ミスティ・バロッキー

 ミスティに会うのはもはや惰性みたいなものだった。

 この家に、私を虐め殺すような性質の男はいない。

 そう確信してしまっていた。

 ミスティの部屋のドアを開けるまでは。


「サリ、きてくれたんだね!!」


 フワフワ頭の赤毛と水色の目。湖面の水のような目に、ほんの少しだけ朱が散っている。

 私とたいして変わらぬ背丈の、美少年と言うよりは、美少女?

 なんとなく倒錯的な雰囲気をまとったミスティは私の手をとると、ブンブンと上下に振った。


(うわぁ、なんか凄いの来た。こんな感じだったっけ? そういえば、あまり姿を見かけなかったような……)


 部屋着なのか何なのか、ふんだんにレースの使われたビラッとした服を着ている。

 ミスティの明るい赤毛を含めて、パステルカラーで纏められた仕上がりは、流石バロッキー、絶妙な具合で優美という枠を超えてはいない。


 ただ、精神には効く。


「楽しみにしていたんだー! 同い年の子と話すの初めてだから。みてみて! おそろいの髪留め用意したんだ! 一個あげるよ!」


 うっ、これは、新しい感じの辛さ……。


「ミスティさんは、その……」

「ミスティ! ミスティだよ! 同い年なんだからさ。サリにだったらミッシーって呼んでもらってもいいんだよ!」


 誰も呼んでないあだなを強要されそうなんですけど。


「ええと、ミスティ、単刀直入に訊くけど。私と結婚する気がある?」


 長い睫毛がぱたぱたと音を立てそうなほどに瞬く。


「何いってるの? 先ずはお友達からでしょ?」


 何いってるの? 私けっこう急いでるんだけど!

