第4話 勇者の決断

 誰一人動かない。動けば刺さる針山のようなぎすぎすした空気感が彼らのいる客室にこもっていた。唯一聞こえるのは柱時計の周期的な駆動音、カップを置く音にスティーブンの貧乏ゆすりだけだった。


「スティーブン中佐、やめていただけません?せかっちが移ります。」

「重症患者が風邪を引くか?」

「訂正します。早漏が移ります。」

「うつるか!?」


 勢いよく椅子から立ちあがりサンドラをにらみつける。唯一言葉を発したのがサンドラであったが、余計場の空気は凍り付いた。いや、むしろ必然だったのかもしれない。ソビエト連邦、アメリカ合衆国、イギリス。世界で覇を競い合う三国が一堂に、しかも狭い客室で介するのだ。国際連盟の議長もゲロ吐くレベルである。


「まったく、これだからアメリカ軍人は。節操というものがありません。出された茶を飲み、優雅にひと時を過ごす。黙ってそんなこともできないのですか?」

「こいつ・・・だいたい、何で全員同じ部屋なんだ!」

「――申しわけありません。」


 後ろから突然使用人が謝罪したため、スティーブンもバツが悪くなり、自分の席に座る。


「・・・」

「・・・」


 またも静寂があたりを包んだ。一番それを恐れたのは先程の使用人であろう。ただ他国の軍人同士がにらみ合っているのではない。彼女にとっては世界を救う救世主でもあるのだ。何かあれば間違いなく、文字通り世界をが滅ぶ。ちびらなかったのをほめられるべきだ。


 それを最初に打破したのが大酒喰らいのロシア軍人である。


「暇だな・・・とりあえず自己紹介でもせんか?」

「なぜだ。そもそも、俺は毛頭この世界を救う気はない・・・」


 本当に突然だった。頭痛がしたかと思うと、次にはいたのは真っ白な空間。一面銀世界という言葉があるが、そんなのじゃ生ぬるい。天井も、空も、地面も、上も下も何もない。まさに空間空の間だった。

 概念的にそこに放り込まれて、立っているのか落ちているのかもわからない状況で奴に合った。奴は姿を見せなかった。そこにいると認識できても、姿かたちは存在しない。本能に語り掛けてくるとはあういうことを指すのだろう。そして、一方的に話を聞かされた。


 今現在、ミルジゲアナという異界の地に存在する一国が危機に瀕しているということ。その世界では魔王が何度も復活し、今もそいつによって侵略されているということ。他の勇者たちも送られる予定だということ。神は勇者を送ることはできても、その世界への干渉はある程度の制限があること。そして、俺たちに助けてほしいということ。


 ここに来てから、あの王様たちが何を言っているのか理解できた。地球の中だけでさえ十数という言語に分かれているのに、異世界にいるやつらが偶然にも俺らと同じ言葉を話すわけがない。おそらく、あいつの仕業だろう。





 使用人たちが出した茶を口にする。味ははちみつレモンのような感じだ。やはり、茶一つとっても俺らのいた世界とは大きく異なる。しいて言えば、紅茶に少し似ているな。忌まわしい。だから、さっきからあいつは何も言わないわけか。


「突然連れてこられて助けてくれといわれてもどうすることもできん。いくら説明されたって、ここは俺たちのいた世界とは差がありすぎる。」

「まあ、いいじゃないか。細かいことを気にすると禿げるぞ?」

「てめえが禿げちまえ!」


 大男は豪快に笑い飛ばす。その様子はさながら熊だ。スティーブンにとってこういった人種は天敵ともいえる。話を聞かない。どうやってもいうことを聞くしかない。いつも文句や皮肉を垂れ流すスティーブンであったが、今回は空気感に流されざるおえなかった。


