3.GOOD LUCK!

  【 2080年5月9日。】

 今日はピクニックに出かけたくなるような晴れ渡る青空だった。

 しかし、アロイスとナナは酒場経営について邁進すべく、店内に篭り、中央のテーブルに腰を下ろして料理や方針について話し合いに熱を燃やす。


「卵料理は外せないだろ。肉や魚料理も固定メニューに組み込みたいが、難しいな」

「肉のしょうが焼きなんかは簡単じゃないでしょうか?」

「おー、しょうが焼きか。確かに、簡単で良いかもしれないな」


 二人で出し合った案をノートに記載していく。


「あと、ねぎ塩を添えた焼肉料理とかはどうでしょうか」

「良いね。お酒に合うし、候補としてメモをしておこう」


 数日前、偽りの団の所為で元気の無かったナナ。だが、今は徐々に元気を取り戻してきたようだ。

 ……すると、二人が会議をしているさ中、酒場の玄関に声が響いた。

 

「こんちわーっ」


 ガチャリ。

 店の扉が開かれ、見知らぬ来客がやってきた。

 一瞬、また誰かが問題でも起こしにやってきたんじゃないかとアロイスはギクリとしたが、そこに立っていたのは、ターバンを頭に巻いた端麗な顔立ちの若い青年だった。


「おや、お客さんかな。店は夜からなんだ」


 中央のテーブルに腰を下ろしたまま、アロイスは呼び掛ける。

 が、ターバンを巻いた青年は「違うんです」と手を振って言った。


「私はセントラルのヘンドラー社の者です」

「何っ。ヘンドラー社だって?」


 立ち上がったアロイスは、いそいそと青年に近づく。


「はい。私はマイルと言います。ヘンドラー社長から依頼され、食材の納品に参りました」

「食材って……ああ。そういえば約束をしていたな。どこにあるんだ? 」

「外に置いてあります。ご覧になって下さい」

「ん、分かった。……ナナも来てくれ」


 ナナも「はい」と言って立ち上がると、アロイスと共に外に出た。


 するとそこには、いっぱいの食材や調味料が山積みにされた圧巻の光景が。

 魔石駆動による小型冷蔵庫まで設置されていて、どうやら生鮮食品まで用意されているようだった。


「何だこりゃ……。これ、全部ヘンドラーが準備したのか……」

「す、凄い!ヘンドラーさんが用意してくれたんですか?」


 二人が揃ってマイルに尋ねると、彼は「はい」と答えて、懐から一枚の封筒を取り出した。


「こちら社長より預かっております」


 封筒を手渡されたアロイスは、洒落たヘンドラー社のロゴが入った蝋印を割って中身を見る。そこには一枚の手紙がに、短めの文章で達筆に書かれていた。


「えーと、なになに……」


 手紙内容は丁寧語で書かれていたが、脳内で、ヘンドラーの独特なイントネーションで再生された。


 『 a beloved friend アロイス 』

 もう、開店した頃やろ。約束通り食材を届けさせて貰うわ。

 開店したてでは客が来なかったり、なんか嫌なことがあるかもしれへんけど、余計に食材詰めとくから旨いモン食って元気出せや。あと、ナナちゃんに宜しくー!

 『ヘンドラー・アップサイド』


(あ、あいつ……)


 実はどこかで隠れて経営でも見張ってるんじゃないか。

 短文ながら、完璧過ぎる言葉、ナナを重んじたピッタリのタイミング。

 実際、ナナは今まで見たことのないような山積みになった食料を前にして「うわぁ~」と喜び、満面の笑みを見せていた。


(スゲー笑ってるよ。参った、ヘンドラーに一本取られた気分だ)


 自分にも言える事だが、アイツは気ままで自分勝手だ。それでも商いについては、奴は自分が知る限り天下一品の腕前を持っていると思っていた。それを、今回の手紙で再認識させられちまった。


