第8話:乾杯!
「今の生活が大事かい。うん、確かにそうさねぇ」
祖母は彼女の言葉に小さく頷く。
「過去も大事だけど未来も大事だから。あ、でもね。ちょっとだけお父さんのお酒は手元に置きたいな」
「うん、分かっているさね。それじゃ、少し残して売ってしまおうかねぇ……」
祖母とナナは『売る』方向で決めようとしているらしいが、話を聞いていたアロイスは、少し気になる。
それは、自分が居るから早急に答えを出そうとしてしまっているんじゃないか、急かしてしまっているんじゃないかということ。
それではいけない。
アロイスは二人の会話に割って入り、言った。
「……待って下さい二人とも。確かに高値の酒ということもあって扱いは難しいですが、早急に回答を出すべきでもないと思います。折角お父さんの遺してくれたものですから、一晩考えて、明日の朝やそれ以降に答えを出すというのはどうでしょうか」
アロイスの言葉を聞いたナナと祖母は、少し間を置いて「確かにそうだ」と言った。
「そうさね、慌てて答えを出しても最良とはならんからねぇ」
「アロイスさんの言う通りですね。一晩じっくり考えてみます」
良かった。祖母の言った通り、慌てて答え出すことは得策じゃない。
「はい。明日改めて回答を聞かせて頂ければ、出来得る限りの力を貸しますので気兼ねなく仰って下さい。自分が出来ることなら、何でも致します」
アロイスは「任せてくれ」と言わんばかりに自分の胸の中心に手をあてがって言う。
それを見たナナは、頭を深々と下げた。
「有難うございます、アロイスさん。こんなに私たちの為に色々と手伝って頂いて」
「それはこっちの台詞さ。俺を助けに来てくれたのもそう、持て成しもそう、二人の優しさに免じて俺も優しさで返したいと思ったんだ」
「アロイスさん……。有難うございます」
ナナはアロイスの優しさに微笑み、礼を言った。
アロイスも「気にしないでくれ」と笑い返すと、そのタイミングで祖母が手をパン!と鳴らした。
「はいはい、話は一旦終わりさね。私も久しぶりに飲みたいんだ、さっさと飲もうさ。アロイスさんも今夜はとことん付き合ってもらうさね。ナナもちゃっちゃと座って、一緒に飲むよ!」
祖母は自分の買ってきたウィスキーに手を伸ばして栓を開ける。
ナナも「うん」と慌てて椅子に座るが、アロイスは「ちょっとお待ちを」と祖母の手を止めた。
「ナナとお婆さんは先にシャワーなどを浴びてくるべきかと。飲んだ後の浴室は危険ですし、先に汗を流されては如何ですか」
飲酒の後の入浴などのバスタイムには危険が伴う。全身の血管にも負担が掛かり、下手をしなくても命の危険を晒しているようなものなのだ。
「……そうだね。急ぎすぎたよ。ならアロイスさんが先にシャワー浴びておくれ」
「えっ、自分は……」
「何事もお客さんが先さね。私らは酒が進むようにツマミの準備もするからその間に入っておくれよ」
ナナも祖母に合わせ、
「アロイスさんからどうぞ」と言った。
「う、うーん……」
少し悩んだが、まぁ確かに、体の土を振り払ったとはいえ空から落ちて腐葉土に突っ込んだうえ、廃屋で地下探索までしてしたのだから埃臭い。そもそも昨日は戦いで汗もかいたし、客人として自分の存在は失礼極まりないのではないか。
