第10話:ゴブリン工務店

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 ナナの自宅から10分ほど歩いたところ。

 道なりに歩いて直ぐ、木造やレンガ造りの住宅街が見えたと思えば、その向こう側に一本道を挟むように活気に満ちた商店街が顔を覗かせた。


「あれがカントリータウンの商店街か」

「はい。冒険者さんや観光客がそれなりに多いので、結構賑わっているんです」

「確かに冒険者が多くて賑わってるなー」


 カントリータウンは広大な土地を有するイーストフィールズ圏に属している。

 世界全土で燃え盛った人と魔族の古代戦争は、戦いやすい広大な大地を用いたり、山々で壁を築いたりして勢力争いを繰り返した。その為、カントリータウン周辺にはダンジョンが多く眠っていて、自然を求める観光客だけでなく、冒険者たちも訪れる一大産業地でもあった。


「ふーん……。おっ、あっちの少し離れた脇道にある沢山の建物はなにかな?」


 ここから見える山の麓には、赤レンガ造りのそれなりの高層感のある古風な建物が見えていた。あれは何だとアロイスが訊くと、ナナは「宿の集まりですね」と答えた。


「なるほど。冒険者や観光客が宿泊する宿街って感じかね。へぇー、大自然の中に色々と凝らした建物や賑わいがあるっていうのは良い感じだ。楽しいな。本当に良い町だなーって思うよ」


 アロイスは右手を額にあて、あちこち見渡しながら言った。


「ふふっ、褒めて頂いて有難うございます」

「うん。それで、例のゴブリン工務店はどこにあるんだ?」

「あ、それは商店街の中心位置にあるので……もうちょっとだけ歩きます」


 客で賑わう商店街の一本道。

 折角なので、ナナはアロイスに町を説明・案内しながらゆっくりと歩くことにした。


「意外とカントリータウンは広いんですよ。大きな森とか、湖とか、畑が大半ですけど」

「うむ。しかし町も思っていたよりずっと賑わってるし驚いたよ」

「そうですね。地元民にとって生活必需品が揃うくらいはお店はありますから」

「ふむ。結構ナナも商店街に出て買い物はするのか?」


 アロイスが聞くと、ナナは「はい」と頷く。


「うちはパンが主食ですから、料理に使う小麦の消費が多いから買い物に来たりはします。あと、日用品なんかも足りなくなったら買いに来ます」


 また、ナナは「あ、そうだ」と付け加えて言った。


「日替わりって言うのかな……、地元のお店の店員さんが釣った魚や、猪とか鴨、熊のお肉が並んだりすることもあるので、それを目的に見に来たりもします。あとは、都市部や別の町から行商人が珍しい物を売りに来る事もあったりもしますね」


 ナナの説明に、アロイスは「ほぉー」と興味津々に言った。徹底された商品管理で仕込まれた売買品が並ぶより、そういった自由主義な仕組みのほうが何だかワクワクする。


「楽しい町だな。俺が獣を狩りしたらお店で売れっかな」


 冗談半分に言ってみるアロイスだが、ナナは「あ、売れますよ!」と即答した。


「カントリータウン周辺にはダンジョンが多いので、長期滞在するために宿代を稼ごうと狩りをして生計を立ててる冒険者さんもいるみたいです。獣や魔獣を倒して素材を売って生活する冒険者さんの事って、確か、何とかって呼ぶんですよね……」


 ナナは思い出そうとするが、中々浮かんでこない。

 代わりにアロイスが、

「ハンターかな」

 と、答えた。


「そう、それです!ハンターと呼ぶんだって、お父さんに聞いた事があります」

「なるほど。ハンターってのは、冒険者なら誰もが通る道だからな」

「誰もが通るんですか?」

「ああ。ハンター業は冒険者にとって切って切れない縁だろうな」

「そうなんですか。ハンターさんイコール冒険者って事になるんでしょうか」

「いや、違う。ハンターっていうのは……」


 ハンターとは、世界に蔓延る『獣』の類、特に魔獣をハントして生計を立てることだ。それは町民の依頼であったり、自立的であったり、様々な稼働理由があれど、害獣や希少種を討伐して素材を売る…という点は大体一致している。

 そもそも冒険者という職業は、冒険者として成果を挙げる事が難しいという話しが大前提にあって、実際の統計数値としても世界人口のうち10%も占めると言われる冒険者だが、純粋な『冒険者』として生計を立てることは難儀であるため、大半がハンターを生業にして生活しているのが現実である。