「こういう時、アイツには頭が上がらないんだよな。これを届けてくれたマイルさんも、ご苦労様でした」


 簡単なお礼を伝え、会釈する。

 マイルも「いえいえ」と小さく頭を下げた。


「それでは、お荷物は全て中に運ぶ感じで宜しいでしょうか」

「うん、頼みます。俺らも手伝うんで、キッチン近くまで運んで頂ければ、あとは自分たちで整理します」

「分かりました。それでは」


 早速マイルは積荷を丁寧に降ろし、ナナやアロイスと荷物を運び始めた。アロイスは重量ある荷物を片腕で運びつつ、リヤカー脇にあった納品リストを手にとって目を通す。


(生鮮食品は肉、魚、果物と野菜。加工品は、缶詰や乾物、酒。調味料は砂糖や湖沼、各種ソース……)


 大体、必要なものは揃っていそうだ。

 かなりの量があるが、一部生鮮を除いて地下に運べば日持ちもするだろうし問題はなさそうだ。


「……と、おやっ」


 ふと、アロイスはそれに気づいて足を止めた。突然止まった背中に、後ろを歩いていたナナが「ふにゃっ」とぶつかった。


「あっ、すまん。大丈夫か?」

「こちらこそゴメンなさい、大丈夫です。急に立ち止まって、どうかしたんですか?」

「ああ、ちょっと納品リストで気になったことがあってな」


 片手に持っていた、調味料の入った箱を床に置く。ナナもその場で荷物を置いて、アロイスの持っていた納品リストを背伸びして覗き込んだ。


「何が気になったんです?」

「うん……調味料リストに塩が無いんだ。他の調味料は一通り揃っているってのに」

「忘れたんでしょうか」

「いや、塩なんて重要な調味料を忘れる筈が無い。アイツの事だからなぁ……わざとだろ」


 何が目的で塩を入れていないのかは知らないが、別に塩くらい普通に市販物を使えば良いだろうし、客に差し入れして貰ったものもある。


「ま、塩くらいどうとでもなるし関係ないな。さっさと荷物を運んでしまうか」

「そうですねっ」


 二人は再び荷物を持ち、次々と店内に運ぶ。

 それから10分後、ようやく全ての荷物を降ろし終えて、マイルも含めた三人は「ふぅー」と一息ついた。


「一通り運ぶのだけは終わったかな。ナナもマイルさんもご苦労様。冷蔵品は俺が仕舞っちゃうから、その間に二人は休んでいてくれ。簡単なノンアルコールカクテルを作るから、飲んでいてくれるかな」


 アロイスが言うと、二人は「お言葉に甘えます」と、カウンター席に腰を下ろした。


「よし。じゃ、スッキリするカクテルを作るから待っててくれ」


 キッチンに立ったアロイスが取り出したグラスは、少し大きめのコリンズグラス。

 また、今回運んできてくれた素材から、ミントの葉、ライム、蜂蜜、サイダー水に、ゴツゴツしたロック・アイスらを準備した。


 まず、ミントの葉と輪切りしたライムをグラスに放り込む。次にソーダ水、蜂蜜をグラスの1/5程注いだら、『ペストル』と呼ばれる先端にギザギザ樹脂が付いた縦長の金属器具を用いて、ミントとライムを潰していく。