「すぐに帰れると決まったわけでもないし、短い期間だけでも、同じ世界から来た友としてやっていくのもやぶさかじゃないだろう。」

「・・・」


 ただの大酒のみだと思っていたが、案外まともなことを言うのでスティーブンは面食らった。そんななか、世にも奇妙な国際的自己紹介が始まる。


「おれはソビエト連邦陸軍将校、ニコライ・アブラモフだ。酒は大好きだ、飲むときは俺を誘ってくれ。」

「私はアメリカ合衆国空軍所属サンドラ・ウィルソンです。短い間ですがよろしくお願いします。」

「我ら誇り高きイギリス海軍所属、アイザック・テイラーといいます。以後お見知りおきを。」

「・・・」

「何してるんですか、子供じゃないんですから。いつまでも駄々をこねないでください。」


 呆れひょうしに思わずサンドラが口走る。


「お前はいつからあいつらと仲が良くなったんだ?」

「社交性は大人が兼ね備えているべき能力の一つです。」

「・・・アメリカ合衆国空軍将校、スティーブン・シュナイダーだ。」

「よろしく頼むぞ、スティーブン!」

「誰がファーストネームで呼んでいいといった!」


 形容するに犬と猫。であれば、アイザックは猿であろう。猿が馬鹿にし、猫がからかって、犬がかみつく。飽きないのであろうか。三人は延々と言い合い続ける。


「失礼します。」


 そこに入ってきたのは側近のエルメロイとその王、ニトクリフ15世であった。


「少し落ち着かれましたかな?」


 王は少し威厳を取り戻し、四人に問いかける。


「落ち着かせたいのならまずこいつらを処刑することだな。」

「茶ではなく酒がよかったんだが・・・」

「同部屋にしないべきでしたね。」

「この紅茶あまり甘くないですね。」


「・・・・・・」


 はかないものである。秒で王が取り戻した尊厳はドブに投げ捨てられた。もはや、プライドなどあったものではない。しかし、相手は勇者。ここでキレてしまってはそれこそ世界の危機である。満身創痍になりながら、王は続けて懇願した。プライドをかなぐり捨てる。


「どうか、この世界を救ってはいただけないでしょうか。」

 

 ――が、世間はそう甘くはない。勇者はそう優しくない。


「何度も言ってるだろう。そんなのは無理な話だ。」

「酒がないんじゃあなあ・・・」

「角砂糖がありませんしね~」

「あ、それでしたら、使用人に持ってこさせますが。」

「本当ですか!?ぜひぜひ!」

「というか、よく今までの勇者は引き受けましたね。ふつう断ると思うのですが。」


 阿鼻叫喚。四面楚歌。前門の虎、後門の狼。この状況を形容するにはもはや、既存の言語では不十分であろう。これまで召喚してきた勇者は毎回一人であった。そして、いずれの勇者たちも快く引き受けてくれた。しかし、ここには四人も勇者がいながら、そのどれもが世界を救う気はないという。


「そこをなんとか・・・」


「何とかといわれても、無理なものは無理だ。」


「そんなあ・・・」


 ここまでくれば王がかわいそうである。歴代の王たちは国を治め、民衆を救い、勇者を導き、世界を救ってきた。せっかく慣例も無視したというのに、自分の代では勇者が救済拒否など笑い事ではない。王の目は少しうるんでいる。


「どうかそこを。我らに情けをかけ、この世界を救ってはいただけませんか?勇者様たちは、もとの世界で、人生において一度もほかのだれかに同情をかけたことはないのでしょうか?」


「そんなの、俺は人生で一度も・・・・俺は・・・人生で・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


「ど、どうしましたか?」


 王は地雷を踏みぬいたかと思ったが、そうではない。


 特別、彼らの心が狭いわけではないのだ。実際に勇者になってほしいといわれて、快く引き受けるお人よしはいないだろう。夢としてあこがれることがあろうとも、未踏の地に呼び出され、信頼できる人もいない中、誰とも知らぬ人たちのために、たった一人で自らの命をとして戦うなど、普通の人間はできるはずがないのである。しかし、自分の人生の中で常日頃、地獄を味わってきたものならばどうであろうか。


――簡単な話である。彼らは、地平に存在せし得る、アリとアラゆる泥梨ないりを経てきたのだ。


 殺した敵の生首を、彼らの家族が己に向ける怨嗟に満ちた血眼を。壊されていく建造物を、守るべき子供の叫び声を、犯される女どもを。撃たれた味方の死体、見知らぬ顔をした上官、それを聞いても声色一つ変えない本部の命令。そして、返り血に染まり、人殺しの目をした自分の顔を。


 弾丸飛び交う塹壕で、絶叫響く市街地で、日が差し込まぬ森林で、逃げ場などない海上で、晴れ渡る青空で、彼らは地獄を見てきた。この世のすべてを、ありとあらゆる暴虐を。


 戦争は残酷なものである。死は恐れるべき悲哀に満ちたものではあるが、本質はそこだけではない。生きて戻った帰還兵の大半はストレスと人を殺した記憶により精神病を患うのである。戦争は死者の親類に悲しみを刻み込むだけでない。地獄を味わった生存者の心にトラウマを植え付けるのだ。それは戦勝国だろうと例外ではない。勝利の先には絶望しか待っていないのである。


 それでも立ち止まることは許されない。

 

 なぜならそれは、もとは自分たちが望んだことだからだ。民主主義は必ず国民の意思にそって行われる。それがどんな形であろうと。歴史では、戦争国、特に当時の政府関係者は人の心を忘れた冷酷なる人種と書かれがちだ。事実、そうであったものも中には入るであろう。しかし、大半は国民から支持され、その願望を体現する暴走した正義に他ならない。


――だから、彼らは逃げられない。


「しょうがないな。」


 少し疲れていたのだろう。自分をだますのに限界が着たのだろう。酒を浴び、紅茶を飲み、エレガントなカフェテリアで優雅にモーニングを食べ、葉巻を吸う。そうして、自我を保ってきた。自分に大丈夫だと言い聞かせてきた。


 そうしないと気が狂いそうだったのだ。まともな神経をして人を殺せるわけがない。


「まったく・・・」


 だからである。彼らの答えはここに来た時からすでに決まっていた。




「――付き合ってやるよ。」


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