「へぇぇ、ほとんどの冒険者さんが、冒険者だけじゃ食べていけないってことなんですね」

「そういうことだな。いつの間にか副業のハンターが本業になってるって話も少なくないくらいだ」

「うーん。じゃ、アロイスさんも主にハンター業で生活してたんですか?」

「ん、俺か……」


 アロイスはハンター業に手は出したことはあれど、10代前半の頃に、社会経験として少しだけ齧った程度だった。実力主義で上位に上り詰めたアロイスは、その数少ない純粋な冒険者としてだけ生業を立てることが出来ていた栄光を掴んだ冒険者の一人であるからして……。


「俺は……ずっと若い頃に少しだけやってたが、後は冒険だけで生計を立てていたな」

「えっ。それは凄い事なんじゃないですか」

「いやいや凄くないさ。たまたま仲間に救われてただけ。俺一人じゃ何も出来なかったよ」


 ハハハッ。笑ってアロイスは言った。


「アロイスさんは凄く強そうですけど、お仲間さんも強かったってことですね」

「……強かったよ。俺の我がままに最後まで付いて来てくれて、良い奴らだった」

「そっかぁ。アロイスさんがそんなに言うなら、最高のお仲間さんだったんですね」


 アロイスの話を聞いたナナは何だか嬉しくなって、笑顔になった。

 ……と、その時。


「あっ」


 そう言って、ナナは足を止めた。


「どうした?」


 同じく足を止めたアロイスが尋ねると、ナナは手前にあった店を指差して言った。


「ここです。着きましたっ」

「なぬ。ここがゴブリン工務店なのか」

「はいっ」


 それは、木造で造られた二階建ての建物だった。

 シンプルな四角い形状をしていて、見うる限り一階が店舗で二階が兼自宅のようだ。

 また、二階の窓付近に貼られている少し大きめの看板には、工務店を意味する

『 Baumarkt 』

 という文字が墨文字で書かれていた。


「ここがゴブリン工務店か。見た目は普通の工務店だな。とりあえず入って挨拶をしてみようか」

「そうですね。それに、事情を説明したら力になってくれるかもしれませんし」


 いざ工務店に入ろうと、一歩踏み出すアロイス。

 だが、しかし……。


「出てけ、この野郎ォッ!!」


 突然響き渡る怒号。アロイスが引き戸に手をかけるより早く響く声。そして、入り口が激しい音を立てて開いたかと思えば、中から二人の若い冒険者が転がるように飛び出した。


「な、何だよそこまで怒鳴る事はないだろ!」

「俺らはただ洞窟で使う道具を売ってくれって言っただけじゃないか!」


 飛び出した二人の冒険者は声を荒げ、店の出入り口を睨む。

 すると、彼らに続いて店の中から現れた、長い白髭を携える古老らしいゴブリンが、額に血管を浮き立たせて大声を吐いた。


「他所者に売るモンはねェわいッ!さっさと町から出て行かんかァッ!儂は冒険者が大っ嫌いなんじゃッ!道具が欲しけりゃ都市に戻って買に行けッ!!」


 轟々と声を轟かせるゴブリン族の男。

 小柄で薄緑色の皮膚、作業服から垣間見られる腕は太く、ゴブリン族らしい。ただ、年相応に白髪の頭は薄いようだ。


(……ああ、話通りだ)


 そして彼を見たアロイスは、多分というか、確実に。

 彼こそ、このゴブリン工務店『Baumarkt 』の店長なんだなと理解した。


(予想以上に頑固気質くさいぞ、こりゃ。何を話しても受け入れられそうに無いのだが、大丈夫か……)