 混ざり合った所で、ロック・アイスを投入。その上から更にソーダ水をグラスの7割くらいまで注いだ後、蜂蜜を適量垂らして軽く混ぜる。

 ついでに、輪切りしたライムに切れ込みを入れてグラスの淵に立てる。しっかりと形の残っているミントの葉もカクテル表面に浮かべた所で、それは完成した。


「ヴァージン・モヒート、お待たせしました。ライムの香りと、ピリっとした炭酸の爽やかな風味を感じながら、蜂蜜の甘さをいっぱいに堪能出来る一品です」


 見た目も涼やかで、話を聞くだけで美味しそうだ。

 二人は、瑞々しく清涼した水面を煽ぐ。グビリと喉を鳴らしてそれを流し込めば、口いっぱいに爽快感と甘さが滑らかに広がった。


「あ、美味しいっ♪」

「わっ、凄く美味しい……」


 仕事の合間、甘くスッキリする味に全身が休まる。

 二人は満足そうな表情を浮かべてヴァージン・モヒートを一気に飲み干したのだった。


「仕事で運んできただけなのに、こんな美味しい飲み物をご用意して頂けるなんて。有難うございました」


 マイルは頭を下げた。


「ああ、良いよ良いよ。ヘンドラーにも宜しく言っといてくれな」

「お任せください。……ところで、先ほど荷物を運んでいる最中に、塩がないとか仰ってませんでしたか」


 おっと、聞かれていたか。

 アロイスは、砂糖や胡椒など基本的な調味料はあったのだが、塩だけが見当たらなかった事を伝えた。


「えっ、塩が無かったんですか」

「アイツの事だから忘れるわけはないんだろうが、不思議だな。わざとな気もするが」

「どうでしょうか。最近も多忙でしたし、忘れてしまったのかもしれません」

「うむ……まぁ疲労で忘れてしまう事もあるな。しかし塩くらい安く買えるし構わんよ」


 ハハハ、と笑うアロイス。

 だがマイルは「うーん」と考え込んだ。


「どうした? 」

「いえ、あのヘンドラーさんが塩を入れ忘れるなんて有り得るかなと」

「確かに中々珍しい話ではあると思うが」

「……あっ、待てよ」


マイルは「そういえば」と、思い出したように言った。


「塩といえば、このカントリータウンの一帯の地下鉱脈には豊富な岩塩が眠っていた筈です」

「……何。本当か?」


 ピクリ。アロイスは反応した。


「ご存知なかったですか。この一帯では良質な岩塩が採れるんですよ。もしかするとヘンドラー社長は、良質な塩をカントリータウン周辺で入手出来るという理由でわざと納品しなかったのかもしれません」


 その台詞ちょっと……待てよ。

 そういえば店を開く前に、ヘンドラーは地元の名物を活かして酒場経営をしていこうか、なんて言っていた気もする。


「まさかヘンドラーの奴、入れ忘れたんじゃなくて、それを言い忘れたって事か」

「はい。十分に有り得ると思います」


 なるほど、それなら辻褄が合う。どうするか。塩を入れなかった理由を電信機でヘンドラーに聞いてみるか。いや、わざわざ塩くらいで連絡するのも迷惑だろうし。


「そしたら……ナナ」


 本当に塩が有名なのだろうか。地元ネタといえば、ナナに聞いてみたほうが早い。


「はい、何でしょうか」

「この辺で岩塩が採れる場所って、聞いた事があるか?」

「えー……。お話を聞いていて、考えていたんですけど……」


 人差し指を下唇に当てて、首を傾げながら言う。


「カントリータウンで塩が名産品だって聞いたこと無いんですよね」

「む、そうなのか?」

「山菜やキノコは、たくさん採れますけど……。後は農業で小麦なんかが有名なくらいで」

「てことは、塩はあまり聞いた事無いってことか」

「そうなります。山奥でブドウを栽培してるって話も聞いた事はありますけど」


 長年住んでいる彼女が知らないということは、カントリータウンにおいて決して塩が有名というわけじゃないのだろうか。しかしヘンドラーの部下であるマイルが言っているのに、虚の情報であるという事も考え難い。


