イオとカルメ
契約書が作成されて、しばらくは穏やかに時が流れていた。
シュロよりも少し標高の高いカヤロナはもう冬といってもいいくらいの気温だ。
早朝はうっすらと落ち葉に水滴が残る。
カヤロナの冬は寒そうだ。
最近になってハウザーの結婚に向けたバタバタも少し落ち着いてきた所だ。
そういえば、ヒースの婚約者になってすぐ、エミリアがやってきた。
そこで、私は美女の高笑いというものを生まれて初めて聞いた。
庭で草を食む鹿を見ての高笑いだ。何がツボだったのかわからない。
ルミレスは、相変わらず様子がおかしい。
割と所構わず双子を想っては目をピカピカさせているので、あれが恋の病というやつなのだろう。
ヒースは私に手がかからなくなったので、ラルゴと一緒に仕事に出かけることが増えた。
宝石や鉱物の仕分けをするらしい。
鑑定士に渡す前にある程度の選別をしておくのだという。
一度、仕事場を見たいと言ってみたが、恥ずかしいからいい、とよくわからない返事がきた。
正式にバロッキーの一員として迎えられた私は、少し前なら想像もできないほど贅沢な時間の使い方をしている。
ミスティと悪巧みをしたり、ラルゴの勉強に混ぜてもらうのも楽しい。
ラルゴも誰かと勉強することがなかったからと言って、快く勉強に混ぜてくれる。
勉強が出来ることがうれしくて、食事を忘れてイヴさんに叱られたりもする。
それと、バロッキーに来た時は無一文だった私は、アルノの元で事務作業をする仕事にありついた。
あれほど働かない自由を欲していたのに、今は働ける事がうれしい。
気がつかなかったが、私にとって働くことは喜びをもたらすものだったようだ。
晴れた日の午後だった、バロッキー家は思ってもみない珍客を迎えることになる。
「サリー! サリ、早く来て! サリ、はやく!!」
珍しくラルゴが大声で呼んでいる。
仕事に行く準備をしていたのか、よそ行きの格好をしている。可愛い。
「どうしたの?」
ラルゴがバタバタと走ってきた。
この子こんなに活発に動くのね。
なんか子供らしさが薄い子だと思ってたけど、安心したわ。
「お客さん!サリの妹だっていってる……」
「ええ?!」
応接室に三人の人影があった。
私の妹、双子のイオとカルメと……だれ?
背の高い女性だが、見覚えがない。
私が口を開く前に「「姉様!」」と妹たちが飛びかかってくる。
「ちょっと、ちょっと待ちなさい!」
しがみ付く二人を一人ずつを引き剥がすのに、次を剥がそうとしても、先に剥がした方がまたしがみついてくる。
「姉様、ごめんなさい」
いつも喋るときに口火を切るのはイオだ。
青い目にブルネットの美しい子だ。
「姉様がどれほど私たちのために尽くしてくれていたか、知りもしなかった私たちを許してください」
カルメは控えめだが、賢い子だ。
緑の目にごく薄い金の髪が儚げだ。
「聞けば、マルスさんと恋仲であったというではありませんか! 私たちに相談してくれればよかったのに」
「私たちがお役目を引き受けますので、姉様は何も心配せず、国にお戻りください」
二人とも心配そうな顔をして話しているが、内容が……酷い。
耳を疑うような世迷言が双子の口から代わる代わる飛び出てくる。
「ご安心ください、姉様が無理をして望んだふりをしてくれていたことはわかっております。姉様はご自分の幸せを考えてくださいまし。私たち、割と面食いですの。そこの真面目そうな坊ちゃんだって、どストライクですわ!」
イオが捲し立てるので、ラルゴが分かりやすくビクッとする。
「ちょ、ちょっと本当に一度落ち着きなさいって。それよりも、そちらはどなた?」
癖のない灰色がかった髪を高い位置で括った背の高い女性は、腰に長剣を携えている。
暗褐色の目許からは年齢が分かりづらいが、ハウザーよりは年上に見える。
傭兵だろうか? それにしては身綺麗だ。
「はじめまして。イオ様とカルメ様の護衛として雇われております、レトと申します」
規則正しい礼をするところを見ると、どこかの私設の護衛のようにも見える。
「妹たちがお世話になっています」
私も慌てて礼を返す。
「あの……不躾ですが、レトさんは誰に雇われた護衛ですか?マルスが関係してるの?」
私は緊張で早鐘のように心臓が脈打つのを感じた。
体が強張っている。
「いいえ、イオ様とカルメ様に直接雇われています」
本当だろうか?
