竜の目

 とりあえず、私のことが決まらないうちには答えが出ないという事になって、一度帰ることになった。

 ルミレスはハウザーの結婚のことで皆忙しいのに、私を双子に会わせるために程々に仕事を放り出してきたようだ。

 馬車を呼ぶ手配をする間、待合室のような所に通された。


「ねえ、サリはヒースと結婚したらいいんじゃないの?」


 ルミレスは、私が控えめながらも、人生の店仕舞いを企んでいるとは思いもしないのだ。

 だから、リリィとリリアの子を託そうなんて出来るのよね。


「もうその話はトムズさんと済んでるわ」

「じゃぁさ、僕と結婚する? コブ付きになっちゃうけど」


 あまりの事に私は半眼で固まる。


「……ルミレスは、被虐趣味があるの?」

「え? 無いよ。なんで?」

「だって、ルミレスはあの二人に恋をしているんでしょう?」


 困ったような顔をするが、私にはもうルミレスのその顔に「憂い」とか美的な表現は出来なくなっていた。

 単に痩せ我慢してカッコつけている様にしか見えない。

 私はもうこのモヤッとしたやり取りから手を引きたい。


「恋? もちろん美しいものを愛でると言う意味では大切にしているけど、恋とは違うかなぁ」


 とかなんとか宣うのだが、日和るのはもうやめにしたらどうかと思う。


「じゃあ、恋でないのなら愛? 竜の血に逆らって手放すほどの気持ちを愛と呼ぶのではないの?」

「竜の血に逆らう? なんのこと?」

「え? 気がついてないの? そういうの、バロッキーではなんて言うの? つがい? 竜の血は伴侶を選んでしまったらその人から離れがたくなるんだって聞いたわよ。そうなったらその執着は一生続くんでしょ?」

「つ、番……?」


 本当に気がついていなかったのだろうか?

 まぁ、都合よくその時に鏡でも無ければ見逃してしまうものなのだろうか?

 分かっていなかったのなら色々と辻褄が合うが……それにしても何とも陳腐なやり取りだ。

 あれだろうか、恋をすると知能が下がるというやつだろうか。


「だって、ルミレス、二人のこと話す時、目が赤く光るんだけど……」


 なんか、そういうのって、指摘するのも指摘されるのも俯瞰で観ると、すごく、すごく、白々しい……。


「ぅえ、ええぇっ?!」


 ルミレスは、まぎれもなく驚愕で変な声を上げる。

 大変な体質なのだな、バロッキーって。

 分かりやすくていいけど。


「気のせいかと思ってたけど、バロッキーの人たちはみんなそうなの?」


 何だっけ、この感覚。


「え? え? えーー!!」

「ハウザーもそうだったから」

「……っ!!」


 顔を赤面させて困惑しているが、何だかすごくうれしそうだ。


「ハウザーは一瞬だったから見間違いかと思っていたけど、ルミレスのは見間違いようが無いわね」

「ウソだろ? そんなっ!」


 あー、あれだ、あれだ。

 どう見ても付き合っている二人に「恋人みたいね」って言って盛り上げてるのを聞いた時のあの感じ。

 自分があの道化をやるとは思わなかった。


「双子達といる時もよ」

「そんな……それじゃ……」

「筒抜けでしょうね。ルミレスがどんなに素っ気ない気取った言い方をしたって、その目じゃ……ねぇ」


 少し芝居がかったしぐさで首を振る。

 もう開き直って、道化を務めることにした。

 ルミレスは顔を真っ赤にして頭を抱えている。


 恥ずかしかろう。

 長年心に秘めてきたと思っていた事が、全部筒抜けだったのだから。


「そして、二人もルミレスの事を深く愛している。子供を産み捧げるくらいに。違う?」


 ルミレスの瞳がひときわ紅くなる。


「……サリ!! 僕、ちゃんとあの子達に竜の血が反応してた」


 カタカタと喜びに震えるルミレス。

 ルミレスにとって喜ばしい事だったようで何よりだ。


「そ、そうかーやっぱり竜の血が応えてたんだな……。ど、どうしよう、今更、け、結婚とか……無理。バロッキーじゃ嫌だって……でも、僕が無理。無理無理ムリムリ……うわぁ」


 ブツブツと何か唱え始めてバリバリと頭を掻き毟っている。

 なんだか様子がおかしい。


「とりあえず、予定通り、子供を産んでもらう方向でいいんじゃない? 色々順番は守るべきだと思うし、今みたいに女好きの振りをしたり、蝶の真似事をするのはやめた方がいいと思うけど」

「……はい」


 今度は派手に落ち込んだようだ。


「あと、二人を差し置いて妻を娶るなんて、冗談でも言わない方がいいわ」

「……ハイ」


 本当に竜の血がそれと決めた人と離れることが出来ないのだとすれば、ルミレスはその後どう生きていくつもりだったのだろう。

 そんな大切なことに気が付かないなんてことあるのね。

 竜の血って、ぽわっとした仕様なの?