「マイルさん。地元に住んでいるナナが知らないらしいんだが、どの辺で塩が採れるか知ってるかい」

「……すみません。そこまでは。一帯で採れると話を聞いたことがあるくらいで」


 ナナは知らないと言うが、一流の商人は採れる話を聞いた事があるという。

 その観点から考えられる可能性といえば、答えは一つ。


「もしかして、冒険者によって卸されているのか」


 呟くように吐いた台詞にマイルは「そうかもしれません」と、即座に反応した。


「確かにダンジョンで採集される塩なら、一般の販売ルートに上がり難いです」

「やっぱりそうか? 」


 ダンジョンにおける産出品というのは、ほとんど採掘した冒険者が所属する冒険団を通じたルートを通って売買されるため、一般的な流通とは異なるルートを通うという特徴があった。


「それなら地元の冒険者なんかに聞いたほうが早いな。後で町に出て聞いてみるか」

「ええ、それが宜しいかと思います」


 マイルは頷いて言うと、ゆらりと席を立ち上がる。


「では、そろそろセントラルに帰ろうと思います。ご馳走様でした」

「あいよっ。ヘンドラーに宜しく言っといてくれ」

「はい。あと、食材が切れた頃に定期的に食材は運ばせて頂きますね」

「分かった、適当に待っているよ」


 片手を挙げたアロイスに、マイルは頭を下げる。

 ナナも「有難うございました」と言うと、マイルは扉の前でも一礼し、店を出て行った。


「……うむ、マイルさんも帰ったか。それじゃ、荷物の整理をしちゃおうか」

「そうですね。かなりの量がありますし」

「俺は冷蔵品を仕分けるよ。地下室に置いて来ないといけないものもあるからな」

「分かりました。それじゃ私は調味料や加工物を分けておきます」


 二人は担当を別れ、仕分けを始める。

 セントラルから運ばれてきた食材はかなりの量があったが、二人はスピーディな手捌きで、本来1時間も掛かるであろう作業を僅か30分で終わらせる事が出来たのだった。


「こっちは全部終わりました」

「ふぅ。こっちも終わったぞ。ご苦労様。少し休もうか」

「はいっ」


 食材や調味料を仕舞い終えた二人は、店内の中央テーブルに対面同士で腰を下ろした。アロイスは天井を見上げ、「ふわーあ」と大きな欠伸をした。


「とりあえず食料や調味料は確保出来たな」

「そうですね。今日、これから新しいメニューでも考えますか?」

「んー……」


 アロイスは天井を見上げたまま腕を組み、考えた。


(それも悪くないんだが、食料が多めに届いた理由はヘンドラ―の厚意だからな。折角だし、ナナに美味しいものでも食べて貰おうか……)


 そうだな。手紙にあった通り、嫌な経験をしてしまったナナに元気を出して貰うため腕を振るおう。

 指をパチンと鳴らして椅子から立ち上がって、

「ナナ。今だけお客さんになってくれないか?」

 と、伝えた。


「えっ?」


 お客さんになってくれ、とは。どういう事だろう。


「開店以降は手伝って貰うけど、昼間のお客さんとして俺の手料理を食べてくれ」

「ど、どういう……」


 急な話にナナは、うろたえる。そんな彼女に対し、アロイスは膝をついて、腕を差し伸べて言った。


「お嬢様、どうぞ此方へ」

「え、えっ。は、はい……」


 言われるがまま、差し伸べられた手に触れる。それを握り締めたアロイスは彼女を立たせ、カウンター席に座らせた。


「少々お待ち下さい。最高のランチを振る舞わせて頂きます」

「あの、アロイスさん、これは……」

「今はお客さんと、店主の関係でお願い致します」

「あ……え……。は、はい……」


 アロイスは、キッチン下の冷蔵庫から少し大きめの魚を取り出す。続いて2種のチーズに、トマト、生ハム、キュウリ。あとは適当に野菜を少々。ヘンドラ―のおかげで材料には事欠かない。


