2.罪深き偽り

【2018年5月5日。】


 その日は、朝から酷く雨が降っていた。

 午後になっても、ざぁざぁと音を立てて降りしきる雨。だが、前も見えないような状況ではあったが、それでもカントリータウンは傘を差した冒険者や観光客で賑わいを見せていた。


「いらっしゃいませー!」


 商店通りに響く声。

 市場に並ぶ店々の看板には『雨天セール』なんて、どんよりする雨模様を好転させてやろう、という気持ちが晴れ晴れに伺えた。


 だが、その心遣いに包まれていた商店通りの入り口に、傘も差さず、全身を濡らしながら不敵な笑みを浮かべる連中が現れた。


「ここは、カントリータウンとかいう町だったなぁ……? 」


 男の一人が言う。背後に着いていた面々は、嘲る様子で返事した。


「ああ。楽しそうな、良い町だな」

「クックック、本当に楽しめそうだな」


 彼らはそれぞれ銀の長剣、槍、鎚を背負う。また、全身には薄汚れた茶色の革服を着用しているあたり、恐らくは冒険者のようだ。


「……さて、行こうか」


 長剣を所持した先頭に立つ男が言うと、後ろ二人は「おうっ」と笑い、三人は歩きだす。

 ……一体、彼らは何者なのか。

 別に冒険者が堂々と町中を闊歩するのは珍しい事じゃないが、それにしても異様な雰囲気を醸し出している。


 すると、三人が商店通りのアーケードを歩くうち、対向を歩く青年の冒険者の傘がすれ違いざま、先頭を歩いていた長剣の男の肩に掠ったのだが、その時。事件は起きた。


「何すんだてめぇッ!」


 ぶつかった冒険者が謝る前に、長剣の男はその顔面を殴りつけたのだ。

 当然、冒険者は地面に転んで全身を濡らす。唇を切って血を流し、ジンジンとした痛みに頬を押さえつつ、三人を睨んだ。


「い、いきなり何をするんだ!」


 青年が叫ぶと、今度は背後に居た鎚を装備した男がゆらりと前に出て、あろうことか武器を抜き、青年に突きつけた。


「……黙れよ、コラ」

「ひっ!?」


 いきなりの交戦態勢に、青年は悲鳴を上げる。


「お前、うちのカシラにぶつかっておいて、その態度。舐めてんのか」

「な、何が……!」

「おうコラ。てめぇがその気なら、俺らと戦争すっか。どこの冒険団だ、テメェ」


 鎚の男は屈んで、殺意を持った睨みを利かせる。

 あまりの圧倒感に、青年は萎縮して「す、すみません」と震えて謝った。


「最初から喧嘩売るんじゃねェよ、テメェ」


 鎚の男は青年の髪の毛を掴み、前後に揺らす。そして、言った。


「覚えとけ。俺ら世界一の『クロイツ冒険団』様に逆らったらどうなるかって事を」


 青年はその名を聞いて、驚き、かつ、悲観に満ちた表情を浮かべた。

 

「ク、クロイツ……。あのクロイツ冒険団!?」

「ああ、そうだ。テメェは俺らに盾突いた。俺らに戦争仕掛けたって事だよなぁ」

「そ、そんな!」


 冗談じゃない。そもそも喧嘩すら仕掛けていないというのに。


「……死んどけやっ!」


 後方に居た槍の男が、拳を構える。

 青年が「止めてください!」と、言う間もなく、その拳は再び青年の顔を捉えたのだった。


 ガンッ……!


 …………ガンガンッ!


 ガンッ……ガンガンガンッ!


 と、その頃。アロイスの酒場にて、ナナは、その手に麺棒を持って、キッチンで巨大なステーキ肉を鼻歌混じりにガンガンと激しい音を鳴らして殴っていた。


「ふんふーん♪」


 比較的、かなり安価で手に入るステーキ肉は、そのまま焼いても硬くゴム草履のようで、まるで食べれた代物じゃない。

 そこでステーキ肉に切れ込みを入れ、麺棒や包丁の背で内側から外側へ繊維を潰すという仕込みを挟むだけで、高級肉にも劣らないような、柔らかく美味しい肉料理に仕上がってくれるのだ。