 彼との出会いは嵐の兆し。面倒な波乱の予感を感じさせるものだった。



「……ちっ、行こうぜ」

「売ってくれるくらい良いじゃないかよ。ふざけやがって……」


 怒鳴られた冒険者二人は、いそいそとその場を後にした。

 彼らが消えるとゴブリン工務店の店長は、

「やっと行ったか、バカどもめ」

 と、追い打つように言ったあと、立ち尽くすアロイスとナナの存在にようやく気づく。


「何じゃ貴様ら」


 自分より遥かに大きいアロイスに対しても、変わらぬ強気な態度を取る店長。


「あ、いや。私は……」


 いきなりの喧嘩腰にアロイスは退くが、そこでナナが二人の間に割って入った。


「カ、カパリさん。こんにちわです」


 彼女を見た店長カパリは一瞬「あぁん? 」と、ナナを睨んだが、彼女が顔見知りだと分かると若干表情が和らいだ。


「おや、ナナじゃったか。今日は買い物か」

「買い物といえば買い物です。カパリさんの工務店に用事があって来ました」

「ん、ワシの店に来たんか。何か造って欲しいモンでもあるのかい」

「造って欲しいわけじゃないんですけど、ちょっと……」


 ここでナナは一歩退き、アロイスを紹介する。


「こちらはアロイスさんと言います。少々事情があって、うちに宿泊してるんですが……」


 しかし、アロイスを紹介した途端、彼は町で見かけない顔だと気づいてカパリの表情が再び曇り始めた。


「……こっちの男は、ナナの身内か何かかね」

「いえ、そうじゃないんですけど……少し話を聞いてくれませんか」

「何の話だね」

「あの……」


 ナナが説明しようとした時、アロイスは前に出て言った。


「俺の事だから俺が説明するよ」

「あっ…。アロイスさん……」


 自分の事は自分で説明する。アロイスは低姿勢な態度でしゃべり掛けた。


「カパリさんと仰られましたか、私はアロイスと言います」

「……名前はいらん。何の用じゃ」


 何て分かりやすい。他所者には、まるで挨拶する気もないらしい態度を取ってくる。

 とはいえ、この場にナナがいなければ、さっきの冒険者のように邪険に扱われ会話も交わせなかったかもしれない。アロイスはこの好機を逃すまいと、さっさと用件を伝えようとした。


「単刀直入に言いますと、此方で大工道具を購入したくおも……」

「却下じゃ」


 だが、願いは全て言い切る前にカパリに遮られてしまった。


「は、早いですね。全てを言い切る前に」

「他所モンに売る道具は無い。お前さっきの見てたじゃろうが。おう、なァ……? 」


 彼の口調が、徐々に先ほどの冒険者に当てていたように乱暴かつ怒鳴るように変わり始める。


「少し事情がありまして、そちらの話をまず聞いて頂けませんか」

「どんな事情があろうとも、ワシは他所モンには売るモノはねえし腕を振るうこともねェ」

「何があっても、ですか」

「他所モンが絡んでるなら、地元の奴だろうがゴメン被るッ!」


 いよいよ声を荒げ始め、大袈裟な手振りまで見せるカパリ。

 ナナは慌てて「カパリさん! 」と声をかける。


「お願いします。どうしても駄目なんでしょうか」

「駄目じゃ。絶対に駄目じゃなッ! 」


 意地でも首を縦に振ろうとしないカパリ。

 このままじゃ話が進みそうにない。だったら、怒鳴られても理由を聞く他は無さそうだ。

 そう思ったアロイスは、

「どうして他所者に厳しいのですか」

 と、尋ねた。


「何だと……。どうして他所者に厳しいですか、じゃと……?」


 その瞬間、カパリは額にピキピキと血管を浮かせ、大声で言った。


「冒険者かなんか知らないが、奴らにゃほとほと迷惑してるんじゃッ!!ゴミは増えるしマナーは悪いッ!ハンター業か何か知らないがの、山狩りして動物や魔獣の生態を壊すわ景観を損ねるわ、最悪以外ありゃしねェッ!!」


 アロイスに面と向かい怒鳴ったカパリ。

 その言葉にアロイスは「うっ…」と、すぐ反論することが出来なかった。


「お前さんだって、そのナリは冒険者じゃろッ!ナナの家に厄介になってダンジョン巡りに来たんじゃねぇのかいッ!!」


 カパリはアロイスを見上げ、睨みつける。その目は元々カパリが『赤目』であったというのに加え、興奮したために沸騰するよう真っ赤に充血していた。

 それは戦闘態勢に入り掛けている証だとアロイスは知っていて、これ以上彼を興奮させないよう考え、話しかけた。


「カパリさん……」

「あァッ!? 」


 最早、返事一つも厳しい態度を見せられる。対してアロイスは静かな口調で、ゆっくりと頭を下げながら喋りかけた。


「私は現役を退いた元冒険者ですが、それを以て貴方の言葉には反論出来ません」

「……あ、あン!? 」


 見た目は現役バリバリかつ傲慢な態度を取りそうな肉体の持ち主なのに。それが、突然見せた低姿勢な態度。さすがのカパリも驚いたようだった。

 驚く彼を前に、アロイスは頭を下げたまま淡々と謝罪を述べた。


「確かに貴方の仰る通りです。今の冒険者は自由であることを社会的に自由であると履き違え、マナーを重んじず一般の方々にご迷惑を掛けている者ばかりです。まず自分は元冒険者である身として、貴方にご迷惑をお掛けしております事を深くお詫びさせて頂く思います」