「直ぐに出来ますのでお待ち下さい」


 手早く、簡単なものから。

 三等分にしたキュウリを縦斬りし、それを生ハムで包む。白い皿に重ねて並べ、ドレッシングをふりかけて小さなハーブを添えるだけ。


「キュウリの生ハム包みです。お飲み物は、先ほどのモヒートを。この後もお仕事なので、アルコールは弱めに仕上げておきます」


 ナナの前に、涼やかなモヒートと鮮やかな生ハム包みが並べられる。それと、フォークとスプーンの入ったカトラリーケースを側に置いた。


「次のお料理が出来るまで、ゆっくり食事をしながらお待ち下さい」


 ナナは、いきなり他人行儀なアロイスに「は、はい」と緊張気味に言って、取り敢えずケースからフォークを取り出し、一口頬張る。ポリポリとしたキュウリの歯応えと、塩気のある生ハム。美味しくないわけがない。また、口の中が塩辛くなって水分を欲したところで、若干甘めのモヒートを飲むと、より強い爽快感が溢れた。


「あっ、美味しい……!」


 ナナは不思議そうにモヒートを眺める。僅かばかりの生ハムサラダだったが、ナナはそれらをゆっくりと味わった。

 その間、アロイスは彼女の様子を見て微笑みながら、メインとなる魚料理に着手していた。


 ジャガイモを薄切りして、ジャガイモらしい歯応えを残す程度に焼く。その合間、別のフライパンでは軽く塩を振ったサーモンを、玉ねぎと一緒に火が通るくらいに焼きを入れた。


「後はグラタン皿にバターを塗って……」


 用意した皿に、焼いたジャガイモ、玉ねぎ、サーモンを適当に放り込む。その上に満遍なくマヨネーズを薄塗りし、ナチュラルチーズを振り掛けた。


「後は強火力のオーブンでサっと焼けば……」


 冷蔵庫の横、キッチン下部に並び置いてある高濃度オーブンに叩き込み、数分。

 ちんっ♪

 と鈴の音が鳴った後にそれを取り出せば、サーモンのチーズ焼きがホクホクと美味しそうに湯気を立てていた。


「……メインです。お待たせしました」


 サーモンチーズ焼きと一緒に、取り皿を併せて彼女の前に並べる。ナナは、目の前に置かれた料理に目を奪われた。

 表面にはトロリとしたチーズがたっぷり、真っ赤なサーモンと食べ応えあるジャガイモに、甘みを引き出す玉ねぎが何とも良い香りだ。


「い、いただきますっ」


 ケースからスプーンを取り出し、それらを小皿に盛り付ける。

 とろ~りとしたチーズ。焼きあがったサーモン。大きめのジャガイモと玉ねぎ。

 早く、アツアツのうちに食べないと。

 

 ……パクリ……。


 あ、あついっ!

 はふはふと、口から湯気が出る。

 

 ……だけど。

 美味しいっ!


 ほとんどが素材由来の味付けで、柔らかい味わい。しょっぱいチーズとサーモンは、やっぱり良く合う。ジャガイモは、大きめに切られているおかげで歯応えが嬉しい。時折、しゃくしゃくとした玉ねぎから溢れる甘みは、強調することなく、ただそれでいて料理全体の味を引き立てていた。


 そして、彼女が本当に美味しそうに食べてくれるのを見て、アロイスも笑顔になった。


(……ナナ。心から笑ってくれたな)


 何とも美味しそうに食べるものだ。作り甲斐があったというものだ。

 

(やれやれ。今回ばかりは、あいつに感謝しないといかんな。もう少し、慎みを持ってくれれば最高の親友に……)


 彼女の元気な姿を見れたのは、悔しいけどお前のおかげだ。

 そんな事を考える。

 

 と、噂を掻き立てるようにアイツの事を考えた頃。

 その本人は、セントラルの商社にあるドでかい社長室にて、これまた大きなクシャミをしていた。


「……はぁっくしょいっ!」


部屋全体に響き渡る大きなクシャミ。鼻を啜る社長に、傍に立っていた女秘書が溜息を吐いて言った。


「せめて声を抑えるなど、もう少し慎みを持って下さい。ヘンドラ―社長」

「ランちゃん、スマンスマン」


 女秘書のランは、白黒のパリっとした正装に眼鏡と、眼光鋭く、やり手を感じさせる低めの口調。まるで大胆な社長とは真逆であった。

 