「できました、こんな感じですか?」


 少し平べったくなった肉を、同じキッチンに立つアロイスに見せる。ほぼほぼの仕上がりに、アロイスは「うん」と頷いた。


「上々だ。こっちはソースが完成間近だから、ステーキ焼いちゃってくれ」


 アロイスの手元では、真っ赤なソースがグツグツと沸騰する。それは、唐辛子と塩、酢など混ぜ合わせた辛みのあるチリ・ソース。

 牛のステーキ肉に癖のあるチリ・ソースを合わせ、アクセントな味わいの肉料理を目指す。きっと美味しいだろうと想像はついているが。


「じゃ、隣で焼いちゃいますね」

「おーう」


 ナナはアロイスの隣に立ち、コンロに真新しいフライパンを置いて火を灯した。


「美味しく焼けるといいなー♪」

「美味しいと思うぞ」

 

 彼女は、赤色のラインが入ったストライプシャツと、小さなベルト付きのシンプルなスカートに、猫のワンポイント刺繍がされた桃色エプロンを着用する。

 アロイスは、本格オープンに合わせて町で購入したワイシャツと、黒のズボンと無地のエプロンを身に着けて調理をしていた。


「うーむ、簡単かと思ってチリ・ステーキを作ったが……結構な手間がかかるな」

「そうですね。事前に仕込みをしていれば焼くだけですけど」

「ただ、適当に数を仕込むと無駄になるからな。固定メニューには組み込めそうにもないか」


 初日オープンから4日が経った。

 ドタバタ正式開店からは、連日夜に客が来てくれていたが、未だ固定メニューが定まらず、客が食べたいメニューを作るというやや不安定な位置取りで儲けを出していた。もちろん、そんな酒場も面白くはあるが、やはり一定のメニューを供給したいという考えもあって、昼間はナナと共に固定メニューの模索に励んでいたというわけだ。


「……メニューを考えるって、やっぱり難しいですよね」

「そうだな。というか、アイツは手伝うといったきり何の連絡も寄越しやがらないで……」


 ヘンドラーめ、開店に関しての不安を、

「ワイがいますね」

 で、全部を片付けていた癖に、いざとなると姿も現さない。

 とはいえ、アイツが店に訪れない間にも、意外とスムーズに事が運んでいる辺り、それを予想しての立ち回りだと思うと、やはり優れた経営手腕の持ち主だとは思う。


「ま、今は俺が店主なんだ。やれることやって、客に満足してもらえるよう努力するさ」


 どうしてだろう。アロイスが言うと、こんなにも心強く聞こえてしまう。ナナは小さく笑みを浮かべた。


「……おや」


 すると、その時。

 ステーキが焼き上がるかどうかという寸前、玄関の扉がドカンッ!と、勢いよく開かれた。


「きゃあっ!?」

「な、何だ……?」


 突然の大きな音に驚いた二人は顔を上げる。

 と、そこには長剣、槌、槍、それぞれ武器を携えて全身をビショ濡れにした男三人組が笑いながら立っていた。


「……失礼するぜ」


 まず、長剣の男が店内に足を踏み入れ、後を追って残り二人も中に進入してきた。

 

(何だ、こいつら)


 不穏な雰囲気。

 一旦フライパンの火を消して、アロイスは三人のもとに近づいた。


「すみません。まだ開店時間じゃないので」


 彼らを見る限り、どうせ聞き分けはないだろうと思いつつも一応伝えてみる。だが、やはり彼らは聞く耳を持たず、ドカドカと4人掛けの丸テーブルに腰を下ろし、その上に足を乗せて暴力的に言った。


「酒出せや。町に聞いた話じゃ、ココは良い酒場らしいじゃねえか。金ならあるんだ、俺らのために店を開けろやッ!! 」


 金はある。さっさと酒を用意しろ。

 長剣の男は、懐からビショビショに塗れた財布をアロイスに投げつけて言った。


「あのな、金の問題じゃなくて……」


 横暴な奴らだ。そもそも金の問題じゃない。溜息を吐きながら、床に落ちた財布を拾うと、ベタッとした触感に、手のひらを見ると、それは赤い血に濡れていた。


(こいつら……)


 風貌から分かる通りだったか。ろくなやつらじゃない。


 ……どうするべきか。


(あまり宜しい状況ではないな。ここは力づくでも帰って貰うべきか……)