「……わかりました。先に使わせて貰いますね」
「遠慮せずに入っておくれ。それと、ナナも一緒に入れて貰えるかな」
「は……」
一瞬ビタッと体が固まる。
ナナは「お、おばーちゃんっ!」と、声を上げた。
「あはは、冗談さね。ほら、さっさとアロイスさん案内してやんな」
「もー、そんなことばっかり!アロイスさん、行きましょう!」
「お、おう」
「こっちです!」
顔を赤くしたナナは足早に居間を飛び出し、アロイスも彼女を追って廊下に出る。
浴室に向かう廊下を歩きながら、ナナは恥ずかしそうに一言。
「うぅ、本当にお婆ちゃんがすみません……」
彼女の仕草に、アロイスは微笑むように返事する。
「ははは楽しいお婆ちゃんだと思うよ。楽しくて優しい、良いお婆ちゃんじゃないか」
「でも、いつもはもっとお淑やかというか、静かなんですけど。今日はアロイスさんがいるからか、随分と楽しそうな気がします」
そうなのか。だけど、自分が居てお婆さんが喜んでいるなら何よりだと思う。それに、何だかんだ言っても、明るい祖母を見たナナも笑みを浮かべているようだった。
「えっと、じゃあ……ここが洗面所です。一応は兼脱衣所になるって言えば良いのかな。狭いですけど、すみません」
話をしてうるち着いた、廊下の奥にあった木扉を開くと、そこは狭いという程でもない、立派な四方形の洗面所があった。正面には大きな鏡のついた洗面台の他、小さな洗濯機、ドライヤーやタオルなどが仕舞われている棚、コップに入った歯ブラシが並び生活感溢れている。部屋の左側には曇りガラスの引き戸で仕切られた浴室が見えた。
「いやいや立派だよ。快適に過ごせそうだ」
「それなら良いんですが。着替えとタオルは、浴室に入ってる間に持ってきますね。体洗うのは新しい小タオルが……はい、これです」
ナナは、大きな鏡の隣にある棚から真新しい小タオルを出してアロイスに渡した。
「おっと、わざわざ有難う」
「いえ、これくらい。んと、あと必要なものは……」
同じ棚の奥から髭剃り用カミソリ、それに新品の歯ブラシまで取り出す。
「髭剃りはお父さんので少し古いですけど、使えるでしょうか。それと、歯ブラシも女性用で小さいですけど新しいのがあります」
普段からナナが全て管理しているらしく、欲しいものがポンポンと出て来る。まるで小さな宿というか、アットホームな民宿に泊まっているような感覚だった。
「これで必要なものはこれで揃いましたか?」
着替え以外、一通り揃えたナナは言った。
「充分すぎるよ。何から何までスマンね」
「いえ。それじゃ着替えやバスタオル持ってきます……けど。でも、着替えは、その……」
ナナは着替えについて、言い辛そうにする。
多分、昼間のシャツの件に続く話だろうとアロイスは即座に察して先に言った。
「父親のものかい。俺は気にしないけど、ナナはそれを俺が着ても良いと思ってくれているのかな」
「え、私は全然構いません。でも何だかんだで、な……亡くなった人の一式ですし……」
嫌なら言って下さい。何とかしますっ!