「風邪でしょうか。体調にはお気をつけ下さいといつも言っているでしょう」

「あー、ちゃうちゃう。どうせ誰かが噂してるんやろ。例えば、アロイスとか」


 ナハハ、と笑う。


「アロイス様ですか。以前、良くダンジョン成果を以て社長に会いに来られてましたね」


 アロイスが現役だった頃は、この社長室に幾度も足を運んでいた事もあって、ランとアロイスは顔馴染みでもあった。


「せやな、良く来とったわ。今は酒場主人やけどな。……て、あっ、そうや。アロイスといえば、連絡するの忘れてたわ」


 座っている社長椅子のテーブル脇、引き出しの一番上段を開いて小さなメモを取り出す。


「それは何でしょうか……?」


 女秘書ランが尋ねる。


「これはカントリータウンの産出品の一覧をまとめたもんや。酒場やるなら地元の品使って料理したほうがええし、安定した供給が出来る素材を調べるうち、あの一帯では良質な『塩』が産出品として登録されていたんや」


 ぴんっ、とメモを秘書のほうに弾き飛ばす。彼女はそれを受け取って、目を通しつつ説明に耳を傾ける。


「せやけどな。その『塩』は、地下を走る高難易度ダンジョンからしか採れへんらしいから一般ルートじゃ出回ってないし、地元民もそうそう知らんらしい」


 ランは興味深そうに「そうなのですか」と、答える。


「ああ。とはいえ、折角やから地元で採れた塩をウリにしたらええんやないか思ってな。ほら酒飲みは味付け濃い塩料理を好む場合が多いしな」


 しかし、ランは首を傾げた。


「社長。そうは仰る通りですが、塩を手に入れるには難易度高い地下ダンジョンに向かわねばならないんですよね。アロイスさんのご負担になりませんか。此方側で購入して送り届けるという手段でも宜しかったかと」


 実は塩が豊富に採掘可能な場所は、命を落とす冒険者が存在するくらいに危険なダンジョンの奥深くだった。ところがヘンドラ―は、それを知っていても、それ以上にアロイスという男が、余裕でその場所まで辿り着いてしまうだろうということを知っていた。

 それと……理由は、もう一つ。


「あのアホ、自分では冒険者を引退した言うてたが、内心これを知ったらワクワクするで。塩採るだけかもしれんけど、ダンジョンに潜ることはアイツにとって良いストレス発散になるはずや」


 長い付き合いで、心内くらい簡単に分かる。

 自分が無理やり巻き込んだことは理解してるし、その分、どれだけ楽しんでアイツに酒場をやらせるかってことは常日頃考えていた。


「……後で塩について、ダンジョン潜って採るように電信機で連絡しておかんとな。それと、また顔出しにも行かんとなー」


 すると、その台詞を聞いたランは鋭い瞳でヘンドラーを睨んだ。


「社長、そんなお暇があるとお思いですか」

「……怖いわランちゃん。仕事はきちんと終わらせてから行くから安心してや」

「それなら宜しいのですが。ではお話もこれくらいにして仕事をしましょう」

「へい……」


 ヘンドラーは、嫌々そうに机で山積みになった資料に目を通し始めた。


(やれやれ、ワイが面倒見るいうたのに、あまり顔出しも出来んでスマンな。せやけど、お前なら大丈夫やろ。ワイも仕事頑張るし、出来る限りバックアップするから、お前も楽しんで頑張れや)


 ヘンドラーは社長室の窓から見える晴れ渡る青空を嘆じながら、親友の成功を静かに願ったのだった。


…………


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る