「……で、さっきの質問。自傷癖でもあるんですか?」

「……ごめんなさい。ないです。どうにかしてちゃんと二人を口説いてきます」

「それなら結構」


 私に今後訳の分からない立ち位置を寄越してこないならそれでいい。


「どうしよう。そうと意識したらもうダメだ。サリ、ごめん。ヒースを呼ぶから連れて帰ってもらって」


 今度は、うろうろと歩き始める。

 女遊びの激しい男が時々一人に入れあげるとこうなると、取引先の老紳士が言っていたのを思い出す。

 ルミレスは対象が二人だけど。


「僕、ちょっと色々考えないと。たぶん今日は帰らないから」


 ルミレスは再び頭を抱えてうずくまった。


 何人も愛人がいて、顧みられる事もなく虐げられた妻、とかだったら夫候補として可能性があったかもしれないが。

 初恋両思いなのに、気がつかなくてモダモダ、体だけの関係になっちゃうの僕たち?でも今本当の愛に気がついた!

 ……みたいなルミレスが、鬼畜な夫に豹変するとは考えにくい。

 私の計画の為には、ほっとしちゃいけないのに、双子の未来が明るくなる気配に自然と頬が緩む。



 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎


 娼館にサリを迎えに来るようにと伝令がきて、慌ててやって来た。

 サリを娼館に連れてくるなんて、ルミレスはいったいどういう了見なのだろう。


 心がざわつく。

 竜の血に従順なほうが竜の血の力を発揮しやすい。

 ルミレスはまさにそれだった。

 美に関する観察眼も審美眼も群を抜いていた。

 美しいものを見つけたら、迅速に手にいれる行動力もある。

 ルミレスの竜の血が、サリを番と認めたら、一歩も引かないだろう。

 囲い込んで溺愛して誰にも触らせない。


 待合室に案内されると、うずくまるルミレスと、穏やかに背を伸ばし座るサリがいた。

 うなだれて顔を覆っていた手の隙間から、ルミレスの赤く燃えた竜の目が覗き、はっとする。


 あれは番に反応した時の目だろうか?


 ついにルミレスがサリに魅了されたのだ。

 真っ黒な絶望と、浅ましい喜びとが湧く。

 これでサリは少なくともバロッキーから逃れられなくなった。ルミレスが夫なら、本家にいればずっと近くに居られる。


「ルミレス」


 竜の血の慟哭を受け流しながら、ルミレスに声をかける。


「ヒース、どうしよう!」


 ルミレスが顔をあげると、歓喜で赤く輝く目を確認できた。


「僕、番が!」


 サリを連れ去って、手の届かない近い場所に置くのはルミレスだった。


「そうか。これで女遊びも落ち着きそうだな」


 俺はサリの方を見ることなく、真っ黒な気持ちで兄弟の幸せを受け入れた。


「そんなわけで僕、これからちょっと野暮用で、サリの相手出来ないから、家まで送っていって」


 は?


「ごめんね、サリ、そういうことで」

「わかったわ。リリアとリリィによろしくね」

「それじゃ」


 颯爽と立ち上がり、娼館の奥に小走りで消えていく。


「それじゃって? サリは? サリじゃないのか?」


 残された俺は、サリと話せるような状態でもないのに、サリに確認する。


「え? 何が?」


 怪訝そうに眉を寄せる。


「ルミレスはサリを伴侶に選んだんじゃないのか?」

「違うわよ」


 ち、違うのか……紛らわしい。


 一気に気が緩み、よろよろとルミレスが蹲っていた肘掛け椅子に沈み込む。


「ヒース、顔色悪いわよ。貧血?どこか悪いの?」


 サリが立ち上がり、こちらに近づいて来る気配がする。

 気配も香りも甘やかで、愛しくて苦しい。

 俺を心配して、俺の名前を呼んでる。

 心臓が口から飛び出しそうなほど苦しい。


「やだ、傷が開いてるじゃない。手、力入りすぎてる」


 手に巻いた包帯から血が滲んでいる。

 知らぬ間に強く握りしめていたようだ。


「手を開いて、ほら、はやく。ここに力入れていたら血は止まらないのよ」


 サリが包帯に手を伸ばす。


「大丈夫だ。なんでもないんだ」


 触れられてはたまらないと、急いで立ち上がるが、手首を掴まれもとの椅子に戻される。


「とりあえず座って。急に立つと貧血起こすわよ。

 どうしたの?また何処かで誰かに何か言われたの?」


 掴まれているのは手首なのに、心臓を掴まれているような甘い苦しみに、背中の鱗がざわめいたのがわかった。

 瞳を覗き込まれて思わず目を閉じる。

 万が一でも竜に抗えなくなって目が光りでもすれば、サリの足枷になるだろうから。


「目眩がするの?」


 サリの気配は目を閉じていてもわかる。

 熱を確かめるように額に触れてくる!