 父が追いかけてくるまでに契約書だけは作らないと。


「それって……」

「さぁ、座って座って! お喋りしようよ!」


 疲れる、すごーく疲れる感じだ、ミスティ。

 イヴさんの息子だと思って油断していた。


 色とりどりのお菓子が並べられた猫足のテーブルに、ふかふかのソファ。

 押し込められるように座らされ、繊細なティーカップを持たされ、お茶を注がれる。


「ええと、ミスティは何の仕事をしているの?」


 お喋り、お喋りね。

 付き合いましょう。


「俺の仕事はね、あ、そうだ! こっちに来て、見せてあげる!」


 あぁ、お茶、せっかくのお茶を一口も飲んで無いのに……。

 ぐいぐいと、ミスティの部屋の続きの間に連れられ、扉を開けると、濃密な乾性油の匂いがする。


「今カーテンを開けるよ!」


 明るい光が入り開けた視界に様々な色が飛び込んで来る。

 無数のキャンバスが所狭しと置かれている。

 窓際には、まだ描きかけの絵がイーゼルに置かれて完成を待っている。

 肖像画、風景画、静物画、抽象画、ポスターや何かのデザイン画まである。


「こんなに沢山……ミスティの仕事って絵画の流通かなにか? 修復、という感じではないわね」

「ふふん、すごい? これぜーんぶ俺が描いてるんだよ」


 腕を組んで得意げに笑う。

 なるほど、よく見るときっちりと切りそろえた爪にも、レースを割って覗く肘から先にも、落とし切れない絵具がまだ残っている。


「これを、全部?」

「そうだよ」

「……ミスティ、すごいのね」


 素直に称賛するしかなかった。

 一人の画家が描いたものは画風を変えてもいくらかは”らしさ”が出てしまうものだと思っていた。

 見たところ模写でもないのに完全に画風が違う物をこれだけの量作成できるなんて。

 紛れもなく天才の域だ。


「お客様の好きな絵を好きな作風で、ってね!」

「きっとお客は、何人も画家を雇っていると思うでしょうね」

「バロッキーが描いた物を高い金を出して買って、ありがたーく飾っているのを考えると、割と楽しいよ!」


 ウフフと口を窄めて笑う姿は蝶のようだ。

 毒がありそうなやつ。


「割と意地が悪いのね」

「全然そんな事ないし!」


 キラキラした女装男子よりは、口が悪い高飛車の方がまだましかな、とは思う。


「そうだ! サリに見せたい物があるんだ。こっちに来て」


 ミスティは部屋の一角の暗幕の方へ私を誘導する。


「岩絵具で日光に当てると変色しちゃうのがあって、暗幕をつかうんだけど、今はこっそりと描きたい物があってね」


 私を暗幕の中に引っ張り込む手付きは、完全に悪人のそれだった。


 明るさに目が慣れてしまっていたので、暗幕に引き込まれて、何も見えなくなる。

 徐々に暗闇に目が慣れると、ぼうっと目の前に巨大な竜が浮かび上がってきた。

 暗い銀の鱗に重い金属を思わせる黒い爪、それと血よりも赤い眼。

 岩絵具は値の張るものが多いと聞くが、これは上質の度合いが桁違いなのではないだろうか。

 細かい粒子が少しの光にもキラキラと反射している。


 宝石使っちゃってない?

 うわぁ、値段考えたくないや。


「サリ、この国では竜を絵に描くのも嫌がられるんだぜ」


 暗幕の中で、独白するような口調で話すミスティは、ちっとも先程の女子らしさが見当たらない。

 声だけ聞くと、別人のようだ。


「これが、ミスティの本当に描きたい絵なのね」


 見た目に騙されていたようだ。

 砂糖菓子のような外見とは裏腹に、ミスティは恐ろしいほどの野心家だ。


「俺は、この絵を世に出したい。だから外との繋がりがほしい。バロッキーだけじゃダメだ。国から出られる力が欲しい」


 腕を組み、顎をつんとそらして自らの描いた竜を睨みつける。


「バロッキーは本当にカヤロナからは出られないの?」

「一族を人質にされているようなもんだからな。だけど、死んだ事にすれば出られる。まだやった奴はいないけど」


 困った人だ。


 この人も一人きりで大それたことをやらかしてしまうつもりなんだろう。


「一人で無謀な事はやめれば? 国境を越えるつもりなら、うちを頼ればいいわ。私が手紙を書くから」


 と、そこまで言ってうまい商談を思いついた。


「そのかわり、私も出来れば一つお願いがあるの。私、叔母たちを探しているの。ここに嫁ぐはずだった叔母よ。借金を私たちに残してどこに消えたのか知りたいの」


 合点がいったのか、ミスティがニヤリと笑う。


「そんなの簡単だよ。父さんに嫁ぐはずだったひとだろ? きっとどこかに追跡した書類があるはずだ。いい取引になりそうだね」


 ずっと引っかかっていた事だったのだ。

 長い長いため息を吐く。

 これで憂いの一つは解決しそうだ。

 叔母の居場所さえわかれば、私はいつでも行動を起こせる。


「その叔母さん、うちに来なくて正解だった。来たらさ、今こうやってサリと話す俺はいなかっただろうしさ」

「変な縁ね。悪巧みついでに、ミスティがお嫁にもらってくれるの?」

「まさか」

「なんでよ? 利害は一致してるわよ」


 ミスティが死んだことになるなら、私が一緒に消えても不自然じゃない。


「悪いけど、サリって……全然俺のタイプじゃないんだよね。無理のレベル」


 頭から足まで視線を走らせて、いう事じゃないわよ。


「あっそう。でも、私もミスティって全然好きじゃないタイプ。そんな鶏ガラじゃ、棒にも箸にもひっかからないわ。あら、煮出せば出汁がとれそうね」


 合わない。

 合わないわ、私たち。


「無理だな」

「無理ね」

「共犯者枠でならどう?」

「……やっぱり無理」

「ならもう頼まないわよ」


 それにしても、何となく既視感のある竜だ。

 どことなく愛嬌があるような……。


「……ねえ、ミスティ、この竜は、ヒース?」


 思わずきいてみて、振り返るとミスティが下卑た笑いを浮かべていた。


「へえ? サリは、これがヒースにみえるんだ? ふーん。へー」

「い、色的に近かったから浮かんだだけよ。別にそんなんじゃないわ」

「そんなん? そんなんてどんなの? 俺ぇ、わからないから聞きたいなぁ!」


 取ってつけたように、ミスティがパチンと手を打ち鳴らす。


「お茶! そうだ、サリ、お茶の続きをしよう! せっかく来てもらったんだし、親睦を深めあおう!」


 なんか嫌だ。

 苦手で避けまくっていた、女子感が、ミスティから染み出してきている。


「無理ってことになったし、私部屋に帰るわ」

「いやいや、無理じゃないかも? 俺と楽しいお喋りをしようよねー、サリ!」


 私はずりずりと先程のソファに沈められた。

 そこからは和やかなお茶会になるはずだった。


 だったのに、何故こうなった?