「誰かの斡旋は受けた?」
「いいえ、お二人に直接声を掛けていただいて」
「貴女を疑うとかでは無いのだけれど、身分証を見せていただいても構わない?」
レトは丈夫そうな革の鞄から身分証を出す。
物を売る商人とは別に、技術や腕力を仕事にする人達もいる。
シュロでは同じ業種で組合を作るのが一般的だ。
彼女はおそらく傭兵業としてなんらかの組合に所属しているはずだ。
レト・ガロレイと名前の入った身分証にはシュロの中でもだいぶ北のカヤロナに近い地名の入った組合名が記されている。
私の地元とはかなり離れているし、マルスと知り合いである線は薄いだろう。
「乗合馬車で困っていたところを助けてもらったのです。お手隙だった様なので、カヤロナから姉様を送り返していただく所までの契約で雇いました」
私の剣幕に押されて黙っていたカルメが、おずおずと説明する。
「そう、本当にマルスは関係ないのね」
ひとまず、一番危惧していたことは避けられた様だ。
ふっと力が抜ける。
やっと落ち着いて双子の話を聞くことが出来そうだ。
「さて、二人とも、どうやってここにきたの?父さんの許しがあってきているのよね?」
「…………」
私とは目を合わせずに、二人で何やらチラチラと合図しあう。
「あなた達がここに来ているということは、トムズさんの手紙がシュロに届く前に出てきてしまったのね」
二人で黙り込んでいるのが答えだ。
「費用は?」
「……姉様が準備してくれていた学費を切り崩してきました」
叱られるのがわかったのか、消え入るような声で告げる。
「馬鹿なことを……」
私は深くため息をついた。
「二人は、サリの妹さんたちなの?」
私たちの様子を見守っていたラルゴが尋ねる。
「突然押しかけて申し訳ありません。サリ・トーウェンの妹のイオ・トーウェン、十一歳です」
「同じく、カルメ・トーウェンです」
二人は無邪気にラルゴに手を差し出して握手を求める。
「ラルゴ・バロッキーです」
ラルゴが恥ずかしそうに、しかし礼儀正しく手を差し出す。
うちのイオとカルメは可愛いでしょ。
「坊ちゃんが私達の旦那様候補ですの? 私もう少し年上の方だとばかり思っていましたわ」
イオが笑うと、ラルゴが分かりやすく動揺する。
「さっきから、おかしな事を言ってるわね。誰に吹き込まれたか知らないけれど、私、マルスに嫁ぐのが嫌でカヤロナまで来たのよ」
「そんな! だって、マルスさんがそう言って泣いていたのですよ。あまりに不憫すぎると姉様を追いかけてきたんです!」
二人のおかしな誤解を解こうと息を吸ったタイミングで、軽く扉をノックする音がする。
「サリ、お客さんだって?」
バロッキー家に上がり込む客は珍しいのだろう。
ヒースは色眼鏡をかけて応接室の扉から半身だけをのぞかせている。
「ヒース! いいところに来たわ! いい? お前達、根本的にまちがっているわ」
身構えるヒースを応接室に引き込み、眼鏡を奪う。
「ほら、ヒース、こっちに来てこの子達の誤りを正してあげて! あなた達、どこをどう見たらマルスが私の好みだと思うの? 私の好みはこうよ! どう? あんな張りぼて男とは比べ物にならないほど綺麗でしょ?」
本当は背中のキラキラも見せてやりたいくらいだが、勿体ないのでしまっておく事にする。
「性格も申し分ないわ。あんな粘着男なんて足元にも及びませんからね。以後変な誤解はしないように」
瑠璃と孔雀石の目に穴があくほど見つめられ、ヒースはじっと立っている。
「サリ、なんだかわからないが、本当に勘弁してくれ……」
照れ隠しなのか、頭を掻く。
「あ、初めまして、背の高いお兄さん。イオです」
「よろしくお願いします、赤い目のお兄さん。カルメと申します」
