春
冬が過ぎ、春が来た。
冬の間に、トムズさんと私からの手紙を受け取り、慌てて仕事を片付けた父がバロッキー家にやってくるという事件はあったものの、それを除けば穏やかにすごしている。
父はベソベソと私を責めたが、私の判断は間違っていなかったと思うので謝る気はない。
まあ、無茶なことをしたとは思っているが、結果的に丸くおさまっているので。
父にはできないことが私には出来たというだけの話だ。
父との間にミスティの絵を売る為の繋ぎもつけたし、妹たちの留学の書類もつくれた。
バタバタとはしたが、父が滞在している間に、私の暮らしている環境や、ヒースの人柄も伝わったようで、父が無理をしてカヤロナまで来た事は利益として十分だったと思う。
二重にマルスについての注意も促したが、父に正確に伝わったかどうか。
しかし、カヤロナに来て、妹たちには私の期待以上の大きな後ろ盾が出来たようで、一安心だ。
竜の身内に対する守りは堅い。
これ以上、マルスが余計なことをしてきたとして、妹たちまで害は及ばないだろう。
正式にカヤロナに留学する事になったイオとカルメは、ラルゴと共にバロッキーの関係者が多く通う学校に通える事になった。
関係者といっても分家の子供たちのことで、本家から学校に通えた者はバロッキーの特徴の薄いごく少数だけなのだそうだ。
ヒース達の代は誰も学校では学んでいない。
学校は表向きには全く違う者が運営しているが、バロッキーが出資しているので、ある程度融通が利く。
ラルゴのバロッキーとしての特徴はもともとの目の色と相まって隠しやすく、薄い色ガラスの眼鏡をかけるくらいで許可が下りた。
学校では目に障害があり陽の光を避ける必要があると言う体で生活するらしい。
行動の制限はつくものの、一人きりではない入学だ。
本家から毎日通うには少し遠いので、寮生活になることもあり、三人とも浮き足立っている。
念願の学校生活だ。
イオもカルメも、何か問題が起きたとしても、ラルゴと助けあって楽しく学校生活を送るだろう。
ヒースは現場での採石業務のためニルソン山へ行く。
春先の少し湿り気を帯びる気候が採掘によいのだとか。
ヒースにしばらく会えないのは少し寂しいが、私は私でバロッキーを外に出す事業を画策しているところだ。
まずはミスティのパトロンを探さなくては。
ミスティは国外に出ることをずっと望んでいる。
天使のような美貌の画家のパトロンになりたい者はきっといるだろう。
……一瞬マルスが浮かんだが、流石にマルスはないわぁ。
うーん……マルス、性癖以外はパトロンの条件として申し分ないんだけどな。
でも、やっぱり変態だしなぁ。
いずれにしても、できる仕事が増えてきて、忙しくしているので、あっという間に時間が過ぎるだろう。
ニルソン山は丸ごとバロッキーが所有している。
温泉が出たり、金鉱脈が出たりと、それを探し出す竜の力は偉大だ。
直接ではないが、観光産業にも手を伸ばしているとは。
バロッキーは財力だけなら、王家よりも力があるんじゃないだろうか。
「お土産は何がいい?」
今は、忙しくしていて、なかなか捗らないでいたヒースの荷造りの手伝いをしている。
「おみやげ? 誰かに持っていくの?」
長逗留になるようで、ヒースの荷物は多い。
私が荷物が少ない方なので、余計に多く感じるのだろうけど。
「サリへのニルソン土産だが」
「ああ、私?」
共に働く鉱山の鉱工に、何か差し入れでも持っていくのかと思った。
「観光地なのよね?」
ふと、膨大な荷物の端にかさばりを確認する。
ヒース……枕も持っていくの?
