6.遠き島からの頼り・前編

 【2080年6月8日。】

 午後15時。

 アロイスとナナは、酒場開店前に調理の準備を進めていた。


「アロイスさん、豚肉の下ごしらえ終わりました」

「こっちも終わりだ。今日はこんなもんで良いだろう。一旦休憩しようか」

「はいっ、分かりました」


 二人はキッチンを出て、真ん中のテーブルに移動して腰を下ろした。

 午前中は畑仕事をしている手前、この時間になると若干の眠気が来る。


「ふわあーあ……」


 アロイスは大きな欠伸をした。それはナナにも伝わり、彼女も手で口を押さえて小さく欠伸する。


「ふわぁ……あっ」

「はは、移ってしまったな。ナナは酒場の仕事慣れてきたか? 」 

「少しずつですけど。まだまだ覚えることが沢山あって」

「そうだよなぁ。ていうか、開店してもう2ヶ月くらいになるけど、うちって結構適当なんだよな」

「何がです? 」

「開店時間とか曖昧だし、その辺を先に考えるべきだったかと……今更ながら思う」


 アロイスの酒場は、カパリという男のお陰もあって良し悪し関係なく開店してしまった背景がある。結果、半ば流れのままに経営してきたし、明確な開店時間や休日などの取り決めをしていなかった。