「……ああ、俺はヒースだ。その、サリの……あー……ところで、サリ? この子達は?」
サリの婚約者です、とはすんなり言えないようだ。
まあ、間違えて書いちゃった婚約者だし、仕方ないわね。
そろそろ開き直ってもらわないと、逆にこっちが恥ずかしいのだけど。
「シュロに残してきた双子の妹達よ。手紙が行き違って追いかけてきてしまったようね」
「妹? シュロから来たのか?!」
いくら護衛がいるとはいえ、子供二人が国境を越えるのは大変なことだ。
ヒースが驚くのも無理はない。
当の本人たちは不躾な程にヒースを観察している。
「「まぁ、まぁ、まあ、姉様!!」
二人はしばらくぽーっと眺めていたヒースからやっと視線を外し、こちらを向く。
「私達誤解してましたわ! ねえ、ヒース様、も少し屈んでいただけません?」
イオがヒースのよそ行きの服の端を引っ張る。
片膝をついて身を小さくすると、二人してペタペタとヒースの腕を触る。
「まぁ、引き締まった筋肉をお持ちね!」
「姉様ったら、割と筋肉質な殿方がお好みでしたのね。私たち知りませんでしたわ」
「まぁ、神秘的な色の爪ですのね! たしかにマルスさんって顔だけですものね」
「そうね、なんか時々気持ち悪いし」
ペタペタと、二人で話しながら左右からヒースを撫でさする。
ヒースといえば「サリ、サリっ!この子達、俺に触ってくる!」とばかりに、目でこちらに助けを求めてくる。
「あんたたち……なんだか、ヒースが喜ぶから止めて頂戴」
「喜んで無いからな!」
ヒースは慌てて否定のためにぶんぶんと頭を振る。
いいえ、喜んでたわ。
ヒースがお茶をいれてくれる。
いつもながらに見事な手つきだ。
「ヒース、ごめんなさい。ラルゴを迎えにきたのよね? 今から仕事に出かけるところだったでしょ」
「いや、仕事というか、ラルゴの訓練のようなものだから、休んでも問題ない」
ラルゴがこくんと頷く。
「今日はアルノの所で書類の読み方でも教えてもらいに行くさ」
ラルゴは用は無くなったようだが、ソファに座って大人しく話を聞いている。
「ラルゴ、自分の勉強に戻ってもいいのよ?」
「……あ、お茶を飲んでから……」
「ラルゴがいいならここに居てもいいし……」
「……そう、しようかな……」
年齢の近いお客は珍しいのだろう。
静かにお茶を飲んでいるが、妹たちを観察し続けているようだ。
「それでさっきから一体誰なんだ?その、マルスだったか?」
ヒースの口から私にとって天敵ともいうべき名前が出る。
「実家で豪商の孫息子に嫁がされそうになってたって言っていたでしょ? 孫息子がマルスよ。どうやら、つまらない横槍を入れようとしていたようね」
それを聞いてヒースの表情が険しくなる。
「それでなんと言ってきているんだ?」
「私と恋仲だと信じ込ませて、妹たちに居場所を探らせるつもりだったようね」
一層ヒースの眉間の皺が深くなる。
「おかしいわね。父にはマルスが変態だから絶対に妹達に近づけないようにと手紙を残してきたのだけど」
「父様は姉様が残して行った仕事にかかりきりで、私たちにかまっている暇がありませんの」
「父様には姉様と同じ仕事を同じ速さでこなす程の腕はありませんもの」
手厳しいが、その通りなのよね。
「姉様が取り引きをしていた商家から事情に詳しい人を雇い入れて、どうにか捌いているところですわ」
そのように紹介状を書いてきた。
少なくとも残してきた手紙は読まれているようだ。
「直ぐに追いかけて来られないように、大量に仕事を用意していたのが仇となったわね」
私の名義で興した仕事の名義の書き換えとか、すぐに手をつけないと失効するだけではなく、他の者には代われない仕事ばかりをたんまりと作っておいたのだ。
