第3話:美味しいご飯

 

=・=・=・=・=


(さて、俺はどうしてこんなところにいるのだろうか)


 誘いを断れなかったアロイスは、どうしようもない顔で彼女の自宅で卓を囲んでいた。


 ナナの自宅は、町外れに在る木造平屋の小さな家だった。

 卓を囲む居間には大きい木造テーブルが一つ、周りには五つの背もたれ付きの椅子が並ぶ。

 恐らく家の大きさから推測すると、居間を除いた部屋数は他に三つか四つほどだろう。

 側に見えている大きい窓からは庭を愉しむための縁側が見えている。

 

「ボロ家で悪いねえ」


 祖母は言う。

 いやいや、普通に住み易そうな住居だ。


「そんな事は。凄く温か味あるお家だと思います」

「うふふ、褒めても何も出ないさね」


 嬉しそうな祖母。

 と、アロイスの汚れた上着に気づく。


「もしかしてそれは模様じゃなくて汚れかい」

「あ、そうですね。土汚れは落としたんですが、やはり汚いですよね」


 とっくに竜の血は凝固し、シャツにバリバリに固まっていた。

 

「汚いのは構わんさね。そうじゃなくて、その格好じゃ居辛いだろうに。そのシャツは大事なもんかねぇ」


 祖母が訊く。

 首を左右に振った。


「普通のシャツですし、大事なわけでは」

「じゃ、捨てちまっていいかね。代わりに私の息子が着てたシャツがあるから、着替えないかい」

「それなら……お願いしてもいいですか」


 甘えるのはどうかと思うが、汚れたまま居座るよりはマシだ。

 早速、祖母が別室から持ってきてくれたシャツを受け取るが、それを見て少々驚いた。


(ほお、サイズがぴったりだ)


 身長もそれなりに高く、体は鍛えていて大きな体だと自覚していた分、フィット・サイズのシャツが出てきたことに驚いたのだ。


「有難うございます。失礼ですが、ここで着替えても? 」

「構わんよ。私も若い体を見るのは嫌いじゃないからねぇ……なんて」


 それを聞いて「では遠慮なく」と汚れたシャツを脱ぎ捨てる。

 用意されたシャツに着替えてみれば、想通り肉体にジャスト・フィットした。


「ピッタリですね。息子さんも結構体が大きいんですか」

「そうさね。じゃあこっちは捨てておくが本当に構わないかい」

「すみませんがよろしくお願いします」


 祖母は汚れたシャツを丸めて、ゴミ箱に投げ捨てた。

 同時に、隣の台所から、桃色のエプロンを着用したナナが、焼きたての丸パンを沢山詰めた巨大な革カゴを持って現れた。


「アロイスさんはいっぱい食べそうなので、たくさん焼いてみました。全部食べちゃってくださいねっ」


 ドンッ。テーブル中央に革カゴを置く。


「おお、こんなにたくさんか」


 程よく焼き色のついた丸パンからは、食べずとも美味と分かるくらい香ばしい匂いが立ち上る。

 最初は遠慮しがちのはずが、それを見た途端どうしようもなく食欲が湧き上がった。


「パンだけじゃありませんよ。あとはカボチャのスープも出しますね。ソーセージも少し切りますし、ウチで栽培してる野菜もサラダにします」


 提示されたメニューはシンプルながら魅せられるラインナップである。


「豪華だな。焼きたてのパンにスープと副菜まで作ってくれるのか」

「折角のお客さんですから腕を振るいます。……って、アロイスさんのシャツ」


 いつの間にか白シャツに身を包むアロイスを見て、動きを止める。


「ああ、これか。お婆ちゃんの息子さんのシャツらしいけど、着させて貰ったよ」


 それを聞いたナナは何故か一瞬ばかし呆けた。

 小さく何かを呟いたが、口元を僅かに動かす程度でアロイスの耳に届かなかった。


「え、なんだって? 」


 何を言ったのかと声掛けすると、ハっとしたナナは、明らかな作り笑いをして答えた。


「あっ。え、えっと……アロイスさんに似合ってると思います。着心地はどうでしょうか、古いものなのでチクチクしたり虫食いしてたりしてませんか? 」


 急に早口気味に言う。

 彼女の態度がおかしいと気づいたが、突っ込むべきではないと普通に返事した。


「大丈夫だ。お婆さんにも言ったが着心地はバッチリ。虫食いもないよ」

「良かったです。それじゃ、作った料理を運んじゃいますね! 」


 そそくさとナナはキッチンに戻る。

 正直、何が事由なのかと気になった。

 しかし、お喋りに見える祖母ですら彼女の態度を見て黙っていたし、アロイスも無言で席に腰を下ろして料理が運ばれるのを待つことにした。


(ま、婆ちゃんとかナナの態度から大体は察するよ。込み入った話はしないほうが良いな)