そう、ナナは力をこめて言った。
「……いや」
だが、当然アロイスは首を横に振る。
「ナナが良いなら俺はそれが良いよ。すまないけど、頼めるかい」
「私は構いません。わかりました、そう仰って頂けるなら準備しますね。どうぞ、先に浴室に入って汗を流していて下さい」
そう言ったナナは一礼すると洗面所の扉を閉め、廊下を軋ませながら姿を消した。
アロイスは「うむ」と一人頷くと、早めに浴びてしまおうとシャツやズボン、パンツを脱ぐが、それを床の脱衣カゴに入れようとした時、少しばかり迷いが生まれた。
(……俺のパンツとか入れていいのか。洗濯って普通に考えてナナだよな。見知らぬ男のパンツ洗わせるってのもセクハラな気がするぞ)
シャツは借り物だし迷いなくカゴに投げる。ただ、パンツだけは手に持って浴室に入ることにしよう。
「さて、入るか」
そして、アロイスは全裸で片手にパンツとタオルを持ち、曇りガラス戸をスライドさせて浴室へと入る
「……ほぉ、立派な浴室じゃないか」
そこは、充分に疲れを癒せる快適な浴室だった。
小さめだがゆったりできそうな長方形たをした木造の浴槽、冷水とお湯の独立したハンドルを回すことで自分の好きな温度が設定出来るシャワー兼水道。丁度、中腰で手を伸ばした辺りにはシャンプーやリンス、ボディソープに石鹸などの並んだ小さなラックがあった。
また、その下の段にあるラックには使い込まれたボディタオルが2枚。そのうちの1枚は可愛い猫のイラストが描かれているようだが……。
(……うむ、ちゃっちゃとシャワー浴びちまおう)
気にしない。気にしない。
さっさとシャワーを浴びてしまおう。だが、アロイスはお湯を使わず、冷水だけのハンドルをいっぱいに捻った。途端に上部に備え付けられていたシャワーからは、冷水がアロイスの顔へと強襲する。
「うひょっ、冷たぁっ!」
土の被った髪の毛を濡らすと、そのまま顔を洗い、体の泥汗を流す。
小タオルにボディソープをつけて泡立てると、ゴシゴシと体から先に洗い始めた。
……と、その時。
「アロイスさん」
曇りガラスの向こう側で、ナナの声がした。
「お、ナナか?」
「はい。着替えとタオル置いておきますね」
「分かった。有難う」
どうやら着替えを持ってきてくれたらしい。
ナナは持ってきた着替えとタオルを浴室の一角に畳むと、
「ではごゆっくり」
そう言って浴室を後にしようとしたが……ふと、足を止めた。
「……アロイスさん、そういえば」
「ん、どうした」
曇りガラスで面と向かっていない分、話をしやすかったのだろう。ナナは気になっていた事を口にした。
「アロイスさんは冒険者を引退したと言ってましたが、どうして引退したんですか。その、聞いちゃいけない話とかだったら……」
ナナは、それでも若干億劫になりながら言う。
それに対してアロイスは、そういえば言ってなかったなと、別に言い辛い事でもなし単純に答えた。
「ははは、辛い話とかじゃないさ。えっとな、俺はいつか田舎でのんびりと生活したいなと思ってただけなんだ」
「えっ。そ、そんな感じだったんですか?」
ナナは、なんだか拍子抜けしたように反応した。
「そうそう。例えば畑耕したり、川で釣りしたり、山に登ったりするもの良いな。きれいな湖で泳ぐとかな……。ほら、ナナもそういうの楽しそうだと思わんかね」
楽しそうに語るアロイスに、ナナは一瞬呆けてから、少し間を置いたあとに笑いながら言った。
「ふふっ、それは全部この町で出来る事じゃないですか。ていうか私がしてることですよ」
「あら、そうか。じゃあこの町は素敵なものばかりで出来てるってことじゃないか、いい町、いい場所に住んでいるんだな」
「……えへへ、アロイスさんてば嬉しい事ばかり言ってくれますね」
「んにゃ、本当のことだよ。ナナも優しいし、お婆さんも優しいし、寝ぼけて竜から落ちて運が良かったかもしれんよ。……なんてな」
アロイスも笑いながら、泡まみれになった体を冷水のシャワーで流す。