「午前中に畑仕事、午後は夜まで酒場経営。体力的に厳しいよな」

「大丈夫です、とは言いたいんですけど……眠くなることはたまにあります」

「んっ、正直で宜しい。そろそろ休日について決めておこうか」


 とは言っても、どう取り決めしたら良いものか。

 一般的には週末に合わせて酒場は稼ぎ時であるが、何せカントリータウンは冒険者や観光客が常日頃に居る町で、常時稼ぎ時と言っても過言じゃない。


「普通に考えたら、週始めの2日を休みにしたほうが良いかもな」

「でも飲食店って1日だけのお休みのほうが多いイメージありませんか? 」

「……確かに」

「あと、お店によっては隔週1日とかっていうのもありますよ」

「隔週は疲労が蓄積しやすいから無理だな。なら、週始めの1日目を休みにしようか」

「ていうことは、来週の11日がお休みでしょうか」

「そうなる。では、毎週の頭を休みで良いかな」

「はい、全然構いません♪」

「分かった。じゃあ、お客さんたちには後で張り紙か何かで告知するよ」


 アロイスは座ったまま背伸びする。

 こんな簡単に休日なんかを決められるのは個人業のいいところだ。


「でも急にお休みってなると暇になりますね。いつも畑仕事と酒場お手伝いで1日が終わってましたから」

「それでは、町に出て買い物とかどうだ」

「うーん、それだと普段通りな感じがしませんか?」

「……言われてみれば」


 二人は笑い合った。


「買い物以外で何かしましょうよ。まだ町で行ってない場所もありますし、案内しますから」 

「ハハ、それじゃ頼むよ。では、ついでにもう一個も取り決めしないとな」

「もう一個ですか? 」

「開店と閉店時間だよ。いつも適当に店を開いてるばっかだからなぁ」


 それは『明確』な開店と閉店時間。

 いつもは調理の仕込みを終えてから、最初の客が訪れることで店は始まり、23時頃に最後の客が帰って店を閉める。そんな適当な労働ったら無い。


「んー、最初のお客さんは早くて16時くらいに来ますよ」

「たまにな。平均的には18時って感じじゃないか? 」

「なら、間を取って17時っていうのはどうでしょう」

「17時なら夕食時の客も来るし、悪くないな。他の酒場もそんくらいの時間が多かったし」


 決まりだ。

 開店は17時、閉店は23時を目安にすることにしよう。


「よし、毎週始めの日は休日。開店時間は17時から23時まで。但し、閉店時間は21時以降に客が来ない場合は閉めるって感じでドンドン無駄を省いていこう」


 ナナは「分かりました」と頷いた。


「つーか今まで適当過ぎたな。俺の所為で無駄な疲労をさせちまったな。すまん」

「い、いえ。私も店員なのに気づかずに。それくらいアロイスさんと一緒にいるのが楽しいってことですよ! 」

「ははっ、俺もだよ。ありがとう」


 笑顔のナナに、アロイスも笑顔で答えた。

 ……と、15時を回ったばかりだというのに、このタイミングで本日最初の客が訪れる。


「こんにちわ、やっているかね」


 店の玄関が開く音と、客らしき男の声。

 二人は慌てて立ち上がる。

「今日はやっておりますよ」

 アロイスは答えた。


「そうか。では、邪魔するよ。二名だ」


 アロイスはすかさず「どうぞ」と店内に案内しようとする。が、扉に目を向けても、客の姿はどこにもなかった。


「あれっ、お客さん……? 」


 もう店に入っているのかと店内を見渡すが、誰もいない。一体どこへ行ったのかと探していると、扉のほうから「ゴホンゴホン」と咳払いが聴こえて、その方向を見ると非常に小柄な男女が立っていた。


「こっちだ。我々が小さいからと言って、そんな扱いは困るよ」


 それを見たアロイスは「おぉ」と、息を漏らした。


(ケ、ケットシーの猫族じゃないか。珍しいお客さんがいらっしゃったもんだ……)


 男は黒髪の七三分けに立派なアゴヒゲを生やし、チェック柄の茶色いソフトハットに、トレンチコートを着用した大人びた姿。

 もう一人は、長いまつ毛と灰色の大きな瞳、それと同じ色の長髪が美しい可愛らしい幼い感じの女の子。格好は民族的で、白い襟が深いブラウスと、赤の縦線が入ったスカートを身に着けていた。


 彼らケットシーは非常に小柄な種族で、どちらも身長は100cmから120cm前後である。

 また、彼らの大きな特徴としてはもう一つ。

 女の子は最初から、男のほうは帽子を脱いだ時にそれは露になった。


「……ねこみみっ!?」


 そう。ナナが叫んだ通り、彼らの頭部には、ぴょこんっ。と、ふわふわの猫耳が立っていた。


「おい、そこの娘。この特徴に何か問題があるのかね」


 猫耳を指摘され、小さなヒゲの紳士はナナを睨んだ。

 ナナは思わず出た言葉を注意され、「あっ」と、即座に謝った。


「素直で宜しい。では店主、カウンター席に座っても? 」

「構いません。正面の席にどうぞ」

「有難う。あまり長居する気は無いので、サッと飲ませて貰うよ」


 ヒゲの紳士はそう言って、女の子に「あちらの席です」と勧めた。

 女の子は、

「分かった、あそこだねー♪」

 と、トテテテ……小柄な体を一杯に使って走り、カウンター席に飛び乗る。

 その際に彼女のスカートからは、フリフリと灰色の尻尾が見えていた。


「ここで良いんだよね。座ったよー! セルカークも早く来て!」

「シャムお嬢様、はしゃがないで下さい。落ち着いて行動しましょう」


 紳士はゆっくりと歩き、椅子に着くと帽子をテーブルに投げてから自分もピョンと跳ね、椅子に腰掛けて言った。


「店主、メニューは何が? 」


 アロイスはキッチンに入ると、丁度、先ほど仕込みの終えていたオススメのメニューを伝えた。


「本日のオススメは豚肉料理ですね。まだメニューとしては表に出してないですが、ステーキ、バラ焼き、しょうが焼きなど。後は、大体お客様のご希望されるメニューならお作り出来ると思いますので、仰って頂ければば。お酒については、カクテルに関してならも大体ご用意は出来ますので、同じくご希望を仰って下さい」