新しい枕が荷物に仕舞われるのを見てため息をつく。
心配性は荷物増えるって言うけど……。
図体は大きいのにね。
「川の水が沸いていて、湯治客が来るんだ。変わった菓子やガラス細工が土産として売ってる」
温かい水の流れる川か。
国を跨ぐといろいろなものがあるのね。
「シュロには温泉の出る土地はなかったから、想像がつかないわ」
「仕事じゃなければ連れて行くんだが……」
ポリポリと頬を掻く。
「行楽地なんて、しばらく行ってないわね。母が元気だったころに行ったきりかしら」
双子たちもまだ小さかったから、遠出はしなかったが、楽しかったような気がする。
楽しかったことの方が詳細に思い出せないなんて、おかしなことだ。
その後の行楽はよく覚えている。
「その後は、父が妹達を何処かに連れ出す時が稼ぎ時でね。仮病を使って家に残って、父がダメにしそうな商売の立て直しにたっぷり時間が使えたから……」
ヒースが厳しい顔をしてこちらを見ている。
……違うわね。
可哀そうなものを見たような顔をしている。
「違うのよ! 私、そうしたくて家に残ってただけだからね」
言うと、ヒースはプイっと顔を背け、作業に戻ってしまう。
「いつかニルソンに必ず連れて行くから!」
大きな背中の向こうから声がする。
相変わらず、ヒースはとっても優しい。
「ありがとう。じゃぁ、ハネムーンの時にでも連れて行ってもらうわ」
持ち上げていた箱をガタガタと崩し、片手で額を押さえて振り返る。
「……そんなに改まらなくても、普通に連れて行くから」
どうやらニルソン山は襟を正して行く観光地ではなく、休日などに気楽に行ける観光地のようだ。
「そう?じゃぁ、お土産はお菓子をお願いしようかしら。後でお餞別を渡すわね」
「いや、要らない」
私の申し出に、むっとした声で応える。
「え、そんなの悪いわ」
「お土産だぞ」
ヒースが呆れたように言う。
「だから、お餞別をもっていってくれれば、気兼ねなく頼めるじゃない」
質素倹約は美徳だが、私だって珍しいお菓子には興味がある。
「どうしてサリはそうなんだ?! 俺だってちゃんと仕事しているんだが」
やけに多い荷造りの手を休め、詰め終わった箱に腕を組んで腰掛ける。
「わかってるわよ。でも、私だってささやかだけど仕事をもらって、給金だって貰ったわ」
そうじゃない、とぼやきながらヒースも別の木箱に腰をかけて休憩する。
「まぁ、今まで本家でぷらぷらしていた所しか見せていないから、そう思われてもしかたないんだが……つ、妻になる人に土産を買ってやれないほど甲斐性なしではないからな」
「え? 私、そんなこと言ってないわよ! 自分のものは自分で賄いますって言ってるだけよ」
「いや、サリのものは俺が出す」
いや、いいってば。
「ヒース、その考え方は頭が固いわよ」
夫婦で財布を同じにするなんて、商人としてはだいぶ封建的な考え方だと思うけど。
「人に頼る事を覚えろと言ってるんだ」
「頼ってるわよ」
ヒースのことは心の拠り所にしてるし、バロッキーには生活を頼りっぱなしだ。
「頼ってない」
「じゃぁ、それでいいわよ!でも、それとこれは別じゃない?」
「別じゃない!」
今日はヒース全然譲らないわね……。
軽く扉を叩く音がする。
ハウザーが気まずそうに顔を出す。
「ヒース、取り込み中のところ悪いんだけど、ニルソンに送る物を取りに荷台がきてるんだ。行って確認してもらえないか?」
何か言いかけて、あきらめて口を閉じる。
「……わかった、今行く」
気が済まなかったのか、どすどすと足音をさせて部屋から出ていく。
「それにしても、君たちの喧嘩、くだらないね」
部屋に残ったハウザーが面白がってからかってくる。
「喧嘩じゃないです」
「じゃぁ、痴話喧嘩?」
もう。なんだかなぁ。
「どう違うんですか。私たちは価値観の調整をしているんです! 価値観の合わないままに結婚すると不幸ですよ! ハウザーさんだって、エミリアさんとちゃんと価値観のすり合わせをしておかないと痛い目をみますからね」
エミリアとの件は冷たく言い放つ。
「サリ、僕に八つ当たりしないでくれる?」
時々本家にやってきては、ハウザーの愚痴を言っていくエミリアの代弁をしただけです、とは言わないでおこう。
「それに、エミリアとは出会った時から君の言うところの『価値観の調整』を繰り返していているから大丈夫さ」
「ハウザーさんが叱られまくっているって事ですか?」
「……そうだけど」
まぁ、尻に敷かれることは決定しているようで安心だな。
それからのヒースは忙しくて、いつも誰かしらと打ち合わせをしたり、書類を作ったりで、二人でゆっくりと話す時間がないまま出発の日になってしまった。
何か言いたそうにしているのだが、そんな時に限って来客があったりで機会を逃していた。
ヒースの出発の日、手の空いていた私とイヴさんとでヒースを送り出す。
拭き漆で仕上げてある馬車は派手ではないが重厚な美しさがある。
「ちょっと待って」
扉を閉めて馬車が走り出す間際になって、迷いに迷って、御者に声をかけて馬車を止めてもらう。
「サリ?」
旅程を乱してはならないと、急いで扉を開けて半身だけ覗かせる。
「ヒース、これ、お守り。シュロでは毎年同じところに帰ってくる燕が縁起物でね。事故無く帰れますようにって、髪で燕の刺繍をするの。私の髪だと燕って言うより、スズメみたいだけど……」
早口で捲し立てて、包みを押し付ける。
「サリ、待て、俺は……」
良かった、嬉しそうだ。
ヒースはなんでも顔に出るから世話がない。
気まずいままで出発されてはたまらない。
「手紙書くわ」
思い切ってぎゅっと肩口を引き寄せて別れの抱擁をする。
「ごめんなさい、馬車を出して」
慌ててばたんと扉を閉めて、御者に馬車を出すように声を掛ける。
馬車の中から悲鳴じみた声が聞こえたが、きっと大丈夫だろう。
*
ヒースがニルソン山に住処を移し三週間ほど経った。
ニルソンについてすぐお守りの刺繍のお礼の手紙が来て、こちらから何度か手紙を書いて、ヒースからの返事もあった。
しかし、ここ最近は手紙を出しても返事が来ない。
何かあったのだろうか。
返事が来ないと気を揉んでいた頃、トムズさんの仕事部屋に呼ばれた。
私がきた事を告げると、ジェームズさんが扉を空けてくれる。
いつもは王城で仕事をしているらしいが、ヒースが抜けたのでトムズさんの手伝いで最近は小まめに帰ってきている。
「サリ、そこにすわって」
ソファをすすめられて、腰を落ち着ける。
ジェームズさんは、ラルゴとよく似た深い色の目を困ったように伏せている。
ミスティに似た柔らかい美貌は歳を重ねて妖艶の域だ。
叔母は物凄い優良物件を足蹴にした大バカ者だ。
「ええと、何といったら良いか……」
どうかしたのだろうか?