「そんなこと。私もアロイスさんと会えて良かったです。アロイスさんが降ってこなかったら、私は色々と気づけないままでした」
「おー、力添えになったなら嬉しいよ。しかし『降ってきて良かった』って凄い言葉よな。日常的に中々使わないぞ」
アロイスは、今度は濡れた髪の毛にシャンプーをたっぷり付けてガシガシ泡立てる。床や壁にポロポロと泡の粒が飛び散るのを見て(浴室出る前に少し洗おう)と思った。
「そうですね、笑っちゃいますね。衝撃的な凄い出会いでした。……それじゃ私は、衝撃的に美味しい料理を作るために準備進めますから食卓でお待ちしてますね」
そう言ってナナは、そそくさと洗面所から出て行った。
(ふむ、衝撃的な出会いに対して衝撃的な料理か。ふっ、何か愉しみになる事を言ってくれるな)
アロイスは、冷水シャワーを頭から浴びで泡を洗い落とす。ついでに飛び散った小粒の泡も掃除した。
「……あと、パンツも忘れずに」
浴室に持ってきたパンツも水でめいっぱい濡らし、綺麗に洗う。
体と頭、パンツ良し。全てピカピカに洗ったアロイスは、絞った小タオルで体の水滴を拭くと、浴室の戸を開いて洗面所に出た。
するとそこには、大きいバスタオルと、シャツ、灰色の上下のジャージ、さっき棚に仕舞ってあったドライヤーまで外に置かれていた。ナナが出て行く前に並べてくれていたものだろう。
「本当に至れり尽くせりだな。その辺の民宿よりよっぽど最高待遇じゃないか」
裸でハハハと笑ったアロイスは、バスタオルを手に取って体を拭こうとする。が、その手にかさりとした触感があった。
「おや、何だ」
それは、バスタオルの下に置かれていた袋詰めの『新品のパンツ』だった。だが、貼られた値札が少し古く荒んでいる。もしかしたら、父親が使おうと思っていた新品のパンツを見つけて出してくれたのかもしれない。
(本っ当にこれ以上ない気遣いだな。優しさに頭が上がらないよ。ナナはどれだけ苦労を重ねてきてこんなに気遣いが出来る……。いや、あの祖母が立派にナナを育ててきたんだな。親父さんも母親も、こんな娘を残してこの世を去るなんて、本当に悲しかっただろうな……)
言葉にすることが出来ない悲しい想いを馳せながら、アロイスは折角用意してくれたドライヤーも借りて、髪の毛(パンツも)を乾かすと、袋を開けた新品のパンツに、シャツ、上下には動きやすい灰色のジャージを着用する。
そして最後に鏡で髪型を整えると、洗面所を出て居間に戻った。
「どもっす。先にシャワー頂きました。さっぱりしました、有難うございます」
アロイスが居間に戻ると、座っていた祖母の姿もナナの姿もなかった。どうやら、かちゃかちゃと、キッチンから音が聞こえているのは、二人とも調理をしていたようだ。
「……あっ、アロイスさん。早いですね。じゃあ続いて私も入ってきちゃいます」
キッチン側にいたナナはひょっこり顔を出して言った。
顔は見えなかったが、祖母の声が、
「私は最後に入るからナナもゆっくりしてきな」
と、キッチンから聞こえた。
「はーい。アロイスさん、お腹すいてたら少しだけ適当につまんでいて下さいっ」
ナナはキッチンから出て来るついでに、小皿2つ持ってアロイスの前に並べた。それは、切り分けられたロースト・ポークと、ちょっと大きめに切ってあるフライポテト。どちらも旨そうにホクホクと湯気が上がっていた。
「おお、美味しそうだな」
「後で皆で食べる分は食べる直前に焼きますから、こっちは小腹用で遠慮せず食べていて下さい」
「分かった。ゆっくりとツマミながら待ってるよ」
「はい。では、私もシャワー浴びてきます」
ナナはエプロンを外して近くの椅子に掛けると、パタパタと廊下に消えた。
アロイスは用意された皿の前に近い席に腰を下ろすと、手前に用意されたフォークを手にして、言われた通り料理を摘んだ。
(……うん、旨い)
見た目通り、肉の旨味を全身で感じる、肉汁溢れたロースト・ポーク。