 説明を受けた紳士(セルカーク)は「なるほど」と、考える。

 その脇でシャムと呼ばれた女の子はテーブルにベターッと張って、八重歯を見せながら言った。


「お腹すいたよセルカークー。何でも良いから食べようよー」


 灰色の尻尾をぴょこぴょこと動かす。それを聞いたセルカークは溜息を吐いた。


「シャムお嬢様、はしたない格好をしないで下さい。分かりました、適当に頼みますから」


 セルカークはアロイスに、オススメを1人辺り5,000ゴールド以内で頼みますと言った。


「お飲み物別ですか、それとも一緒で予算内ですか? 」

「我々は見ての通り少食が故に、一緒で予算内でお願いしたい」

「承知しました。では、少々お待ち下さい」


 アロイスは言われた通りの予算で調理を始める。だが、包丁で厚い豚肉を切ろうとした時。ナナの異変に気づいて、思わず手を止めた。


「ナ、ナナ。涎が出てるぞ……」

「……はっ!」


 ナナは、じゅるりとしてケットシーの二人組みを眺めていた。その様子を見たセルカークは、再びナナを睨んで指差して言った。


「おい娘、さっきも言ったが我々を馬鹿にしているのかね」

「い、いえそんな! ごめんなさい! 」

「じゃあその態度は何だ。客を前にして、そんな態度でまともな接客が出来ると思っているのか」

「う……うぅ。す、すみません。ごめんなさい……」


 しゅん、と顔をうつむかせる。

 アロイスは「ナナ、さっきからどうしたんだ」と話しかけた。


「アロイスさん……。ごめんなさい、私、その……猫さんが大好きで……」

「……ああ。そういえばそうだったな」


 ナナは出会った頃から何かと『猫』をモチーフにした服装に身を包んでいた。というより、今も彼女のエプロンにはワンポイントで猫の刺繍をしているし、目の前に現れたケットシーの可愛らしい姿については彼女にとって垂涎ものだった。


「すみません、頭冷やします……」


 我を忘れてしまったナナはその場から離れようとした。だが、背中を引っ張られた感覚にナナは足を止めて振り返ると、服の裾をシャムが指先で摘んでいた。


「……どうしたんです? 」


 ナナが訊くと、シャムは八重歯を見せてニッコリと笑って言った。


「お姉ちゃん、猫が好きなのー? 」

「えっ。は、はい。大好きです」

「私たちはケットシーの猫族ってだけだけどねー、私のことも好きなのー? 」

「……す、凄い可愛らしくて好きです」

「そっかー。嬉しいなー! 」


 シャムは微笑みながら、両手を拡げて「んっー!」と、叫んだ。


「ど、どうしたんです? 」


 彼女の行動にナナは首を傾げる。シャムは笑顔で、それを伝えた。


「お姉ちゃん、抱きしめてー! 」

「……ッ!?」


 その台詞にナナは全身を震わせる。咄嗟にアロイスを見つめた。


「ケットシーは純粋な方々で他人の気持ちを理解してくれる。ナナの気持ちが伝わったんだよ」

「で、でも。抱っこして……良いんですか? 」

「本人が望んでいるのなら、俺はどうも言えないよ」


 その台詞と、ほぼ同時。ナナは両手を拡げて待っているシャムを抱きかかえた。頭を優しく撫でて、猫をあやすように顎の下をワサワサと触る。シャムは「くすぐったいー!」と笑いながらもナナにギュっと抱きついて、二人は何とも楽しそうにじゃれ合った。


