サリ・トーウェン

 二人してベソベソ泣きながら、イヴさんに理由は説明できないので、互いにそっぽを向くしかない。


「はぁ。ミスティが女の子と喧嘩するなんて、ねぇ」


 イヴさんは、困ったと言いながら、少し嬉しそうだ。


「……喧嘩じゃないです」


 喧嘩は対等な立場でするものだ、こんなのミスティが戯れてきただけだ。


「サリが悪いんだろ」


 体当たりするな。


「ハイハイ、悪かったわよ。あんたの思い通りに行かなくて残念だったわね」


 憎まれ口が止まらない。

 イヴさんにも口が悪いのバレてしまっただろう。


「サリ、ミスティがごめんなさいね。喧嘩の仕方も分からない子なのよ。ふふふ、どうやらサリもそうみたいね。そうよね、普通だったらこうやって育つものなのにね。遅れてきた反抗期みたいで、母さんちょっとうれしいわ」


 私だってこんな取っ組み合いした事がない。


「母さんは入ってこないでよ、俺とサリの問題なんだから」


 生意気な!


「イヴさんに向かってそんな口きくんじゃないわよ」


 ペチリと頭を叩いてやると、

「うるさい」

 肘で応戦してくる。


「ずいぶん仲良しになったのね」


 腰に手を当てて片眉を上げ仁王立ちしたイヴさんは、人差し指を立てて私たちを嗜める。


「でも、この部屋は自分たちで片付けなさいね。私は手伝わないから」


 水浸しだし、ぶつかった拍子にお菓子も落ちてしまっていた。

 も、もったいない。

 私もミスティも、しまったと顔を見合わせた。


「わかった……」

「ごめんなさい」


 素直に謝ると、イヴさんは満足そうに二人の頭を撫でてくれる。

 ミスティと同じ明るい水色の瞳が優しく細められる。

 小さな子どもになったようで、くすぐったい。


「サリもだいぶうちの子になってきたわね。ミスティはお姉さんができて良かったじゃない?」

「そこは、俺がお兄さんじゃないわけ?」

「あなたたち、まだやるの?」


 そろそろイヴさんの目が笑っていなくなったので、私たちは停戦して、部屋を片付ける事にした。

 花瓶の水を頭からかけてしまったし、拭いてやらないでもない。


「サリ、まだ痛い?」


 頭を拭いてやると、バツが悪そうにミスティがきく。

 髪の毛が柔らかくて猫みたい。


「ぜんぜん。だって、ミスティ弱いもの」


 イヴさんに言われたからというのもあるが、私の子供時代を思い返していた。

 思い返す作業自体、ここに来るまで締め出していて、母を思い出すのも途中でやめているくらいだった。

 言い負かして相手を泣かせる事はあったけど、こんな無意味な喧嘩、したことなかったな。

 バカバカ言い合ってもみくちゃになるなんて……私、どうしたのかしら?


「女相手に本気でやるかよ」


 口をとがらしているのが分かる声だ。

 妹たちの髪を乾かしてやっていたのを思い出して、うっかり頭をなでてしまう。


「手加減出来るほど強くもないでしょ」

「いいんだよ、俺は筆だけもてれば」


 そこは筆だけでいいのか?