 心臓がドクリと波打つ。

 もう片方の手もやって来て両手で頬を包まれる。


 うわあぁぁぁぁぁっ!!!


 歓喜の悲鳴を噛み殺し、何でもないと首を振るが、こんなの何度も耐えられる気がしない。

 いっそ俺を殺して欲しいとすら思う。


「サリ……」


 どうにか荒れ狂う血を押さえつけて、薄目を開けてサリを見上げる。


「なに? どこか痛い?」


 気遣わしげに頬を撫でられて、今から言うことを取り下げたい。


「お、俺に触らないでくれ……」

「ええ?!」


 困惑したのか、パッと手を離されて、言った側から後悔した。

 嘘だ、やっぱり触っていて欲しい。


「ち、違う。その、触られるの、な、慣れてなくて……困る」


 嫌悪しているのではないのだと、しどろもどろに伝える。

 格好悪い。史上最悪に格好悪い。


「む、無理よ。だってここで誰に止血してもらうつもり? ルミレスは絶対取り込み中だし。他にいないでしょ?」


 いない。いてもサリ以外に触れられたくない。


「そんなに嫌なの?」

「全然嫌じゃない」

「えー? じゃぁ、少し我慢して」


 心拍数に順って血ぬれてきた手を取られる。


「無理だ。死ぬ」


 心臓が破裂して死ぬ。

 サリの匂いで死ぬ。

 サリが恋しくて死ぬ。


「血が止まらない方が死ぬわよ!」


 俺を宥めながら、片手で髪を解いて、結えていた紐で手首を圧迫する。

 ふわりと緩んだ髪が綺麗で、綺麗で、


「うわぁぁぁぁぁっ!」


 ついに俺は無様に悲鳴をあげた。


「うるさい!!」

「サリ、待て、サリっ」

「これくらい、何でもないんだから慣れなさいよ」

「いや、だから、」

「ヒースがいつか運命の人に出会った時にこのままだったら、困るわよっ。一生バロッキーの人としか触れ合わないで生きるつもりなの?」


 困ってる。今、心底困ってる。


「ヒースも幸せにならなくちゃダメよ」


 娼館のウェイターが持ってきた救急箱で俺の手当てをしているサリが、手を止めずにそう囁く。


「サリ?」


 少しバツの悪そうな表情で俺に視線をくれる。


「私、いつまでも本家にはいられないでしょ」


 そうだ、ハウザーもアルノも、ルミレスまでもがサリの夫候補から外れた。


「本家の人達って、いい人過ぎて契約に見合わないわ」

「ま、まだミスティが……」


 いや、ミスティはないか。

 サリと並んだら姉妹くらいにしか見えないかもしれない。


「イヴさんの子に限ってダメな子なわけないじゃない!」

「いや、もしかしたらミスティなら可能性があるかも知れないだろ」

「だといいけど、それでも期待薄だわ。それに、私が本家にはいちゃいけない様な気持ちになっているのよね」


 やはりバロッキーの本家に嫁ぐのは荷が重いのだろうか。だが、サリが居なくなると思うと、辛い。


「皆、優しいし、好きだから。あまり長くいると居心地が良過ぎて、出ていく時に辛くなりそう」


 珍しく不安そうな顔をするので、心のタガが外れそうになる。

 その華奢な体をこの腕の中に抱き込んで、何者からも傷つけさせたくないのに。


 去られて辛いのは俺のほうだ。

 この温もりを、いや温もりは求めなくてもいい、視界にはいるだけでも、何なら気配だけでもいい。

 近くにいるなら何でも。


「だから、ヒースはこれから頑張って幸せになるのよ。私のイチ押しはヒースなんだから」


 嫌いじゃないとサリは最初から俺に言う。

 俺にとっての幸せが、サリが居る事だといったら、サリはどうするだろう。

 バロッキーの中の一番の不良物件である俺が言い出せるはずもない。サリの幸福の芽を全て刈り取ってしまうだろう存在である俺が。

 分家に嫁げばバロッキーとして迫害を受けることもない。


「サリがそう言うなら」


 俺は竜の血をねじ曲げてでもサリを本家の外に出そう。

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