毒薬と魔物
「ミーゼル家のスタンリーだ。これは跡取りのケインだ。二十八になる」
ケインは見たところ幼く見える。
卑屈そうに笑う顔には私への蔑みも見て取れる。
なるほど、女の子を殴りそうな顔してるわ。
尋問のような質問がスタンリーによって始まった。
「聞くところによれば君は借金の返済の為にバロッキーに身売りしに来たそうじゃないかね」
わー、初っ端から嫌な感じ。
「しかし君も幸運な事だな、本家の魔物の妻になる前に分家に救われるなんてな」
そうか、この国ではそういう風にバロッキーの人を見るのだった。
「ちょっと立ってみろ」
高圧的な物言いにカチンとくるが、今は反撃の時ではない。
大人しく立ち上がる。
「一回りしてみろ」
よく見えるように手を開き、ゆっくりと回る。
奴隷の品定めをされているようだ。
「ふん。見た目が良かったのが救いだな。着飾らせれば見栄えは良さそうだ」
横からケインが口を挟んでくる。
「生娘か?」
はっ?なんて事を訊くのだろう。
唾棄するほどに下衆だ。
「はい」
罵詈雑言を押し込めて、従順に答える。
「読み書きはできるか? 台所仕事はどうだ?」
「商家を切り盛りしながら、家族の世話をしておりましたので、何でも一通りは。お望みでしたら書類の作成や、算盤仕事も致します」
「ほう、借金の形に身売りするくらいだからと大して期待していなかったが、これは掘り出し物だな」
もう何も感じない。憤りすら、こいつらに対しては無駄なものだ。
「どうだ、ケイン、出所は確かではないが、器量も良いし、これで手を打て。あの娘の持参金は惜しかったが、バロッキーから慰謝料を取った方が面倒がないだろう」
じろじろと品定めをされて、ケインは片頬だけを上げる嫌らしい喋り方で私を貶める。
「売女が俺の妻になったからって、家を切り盛り出来ると思わないでもらいたい。所詮お飾りの嫁だ」
キタ。
これだ、これこれ、この感じ。
すごく、すごく、すごくいけ好かない。
「決定だな。そうと決まれば直ぐにこの屋敷を離れるぞ。サリ、我々は当主と話をつけてくる。お前は荷物を纏めてこい」
私は行くとも行かないとも言ってないのに、決定なのね。
まぁ、行くけど。
「あの、本家の方にご挨拶する時間はありますか? 色々とお世話になったので」
「立場を弁えろ。色々と自由を口にする立場ではないのでは?」
私の小さな要望も袖にされる。
「何度も本家に出入りしている所を見られるのはまずいのでな。君もバロッキーの本家にいた事を周りに知られてはまずいだろ?」
私が別の価値観を持っているとは考えもしないのだろう。
もし、私がこの国で育ったなら、喜んでミーゼル家に行っただろうか?
「我々に感謝してもらいたいものだね。本家から連れ出してやるのだから。竜の花嫁になるよりは我が家に奉公した方が幸せになれるというものだ」
これを本気で言っているのだ。
あと、何気にめちゃくちゃ働かせる気でいるみたいね。
いいわ。そうこなくっちゃ。
「旦那様、ケイン様、末長くよろしくお願いいたします」
私は仄暗い決意を胸に、服従の礼をとる。
「ふん、殊勝にしていれば可愛がってやらんでもない」
殊勝に……ね。
ただ黙って死んでやるものか。
ミーゼル家が本家に寄生する害虫だと十分に理解した。
バロッキーにも利のある契約になるように見合う働きをしよう。
「直ぐに出る。荷物をまとめて来い。本家の物は持ってくるなよ。縁起が悪い」
そっちの方が縁起悪いわ。
入り込んだら内側から引っ掻き回してやろう……本家に迷惑かけないくらいには。
部屋に戻るために扉を開けると、ヒースが私の内面以上に怒りで煮えたぎった顔で立っていた。
怒っているけど、さっきの無表情のヒースではない事に安心して、笑みが漏れる。
ああ、やっぱりそうなのかな。
「ヒース、怒ってる?」
ヒースに手を伸ばすと逃げられる事なくその耳に手が届いた。
「ヒースは耳も良いのね」
ミスティの部屋に入ってきたタイミングといい、トムズさんがヒースを待機させた場所といい、扉を隔てていたのに、全て聞こえていたに違いない。
「聞こえちゃってたのね」
竜の血って侮れない。
「ごめんね。みんなに挨拶する時間は無いみたい。みんなによろしく伝えて」
「サリ、本当にミーゼル家に行くのか? あんな奴らだぞ」
「行くわ。居場所を見つけたの」
にっこりと笑う。
途中、ミスティとラルゴが心配そうに待っていた。