しかし、かなり旨さを感じる料理だったからこそ、少しばかり『ある事』を残念に思ってしまった。
(肉料理がこんなに出るなら、リキュールだけじゃなくて赤ワインも持ってくるべきだったか。それか、ビールが良いな。スキっと後味爽快、炭酸と苦味が強いやつが欲しくなる)
肉料理といえば、赤ワインやビールが良い。ホップの苦味と炭酸のさっぱりとした爽快感は、こってりした肉料理によく合う。だが目の前にあるのは甘いリキュールと、祖母の買ってきたウィスキーだけだ。
(リキュールもウィスキーも、どっちかというと甘い物が合う酒だからなぁ……)
もちろん限った話じゃないが、一般的にはリキュールもウィスキーも、摘みを考えると甘いモノが手元にあれば嬉しくなるお酒だ。
(くっ……無いと分かると余計に飲みたくなる。悲しきかな酒飲みの性。商店街に買いに行ってもいいんだけど、この家にビールもないのかと言ってるようで気が引けるし……)
ここは我慢をしておこう。仕方がないことだ。
そう思う他はないと妥協して自分に言い聞かせるが、その時。キッチンから祖母が姿を見せたかと思うと、まさかの『缶ビール』をアロイスの目の前にカンッ!と置いた。
「ツマミと一緒に、これでも飲んで待っててくれよ、アロイスさん」
「こ、これは……!ビ、ビールじゃないですか……!?」
アロイスは手を震わせて目を輝かせ、缶ビールをさっと手に取った。
「もしかして、わざわざ買って来て頂いたんですか?」
「違うさね。料理用のストックが残っててね。肉料理にはビールも飲みたくなるかなと思って出したんよ」
「……お婆さん、最高っす」
その辺の高級リゾート地のホテルなんかよりよっぽど待遇が良いのでは。アロイスは思わず親指を立てて祖母にグッドポーズをした。
「最高の気遣いです。お婆さんに惚れてしまいそうですよ」
「んー、私に惚れるだって。なーに言ってるさね。あっはっはっは!」
「くく…はははっ!」
二人の笑い声は高々と響いた。
それはシャワーを浴びていたナナにも聞こえたようで、浴室の中で一人、つい笑ってしまったのだった。
(本当に楽しそうだなぁ、お婆ちゃん。でも分かるなぁ、本当に久しぶりのお客さんだしね。それにアロイスさんてば……。ううん、なんか…不思議な人だもんね)
楽しげな祖母と同じく、自分もアロイスがいて何処と無く楽しいと思える。
ああ…、そうだ。二人を待たせてはいけない。
ナナは急いで体と頭を洗うと、さっさと髪を乾かし、上下揃いの下着を着けて、やはり猫の刺繍がされた黒色のパジャマに着替えた。
「よしっ」
風呂上がり、いつもより念入りに髪型を整えたナナ。
急いで居間に戻り、「お待たせしました」と言った。
「お……っ」
すると、彼女を見たアロイスは一瞬、ナナに目を奪われた。
風呂上がり、彼女のオレンジ色の髪の毛は水気を帯びて柔らかそうにフワリと広がり、漂うシャンプーの香りに、火照るように温かな血色良い体は艶やかであった。さっきまでサイドで結っていた髪の毛を下ろした姿は、また新鮮であり……。
「……どうしました?」
「い、いや!何でもない」
アロイスは、不意打ちも良いところだと思った。元々可愛いらしい子だとは思っていたが、風呂上がりの姿に、これほどの攻撃力があるとは思わなかった。
「?」
何か様子のおかしいアロイスに、ナナは頭にハテナマークを浮かべるが、とりあえずキッチンに向かう。そして、それと入れ替わる形で祖母がキッチンから居間に戻ってきて、
「私も直ぐ上がるからね」と、浴室に消えていった。
(さてさて……)
アロイスは残り少なくなったツマミをゆっくりと食しながら、用意してくれたビールを煽る。他人の家でここまでリラックスするのもどうかと思うが、それほどにこの家は心地が良いと思えるのだ。
「……すみません、アロイスさん」
と、アロイスがリラックスしている所で、キッチンからナナが顔を覗かせた。
「んにゃ、どうした」
「その、お願いがあるんですけど……」