 どうやって店から追い出してやろうか。

 そんな事を考えていると、ナナが三人分の大きいタオルを持って三人のもとに近づいた。


「そんなに濡れてたら風邪引いちゃいます。これ、使ってください」


 この瞬間だけ、彼女の優しさがいっぱいに光った。当然、持て成された人らは彼女の優しさと笑顔に堪らなく嬉しくなるだろう。


 ……彼らが普通の客だったならば。


「……えっ!?」


 しかし、あろうことか長剣の男は、タオルを受け取らず、それを渡そうと伸ばした彼女の手を握り、自分に抱き寄せた。


「な、なんですか!?」

「可愛いじゃん。お前、俺らの酒の相手しろよ」


 長剣の男は不適に笑い、抱き寄せたナナの腹部を片手で弄りつつ、エプロンと服の隙間から手を入れようとした。


「やっ……!」

「へへっ、動くなって。店主も動くんじゃねぇぞ!」


 かなり慣れた手つき。恐らくは、こんな事ばかり繰り返していたに違いない。

 だが幾ら犯罪を繰り返し慣れている三人でも、不運だったのは、ここが、

『アロイス・ミュールの酒場』

 だった、ということだ。


「……その手をどうするつもりだ」 


 彼女を辱めようとした手を、アロイスはすかさず握り、動きを止めさせた。

 長剣の男は「あん!?」とアロイスを睨むが、その一瞬のうち、彼の即頭部にビキリと血管が浮き立ち、悶えた表情を浮かべた。


「う、うおっ!?」

「その手を離せ。それとも、このまま……」

「ち、ちょっ……」


 アロイスは、掴んだ男の腕を握りつぶさない程度の握力で絞めていた。あまりの激痛に、男の額からは濡れた雨雫とは違う、発汗による雫がタラタラと流れ始める。


「……ッ!」


 このままでは潰されてしまう。

 男は「分かった……」と言って彼女から手を離すと、ナナは急いで逃げ、アロイスに抱きついた。


「アロイスさんっ……」

「怖い思いをさせたな。すまない」


 アロイスは男から手を離すと、少しを距離を置き、ナナの背中に優しく手を回して守るように抱きしめた。


「いって……。く、くそが……」


 一方、長剣の男は握り潰されかけた手を押さえながら立ち上がる。他二人も併せて立ち上がり、所持していた武器を取り出し、二人に向けた。


「アロイスさん、あの人たち……!」

「大丈夫だ。俺の腕ん中で安心しておけ。俺は強いんだぞ、なっ」


 力強い言葉。ナナはアロイスの言葉にこれ以上ない強い安心感を覚え、その身を委ねることが出来た。しかし、アロイスの安心をさせる体に宿った怒りは耐え難く、その瞳は三人を睨んでいた。


「何だテメェ、その目は……」


 槍と槌の男はアロイスに近づこうとするが、腕を潰された長剣は一番の憤りを感じていても、自分の気持ちと、その二人を抑えた。


「どうした、何故止める!」

「あんな店主一人、簡単に打っ飛ばせるだろ!」


 憤慨する二人だが、長剣は「止めろ……」と、痛み走る腕を嫌でも感じながら、必死に仲間を抑えた。


(あ、あのままだったら俺の腕は潰されていた。野郎……。だけどな……)