「サリ、やだ。行っちゃやだ」
ミスティが、しがみ付いてくる。
「なによ、さっきは喧嘩してたじゃない」
事情を察したラルゴが我儘を言うミスティを宥める。
「兄さん、ヒースが我慢してるんだよ」
ラルゴ、よく出来た子だわ。
本家にいる時間はなんだかんだで楽しいことばかりだった。
皆優しかったし、本も読んだし、借金を削る事を考えないで何かをしたりするのは久しぶりで。
なんだか、普通の娘に戻ったようだった。
取っ組み合いのけんかもしたわね。
寄り道は楽しかったが、今日からはまた元の路線だ。
怒ったままのヒースは、要らないというのに部屋まで付いて来る。
未練を断ち切るように手早く荷物をまとめたカバンを、ひったくるように取り上げられて、ヒースが運んでくれる。
怒ってるのに私のことを尊重してくれるような優しい優しいヒースには、絶対に完璧な花嫁を探してくるつもりだ。
ヒースのお嫁さんになる人は幸せよね。
あれからそんなに日が経っていないのに、色々あったな。
ぷりぷりと怒るヒースは、そんな風だから、割れた花瓶が置いてあった台に鞄の端をぶつけて、お約束のように鞄を落とす。
あーあ、安いカバンだから、鍵があいちゃうんだ、これ。
案の定、少ない鞄の中身はバラバラと床に投げ出された。
鞄の中から、小さな遮光瓶も飛び出して大理石の床に落ちて割れてしまう。
今度は手を伸ばす暇もなかったから、怪我がなくて良かった。
「……サリ、ごめん」
叱られた犬の様になったヒースは、屈んで瓶の欠片を拾おうとするから、腕を掴んで止めなければならない。
「ヒース、近寄っては駄目。液体に触れないで」
低く告げると、驚いた顔が険しく曇った。
「何の液体だ?」
少し考えたが、とっさに上手い切り抜け方が浮かばなかった。
「えーと、ど……く……?」
「毒?!」
しまった。
でも、他になんで言えば?
「何でそんなものを持ってるんだ?」
「たしか、農作業の道具と一緒に仕入れたんだったかしら?」
「そう言う意味じゃない」
まいったなー。
「安心して、誰かを害するためじゃないのよ」
「じゃあ何の為だ?」
誤魔化しても聞き入れてはくれそうもない。
「ええと、私が……私が、人生を終えるた、め?」
困り顔で笑って見せると、ヒースは絶句した。
「サリ、お前……」
しぶしぶ私は経緯を話さなければならなくなった。
「当初の計画ではね、異国の鬼悪魔の如き家に嫁ぎ、酷い扱いを受けて、その間に叔母たちを見つけ出して、当てつけに恨み言を言いながら目の前で逝ってやろうと思ってたんだけど。来てみたらバロッキーの人達、いい人ばかりで」
私には珍しく穴だらけの計画だった。
でも、自分に見切りをつけていたのは本当だ。
「だから駄目そうな人と見合わせろって言ってたのか?」
ヒースが頭を抱える。
「一人くらい駄目そうな人がいると思ってたんだけど、見積もりが甘かったわ。でも、一族見渡せば居るものなのね。軌道修正だわ」
ミーゼル家で立派に買われてきた嫁の役を果たしてくるつもりだ。
「お前、本当に死ぬつもりだったのか……?」
「ヒースが割っちゃったから毒では無理だけど。まぁ、どうとでも、ね」
ヒースにこんな泣きそうな顔をさせるはずじゃなかったのに。
「馬鹿じゃないのか?!」
怒鳴られた。
「ごめん、ね」
心配してくれるヒースにときめいてしまって「ごめんね」だわ。
「そうじゃない」
ギリっと歯噛みして、何かを振り払うようにしっかりと私の手を取る。
「来い」
ヒースに引き摺られるようにして応接室まで戻る間に、これからどうするかヒースが練った策を告げられる。
そんなの、いいってば。
ねぇ、やめようよー。
バン、と乱暴に扉を開き大声で契約の中断を申し出る。
「この契約、お待ち頂きたい!」
ヒースは鮮やかに手袋を脱ぎ捨て、それを際立たせるように胸の前に手を置き、慇懃に礼をする。
「そちらの事情も分かりますが、どうかこの件、私にお譲り頂けないでしょうか」
「なんだって?!」
ヒースは他所行きの立ち居振る舞いで、多少芝居がかってはいるが、貴公子の様だ。
「見ての通り、私は竜の血が濃く、それこそ私に触れられる者もいない身。バロッキー家として、直系でなくとも、この濃い血を残すことが家の利益になります。幸いこの哀れな少女は私を恐れません。身内にすら疎まれるこの爪も、ほかの誰が耐えられるでしょうか」
