銀の鱗

 ヒースの婚約者になってしまった。


 なんだか色々追求されていたので反論しようがなかったが、あれはトムズさんも悪いのに。

 あのタイミングで急かされたら、素人なら五人のうち一人くらいはうっかり署名までこぎつけられるかもしれない。

 ヒースが五人いたら、かなりの確率で悪い契約の山ができそうだわ。

 流石バロッキーをまとめあげる当主、一筋縄ではいかない。


 皆それぞれの仕事に戻り、私はヒースと一緒に床に撒いてしまった毒薬の始末をしている。

 手で触れない様にして慎重に片付けていく作業は割とたいへんだ。

 何を言っていいかわからず、二人とも一言も話さないで手を動かしている。

 非常に気まずい。


「毒なんてよく手に入ったな」


 やっと私の婚約者殿が口をひらいてくれた。

 婚約者?婚約者だって! ヒースが婚約者。

 婚約者という響きがこんなにむず痒いとは思わなかった。


「養蜂家の廃棄物なの。正真正銘、蜂蜜なのよ」

「毒なんだろ?」

「蜂蜜だけど毒よ。秋になると毒花が咲くじゃない? だから普通、養蜂家は夏を過ぎると蜂蜜は取らないんだけど、たまたま秋まで放置されていた巣箱があったらしくてね。廃棄する時に分けてもらったの。殺鼠剤にするからって」


 うん、婚約したての二人の会話じゃ無いわね。


「だからって、そう簡単に手に入って良いものじゃないだろ」

「たまたまよ。私だって毒で死ぬつもりなんてなかったの。毒って飲んだからすぐ命を落とすとは限らないのよ。どれ程の効果があるかわからないし、失敗するかもしれないじゃない? よっぽどじゃなければ試したくはないわ」


 精神的なキツさは耐えられない事はないが、肉体的に痛みが長かったり苦しみが強かったりするのは遠慮したい。

 あくまでもこの世から消え去りたいっていうのは消極的な希望なので。


「安心して、私、毒を飲むくらいなら、高い塔から飛び降りたり、首を括ったりするわ。それに、中途半端に失敗したら周りに迷惑でしょ?」


 ヒースは疲れたようにモップにもたれかかって眉をひそめる。


「何が安心してだ。馬鹿なこと考えるのはやめてくれ」


 ヒースに心配させちゃったよね。


「……シュロにいる時ね、借金は滞りなく返済を続けるとして、その上で妹達の為に学校を守らなくちゃならなくて。焦げ付きそうな返済額の工面の他に、学校の運営費を残すために細々とした内職とか、代筆とか、書類を弄ったり、父のフリして手紙を書いたり、もうやる事がいっぱいだったのね」


 ヒースには話していいかもしれない。

 私が本当に望んでいた救済を。


「一日全部そんな事に費やして、息もできないほど忙しくて、次の日もまた同じ様。やっと一日が終わって、また全ての時間を費やしてずっと金策をしつづけるの。手元に一銭も残らないお金の為に、人はどのくらい頑張れると思う?」


 ヒースは静かに聞いていてくれる。


「正解は、そんな事を考える時間がない、よ。私が動きを止めた途端に、妹達が商品として棚に並ぶの。何かじっくり考える時間もないくらい」


 私は自分で決めてそうしてきた。

 だから弱音を吐いたりしたくない。

 でもヒースに私が決めたことを分かって欲しい。

 そんなことを望んではいけないのに。


「疲れたからもう死んでしまおうと、考える事もしなかった。母に妹達を託されていたのもあるけど、全部これが終わったら考えようって。自分の中から逃げる選択肢も追い出していたの」


 誰にも言えない、誰にも頼らない、それでも自力だけで頑張れるのなら、私はいつまでだってその生活を続けられただろう。


「父は事態を楽観視していたわ。私を良いところへ嫁に出せばいいって。でも、私そんな賭けみたいな事に任せられなくて。まぁ、父は賭けに勝ったのね、私を良いところへ嫁がせる繋ぎを作れた。でも、それは妹達の幸せを打ち砕くものでもあった。私にとって、いくら借金が返せても妹達が幸せじゃ無いなら意味が無いのに」