 幾ら店主が強かろうと、あの名を出せば戦慄するに違いない。

 長剣はアロイスを掌握してやろうと、彼らがいつも繰り返してきた決まり文句を口にするが、それによって更にアロイスの怒りを買ってしまうとは思いもしなかった。


「お、おい店主。お前、俺らが誰か知ってそんな態度を取ってるんだろうな……」


 潰され掛けた腕とは逆の腕で、店主を指差して言う。

 アロイスは「ほう、誰だというんだ」と尋ねると、長剣は言った。


「俺らはクロイツ冒険団だぞ!世界一になったクロイツ冒険団に喧嘩を売るっつーんだな!」


 それを聞いたナナは、ハッとしてアロイスの顔を見上げる。アロイスの顔は比較的穏やかだった。だが、どこかその静けさが不気味で。


「……ナナ。ちょっとだけキッチン側に立っていてくれるか」


 抱きしめていた手を離し、キッチン側に向かわせる。

 長剣以外の二人が「何を勝手にやっている!」と怒鳴りつけるも、ナナがキッチンに避難したところでアロイスは口を開いた。


「何を、勝手にやっている……というのは此方の台詞だ」


 三人に強い眼差しを利かせて言う。


「ンだ、コラ……」


 アロイスの強気な態度に、槌の男は打って出ようとするが、アロイスは言った。


「お前らは『どこの』クロイツ冒険団だ。言ってみろ」


 ……と。



 その台詞に、「えっ」と三人は顔を見合わせた。

 今までは『クロイツ冒険団』であると言っただけで幅を利かせる事が出来ていた分、アロイスの反応は新鮮で、どう反応すれば良いか迷ってしまったようだった。


「ど、どこのだと……」

「そりゃ、お前……」

「お前、そりゃあそこだよ。なぁ、リーダーが答えろよ……」


 ボソボソと小声でやり取りする三人組。

 アロイスは彼らの反応を見つつ、「ああ、そうか」と手を叩いた。


「お前らもしかして、サウスフィールズの面子か。そこで見た事がある気がするぞ!」


 笑顔を見せて言ったアロイスに、三人は声を揃えて「あ、あぁ!」と頷いた。


「何だ、それならそう言ってくれれば良かったのに。だったら座ってくれ。丁度、旨い肉と美味しい酒を用意してたんだ。奢るからよ、待っててくれるか!」


 アロイスの勢いに、三人は促されるまま腰を下ろす。

 また、三人の視点からは、彼が『クロイツ冒険団の関係者なのでは』という疑念が生まれた瞬間でもあった。


 アロイスは、

「直ぐに料理と酒を出すよ」

 と、キッチン側に向かうが、三人には悟られないよう、ナナにウィンクして合図した。


(あっ……。アロイスさん、もしかして……)


 アイコンタクトを見たナナは、それを理解して小さく頷く。アロイスはキッチンに立つと、先ほどまで作っていたチリ・ソースと幾つかの材料を使いながら、何かを作り始めた。

 その傍ら、彼らには聞こえないよう小声でナナに話かけた。

 

「ナナ、大丈夫か。すまなかった。怖い思いをさせたな」

「い、いえ。すぐ助けて貰いましたし平気です。それに……」

「うん」

「……あっ、何でもないです」


 それに、アロイスさんに抱き締めてもらったから、気持ちが和らぎました。とは、何だか恥ずかしくて言えなかった。


「そうか。でも恐怖は拭い切れるもんじゃない。何かあったら俺が力になるから言ってくれな」

「……はいっ。ありがとうございます」


 本当に優しい人だ。

 その優しさが、堪らなく嬉しくなる。


 と、そんな優しさを振り撒くアロイスが何かを作っている最中、椅子に腰を下ろした三人も、コソコソと何か話をしていた。


「おい、あの店主の言い草、もしかして本当にクロイツの知り合いなんじゃないか」

「馬鹿言え、こんな田舎の酒場にクロイツを知る奴がいると思うか」


 槌と槍はアロイスを疑うが、長剣は「待て……」と、その疑念を確信とする体験をした事を伝える。


「割と本当かもしれないぞ。これを見てくれ……」


 さっき握られた腕を見せると、そこには真っ赤に晴れ上がった手形が付いていた。未だブルブルと震え、痛みに発汗した雫は引いていない。


「な、何だそれ……!」

「たかが握られただけでコレだ。料理人でこんな腕力が有り得ると思うか……」

「じゃあ本当にクロイツの知り合いなのか」

「可能性はある。だけどアイツは自分から俺らを仲間だと思ってるようだし、上手く取り繕うんだ」


 槌と槍は「分かった」とそれに合意する。

 と、そのタイミングでアロイスが「出来た!」と調理を終えたようで、三人の注目はアロイスに集まった。


「出来たぞ、みんな!」


 手を振って此方に笑顔を振り向くアロイスに、三人も薄ら笑いして答えた。


 ナナは何を作ったんだろうと手元を覗いてみると、そこには、真っ赤でドロリとした怪しい液体が、小さいU字グラスに注がれていた。


「な、何ですかそれ……」

「んー、何でしょうか。フッフッフ……」


 ベロリ、と長い舌で上唇をするアロイス。絶対に良くない事を考えている顔だ。


「そこで待っていてくれ。クククッ……」


 アロイスは4つのグラスを、お盆に乗せ、それらを三人の待つテーブルに運ぶ。

 そして、1人ずつ手元に真っ赤なグラスを置いて言った。


「お待たせして申し訳ない。いやー、最初からクロイツのメンバーだと言ってくれれば最高の持て成しをしていたのに。さっ、仲間同士でいつものように、ウェルカムドリンクを四人で乾杯して飲もう」