ナナは、もじもじしながら言う。
彼女のような可愛らしさで、風呂上がりの艶やかな姿で言われたら、男であるなら生唾を飲み込んでしまうのは仕方ない。だが、この状況で『そんな』お願いじゃないことは分かっていても。
「……なんだい。君の願いなら何でも聞くさ。遠慮なく言ってくれ」
アロイスはクールに振る舞って言った。
すると、ナナは、
「えへへ、有難うございます。では遠慮なく言いますね。あの、さっき作ったお酒あんですけど、お父さんの遺してくれた味が凄く美味しかったんです。だからもう一度飲みたくて、作っていて欲しいなって……」
ふぅ……。そういう事だとは理解っていたさ。
アロイスは自分が変な考えを持つなんて酔ってきてるな、とか考えたりしつつ、彼女の願いに頷いて答える。
「ハハ、それくらいはお安い御用だ。というか、最初から作るつもりだったさ。今日は、悪酔いしない程度には幾らでも作るから楽しんで飲んでくれよ。最初の乾杯は、みんなで親父さんの味でしよう」
それを聞いたナナは「はいっ♪」と笑顔で言うと、鼻歌混じりにキッチンに戻って、料理を再開した。アロイスは、上機嫌な彼女の様子を側で感じながら、一人でのんびりと飲みを続けた。
そして、それから20分後。
祖母が浴室から戻ってきた所で、ナナは食事用の皿を並べ始め、アロイスはカクテルを作り始めた。
……やがて、三人がそれぞれの『準備』を終えると。
「よし、乾杯ドリンクが出来たぞ」
「料理も出来ましたー!」
「みんな揃ったようだし、始めようかい!」
三人は食卓を囲む。
アロイスは「さて…」と、作ったカクテル『ストロベリーミルク』の注がれたグラスを、それぞれの前に滑らせた。
「じゃ、乾杯しましょうか」
そう言って、片手にグラスを持って軽く掲げるアロイス。
しかしナナは「待って下さい」と、不安げに言った。
「ん、どうした」
「あの、薄いグラスは乾杯のやり方が違うって聞いたことがって。間違ったらどうしようって」
「……なるほど、そういう事か。大丈夫、今は気にしなくて良いんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「そうさ。まぁ、一応は教えておくと……」
アロイスはナナにグラスを持つよう促して、彼女がグラスで持ち上げたところで「真ん中に寄せて」と、ぶつからない程度にグラス同士を近づけさせる。
「乾杯ってのは、ぶつけ合うもんだと思われがちだけども、ナナの言った通り、薄いグラスはぶつけるよりも、グラスを寄せ合った後に互いに目を合わせて一言だけ『乾杯』と言い合う程度が好ましい。だけどそれは、フォーマルな立ち飲みの方での現代マナーで、こういう気兼ねない飲み会は軽くならぶつけ合って構わない。というか、そっちのが俺は雰囲気が出るって思ってるよ」
そもそもの話、乾杯のやり方は時々によって異なるため一概に正解が有るとはいえないのが現状だ。むしろアロイスの言う通り、友人たちの飲み会や、大衆酒場なんて場所では、かち合わせたほうがよっぽど楽しいわけで。
アロイスは続けて「気にせず楽しく行こう」と笑みを浮かべ一言、ナナと祖母の二人も笑って首を縦に振った。
「二人とも、よろしいですか。グラスを寄せ合ってー……」
せーのっ。
三人は声を合わせ、めいっぱい張らせ、元気よく言った。
「……乾杯っ!!!」
こうして、小さな楽しい飲み会は始まった。
ナナにとって、酒を初めて飲んだ日に、こうして卓を囲んで酒を飲むのも当然だが初めての体験で、今日の思い出は深く深く胸に刻まれた。
そして、それから夜も更けて深夜23時を回った頃。
酒に火照った体に丁度いい眠気に誘われた三人。
ナナと祖母は寝室へ、アロイスは居間に準備してくれた布団へと。それぞれ、心地よい眠りについたのだった……。
……………
……
…
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