「ふふっ、キャンバスも持てた方が良いんじゃない?」

「そうだけどさ」


 二人でクスクスと笑い合う。


「サリ、あのさ、」

「なに?」


 言い淀み、決心したように話し始める。


「……俺は、今のヒースだから、あの絵を描く気になったんだ」


 ぼそぼそと聞き取りづらいが、偽らざる気持ちを言葉にしようとするのがわかる。


「なによ、あの絵やっぱりヒースなんじゃない」

「サリだって、あれがすぐヒースだってわかったくせに」


 だって、ヒースと同じくらい綺麗な竜だった。


「あの竜が禍々しく見えるとしたら、どこかおかしいわ」

「そうなんだ、ヒースはサリが来てから楽しそうなんだ」


 そう言ってミスティは屈託ない笑みを浮かべる。


「去年だったかな、女の子がきてさ……」

「分家の子だっけ?」

「どこから来た奴だってかまわないけどさ。ヒースは何にも悪くないのに、あんなことがあって。ヒースは仕事以外で竜の血を使わなくなったんだ」

「竜の血の力って、そんなに便利に出し入れ出来るものなの?」

「俺にはわからない。でも前は、よくヒースに動物がついてきたりしたのにさ」

「仕事以外の使い道が、動物がついてくるって、なんだか可愛らしい使い道ね」


 最近ハウザーに借りて読んだ、笛吹きに動物達が踊りながらついてくる本の挿絵がよぎる。


「なんか、気配が変わったっていうか、竜の血の力を押し殺してるみたいだった」


 まぁ、あの手袋を見ればなにかしら抵抗しているのは分かる。


「でも、サリが来てから全然違うんだ。ヒースだけじゃない。ハウザーもルミレスも、なんかそのへんが緩んでるみたい」


 ハウザーとルミレスに関しては単に伴侶といちゃついて浮かれているのよ、間違い無く。


「私にはよくわからないけど」


 ミスティが窓に近づき、白木の窓枠を押し上げる。


「ほら、そっから見てみてよ」


 外を見ると、鹿が草を食んでいる。


「ええ?!し、鹿?」


 バロッキー家の屋敷は広いが、鹿が居るような深さの森では無かったと思う。


「しばらく見なかったよ、あんな大物」


 なんだか、おとぎ話みたい……。


「ええと……なに?分家の子に傷つけられてから、異常が続いてたけど、普通の状態に戻ったってことじゃない?」

「違うよ、前とは違うんだ」

「私のせいにしないでよ」

「俺たちさー、強い竜の血に引きずられるみたいでさ。ヒースの張りつめた感じが緩んだとたん、俺も見たいものがより深く見えるようになってさ」


 ミスティは白魚の様な手を日光にかざして、その血潮を透視するように目を眇める。


「今までより世界が鮮やかに深くまで見えるんだ。それを絵に描かずにはいられない。今までは誰かの望む絵を描いてきた。仕事だからいくらでも描けるけど、どれも俺の絵じゃ無かった」