 彼らの前では、屈託ない笑顔を浮かべるアロイス。

 まず長剣が「いつものように……そうだな」と分かっている風にグラスを手に取り、あとの二人も続いた。酷い仕打ちが待っているとも知らずに。


「おっ、分かってるね君たち!」


 やつ等を、乗せるだけ乗せる。三人はこの行動が間違っていなそうだと安心して、歓声を上げた。


「の、飲むぞ。昔みたく乾杯しような、店主!」

「そ……そうだな。飲もう、楽しく飲もう!」

「い、いつでも飲めるぜ!」


 三人がグラスを手に取った後、アロイスも自分に用意したグラスを取る。


「乾杯しよう。準備はいいかい」


 三人は「ああ」と頷く。

 アロイスは「乾杯」と言って高々と腕を上げと、三人も声を揃え、乾杯とグラスをかち合わせた。


「……飲み干すぞっ!」


 そう言って、まずアロイスが小さなグラス一杯を直ぐに飲み干す。

 長剣、槌、槍も合わせてグイッと一気にそれを流し込んだが、それが起きたのは、次の瞬間だった。


「……うおっ!?」

「ぬがっ!?」

「ぐぉっ!?」


 これまた三人合わせて一気に喉を押さえ、声にならない悲鳴を上げた。その後、顔を真っ赤にして叫んだ。


「かっ……辛ぁぁぁっ!」

「熱ぅぅぅうっ!!」

「痛ぁぁぁあっ!」


 三人は床に転がって、のた打ち回った。一方でアロイスはそれを涼しい顔で見下ろしていて、ナナは近づきすぎないようアロイスの背中に隠れつつ、彼らの様子に「一体どうしたんですか」と訊いた。


「はっはっは、激辛の火を噴くカクテルを飲ませたんだ」


 乾いた笑いをしながら答えた。


「げ、激辛のカクテルって。そんなのあるんですか? 」

「あるぞ。通称『ブラッディメアリー』。本来は辛味がアクセントの旨いカクテルなんだが……」


 ニンマリと笑う。


「アクセント程度に留めたのは俺のカクテルだけだ。奴らのカクテルには、本来投入するべき甘味材料は混ぜないで、辛味だけで作ったんだ。丁度良いソースも用意していたわけだし」


 ブラッディメアリーは、その名の通り『血濡られたメアリー』、という意味を持つ。

 

 使われる素材は基本的に3つ。

 ウォッカ、トマトジュース、ペッパー等の辛味調味料である。


 そのため、出来上がりは恐ろしくは赤く染まった血のような見た目になる。

 しかしアロイスが説明した通り、辛味はあくまでもアクセントとして利用するカクテルであって、パンチは効いているが、床を転がるほどの強さはない。


 ところが、今回はウォッカ・ベースということを利用してアルコール純度を極端に引き上げたうえ、トマトジュースを少量にチリ・ソースで色染めし、ペッパーやタバスコまで許容範囲を越えるくらいにステアしたものだった。当然それを一気に流し込んだ三人の器官はズタボロになるわけだ。


「デメェ、何を…じやがっだ……!」


 辛さを通り越して、熱気。熱さを越して、痛み。激痛を伴った三人の顔は、燃え上がるように真っ赤になっていた。


「何をしやがったって、お仕置きだ」

「お、お仕置きだど……」


 他二人が完全に呼吸困難寸前に陥っている中、長剣だけは『カシラ』の意地か、言葉にならない声でアロイスに訴えかける。それを見下ろすアロイスは、冷たい声で言った。


「覚えとけ。冒険団クロイツのメンバーは、自らをクロイツの人間だと必要最低限以外は名乗ったりしない。何故なら、自らの行動に責任を持つという事を常に意識しているからだ」