 流暢で丁寧な謝罪だった。

 それに対し、目の前のカパリはアロイスに言葉を発せなかった。何故なら、今まで彼のような勝ち気の塊でありそうな男が、これほど真摯な言葉を投げ掛けてくるのは初めてだったからだ。


「本当は、私は貴方とゆっくりと話がしたい。ですがカパリさんは、私が如何なる事情を申し上げたとしても、部外者である私には道具をお売り頂く事は適わないと思います。ですから、短くお話しますので、私の目的についてだけお聞き下さい」


 上手い言い回しだった。

 実際カパリは「ふんっ」とそっぽを向くが、その耳はしっかりとアロイスの言葉に向けてくれていた。


「私はナナの自宅に、お婆さんのご厚意もあって厄介になっています。ですから私は彼女たちに恩返しをしたく思い、それには工務用の道具が必要なんです。冒険に使ったり、町の方々にご迷惑を掛けるように使う気は毛頭ありません。彼女たちに恩返しをしたいだけですから、お考え頂けませんか」


 全ての事柄を、深く頭を下げたまま、誠意を持って述べるアロイス。

 話を聞いたカパリは顔を逸して「本当か」と、ナナに尋ねた。


「は、はい。本当です。アロイスさんは凄く優しい方です」

「そうなのか。そうか。ん、んーむ、しかしな……」


 アロイスの静かな口調に諭されるよう、カパリも落ち着いた様子に戻る。

 このタイミングでアロイスも頭を上げて、

(何とかなりそうかな)

 と、思ったの……だが……。


 最悪のタイミングで『事件』は訪れる。


 それはカパリが、特別に道具を売っても良いかなと考え直し始めた時のこと。

 三人が立っていた場所から少し離れた位置で、

「きゃああっ!」

 と、叫び声が聞こえたかと思うと、腰に剣を携えた男が、若い女性の首にナイフを突きつけているのが見えた。


「おや……」

「な、何ですかあれ……」


 見た目からして、あまり良い予感はしない。

(あれは、まさか……)

 アロイスが何かの冗談であってくれと思ったのも束の間、騒ぎを聞きつけた野次馬たちが男を囲み始めた辺りで、男は捕まえていた女性を盾にして、周りに聞こえるよう大声で叫んだ。


「俺に近づくな!そこをどけ、この女を殺すぞ!」


 ……最悪だ。その台詞を聞いたアロイスは頭を抱えた。


(本気かよ、このタイミングで……!)


 嫌でも察する。あの男は服装からして他所者の冒険者だろう。恐らく何かしらの犯罪に手を染め、逃げる為に彼女を人質に取ったに違いない。アロイスは、ゆっくりとカパリの顔を見てみると、その表情はやっぱり怒りに震えていた。


「あ、あのー…カパリさん……」


 そっと、声がけしてみる。

 だが、カパリは両手を強く握り締め全身を震わせて、地響きを起こすくらいの大声で言い放った。


「……やっぱり冒険者はろくなモンじゃねェッ!!!」


 怒鳴り声を越した地鳴り声。あまりの迫力にナナは体をびくっと動かし、彼が怖くなったのか、思わずアロイスの背中に隠れた。


「カ,カパリさん落ち着いて下さい」


 ナナを庇いながらアロイスは彼を宥めようとするが、もう彼は聞く耳を持たない。


「あの野郎ォ、ワシのシマを荒らしやがってよォッ!!!」


 再び目を血走らせ、ふんふんと鼻息を荒げ、屈強な両腕をブンブンと回し始めた。


(不味いな。完全な戦闘態勢に入っちまった……)


 一体、どうやって落ち着かせたものか。

 アロイスは彼を冷静にしようと考えていたが、そのうち、興奮するカパリに女性を人質に取った男が戦闘に張り切るカパリの存在に気づき、此方に寄って来てしまった。


「な、何だてめぇ、爺ゴブリン!その振り回してる腕は、や……やるってのか!」


 その男は、女性の首に片腕を回して逃げないよう圧迫すると、ナイフをカパリに向けた。

 しかしカパリは怯む様子はなく、むしろ苛立ち、毅然に対応した。


「ふざけおって……。お前は、その辺で罪でも犯した冒険者じゃろ! 」

「だからどうした! 」

「こうしてお前らは町を直ぐ汚す。他所者や冒険者ってのは、これだから嫌いなんじゃッ!! 」


 カパリは回していた腕をめいっぱい振り上げ、男に殴りかかろうとした。しかし男は、近づくな! と、これ見よがしに捕まえていた女性の首筋にナイフの刃を突き立てた。女性は黄色い悲鳴を上げた。


