い出し、冷静になった。
今日までの散々の仕事の出来を思い出す。
前半はだいぶ調子よく採石したが、ここ数日はなぜか黄鉄鉱しか出ない。
鉱工達は俺に聞こえていないと思ってか、春の来た竜が愚者の金ばかり掘り出すとか、根も葉もある噂をしている。
分家は竜の血が薄いはずなのに、時々勘の鋭い者もいる。
「邪魔じゃ無ければ見てみたいわ。それとも、竜の血の力を使っているところをみられるのは嫌?」
「いや、そんなことはないが」
「だって、前に仕事が見たいって言った時は連れていってくれなかったじゃない?」
「仕事の時は目も光るようだし、サリに怯えられるのは困ると思って……。もう、一番格好悪いところは見られてる。これ以上困ることはないさ」
「それこそ今更よ。もう秘密主義はやめてよね」
言えないことがたくさんある。
サリが好きだとか。
サリに竜の血が番として反応してるとか。
サリが好きだとか。
サリが好きだとか。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
「ここを掘ってくれ」
ヒースについて行ったのは露出した山肌に開いた坑口から延びる鉱坑だ。
入り口は狭いが、中は広々と掘り進められ、灯りが灯されている。
目を守るゴーグルと、革張りの手袋、ヒースはここでも外に出る時とあまり変わらない格好で活動しているようだ。
指示は出したが、ヒースも鉱工に混じって、少し脆くなった岩盤に石鑿を突き立て、金槌で叩いて瓦礫を作っていく。
「サリさんは、バロッキーとは関係のない生まれの方なんですよね?」
黙々と石を割っていく鉱工達と共に働くヒースに代わって、ノーウェルさんが坑内を案内してくれる。
彼の仕事は掘り出した鉱物の管理だそうだ。
「私はシュロの商家の出です」
「そうなんですか。それでは、ヒースさんのバロッキーの力には驚かれたことでしょうね」
「実は、ヒースの仕事を見るのは初めてで……」
「そうなんですか? 凄いですよ。僕なんか、ずっとその道の勉強をして来たんですが、普通はほら、岩盤に色の違う線が入っているでしょう? ああいうのを頼りに大勢で広く掘り進めていくもんなんです」
ノーウェルさんは興奮したように手を大きく動かして説明してくれる。
確かに、ここで働く人数は鉱山にしては少なすぎる。
これでどれほどの量を産出出来るのか見当もつかない。
「ヒースさんは、まるでどこにあるのかわかるみたいに掘る所を絞って指示を出すんです! 僕にもそんな能力があったらなぁー」
どうやらこの人はヒースのバロッキー的な所を恐れてはいないようだ。
「ノーウェルさんは……」
「しっ、サリさん、もう始まりますよ」
ノーウェルさんの出自でも聞いてみようかと思った頃に、作業は次の段階に進んだようだ。
ゴーグルを取り去り、細かく砕かれた瓦礫に佇むヒースは、仄暗い照明に照らされて表情も深い影に沈んでいる。
集中の為閉じられた目を開ければ、目ばかりが煌々と赤く燃えている。
もともとの造作の美しさと、反英雄的な佇まいに恐怖する者がいてもおかしくない。
そこからは見たことのあるバロッキーとしての動きだった。
一心不乱に足元に築き上げられた瓦礫を崩していって、何がどう違うのか、選んだ岩石を待ち構えている鉱工に投げて寄越す。
「ほら、サリさん、こちらにもきましたよ」
ノーウェルさんは卵より幾分大きい白茶けた石に鑽を当てて、慎重に金槌で力を込めて行く。
小さな破片を散らして、半分に砕けた石の中から、光が漏れるように歯のように並んだ鋭角な水晶の先端が見える。
「あ、見てください、良いやつ出ましたよ! ここ、針のような金色の線が入っているでしょ?
なんらかの理由で水晶に金属がまざるんですけどね。
こういうのは商人たちに喜ばれるんですよ!