「やれやれ、シャムお嬢様にも困ったものだ」


 隣でセルカークは溜息を吐いた。

 それを見たアロイスは、

「男同士はコレで語りましょうよ」

 と、ロックグラスに、とある酒を注いで彼の前に置いた。


「これは? 」

「イーストフィールズのラム酒です」

「と、いうと地酒の1つかね。しかしラム酒とはオツなものを選んでくれる」

「南方の諸島はラム酒の宝庫ですし、飲み慣れてるかと思いまして」

「……ほう」


 セルカークは「分かっているね」とアロイスを指差して言った。


「ケットシーのうち、お客さんたちのような猫人種は南方出身ですからね」

「ほう……良く知っている。さすが町でオススメされた酒場だけはある」

「はは、町でオススメですか」


 嬉しい話だ。実際のところオススメと言われて酒場に訪れた、という客は少なくない。町の皆には感謝してもしきれない。


「では、町でオススメされた味をお届けするまで、ラム酒には此方を併せて摘んでお待ち下さい」


 小皿に盛られたドライフルーツを用意して、セルカークとシャムの前に置いた。


「ドライフルーツはラム酒の定番だな。ふむ……シャムお嬢様。まずはお摘みだけでも食べたらどうですか」


 お腹空いたと叫んでいたシャムに言う。しかしお嬢様はナナとじゃれ合うのに夢中で気づかなかった。セルカークはそんな彼女に苦笑いして、透明感あるラム酒のグラスを手に取った。


「やれやれ、お嬢様には困ったものだ」


 セルカークはグラスに鼻を近づけ、グラスを回す。甘く、芳醇な香りが広がっていく。


「優しさの感じる甘い香りだな。これは、色合いや香りから察するとホワイトラムかな」

「さすがです。南諸島はダークラムが主流でしたし、是非イーストフィールズのホワイトラムを味わって頂こうかと」

「ほう、ラム好きじゃないと言えない台詞だよそれは」


 セルカークは感心した。


 ラム酒とはサトウキビが原材のため、スウィートな甘い香りを持つ。

 『ホワイト、ゴールド、ダーク』

 基本3つの種類に分けられていて、それぞれ名前の通りの色合いを持っていることが特徴でもある。白、金、黒の順に、甘さとクセが強くなっていくため、自分好みのカラーを探すというのも一興な酒なのだ。


「確かに、私達の出身であるサウスフィールズでは、甘みとクセが強いダークが主流だ。ホワイトは甘みが弱いが、クセが少なく飲み易いと聞く。飲んだことは無かったし、初めて飲んでみる。どれどれ……」


 グラスに注いだラム酒を僅かに流し込む。刹那に強いアルコールがいっぱいに燃え、カッと胸を熱くした。鼻で呼吸すると甘い香りが広がるが、甘みは長居せず呼吸を重ねる毎に消えていく。


「ほう、甘さが強くないおかげで非常に飲み易い」

「流通する市販モノではなく、地域色が出やすい地酒なので独特な味わいかと」

「イーストフィールズも中々良い酒を作るな」

「元々ホワイトは味が薄いのでカクテル向きなんですが、酒に飲み慣れてる方は充分に味わう事が出来ると思います」

「私達の出身地で造られてるダークは香りも甘さも強い。まるで真逆の味だが、私はこの味が好きだよ」


 セルカークの尻尾が嬉しそうにぴょこぴょこと左右に振られた。


「お気に召して頂いたようで何よりです。では、料理のほうはもう少々お待ち下さい」


 紳士セルカークは一人飲みを、シャムお嬢様はナナと遊び呆けていた。その間、アロイスは彼らに見合う豚肉料理としてシンプルな一品と、小麦粉を使った料理を作り上げる。


(サウスフィールズに在る島々は情熱的な国だ。繊細な料理より大味というか、素材をそのまま残した調理方法が多いんだよな。見たところ二人は旅人のようだし、ラム酒が好きだということは地元愛も強いということ。折角だから、俺のオリジナルを併せて情熱的な料理を味わって貰おう)

 

 用意した素材は豚肉と野菜、小麦粉だけ。後は少しの調味料と、シンプルなラインナップ。

 その分、調理も手早く進んで、あっという間に一品、二品と出来上がった。 


「お待たせしました」


 出来上がった二品を盛り付けた皿を、セルカークの前に並べる。


 一つは、エスペチーニョという、大きめに切った豚肉と野菜の串焼き。本来は牛肉を利用するが、細かく切り目を入れて圧力を掛け仕上げたトロトロの豚肉と、赤と黄色ピーマンも使った見た目も楽しい一品だ。


