10.アロイスとナナ……更なる旅路<岩魚酒>
【 2084年6月15日 】
アロイス・ミュールという男が居た。
冒険時代の世において、最強の冒険家と謡われる生きる伝説である。
一度は前線を退いた彼だったが、ある事件を機に"冒険者"として復帰する。
その弟子となった若き青年冒険者ブランと共に、その名は再び世界を駆け巡った。
……しかし。
アロイスは30歳を越えたのちに、ある決断をした。
『完全なる冒険者の引退』である。
自らのケジメをつけるべく、彼が取った行動。
それこそ愛する者に"一生を捧ぐ"挙式という誓いであった。
……そして、アロイスが引退して2年が経つ。
アロイス・ミュール32歳。
イーストフィールズ領の田舎町
『カントリー・タウン』
彼は、その町で酒場店主としての人生を歩む――。
……
……
「さてさて。今日のメインは何にすっかねえ」
黒のエプロン姿のアロイスは、酒場のカウンターの客席に腰を下ろし、壁に掛けられたメニューを見ながら悩ましそうに呟く。
その姿に、カウンターの向こう側で洗い物をする女性"ナナ・ミュール"は微笑みながら返事した。
「そうですねえ……。最近はお肉料理ばかりでしたし魚料理はどうでしょうか」
「魚料理か。ヘンドラーから貰ったジパング産の味噌で煮つけにしようか」
「う~ん。今日は白身の川魚でサッパリいきませんか? 」
「ふむ。悪くない。濃い味ばかりが続いていたからな」
「濃いのもスタミナ料理って事でアリだとは思いますけど、今日はそっちの方がいいかなって」
ナナとアロイスが出会い早6年。
彼に対して奥手だった頃の彼女の姿は無く、立派にアロイスに意見出来るくらいの成長を見せている。
それもこれも、2年前に二人が結ばれたという事もあるだろうが……。
「んじゃ、今日はニジマスのレモンバター焼きにでもしてみるか」
意見を聞き入れたアロイスは川魚を選ぶ。
しかし何故か、ナナは「ダメです」と否定した。
「どうして"バター"なんですか。レモンを絡めた塩焼きとかハーブ焼きにしましょうよ」
今まではアロイス一人で様々な料理を作ってきたが、彼女とて長年培った知識で酒のアテにもなる調理方法をすっかり会得している。
それにおいても、ここまで強気になれるのには理由がある。
「最近、アロイスさんは脂っこいもの食べ過ぎです。余ったのは晩御飯になるんですよ。いい年齢になってきたんですから、少しは抑えて欲しいです。もちろん体が丈夫なのは知っていますけど、心配なんです」
まだ32歳、されど32歳。
冒険家として現役なら未だしも、将来を考えて節制を始めるにはイイ年齢なのだ。
「そ、そうか。いや、気にするべきだとは思っていたんだが」
ばつが悪そうに言う。
ただ、ナナは少し難しい顔で、
「どうしても食べたいならいいと思いますけど……」
と、付け加えた。
「いいのか? だけど正直食べたいって気持ちはあるんだよ」
「好きな物を食べれないって、体に凄いストレスだと思うんです」
「まあそうだが……」
「でも、私もアロイスさんを心配してるって分かって欲しいなって」
「それは承知してるさ。ありがとう」
彼女が自分を想う愛情は分かっている。
……ああ、だからこそだ。
まさか自分が"女性に敷かれる"ような存在になるとは、思ってもみなかったが。
家族の優しさってのは、こうも有難く嬉しいものだとは。
「今日はニジマスのハーブ焼きにしよう。小麦粉は少なめでな」
「はいっ」
ナナは嬉しそうに微笑む。
ああダメだ、この嬉しそうな表情を前にしては何もかも霞む。
「あとは今日のオススメのお酒も選んでおこう……」
最近入荷しているお酒のうち、白身魚に合うようなものはあったか。
普通は白ワインを選ぶし、それなりの揃えはあるから問題は無いと思う。
飲み口が軽いものならハーブ焼きとの相性も良い。
(……オーソドックスだけではなく変わり種も欲しいところだ。アレ、やってみるか)
パチンッ。
指を鳴らしてメニューが決まったことを合図する。
「ナナ、すまないんだが市場でニジマスの他にイワナも仕入れに行こう」
「イワナもハーブ焼きにするんですか? 」
「いや料理には出来ない小さな物を買う。それなら安く買えるはずだ」
「え、何に使うんです? 」
「骨酒だ。あー、一口分だけ作ってみるのもいいだろ。この間の余りのイワナがあったはずだ」
アロイスはカウンター側に移動すると、冷保管庫からイワナを取り出す。
調理用のため大きいサイズだったが、半分をブツ切りにし、熱したフライパンに放り込む。
弱火で両面を焦げ目がつくくらいジックリ焼き、それを浅いU字の陶器に盛り付ける。
ナナは、普通のイワナ焼きじゃないのかな?