 

 ミスティのお喋りという名の追求は、微に入り細に入り、私の気持ちを逆撫でした。

 ヒースを薦めるのはかまわない、でもなぜ私の気持ちを詳らかにする必要があるのか。

 ついに語調は喧嘩のそれにかわった。


「余計なお世話よ、この二重人格! とっととそのぶりっこがみんなにバレて毒蛾扱いされると良いわ!」

「はっ、俺は可愛いから何しても許されるんだよ! サリなんか、ちっとも可愛くないのに性格までひん曲がって前途多難だね。素直になれば良いじゃんか! この石頭!」

「自分で言ってれば世話ないわね。可愛くなくて結構よ。勝手に私の事わかった風に言わないでくれる? まぁ、ミスティの可愛い脳味噌じゃ理解できないかもしれないけどね」


 ミスティはかっとして、私の肩を小突いた。

 筆しか持ったことない奴の力なんかちっとも効くはずがない。

 私だって負けていない。

 一輪挿しから丁寧に花だけ助け出して、中の水をミスティのフワフワの頭にぶち撒けた。


「くっそ女……」

「あらまぁ、可愛くない言葉遣いね。だいぶメッキが剥げてきたじゃない? 何? 水で取れちゃうなんて、メッキでもないの? ケチってペンキで塗ってあったんじゃない?」


 ミスティが掴みかかってきて、私の髪を引っ張る。


「痛ったいわね。あんたね、無駄なことキャピキャピキャピキャピうるさいのよ!」

「好きなら好きで、とっととくっつけばいいだろ! ヒースがかわいそうだろっ!」

「くどいのよ。好きとか嫌いとか関係ないっていってるんでしょ。私にだって、色々あるのよ! それに、私だって商人としての矜持があるのよ」

「糞食らえだよ、そんな矜持。かわりに障子でも貼っとけ馬鹿!」


 そっちがその気ならと、ミスティのフワフワ頭を毟ろうとする。


「ヒースのことは好きよ、だけどそれとこれとは関係ないじゃない」

「なんだよ、ソレとコレしか関係するものないだろ。応援してやってるのに、素直にヒースと結婚すればいいんだよ」

「勝手に私の気持ちにケチをつけないで」


 地味に頭皮がイタイ。


「小難しく考えてるから、簡単にしてやろうって言ってんだろ」

「私の優先順位は、借金返済と叔母への復讐よ。そんな事のためにヒースを巻き込めない」

「俺はヒースが大事だし、ヒースには幸せになってほしいんだよ。なんで邪魔すんだよ」


 私は知っている、おでこのここのところが、ちょっとの力でも叩かれると痛いことを!


 泣け! ミスティ泣けっ!!


「無理なものは無理なの。私はヒースにだけは私のつまらない人生を担がせたくないの。もう決めてきたんだから蒸し返さないで!」


 とどめとばかりおでこを指ではじく。


「馬鹿じゃないのか? バカ! バカ!」


 語彙力が尽きたのか、バカと繰り返しながらミスティが泣き出した。


「ふっ、勝ったわね」


 口で勝てないと分かったのか私の頬を抓りあげる。


「痛っ、痛いわよっ! はなひてってば!!」


 私の目にも涙が湧くが、これは痛いからで、断じてそういう涙じゃないから。


「ミスティのバカ。もう嫌い……」


 なんだか訳の分からない状態で絡まりあったまま二人で泣いてしまったわけだ。



「……あなたたち……一体どうしたの?」


 そんな所にイヴさんが入ってきたから大変だ。

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