「な、何を! 貴様、卑怯じゃぞ……! 」

「俺はさっさとこの町をおさらばしたいんだよ。だから邪魔を……するんじゃねぇ! 」


 今度は男がカパリに向かって攻撃を仕掛け、その頭部に向けてナイフを振り下ろした。周囲の野次馬や人質の女性、ナナ目を背ける恐怖の一瞬だ。ところが、唯一アロイスだけは『自分の意』のままに動いていた。


「穏やかじゃない事は止めておけ」


 アロイスは振り下ろしたナイフがカパリを切り裂く寸前、それを右手の指先で掴み止めたのだ。渾身の振り下ろしを指先で止められた男は、「うおっ」と、驚きの声を上げる。


「あんた、冒険者だろ。何があったか知らないが、こんな事は止めておいたほうが良いんじゃないか」


 一応の説得。だが当然男は応じる筈もなく、アロイスを睨みつけて言った。


「お前には関係がないだろうがよ! ナ、ナイフを離せコラァ! 」


 男は、アロイスが握るナイフを引っ張ろうと力を込める。が、それはたかが指先で掴まれているに過ぎないというのに、男が目一杯に力を込めても全く動かすことが出来なかった。


「う、動かね……! 」

「これ以上の罪は重ねないほうが良いんじゃないのか」

「なんだと……! うるせぇっ、とにかくナイフを離しやがれ!! 」


 犯罪者といえども男は冒険者の端くれ、その辺の罪人より判断と行動力に優れていた。ナイフが動かないと理解ると、右足を浮かせ、思い切りアロイスの股間目掛けて蹴りを放った。しかし、それをもアロイスは左手の人差し指一本で蹴りを押さえ込んだ。


「……何度も言わせるなよ、犯罪者」

「うおっ!?」


 男はギョッとして、アロイスを見つめた。


「な、何モンだお前……! 」

「通りすがりの元冒険者だ。正直あんたの存在は凄く迷惑したもんで、大人しくしてくれないか」

「何だと……。俺だってお前の存在は迷惑してんだよ、てめぇっ!! 」


 完全な逆切れとしか言い様がない。男は激昂しながらもナイフを諦めたようで、人質だった女性までも思い切り弾き飛ばした。


「きゃあっ! 」


 悲鳴を上げ、転びそうになる女性。アロイスはすかさず腕を伸ばして支える。と、その隙に男はフリーになった両腕を伸ばし、手のひらをアロイスに向け、憎しみの表情で何か言葉を叫んだ。


「赤き太陽、我が力となれ、安寧の地を授けるが為にッ! 」


 知らぬ者には全く意味の分からない言葉の羅列。ところが、それを聞いたアロイスと、囲んでいた野次馬の中にいた冒険者の一部が「馬鹿野郎! 」と声を上げた。


「こんな町中でやるつもりか!? 」


 こればかりはアロイスも不味いと踏んだ。すかさず助けた女性や、カパリとナナ、自分の背後にいた者たちまでも庇うように、アロイスは大きく両腕を拡げる。


「お前、こんな町中で『中級火炎魔術』を本気でやるつもりか!」


 アロイスは火炎に備え、瞬時に全身に魔力を帯びて具現化させて緑のオーラを纏う。


「……し、しね。しねぇ! 全員、吹き飛んじまえ! 」


 男は笑って言った。

 そして、次の瞬間。


「現ッ!! 」


 その手のひらが赤く発光したかと思えば、

 ドゴォォオンッ!!