 私よりも辛そうな顔をして聞いてくれるヒースのおかげで、私の大変だった日々はもう過去のものなのだと割り切れたような気になる。


「カヤロナに行って、借金が無くなって、自分で死ぬ選択肢も得て、機会があれば叔母達にいやがらせをして、もう何もしなくていい、って考えたら幸せで」


 慰めるように持ち上げられたヒースの手が、行き先を迷わせて途中で止まっている。


「……心配かけてごめんなさい」


 迷子になっている手袋のない手をそっと握る。


「それと、あの、ヒースを巻き込んじゃってごめんね。私、ちゃんとヒースのお嫁さん探してあげるつもりだったのよ」


 ヒースは手の繋がれた所を目で追って、耳の先を赤くする。


「俺はサリが分家に嫁ぐのは賛成だったが、サリが死んだりするのなら駄目だ。俺だって、サリが過ごしやすい分家を探してやるつもりだったんだ」


 ぎゅっとヒースも繋いだ手に力を込める。

 仲良くなれたみたいで嬉しい。


「ありがとう。でも、正直、ヒースと結婚とか役得すぎて困るっていうか、喜んじゃ駄目なのに、嬉しいというか……」


 いたたまれなくなって、掴んだ手を上下にブンブン振る。


「サリ、俺は……」

「あのね、バロッキーの男の人たちって、悩みすぎるのか、いまいち決定力にかけるところがあるから言うんだけどね。ヒースが番に出会っちゃった時には、悩まずに教えてね」

「………」


 ヒースは言葉を詰まらせて、目を見開く。


「私は他のバロッキーの子のお母さんになる仕事があるから。居場所がなくなるなんてことないし。私がいるからとか、そういうのを気にする事はないから!」



 乱暴な音がして扉が開くとミスティが入ってきた。


「いちゃいちゃしてるところ悪いんだけどさ、サリが欲しいのはこの資料でしょ?」


 ミスティの視線が割りと冷たい。

 慌てて手を離したヒースに呆れた顔をむけている。


「いちゃいちゃなんてしてないわよ。トムズさんがいうように、お互いを知り合っていただけよ」

「あーそうですよね。ヒースが番をみつけても、サリはうちに居てくれるみたいでよかったよー」


 耳がいいのはヒースだけではなかったようだ。


「まぁ、ヒースが悪いんだからね。しっかりしてよ。本当にサリに愛人斡旋されても知らないよ」


 ミスティが持ち込んできたのは叔母の足取りを記した書類だった。


「サリにこれをあげても良いけど、その代わり復讐を諦めて」


 さっきは泣かしてしまったし、ミスティの言い分を受け入れてもいいのだけれど……。


「……そんなの無理よ。ライフワークにするつもりだったのだもの」

「じゃあ、せめてそのバカみたいな復讐方法はやめれば?」

「え?」

「だって、おかしいだろ、何だよ命使って嫌がらせとか。俺が変な事言っちゃったなら俺も別のやりかたを考えるから」


 ミスティの国を出る計画に自分が死んだことにする話が絡んでいたからか、だいぶ気に病んでいたようだ。


「ほら、ヒースもサリを止めてよ」


 ヒースはしばらく腕を組んで考えこんだ後に、捨てられた子犬のような顔で私を見つめる。


「まず、変に酷い扱いを望むのはやめてくれ。サリはここに来たってだけで表向きには十分不幸だから。今のままで、胸を張って叔母さんに人生破滅させられたと訴えていい。ましてや今は俺の婚約者だ。堂々と恨み言を言えば良い」

「ヒース、なんか、それも違くない?」


 ミスティの声は冷ややかだ。

 ミスティ、どんどんヒースに対する当たりが酷くなってるわよ。


「ヒース、言ってはなんだけど、私も何か違うと思うわ。私はバロッキーに来た事をちっとも不幸だなんて思ってない。それ以上自分を卑下するようなことを言うなら、怒るわよ」

「いや、待て、サリ。俺がどれだけ本当に不良物件なのかよく分かってないから――ミスティ、そこにいてくれ、決心がつかない」


 そう言うと、ヒースは背を向けてシャツを……

 ちょっ、待て、脱ぐな、脱ぐな!