 もう一つは、パステウ。練った小麦粉をペーパー状にして、その上にひき肉や細切れの野菜を乗せて包んで、きつね色になるまでパリッと焼き上げる。噛んだ瞬間にパリッとしたパイ生地に近い歯応えから、中から溢れる肉汁と野菜の旨味が言い知れぬ味を生む。因みにアロイスのオリジナルとして、とろけるチーズ入りだ。


「これは、エスペチーニョにパステウじゃないか。我々の地元料理を知っているのかね」


 並んだ料理を見て、セルカークの尻尾は、また大きく左右に揺れた。心なしか、大きな猫耳もピコピコと動いている。


「豚肉を使ったり、チーズを入れたり、少しテイストを変えています。全てが地元料理のままでは面白くないと思いまして。余計な事でしたら申し訳ありません。作り直させて頂きますので、仰って下さい」


 セルカークは「そんな勿体無いことはしないよ」と、答え、串焼きから一口食べてみる。


「……おお」


 ジューシーに仕上がった豚肉は柔らかく、少し甘めのタレが良く染み込んでいる。若干焦げた野菜のほろ苦さが相まって、とても美味しい。


「どれ、こちらは」


 続いて食するのは、パステウと呼ばれる豚肉を詰め込んだパイのようなもの。


  ……サクッ、パリッ!


 気持ちの良い歯応えに、香ばしい焼けた小麦粉の香りが食欲を誘う。中には細切れされた豚肉と野菜の汁がいっぱいに溢れ出て、熱に溶けたチーズがトロリと伸びる。


「はふっ……! ほれは、ふまいっ! 」


 思わず声を上げてしまう。

 すると、その声に気づいたシャムは、

「あーっ! ずるいー! 」

 と、セルカークを指差した。


「もぐ……もぐっ。す、すみませんお嬢様。先に頂いてしまいまして」

「私の分はー!? 」

「て、店主さんにお聞きして下さい……はふっ」

「店主、私のはー! 」


 アロイスは「すぐ出しますよ」と、手早くシャムの前にも同じ料理を並べた。彼女に料理を出さなかったのは、遊んでいる間に料理が冷めてしまっては勿体ないからだ。


「やった、出てきた! ナナ、ここに座ってー! 」

「私が抱っこしたまま座るの? 」

「うん! 」

「ふふっ、分かりました」


 ナナはシャムを抱えたまま、料理を並べたカウンター腰を下ろす。シャムは、小さな腕を精一杯伸ばし、並んだ料理をパクパクと食べ始めた。


「んー、美味しいー! 」


 赤くした頬を両手で抑え、満面の笑顔を見せる。ただ、ついつい手にソースを付けて頬に触れたものだから、べっとりと顔にソースが付いてしまった。ナナは彼女の顔をティッシュで優しく拭いてあげた。