 自分たちは顔見知りにも満たない仲。

 内情に踏み入る会話はするもんじゃない。

 

(だけどなあ……)


 ナナの態度に沿って急に雰囲気が暗くなった。

 居た堪れなくなり、ふぅ……と、ため息を吐く。

 すると、それを吹き飛ばすかのように、ナナがいっぱいに料理を次々と運びながら元気な声を上げてくれた。


「アロイスさん、こんなに作っちゃいました。どんどん食べて下さいね! 」

「お、おおっ……!? 」


 山盛りの焼きたて丸パンに始まり、次に運ばれたのは白い皿に映える黄色のとろみ掛かった具沢山のパンプキンスープ。

 続いて、やや大きめに切り分けたソーセージと、パンやソーセージのディップ用の熱したチーズ。

 また、輪切りされたキュウリとハーブのサラダまで登場した。


「こりゃ旨そうだなぁ! 」


 ご馳走を前に顔が綻んでしまう。

 持て成しがあるとは思っていたが、中々どうしてボリュームがある。


「本当は時間があればもっと手間をかけるんですけど、出来るだけ早めに食べれるものを用意してみました」


 嬉しそうなアロイスを見て、彼女の可愛らしい自信満々の"えへん顔"。

 彼女の元気な微笑みは、さっきまでの重い空気を何処かに飛ばしてしまった。


「お口に合うと良いんですけど」

「うむ。では、早速頂くとしますか……」


 まずはテーブル中央の革カゴから、熱々の丸パンを一つ手に取る。

 食べ易いように指先でちぎり、口へと運ぶ。


「あっつ。はふっ……。おうっ、美味ひ……」


 きつね色に焼きあがった、まん丸なパン。

 フワリとした食感に、焼けた香ばしい小麦の香り、糸のような甘美な味わいを感じる。


「どれどれ、スープは……」


 濃いオレンジ色のスープからは湯気に混じり甘い匂いが舞い昇ってくる。

 銀色のスプーンで掬って……と、飲んでみよう。


「……ッ」


 やはり。パンと同じで香りの時点で分かっていたさ。

 野菜の優しい甘みが存分に生かされた、濃厚かつ滑らかで深い味わいは"旨さ"に尽きる。


「ああ、美味しいな。優しい味がする」

「本当ですか。嬉しい……一応私の手作りなんですよ」

「それはすごいな。ちなみにかぼちゃ以外にも玉ねぎも濾して使っているんじゃないか」


 アロイスの予想はズバリ的中していた。

 ナナは「正解です」と驚いた。


「滑らかな舌触りの良さは少量の生クリームも溶かしているだろう」

「ほんの少しだけなのに、そこまで分かるんですか」

「これほど手の込んだ料理で……最高の持て成しに最高の気分になれるよ」


 褒め言葉にナナは「えへへ」と喜んだ。


「さて、こんな旨い料理を前にして遠慮は出来そうにないな。本気で食べさせて貰おう」


 アロイスは持っていたパンをさっさと食べ終えて、スープを飲み干す。

 更にもう一つパンを摘まみ、用意してくれたソーセージやディップ用のチーズにも手を出して余すところなく愉しむ。


「……っと、このサラダも頂かないとな。キュウリのサラダかな」

「キュウリにプレーンヨーグルトを混ぜて、ディルハーブを細かくして入れてます」

「ほおー、初めて聞く調理法だ」


 ディルハーブはパクチーの一種である。

 それをキュウリにヨーグルトで合わせるとは、涼し気じゃないか。

 どんな味なのか、食してみよう。


「んっ。おお、これは変わった味で面白い」


 まずはパリっとした歯応えある輪切りキュウリが顔を出す。

 続いて柑橘香るディルハーブから仄かな苦味が滲み、プレーンヨーグルトの酸味と相まって爽やかな風味が駆け抜けていく。


「こりゃサッパリしたサラダで食べやすいな」

「脂っこい料理が多かったので、合うかな~って」

「またパンやスープが食べたくなってしまうよ」

「わぁっ~、本当ですか。お代わりがありますが持って来ましょうか? 」

「ハハ、どんどん食べてしまいそうだ」

「……お代わり持ってきますね! 」


 実は、ナナが家族以外の誰かに料理を振舞ったのは初めての体験だった。

 それで絶賛されたのだから、これ以上の喜びはない。

 アロイスも彼女に応えて遠慮もせずに料理を堪能した。


 ――そして一時間後。


「ふう、お腹いっぱいだ……」


 濃厚な食事の時間はアロイスの『満腹』の一言で、ようやく終わりを迎えた。

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