と、見ていたところで、アロイスがイワナを盛り付けた陶器に熱燗にした日本酒を注ぎ始めたぉとに驚いた。
「ええ、お酒を注ぐんですか!? 」
「岩魚酒というジパング伝統の飲み方だ。魚の旨味でお酒が旨くなるんだぞ」
「へ、へえ~……」
あまり聞き覚えの無いお酒だ。
陶器いっぱいに注がれたお酒で、イワナの半身は酒の海に沈んでいる。
そして数分後、イワナの旨味がしっかりお酒に広がったところで、アロイスは飲んでみろと小さなカップにそれを注ぎナナに手渡す。
「……お魚の沈んだお魚」
本当に美味しいのか怪しむ。
川魚の臭みを抜いたわけでも、特別調味料を入れたわけでもない。
ただ焼いただけの魚でそこまでお酒の美味しさが変わるだろうか。
取り敢えず、一口だけでも。
……ゴクン。
熱燗特有の上ってくるアルコールの強さがある。
だが思いのほか味わいはまろやかで、ジンワリとした旨味が拡がっていく。
「あっ、美味しい……」
確かに魚から出る旨味が、お酒にしっかりと味に奥深さを与えている。
きっと魚料理自体にも合うはずだ。
「……だろう。本当はもっと辛口でアルコール強めで作るもんなんだが、ナナのようにお酒が苦手な人でも飲み易いように甘口で度数の弱めなので作ってみた。高級なお酒同士だと味を殺しあうから、安めの日本酒ほど魚の旨味が強く出る。そのおかげで、このお酒自体も安く出せるぞ~」
ナナは「こんな飲み方があるんですね」と驚きながら言った。
「お酒を飲み終えた後は、このイワナも美味しく食べれるんだぞ」
「一つの料理で二度美味しさを味わえるんですね」
「今日のメニュー、これでどうだろうか」
「とってもいいと思います」
「じゃ、一緒に市場に買い物に行くとすっか」
「はいっ♪ 」
ナナはエプロンを脱いで、先に外へと出る。
アロイスも同じようにエプロンを脱ぐと、ナナのエプロンの隣にそれを置いた。
「……ふっ」
彼女と自分の並ぶエプロンと、自らの左手薬指に嵌まる指輪を見て笑いが出た。
俺にこんな運命が訪れるなんか思いもしなかった。
俺は幸せ者だ。
この町に来て、みんなの温情や愛情に支えられた。
一生守りたいと想える人と繋がることが出来た。
だから、今度は俺が恩返しをする番だ。
……嗚呼。
どうだろう。
今日もお客様が来てくれるだろうか。
来てくれたお客様は、楽しんでくれるだろうか。
俺は精一杯に出来ることをする。
みんな、好きな時に、好きなだけ飲みに来てくれ。
俺は何時でもここに居る。
「……アロイスさーん、まだですかー! 」
おっと、いつまでも呆けちゃいられない。
「ナナ、いま行くぞー! 」
今日も頑張って美味しい料理とお酒をみんなに届けてやろう。
そう思いながら、俺は店のドアを閉める。
外で待っていたナナと手を繋ぎ、微笑み合った。
きっとこれからも、こうして彼女と一緒に歩いていくのだろう。
幸せであり続ける未来を願い続けて。
………
…
【 更なる旅路 終 】
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