 あ、でもいい背筋。

 見ちゃだめだと思いつつ、しっかり凝視してしまう。

 勢い良く現われた背中には、キラキラと光る何かが付いている。

 背骨にそって縦に何列か並ぶ鱗の様なものは、皮膚から生えているようにしか見えない。

 筋肉の波にそって呼吸と共に少し震えるそれは黒に近い銀色で美しい。

 思わず手を伸ばして、目の前の硬質のサラリとした鱗の感触を堪能すると、背中はビクリと波打った。

 あらら、うっかり。触っちゃだめだったかしら。


「ごめん。触っちゃだめだった? 痛い?」


 逆鱗て言葉もあるしね。

 鱗だけに激痛がなんてこともあるかもしれないし。


「駄目じゃない、が……」


 頭を抱えるヒース。

 そうか、恥ずかしかったりするのかもしれないな。


「……性感帯とか?」

「ちがう!!」


 恥ずかしかったのか、そそくさとシャツを着込む。

 なんとなく、惜しい気がする。


「これを見ても何も思わないのか」


 ため息をつくヒースはひどく疲れたような顔をしている。


「んー、キラキラしてるわね」

「そういうのじゃない!」

「珍しいのよね、きっと」

「それは、そうだろう」

「触り心地は良かったわよ。サラサラしてて」


 思ったような返事ができていないのか、ヒースの顔色は優れない。


「気味悪……かったら触ったりしないか」


 少し言い淀んだあとに、諦めたようにヒースは顔を赤らめた。

 ああ、なるほど。


「なんなの、あんたたち馬鹿なの?」


 ミスティがいらいらと足を踏み鳴らす。


「ヒース、ぬるいわ」


 ヒースはどうやったら私の地雷を踏みぬくのか、まだ理解しないのだろうか。


「は?」

「ヒースはやる事なす事、全然私の思い描く不幸に足りないわ。もとはといえば私は自分の命を断つためにここに来たのよ。周りが同情しようがなんだろうが、私がヒースとじゃ枕元に立って恨み言を言えるような気持ちになれないって言ってるの! ちょっと目の色が珍しくて、背中にキラキラついてるだけの好青年なんて。そんなのを連れて恨み言を言いに行ったって、叔母はどう思うかしらね? 裕福な好みの男と娶せてやったんだから感謝しろ、とでも言われるわ」


 ヒースにとってはとっておきの秘密だったようだが、馬鹿馬鹿しいったらない。

 不安だというなら何度でも否定してやるしかない。


「ヒース、空回りの仕方がイタイよ。そういうの、もうやめなよ」


 ミスティが冷めた口調でつぶやく。


「……そんなに私に嫌われたいなら、何でヒースは鬼畜でも非道でも冷血でもないのよ」


 心中をこぼすと、ミスティが相槌を打つ。


「サリ、それはあんまりにも理不尽だよ。でもさ、アレだよね、俺、本で読んだことあるよ。そういうときって、すごく頭悪くなるらしいよね」


 ミスティは辛辣だ。

 ヒースは分かりやすくうなだれる。


「ヒースとじゃこの復讐法は成立しないのは分かっていたのよ。いいわ、ミスティ、復讐の参謀としてミスティを雇うわ。報酬は例の件でいいわね」

「いいよ。ヒースじゃ悪だくみに向いてないしね」


 ミスティと私は小悪党になったような気持ちで頷き合った。


「ミスティ、サリは俺の婚約者なんだが……」

 

 ミスティは何も言わず、猫が笑ったみたいな顔をして颯爽と部屋から出て行った。

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