金線入りだから、金銭の入りがいいって、ね」
ノーウェルは鉱物について話している時実に生き生きとしている。
「縁起物ね」
選り分けが終わったのか、それぞれが小さく石を砕いて目当ての鉱物の結晶を取り出していく。
ノーウェルさんは取り出された鉱物を集めて、ルーペを片手に笊に鉱物を選り分けている。
作業を終えて、瓦礫を跨いでヒースがこちらにやってくる。
砕けているとはいえ、かなりの量の瓦礫の山を掻き分ける作業をして、疲れたようだ。
汗を拭きながら何かを私に差し出す。
「何?」
手を出すと、そっと拳大の白い石を手に置く。
「乳石英に覆われているが、金が入っている。俺は報酬として好きな石を採っていいことになっているから、割らないで持って帰るといい」
いやいや、ちょっと待て。
「それは、この大きさのうちのほんの少しに金が混じっているということ?」
……ではないのだきっと。
「いや、外側が白いだけで、中はほとんど金だが」
知ってた。
ヒースがおかしいのなんて知ってた。
「……ヒース、こんな事をしていて、よくも自分を不良物件だなんて宣ったわね!」
ヒースは声を荒げる私を、わからない顔で見返す。
「バロッキーの人達はピンとこないかもしれないけれどね。この一欠けだけで末端でどれほどの価格になるかわからないの?」
「値をつけるのは、ああ、誰だ? ライアンさんかハウザーあたりかな? 分家の誰かかもしれないが」
危ない。ヒースにとってコレは単に珍しい石なのだ。
ヒースには商人としての感覚は薄い。
「はぁ、もういいわ。こんなの結婚指輪として貰ったとしても持て余すわよ。これはヒースの蓄えにでもしておいて」
これの中身がほとんど金だったとして、自然金のナゲットとしては、国宝級だ。
「いや、石ばかり持ち帰っても置くところがない。サリが要らないなら、収穫物として商品に……」
「いいえ、持ち帰りが許されているなら、これはヒースが持っていたらいいとおもうわ。こんなの市場に出したら、金の値段が変動しちゃう。石英を剥がさずにおいておくのよ」
私が受け取ろうとしないので、渋々自分の革の鞄にしまいこむ。
こんなの、効率が良すぎる。
こんな掘り方をしていては、いつかヒース自体が狙われかねない。
「誰がヒースに指示を出してるの? こんな掘り方していたら、市場がぐちゃぐちゃになりかねないわよ」
バロッキーはこの国の中で制限をつけられて商売をしている商家だ。
国外に売ることが出来ないのなら、富が集中するだけではなくて、国内の宝石の値段が落ちたりして捌けなくなる。
「ああ、ハウザーもそう言ってた。だが、ほら、すっかりダメな時もあるし。ここ最近は集中出来ずに黄鉄鉱ばかり掘り出して、危うく愚者の称号を冠するところだった」
あらかた選別が済んだのかノーウェルさんがニコニコしながら戻ってくる。
「ヒースさん、今日は絶好調ですね。金に銅、水晶も上質なのが取れてます。愚者の王は撤回ですね」
そんな称号がつくところだったの?
どれほどの黄鉄鉱を掘り出したのやら。
「サリが来てから感覚が冴えるというか、集中しやすくなった。今日は狙った物だけわかるな」
そうだ、ノーウェルさんなら市場との釣り合いをとりながら採石できるのでは無いだろうか?
「サリさん、すごいですねー。僕、次は琥珀を掘るところ見てみたいんですけど、どうにかならないですか?」
「この山では見たことが無いな。別の山で過去に産出されているのか?」
「ありますよ、ありますよ! 今度ご一緒させてください!」
あ、ダメだわ。ノーウェルさんは単に鉱物好きなだけね。
「……わかったわ。ヒース、誰に手紙を書けば必要な鉱物の総量がわかるの? 私がここにいるだけで精度があがるなら、私がヒースを監督すればいいわね。
取り過ぎれば枯れるし、採れなければ鉱工が疲弊するわ」
ノーウェルさんはそれはいい!と盛り上がっている。
「去年は坊主もいいところでしたよね」
「最低限は採れただろ」
ああ、例のお嬢さんのせいね。
って、気分の上がり下がりで成果が変わるなんて、仕事舐めてるの?!
「今年はその埋め合わせをするんですか? サリさんがいればあっという間ですね!」
あ、今、何かの歯車に巻き込まれた。
ノーウェルさんは珍しいの獲れますかねー、とかなんとか言って小躍りしている。
もう、いいわ。
私の座右の銘は、毒を喰らわば皿まで、だったわ。
ため息まじりにこの仕事に手を出す事を決める。
「精度が上がって必要量が早く取れるのなら、早めに給金を払って鉱工を家に返すといいわ。効率が上がれば、時間ができるわ。家に早く帰れれば別の仕事も出来るし、家族も喜ぶでしょう?」
鉱工達は歓声と共に私を現場監督としてあっさり受け入れたのだった。
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