「マルスさんは私たちが姉様を呼び戻せると思って、そんな事を言ったのでしょうか?」
「そうかもしれないわね。もしくはあなた達を直接籠絡する足掛かりを作ろうとしたのか……。何れにしても、あなた達がシュロまで来てしまうとは思わなかったでしょうね」
「マルスさん……姉様の事に大変心を痛めていた様子でしたから、私たちてっきり……」
イオは申し訳なさそうに言うが、そんなのマルスのいつもの手口だ。
最終的に手に入れようとしている妹たちを使おうだなんて、下衆なやり方だ。
「あなた達にもわかるでしょ? あなた達がここにいて、私を心配しているというマルスは今どこで何をしているの?」
本当に心配していたら、しかも恋仲だったら、そもそも自分で迎えにくるだろう、ってことよ。
「……」
思い至ったのか、二人は身震いをする。
「いくらマルスが妄言を吐いたって、それが答えよ。父様がその状態なら、あなたたちはマルスの手の届かない所にいる方が安全ね。追加で手紙を送らなくてはね。トムズさんにあなた達がしばらく滞在できるかどうかきいてみなくてはならないわ」
ヒースを見れば、力強く頷いてくれる。
「それは心配ないだろう。しかし、そんなに危険な奴なのか?」
「マルスは狡猾で冷酷な男よ。自分の思い通りにしたいが為に何でもするわ。でも、私はもうバロッキーのものだし、借金は返済された事になったし、うちに介入する理由は無いはずだわ。でも、コレクションに対する執着はあるだろうから、父さんの手が空くまでは危険ね」
柔和な優男の皮をかぶった獣のようなマルス。
狂言を使ってまで私の居場所を知ろうとするとは。
まだ私たちに執着があったのかと、身震いする。
「姉様、私たち本当にこちらに嫁ぐつもりでやって参りましたのよ。姉様には自由になっていただきたくて。今からでも立場を交換して頂けませんか? そうすれば姉様はシュロに帰れますでしょ?」
「まあ、あなた達をバロッキーに任せるのに異存はないわね。シュロに置いておくより安全そうだし。立場の交換ね、一考の価値はあるわ……こちらから二人分嫁ぐとなれば契約書の変更に見合う利がつくかもしれない。少し調べてみなければだけど」
私が思考の海に沈みかけるのを、慌てたヒースが遮る。
「しかし、サリはシュロに帰ればマルスに付き纏われるのではないのか?」
「まぁ、そうなるわね」
「それって、奸計に嵌ればサリがマルスに嫁ぐことになったりしないのか?」
「そんな馬鹿じゃないけど、マルスに監視が必要だと感じたらそうするかも」
ヒースはそれを聞いて、頭痛を抑えるように眉間を揉む。
「サリが危険な事に巻き込まれるかもしれないのに他所へは行かせられない。君たち、契約の代行は諦めてくれ。君たちの姉さんは、危険すぎる。自分の命の重さをわかってないんだ」
そう言って、ちらっと睨まれる。
まあ、身に覚えありますが。
「俺は、サリの婚約者だから、サリの安全を保証する義務がある」
真面目なヒースの言いそうなことだ。
この場合は婚約者ってスラスラ言えるのね。
毒薬の件が尾を引いてるようで申し訳ないわ。
ふと黙り込んだ妹たちを見ると、目を見開いてキラキラさせている。
「きゃーっ! そうなんですのね! 早く言ってくださればよかったのに! ヒース様が姉様の婚約者なんですの?!」
「まー!ラブラブですのね!!」
妹たちは口々に黄色い悲鳴を上げはじめた。
……誰かここにミスティを呼んできて欲しい。
私とヒースにはこの話題は捌き切れないわ。
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