 周りの建物を振動させるほどの轟音が炸裂する。男の手のひらからは、暴走した火炎がアロイスを襲い、包み込む。地面が焼け焦げ、酷い黒煙が立ち上った。


「燃えろバカめがぁっ! 」


 火炎に包まれたアロイスを見て、高々と笑う男。

 ……完璧だ。全部吹き飛ばしてやった。燃やしてやった。

 男は勝利を確信し、天を仰いで笑った。


「ハッ、ハハハハハッ! 」


 だが、しかし。

 風が舞い、黒煙が晴れ始めると、男は何か異変に気づく。


「ハハ、ハハハッ。ハハハ…ハ……は…………? 」


 煙の中で、薄っすらと起き上がる影。

 男が「げっ! 」と声を上げた時には、アロイスの巨大な手が自分の首を、ガシリと掴んでいた。


「ゴ、ゴホッ!? 」

「穏やかに行きたかったが、その気なら容赦はせんぞ」


 目を光らせ、男を睨むアロイス。その表情に男は背筋が凍った。


(な、何だよこいつは……! )


 男とて冒険者、腕に自信がないわけではない。その辺の冒険者より魔法は立つし、ダンジョンの踏破経験だってある。自分は他人と比べて強いんだと自負していた。……そう、思っていたというのに。


「お前…、本当に何者……! 」


 目の前にいる男に対し、吹き飛ばすつもりで撃った火炎魔法でも傷一つ見当たらない。そもそもナイフの攻撃の時だって、蹴りの時だって、考えてみれば、この男は俺の攻撃に対して全て余裕な様子だったんじゃないか。


「……俺は通りすがりの元冒険者だ。もう一度言う。投降するか、この手にお前の首が潰されるかを選べ」


 アロイスの淡々と述べられた言葉。その言葉に、男はアロイスの本気と格の違いをまざまざと見た。何故なら、握られた首筋に伝う気力は今まで戦った何よりも強く在ったからだ。


「くっ……。ど、どうしてお前のような奴がこの町に……」

「そんな話は聞いていない。まだ俺と戦う気なのか、大人しくするか、どっちを選ぶんだ」

「な…に……」


 静かな物言いだったが、首を絞められた本人だけは、打ちひしがれるくらい恐怖を覚えた。

 それは、最早、選択の余地など無い一つの答えしか出せるわけがなかった。

「わ、分かった……」

 ついに男は観念したのだった。


「良かろう。なら、この場で警衛隊が来るまで大人しく座っておくことだ」

「分かった……。し、従うよ……」


 男は言われた通り、その場で腰を下ろした。その気配からは殺気や戦意は消え、静かに一人、地面に体育座りで顔を隠した。

 アロイスは、完全に男が戦意を失った事が分かると、ようやく解決したかと溜息を吐いて振り返る。

 

 ……すると。


「アロイスさん、怪我はないですかっ!! 」


 ナナが泣きそうな顔で、アロイスの大きな右手を彼女は両手で強く握り締めた。


「大丈夫だ。俺は怪我はない。それよりナナや周りに怪我人はいないか?」

「みんなアロイスさんが守ってくれましたから。でも、ごめんなさい。私、怖くて動けなくて……」


 アロイスの手を握るナナの手は、静かに震えていた。


「怖くて動けないのが普通だ。気にすることはない。ナナたちに怪我がなくて良かったよ」

「は、はい……。本当にそれは、アロイスさんが守ってくれたから……」


 ナナは、震える手でアロイスの手をずっと握り続ける。アロイスは、彼女を宥める為に「もう大丈夫だ」と、その手にまた自分の手を重ねようとしたが、その時。


 周囲に居た野次馬の一人から、

「すごいぞ!」

 称賛の声が上がったと思うと、それはまるで波のように連鎖し、大きな歓声に変わった。


「ああ、確かに凄い!」

「アンタ、めちゃくちゃ格好いいぞ!」

「町を守ってくれて有難う!」

「元冒険者だって言ってたよな。よっぽど現役や警衛たちより強いんじゃないのか!? 」


 拍手喝采と、喜びの声。人質だった女性も混じり、涙を浮かべてペコペコと頭を下げていた。


「ま、参ったなこりゃ……」


 照れくさそうに片手で頭を抑えるアロイス。

 すると、遠くからピピーッと、警衛隊の笛の音が聴こえたと思えば、カパリが「おい」と口を開いた。


「お前、アロイスとか言ったかのう」

「え、あ……はい。アロイス・ミュールと申しますが」

「衛兵も来たし後の処理はアイツらに任せておけ。お前とナナは……取り合えず俺の店に入れ」

「え、良いのですか」

「気が変わらないうちにさっさと来いと言ってるんじゃッ!! 」


 カパリは怒りながら手招きした。

 アロイスとナナは慌てて「はい」と頷き返事すると、あれほど入りたかったゴブリン工務店へ、まさかの『招待』という形で入店出来てしまったのである。


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