「ほらほら、顔に付いてるよ。慌てないで食べてー」

「えへへ、有難う♪」


 シャムは猫耳を動かして喜んだ。ナナは勿論のこと、アロイスも彼女の愛らしさに嬉しい表情を見せる。また、料理に夢中になる二人に、これからのメニューを伝えた。


「後は適当に出していきますよ。デザートも然り、楽しみにお待ち下さい」


 セルカークは「楽しみだね」と、懐から取り出したハンカチでソースの付いた口を拭きながら言う。

 シャムはナナに「一緒に食べよー」なんて言って、皆が笑顔で本当に何よりだったが、ここで一点、気になることがあった。


「……セルカークさん、ちなみにシャムお嬢さんに、お酒は無理ですよね」

「人の年齢で言えば一年……いや、二年早いね」

「そうでしたか。本当は年齢を尋ねるのはタブーなのですが、すみません」

「気にせずに」


 ケットシーは小柄な種族故に、外見での年齢を判別するのは難しかった。しかし、今回の場合はシャムの性格から未だ幼いんだと理解して、一応尋ねたまでだ。


「では、シャムお嬢さん」


 アロイスは、食事に夢中になってるシャムに話しかけた。彼女は口周りをソースでいっぱいに汚しながら、首を傾げる。


「んむー? 」

「シャムお嬢さんは、好きな果物はあるかな」

「くだもの? えーっとね、バナナ! 」

「バナナねー。美味しいからねー。バナナが一番好きなのかな? 」

「うん! 」


 シャムは大きく頷く。

 なお、それでまた揺れる猫耳と尻尾にぺしぺしと叩かれるナナの、心底幸せそうな顔については、敢えて突っ込まないでおこう。


(ナナは放っといて、シャムが好きな果物はバナナか……)


 サウスフィールズの諸島では、とても甘いバナナが採れることで有名だし、そう答えるのでは無いかと思っていたが、いざ言われると困ってしまう。バナナ自体は酒場在庫があっても、幼い彼女でも地元のバナナを食べて舌は肥えてるだろうし、生半可な果物を出しても彼女は満足してくれないだろう。


(……待てよ。そういえば)


 それを思い出して、パチンッ、指を鳴らす。


「シャムお嬢さん、ちょーっと待ってて下さいね」


 アロイスは、キッチンの床に付いてる戸を開き、地下の酒蔵に一直線に降りた。そして、明かりを点け、手前にあった1本の黄色い瓶を手に取って急いでキッチンに駆け戻った。


「ふぅ……お待たせ。シャムお嬢さんと、ナナにも美味しいジュースを飲ませてあげよう」

「えっ、ジュースッ!? 」


 シャムはカウンターに両手を置いて目を輝かせた。


「そうそう、美味しいジュースだよ。ちょーっとだけ待っててねー」


 アロイスは、ロックグラスを2つ用意して、氷を投入する。続いて、持ってきた黄色い瓶の中身を少量入れた。そして冷蔵庫に仕舞っていた紅茶アイスティと、ミルクを注いでステアした。その後、輪切りにしたレモンを1枚浮かばせて、それは完成する。


「……お待たせしました。スペシャルミルクティーです」


 ナナとシャム、二人の分を並べて言った。


「あれ、見た目は普通のレモンティーですね」


 いつも凝った演出でカクテルを差し出す分、今日はシンプルな気がした。アロイスは笑いながら、まぁ飲んでみなさいよと言った。


「普通のミルクティーと違うのかな。はい、頂いてみます」

「私もいただいてみますー! 」


 シャムとナナは、それらを飲んでみる。すると、飲んだと同時に直ぐ二人はグラスを置いて、声を揃えて言った。


「バナナだー! 」

「バナナの味がするっ!」


 予想通りの反応に、アロイスは白い歯を見せて笑った。


「普通のミルクティなのに、ほんのり甘いバナナの味がします! 」


 ナナは驚き、シャムは言葉無くとも彼女の膝の上で一心不乱に飲み続けていた辺り、気に入ってくれたらしい。

 

「アロイスさん、この仄かなバナナの味わいは一体……? 」


 不思議そうに尋ねるナナ。

 アロイスはニヤニヤしながら言った。


「実は、コレを使ったんだよ」


 カウンターの上に、少し大きい黄色い瓶を置いた。

 そのラベルには、黄色いバナナのイラストがデカデカと描いてあった。


「バナナの……何ですか、これ? 」

「ノンアルコール用のシロップだよ。リキュールもあったがシャムお嬢さんには少し早いからね」

「なるほど、バナナシロップでしたか! 」


 道理で。甘~いバナナの香り、味がいっぱいに広がったわけだ。

 