「端的に言うと、君にヒースの様子を見に行ってきてもらいたいのだよ」
何か良からぬことでも起きたのだろうかと、心配になる。
「ヒースがどうかしたんですか? 具合でも悪いんですか?」
「病気とか怪我とかではないんだが、少し特殊な状況でね」
「はぁ」
ジェームズさんは終始、歯切れが悪い。
「たぶん君がこの件について、一番上手く対処できると思うのだが」
「それは、仕事の問題ですか?」
「仕事か。仕事も、もしかしたらなぁ。場合によっては採掘現場まで同行してもらう事になるかもしれないし、しばらくニルソンから帰れないかも知れない」
それは、ただ様子を見に行くとは言わない。
「なんだか大事に聞こえますけど」
「なにぶん、ヒースみたいな子に何が起きているか把握しきれなくてね……」
「竜の力に関係したことなんですね」
「そうだね。多少の危険はあると思うが、たぶん君が行けば少しはおちつくと思う」
そうだろうか?
「私が行って何かできるのでしょうか? 誰か、竜の血がわかる人が行った方がいいのでは?」
「うーん、それも考えたんだがね………」
「状況が見えません」
「そうだろうね。でも、それを私の口から説明するわけにはいかないのだよ。ヒースの望むところではないだろうし」
まぁ、なんだかわからないが、ヒースが望まないなら仕方ないけれど。
「状況は分かりませんが、事情はわかりました」
とにかく様子を見てからどうにかしてこいとのことだ。
委託されたのなら全力は尽くそうと思う。
「本当にこればかりは、君に頼むしかないのだよ。すまないね」
「いえ、私にお役に立てることがあって、幸せです」
「とにかく、会いに行って貰えれば、どんな様子なのかわかってもらえると思う。ヒースをたのむよ」
なんだかなぁ。
取り急ぎ、出かける準備を始める。
手紙が来なくなった事情を直接問う事が出来るのは喜ばしい事だ。
しばらく会えなくて、思った以上に寂しかったし。
長逗留になったとして、山を歩く靴が必要だろうか。
採石場で一緒に働いたことがあると言っていたし、アルノにでも聞いておこうか。
丁度、その日の午後にアルノの手伝いがあったので、仕事をしながらジェームズさんに呼び出された件の相談をしてみる。
「必要な物は後から送るから、とりあえず身一つでニルソンに向かった方がいいかもしれないな」
事情を話すと、腕を組んで難しい顔をする。
「そうなの?」
「ヒースがニルソンに向かってからどれくらい経つ?」
「三週間と二日、かしら?」
「三週間か……どうなんだ?それは長いのか?短いのか?」
もう、こっちも何の話なのか分からない。
「ジェームズさんはなんと言っていた?」
「わからないって」
「わからないのか」
私が一番解らないわよ!
「そういえば、ラルゴ達は入学してからどのくらいの頻度で本家に戻ることになっているんだ?」
急にラルゴに話が飛ぶが、何か関係があるのだろうか。
「そんな遠い所ではないし、バロッキーの仕事のこともあるから、二週間に一度くらいは帰ってくるって言ってたわよ」
「二週間か、これも長いのか短いのかわからんな。ハウザーみたいなのもあるしな。まぁ、実際にそうならないとわからないか。個人差があるのかもしれないが……」
「どうもみんな歯切れの悪い言い方をするのよね」
バロッキーの男達は竜の習性に対しては割と秘密主義だ。
同じ法則を共有しているのかと問えば、個人差が大きいのだとごまかされることが多い。
言うべきことを言わないから拗れるんじゃないの?
「サリは何も心配はないさ。いや、ん……まあ、問題ないかな」
「……いや、絶対何か問題があるんでしょ」
「とにかく、ヒースは任せた。それよりも私は私の心配をさせてもらう」
手帳を出して、予定の調整を始めてしまうアルノから有益な助言を引き出すのは諦めた。
「もう、なんの心配よ!?」
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