 彼らが偽者であることくらい、その態度で分かっていた。もし本当にクロイツの人間だったとしても、それらは決して許される行為ではない。偽りだろうと、本物だろうと、その戒めの考えは、ここで断たねばならないだろう。


「……終わったな。後はしばらく動けないはずだがー……」


 と、三人が完全にノックアウトした時。

 コンコンッ、と店の扉を叩く音が聞こえた。


「ん……どうぞ」


 誰か、このタイミングで客でも来たのだろうか。アロイスが入って下さいと言うと、開かれた扉に立っていたのは、軍服のような黒の制服と制帽を被った『警衛隊』の二名だった。


「警衛隊……」


 警衛隊の二名は、アロイスを見るやいなや、右腕を自らの肩の高さと同位置で突き出して拳を握り締め、そのまま左肩を叩き音を鳴らした敬礼ポーズを取った。


「アロイス殿のお店ですね。此方に、怪しい三人組が向かったとご報告がありまして。ご無事でしょうか、怪しい客などは見かけておりませんか!」


 警衛隊の台詞に、アロイスは「なるほど」と言って、彼らの位置から見えやすいようテーブルをどかし、床に転がる三人を指差した。


「こいつらですね。うちの店で散々暴れて困りましたよ。警衛隊に連れて行こうかなと思っていたところでした」


 三人は未だに舌を出し、悶え苦しんでいた。その様子に警衛隊の二人は驚いたが、直ぐに話に聞いていた通りの容姿だと確認して、床で這い蹲る三人の腕に手錠を掛けた。


「……と、警衛隊さん。これ、そいつらから代金として貰ったんですけど、本来の持ち主に届けて下さいますか」


 アロイスは奴らから渡されていた、血に塗れた財布を渡した。


「中身は見てないので良く分かりませんが、恐らくはそいつらが誰かから奪ったものかと」

「おぉっ、ご協力感謝します。……しかし彼らを黙らせるとは、聞きしに勝る腕の持ち主のようですね」


 隊員は警帽のつばを指先で挟んで、会釈して言う。


「いえいえ、ただの酒場経営者ですよ」

「はは、ご謙遜を。これで悪者退治は二度目ですからね。アロイス殿は警衛隊のほうが向いていらっしゃるのではないですか」

「そんな事は無いですって。たまたまですよ」


 腕っ節だけなら現役以上、恐らくは世界最高峰である事は揺ぎ無いだろう。だが今は最高峰の憩いの場を目指す、しがない酒場主人なのだ。


「たまたまだとしても、二度も手柄を取られてしまっては我々の立場も危ういですね。もっとアロイス殿や町民たちが安心できるよう尽力して参ります。では、そのうち非番の日にはお店にも客として顔出ししますので、その時にでも」


 隊員は、ドンッ、と鳴らす敬礼ポーズを取ると、捕縛した三人と共に外へと出て行った。

 残されたアロイスとナナは少し間を置いて、ようやく落ち着いた事に「はぁーあ」と深い不快な溜息を吐いて、互いに近くの椅子に腰を下ろした。


「何だか疲れたな。無事に捕まって良かったけども……」

「そうですね……」


 床は奴らの飲みカスによって赤く染まり、開店までに掃除をして色落としをしなければいけない。全く、余計な仕事を増やしてくれる。


「……はぁ。掃除するか」


 アロイスは重い腰を上げ、キッチンに在る雑巾を取りにいこうとした。と、その背中にツンッ、と何かが触れた。


「ん……」


 何だろうか、首だけ動かして背後を見る。そこには、人差し指と親指で服を摘み、俯くナナの姿があった。


「……っ」


 彼女は言い知れぬ雰囲気で沈黙したまま動かない。


「ナナ……」


 彼女は言葉を発さなかった。

 ……分かっている。彼女の気持ちくらい。

 気丈に振舞っていても恐怖に怯えていたことや、二人きりになって緊張の糸が解れたこと。

 

「何か力になれることがあるか」


 アロイスが言う。

 ナナは、

「少しだけこのまま……」

 と、息を吐くように答えた。


 静けさに満ちる店内。聴こえて来るのは、外の雨音ばかりだ。


「次は、あんな思いはさせないからな」

「……はい」


 未だ、雨が止む気配はない。

 だけど、きっと明日には晴れるだろう。


 きっと、晴れるだろう。

 

…………


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