 ミスティにはミスティなりの葛藤があったのだろう。


「今は、こんなに描くことが楽しい」


 キラキラと笑うミスティは、文句なしに可愛い。

 確かに、こんな弟いたら楽しいに違いない。わしゃわしゃと撫でたい。


「だからさ、サリは、ヒースの側にいてくれない? これはヒースの為でもあるし、俺のためでもあるんだけど」


 ヒースはもう大丈夫なんじゃないかな、とは思うけど。


「それとも、サリはバロッキーに居たくない?」


 私は言葉を失った。

 考える間もなく、ここに居たいと思ってしまっていたから。

 命さえ要らないと思っていたのに。

 こんな優しい人達と家族になりたいだなんて、私って強欲だな。



 黙り込んだ沈黙を破る様にドアが開き、ヒースが入ってくる。

 後ろにはイヴさんが控えている。


「ミスティ、サリを困らせるな。サリは……分家に行くかも知れないんだから」

「え? なに言ってるの?」


 ミスティがヒースとイヴさんを交互に見る。


「さっきミーゼル家から連絡があってね……。ミーゼル家の中で本家との繋がりが公になって、婚約が解消になったんですって。それで代わりに是非サリが欲しいって……」


 イヴさんが心配そうに眉を寄せる。


「ミーゼル家の主な目的は損失の補填の無心だとは思うが。……サリには分家に嫁ぐきっかけになるかもしれない」


 いつもはよく表情がかわるのに、こんな時に限ってヒースは表情を動かさずに告げた。


「なにそれ、サリはうちの誰かと結婚するんじゃないの?」

「そう知らせたようだが、なにやら言い分があるようで、サリを直接説得したいらしいんだ」

「そんな……」

「……サリ、そういう訳でこれからサリに来客があるの。嫌だったら断ってもいいのよ。少し時間をあげるから部屋で落ち着いてからいらっしゃい」


 気遣うようにイヴさんが言う。


「ちょっと待ってよ、なにそれ。サリを他所にやらないよね?」

「まだわからない」

「だって、ヒースはいいの?」

「……本家で生きるのは大変な事だから、そう簡単にサリに残れとは誰も言えないだろ」


 憤るミスティに淡々と告げるヒースは、こちらを見ようとはしない。


「やだよ! 分家にやるくらいなら、俺がもらう!」


 ギュッと私の袖を掴む。


「ミスティ、サリは物じゃない」


 モノだとしてもミスティのじゃないわよ。


「どうして? 俺だって候補なんだから、先に決まっちゃえば口出しできないでしょ?」

「ミーゼル家の一人息子だ。年齢と役職からすると、ミスティよりも優先度が高い」

「うそだ……」


 ぎゅっと私の腕にしがみついて顔を伏せる。


「サリ、本当にこちらの都合ばかりでごめんなさいね。会うだけ会ってもらえるかしら」

「……はい」


 私にはそもそも決定権はないのに、ここの人たちは私が来てからずっと私を自由にしてくれている。


「ヒース、後で迎えにいってあげて」


 ……しかし、ついに望み通りの展開がやってきたようだ。

 あの感じだと本家と揉めている分家なのだろう。

 ミスティは思った以上に私に懐いていたようで、引き剥がすのに苦労したが、イヴさんに引き渡してきた。

 な、泣かれるとは思わなかった……。

 私のせいじゃないけど、良心が咎める。

 ミスティは可愛くてずるい。



「ちょっとサリ」


 部屋に向かう途中で部屋に引き込まれる。

 そこにはアルノとルミレスがいた。

 二人とも仕事はどうした?


「アルノ、どうだった?」

「ミーゼル家の跡取り、ケイン。実際は婚約者に暴力を振るって、婚約破棄されたようだな。しかも今回が初めてではない。婚約者の商家から資金援助があるはずだったが、婚約破棄の対価で打ち切られた。サリの事もあるが、やはり本家からの援助を無心しにきたんだろう」


 忙しいはずなのに、色々調べてきたのだろう。

 少し息が弾んでいる。


「バロッキーのことが漏れるなんてなかなかないだろ? もしそうだったらもっと騒ぎになってるだろうし。ついに後がなくなったってことかな」


 きっとルミレスもそう。私を心配して帰ってきたのだ。


「財政難に陥るような何かをしているとしか思えんな」

「わかったね?サリ、絶対にミーゼル家に行くなんて言っちゃダメだ」

「ハウザーも情報を集めているから、早まった事はするなよ」

「どうしようもなければ、リベル家から横槍を入れる。契約書だけは手をつけるなよ」


 みんな、優しいなぁ。


 二人が真剣に止めようとしてくれているのが分かって、うれしくてニヤニヤしそう。

 裏切るようで心苦しい。

 でも、何となくどうすれば良いのかは私の中では決まっている。

 きっとこれが一番契約に見合う道なのだ。


「サリ、何とか言って」

「ありがとう、アルノ、ルミレス」

 



 ヒースに連れられて入った応接室には、トムズさんと、緊張した様子の客人が二人座っている。

 やはり竜の血族に由来するのか、容姿の整った紳士と、青白い皮膚の暗い眼をした男だ。

 会話の途中だったようで、黙って様子を見ることにした。


「……こちらは本家のせいで、酷い目にあってるんだ。先方から訳の分からないいいがかりをつけられて、一方的に婚約破棄された。これではうちはお終いだ。こんな事になるなんて……バロッキーとの繋がりが漏れたに違いない」


 訳の分からない言いがかりじゃありませんよー、ルミレスとアルノが女の子殴ったっていってましたー。

 心の中で言いつけてみるが、トムズさんは優しい顔で対応している。


「なるほど」

「うちの息子は妙な噂を立てられて次の婚約が決まらないでいる。聞くところによると、バロッキーに嫁いでもいいという娘さんが滞在しているというじゃないか。それを是非うちに回して欲しい」

「しかし、サリには本家で夫を選んで欲しいとお願いしてあるし。今、うちの者達と会ってもらっている最中なのでね」

「書類に本家か分家かの記載はあるのかね?」


 口元を歪めて笑う姿は、絵に描いたような悪役だ。


「それはないが、遠路遥々シュロから来て、今からさらに知らない所に行くのは心細いだろう」


 いつもと変わらない柔和な口調でトムズさんは応戦している。


「バロッキー絡みで分家が受ける非難は本家がどうにかするのが筋だろう。それじゃこうしよう。うちの息子にもチャンスが欲しい。うちの子と話してみて、その子が良いと言えば、うちが貰おうじゃないか。その子だって、本家より分家のほうが苦労がないだろう」


 いやー、そんな事ないと思う。


「一理ありますな」


 ない。無いって。


「そうだろう」


 絶対に本家の方がまともに決まってる。


「サリ、すまないが、そういう訳で少し時間をもらっても構わないかい?」


 気遣うように尋ねるトムズさんを、安心させるように頷く。


「はい、トムズさん」


 大丈夫、ここから先が私の使い所だ。


「私たちは出ていよう。ヒース、何か用事がある時は声をかけていただけるようにドアの外に控えていなさい」

「はい」

「それでは、ごゆっくり」


 扉が閉まる音を背中で聞いて、私は出来るだけ鮮やかに笑みを作り膝を折る。


「初めまして。サリ・トーウェンと申します」

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