手を差し出されれば握りますよ。
役得、役得。
頬は染めないで、こっちが照れるから。
「なんだって。しかし、そこのサリはうちに来る事を決めたんだぞ」
焦った様にスタンリーがいうが、ヒースは酷薄に笑う。
「あなた方が言うところの、本家の魔物を差し置き、バロッキーに身売りした娘のほうに決定権があるとでも?」
ヒース、魔王みたいでかっこいいですヨ。
私の事は真実なんだから、ビクビクしないで言い切ったらよろしい。
「私はどうやら、他の者よりも耳も鼻も効くようで。先ほどの会話も、あなた方がサリをどう扱うつもりかも、聞くつもりがなくてもきこえてしまいましてね。竜の血が濃いと、厄介ですね」
目を細めつつ鼻を上に向け深く息を吸い込む。
「御子息から、何か良からぬ薬の匂いがするのも気になります」
眉をぎゅっと寄せて、不快そうに頭を振る。
「不快な臭いで、今にも身から毒が出そうです」
いや、でないでしょ。
信じたのか、ミーゼル親子は震えて身を寄せ合う。
「サリをミーゼル家に迎えるか、いつ暴れだすか分からない魔物の私の生贄として下げ渡すか、どちらに利があるかわからないスタンリー殿ではないでしょう?」
すごい、いつものドジっ子とは思えない悪役っぷりだ。
「私に流れる竜の血が、娘に未練を残せば、知らぬうちにあなた方を祟るやも……」
初めて見るタイプの脅し方だと思う。
これが効くんだから、この国は不思議だ。
「ご子息には私から何かしら援助をいたします。お望みとあらばこの竜の血の力を使って」
「しかし……」
「どうかご理解ください。この身の血が……滾るのです」
急にぐっと引き寄せられ、しっかりとした胸板に顔を伏せられる。
ヒースの胸からドクドクと早鐘を打つ心音が聞こえる。
「ご存知でしょう」
言うと一際心音が速くなり、分家の親子の「ひっ……」という悲鳴が聞こえる。
ヒースが私を解放した時には、なにを見たのか分家の息子はガタガタと震えながら三歩も下がっていた。
「そ、そこまで言うならお譲りしましょう。しかし、こちらも瀬戸際の状況。援助の話、ゆめゆめお忘れないように」
分家の親子は忌々しげにドアに足を向け、そそくさと退室した。
ミーゼル親子が消えた途端、ヒースはパッと私から身を離し、一歩下がる。
恥ずかしかったのかずっと両手で顔を隠している。
あそこまでやり切っておいて今更じゃ……。
「では、ヒース、話がまとまったところで、この書類に署名を」
にこにことトムズさんがヒースにペンを渡す。
「え? 今のは、芝居ですよ、トムズさん」
「それにしても、またミーゼル家が何か言ってこないとも限らない。サリを危険に晒したくなければ、形式的なものでいいからここに名前を書いてしまいなさい。サリだって、そろそろ急がなくてはいけないんだから。ほら、早く! サリがまた奴隷のように扱われるのを見るのは嫌だろう」
「わ、わかりました」
急かされるままにヒースがペンを走らせる。
あれ? ちょっとまってヒース、丸め込まれてない?
形式的なって、契約書ってどれも形式的よ。
トムズは満足そうに微笑み、
「サリ、これで君を我が家が貰い受け、残りの借金が返済されたことになったよ。お父上にもお知らせしよう。大層心配されているだろうからね」と告げた。
あ、ヒース契約書、本当に書いちゃった……。
「ヒースを頼むよ」
にこりと微笑むトムズさんは、悪い商人の顔をしている。
「ちょっと、ヒース、今ちゃんと契約内容、読んでた?」
「いや、そんなには。ミーゼル家は駄目だ。もうサリをミーゼル家と接触させたくない」
やり切った反動か、目が据わっている。
「あのね……これ、どう見ても本式の書類よ」
「は?」
久々に見たわ、そのハト顔。
「ヒースは私と結婚するのよね?! そういう契約書よ」
「え?」
同じ顔でトムズさんの方を見る。
私とトムズさんに交互に顔を向ける動作が、より一層ハトっぽいわ。
「そういう契約書だな」
トムズさんは狡猾にひげを撫でる。
「よかった。めでたしめでたし、だね」
様子を見に来たルミレスが茶化す。
ヒースは契約の事などさっぱり理解していない顔で、眉根をよせてこちらを睨む。
「サリ、まだあの小瓶の中身の話が済んでいないからな」
ええと、それより契約書は……。
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