「そういうことだ。どうだい、美味しいかな。シャムお嬢さん」


 アロイスが尋ねると、彼女は微笑んで、

「すごく美味しい! 」

 と、元気良く答えた。

 すると、その横で紳士セルカークがゴクリと唾を飲み込み、アロイスに言った。


「店主、私にも同じものを一杯貰えるかな」

「有難うございます。了解しました」


 やはり同じ出身ということでバナナは好物らしい。アロイスは言われた通りの一杯と、シャムのお代わり分の合計二杯分を作ってそれぞれに置いた。


「お待たせしました、どうぞ」

「有難う。早速頂くよ」


 セルカークはグラスに口をつける。

 ……と、僅かばかり飲み込んだ瞬間、その瞳が大きく開いた。


「こ、これは……!」

「かなり甘口かと思いますが、お口に合えば嬉しいです」

「とても美味しい。だけど、それ以上に何か……」

「何か……? 」

「懐かしさを感じるのは、どうしてだろうか」


 懐かしさ……。

 アロイスは首を傾げる。


「うむ。どこか懐かしい。使ったバナナシロップは、私たちの諸島で採れたものなのかね? 」

「いいえ、市販されている物ですので高価な物は使っていないと思います」


 元々は、舌の肥えたシャムに美味しくバナナの味を楽しんで貰おうと思って作った物だ。諸島産の高級バナナが手元にあれば、最初からそれをデザートに出している。


「そうなのかね。だけど不思議な味だ。とても懐かしくて、美味しい味なんだ」

「やはりバナナが地元で有名なものですし、それで昔懐かしい味と思われているのでは? 」

「ううむ、そうなのか……。まぁ、どのみち旨いことには変わりないがね」


 セルカークは不思議そうにしながらも、それを飲み干した。


「ふぅ。美味しかった。店主が出す料理や飲み物は全部が美味しいな」

「有難うございます。丁度、他の料理も出ますので、沢山食べていってください」


 そのうち片手間で作っていたアロイスが用意していた他の料理も完成。予算に合わせた料理と酒、サービスも含めて次々と提供した。セルカークとシャムは、それらを頬張り、旨い旨いと絶賛。

 やがて、二人はお腹を抑えた一声で、ようやく食事の時間は終了する。


「……ふぅ、もう食べれない」

「おなかいっぱいー! 」


 正直少しばかり予算以上に振る舞ってしまった。だけど、彼らが満足してくれたのならそれで良い。

 アロイスは「美味しく頂いて貰って嬉しいです」と、会釈した。


「いやいや、とても美味しかったよ。ではシャム、一息つきたい所なんですが、予想以上にこの場所に留まり過ぎてしまいました」


 壁に掛けられた時計を見て、不味そうに言った。


「馬車に遅れるといけないから、すぐにでも出発しましょう」

「えー……もうちょっとお姉ちゃんと遊びたい」

「我がままを言わないで下さい。馬車に乗り遅れたら、スケジュールが狂います」

「むぅ……」


 シャムは唇を尖らせながら、ナナの腕からピョンっと飛び降りる。

 ナナは「うぅ……」と、腕に残った余韻を悲しそうにシャムを見つめていた。


「では店主、改めてご馳走様。大変美味しかったよ」


 置いていた帽子を深く被り、セルカークは胸元に手を当て、頭を下げた。体は非常に小柄だが、紳士らしい振る舞いにアロイスも合わせて深く頭を下げる。


「いえいえ。またいつかいらして下さいよ」

「機会があれば是非。……しかし、田舎町でここまで美味しい料理を食べれるとは思わなかったよ」

「ん……」


 どこかで聞いた台詞だと思った。

 それは、自分が初めてこの地に落ちてきた日。

 ナナの自宅に招待されて食べた時の感想だった。

 どうやら、田舎町で出された美味の酒と料理は、誰もが同じ感想を抱くらしい。


「……はは。やっぱりそういう感想が出ますよね」

「ああ、予想以上の満足感だった。だから、お代とは別にこれを受け取ってくれないか」

「ん……? 」


 セルカークは内側のポケットから、少し大きい真っ赤な羽根を取り出した。一瞬それが何なのか分からなかったが、アロイスは気づくと「あっ」と声を漏らし、キッチンを抜け、セルカークの前で片膝をついて、まざまざとそれを見つめて言った。


「まさかこれは、火山鳥の羽根では」

「それまでもご存知だとは」

「ということは、貴方達は……カトレア火山諸島の出身ではありませんか」

「おおっ、火山諸島のお名前までお分かりか」

「や、やはり……」


 アロイスは目を大きく開く。

 

「店主殿。それではすべてご存知かもしれないが、この火山鳥の羽根は我々が恩義を感じた時に渡すことにしているんだ。島民にとってこれはお守り代わりとなるもので、幸せを運んでくれるとされるモノだ。これを受け取って欲しい」


 小さな手で握った羽根は、燃えるように赤かった。

 アロイスはそれを「貰います」と、震える手で受け取った。


「有難う。それでは、また機会があれば。シャム、行きますよ」

「まだ遊びたかったのになー……」


 セルカークが扉を開いて、シャムも外に出た。アロイスはそれを見送るため扉の縁に立って、ナナも未練たっぷりそうに「シャムちゃーん」と涙目だった。


「それでは、店主殿」


 今一度、紳士らしく頭を下げる。

 その間にシャムは卜テテ、と、林道に走って行ってしまったようで、慌ててセルカークは彼女を追い、二人はあっという間に小さくなっていった。

 そして、その後姿を見ながらアロイスは、彼に聴こえるように大声で、こう言った。


「……セルカーク! 昔と変わらず甘い物好きだったな! 今度は昔みたく、海で遊ぼうなー! カトレア諸島のバナナを使ったミルクティーも飲ませてやるから! 」


 突然、アロイスが叫んだ謎の台詞。

 すると、遠くでそれを聞いたセルカークは足を止め、こちらを振り向く。

 そして小さく何かを呟いた。

 あまりにも遠くに離れすぎて、彼の小柄な体から発せられる言葉は聞き取れなかったが、僅かに動かした口元に、アロイスは彼が何を言ったのかを理解した。


「そんな、まさか。お兄ちゃん……」と、いう言葉を。


 アロイスの台詞を聞いた彼は、直ぐにでもアロイスの元に戻りたかっただろう。

 だが、先に行ってしまったシャムを追わないわけにはいかず、振り返り、そのまま林道の奥に消えて行った。

 セルカークを見送ったアロイスは、満足したように「んー」と背伸びする。

 店内に戻ってキッチンに入ると、彼らの食べ終えた食器の後片付けを始めた。


「あ、あの。アロイスさん……? 」


 一緒に店内に戻ったナナは、アロイスの隣に立ち、謎の台詞について尋ねる。


「はは、やっぱり気になるよな。いや、俺もすっかり分からなかったよ。というか、忘れていたんだが……」


 食器を洗いながら、それを説明した。


「あのな。さっきの客の男の方、いただろう」

「はい、小さくともダンディーな方でしたね」

「あっちと俺、顔見知りだったんだわ。多分……というか、絶対」


 さっき、自分が叫んだ言葉に足を止めてまで見せた反応、先ず間違いはないだろう。


「か、顔見知りだったんですか? 」

「遠い知り合いというか。まぁ隠す事じゃないし話しても良いんだが、今は何時だっけか……」


 時計の指針は、16時30分をを回っていた。


「……ふむ」


 時間はそれなりにありそうだ。食器を洗い終えると、手拭きで水気を飛ばす。

 そして、別のグラスを持ち出すと、今度はシンプルにアイスティーだけ注いでナナの前に置いた。


「座ってお聞きよ。長い話でもないんだけどね」

「良いんですか? 失礼します」


 言われるがまま、カウンター席に腰を下ろす。注がれたアイスティーを一口飲み、アロイスの顔を見つめた。


「……うむ。では、どっから説明したもんかな。さっきも言ったけど、セルカークのやつも、俺も、あまりにも古すぎて顔見知りだった事も覚えてなかったんだ。と、いうより。お互いに、あまりにも変わりすぎなんだよな。笑えるけどさ」


 それは、もう10年前にも遡る話だから……。


 ………

 …


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