第12章4

「いってきます」

 誰も居ない自宅に向けて声を掛ける。

 当然、返事返ってこない。けれど、寂しさはなかった。

 いつもより早く家を出て、いつもと同じ通学路で、いつもと同じ景色の中を歩くが、自然と心が逸るため、いつもより足が早歩きになってしまう。

 それもそのはずで、週明けの月曜日、つまり今日からいよいよ姫守君は登校を再開するのだ。とても落ち着いてなんていられなかった。

 最寄りのバス停まで来たが、今日はバスには乗らず徒歩で向かう。

 普段であれば、うんざりするような通学路の坂道も、今日はまるで気にならずにサクサクと歩いて行けた。

 山頂の折り返し地点も過ぎ、意気揚々と坂道を下っていくと、姫守君のお屋敷へと続く脇道が見えてくる。


 「・・・家まで迎えに行ったら、さすがに変かな?」

 学校内では一番の仲良しを自負していたが、まだそれ以上の繋がりは持っていない。異性が共に登校するには、恋人という名の免罪符が必要だった。

「一応、用意はしてきたけど」

 鞄の中から、封筒を取り出す。縁に花柄模様の付いた封筒にはハート型のシールで封がしてある。

 今日のために用意してきた秘密兵器である。

 以前までは、クラスの主であった井口裕子が目を光らせていたため、表立って姫守君に接触しようとする女生徒はいなかったが、今はその井口裕子もいない。だとすれば、懐に武器(ラブレター)を忍ばせた恋敵の一人や二人現れたとしても全くおかしくはなかった。

「ここで足踏みしてたら、折角のリードがなくなっちゃう」

 生きるか、死ぬかの決断の時であった。

 昨日から何度もしたが、もう一度、確認のため封筒の中の手紙を取り出す。

『 あ な た が 好 き ♡ 』

「・・・」

 手紙にはその一文だけ書かれている。深夜の三時まで掛かってようやく出来た物がこれである。

 もしかして私には女子高生の才能がないのかもしれない。あの時はナチュラルハイになっていたため、気持ちを伝えるならシンプルなほど良いと思ったのだけど、冷静になってみるとありないシロモノだった。

「手紙はやめとこう」

 そうだ。なにも回りくどい方法をあえて取る必要なんてない。きちんと声に出して告白すればいいんだ。姫守君とはもう何度も会話しているので、きっと緊張せずに面と向かって言えるはずだ。

「どうしてやめるの?」

「わひゃい⁈」

 真後ろからの声に驚いて振り返ると、そこには制服姿の姫守君が立っていた。

「おはよう、歌敷さん」

「おおおおはようございましゅ」

 さっきまでの威勢はどこへやら、私の肝っ玉ひ弱すぎでは。

「もしかして待っていてくれたの?」

「えっ、あ~はい、そうです・・・」

「その手紙は?」

 姫守君は私が握り締めているラブレターもどきに目を向ける。

「こここれはね、アレですよ。アレ・・・なんだっけ?」

「なんだろう?」

 私の反応が面白かったのか、姫守君はクスクスと笑う。その隙に、手に持った紙束をくしゃくしゃに丸めるとポケットに乱暴に突っ込む。あとで処分しておかねば。

「?」

 姫守君が不思議そうにこちらを見る。

「そ、そんなことよりもです!あの、学校に行く前にこんな話をするのもなんなのですが、姫守君に折り入ってお願いというか、お訊ねしたい事があるんです」

 今にも破裂しそうな緊張感から、口調が敬語になってしまう。

「答えられるものであれば」

 こちらのあらたまった様子に、姫守君も真剣な顔つきへと変わる。

「私たちってさ、一緒にいた時間はまだそれほど長くないけど、経験した内容で言えばすごく色々あったよね。ありすぎ!ってくらい。だからね、私たちこれからはもっと良い思い出がつくれたらいいなって思うの」

 次第に呼吸が苦しくなり、一旦深呼吸をする。

「それでその、・・・良かったらでいいのですが、私とその・・・」

 言え、言うのだ!

「付き合ってくれませんか!」

 言った!遂に言ってしまった‼

 しばし、時が止まったように静寂が訪れる。

「うん、いいよ」

「ふぇ⁈」

 あまりにあっさりと了承されてしまい、飛び上がりたいほど嬉しいはずが、

気持ちがそこまで追いつかない。

「ほ、ホントにいいの?」

「うん、べつに構わないけど」

「ふあ~、こちらこそ、不束者ですがどうぞ末永く幸せにします」

 自分でも何を言っているのか、さっぱり分からなかった。それでも今が最高

に幸せだという事だけは理解できた。

「あっ、斎藤さん」

「げっ⁈」

 姫守君の不穏な一言に驚いて振り返るが、委員長の姿はどこにもない。

「あれ、どこにも」

「さっき通り過ぎたバスに乗ってたよ。ちょうど目が合って」

うう、なんて紛らわしい。

 バスは学校へ続く交差点の手前にあるバス停で停車する。

 バスから降りる生徒たちの混じって、委員長は降りてくると、こちらへ歩いてくる。

「二人ともおはよう」

「おはよう、斎藤さん」

「おはよ・・・」

 よくよく思い返してみると、いつもいいところで委員長に邪魔されているような気がする。

「どうしたの?朝から不機嫌そうだけど」

「べつに・・・」

「そうだ。姫守君に渡すものがあったの」

そういうと、委員長は学生鞄の中からぶ厚い用紙の束を取り出して姫守君に手渡す。

「わあ、ありがとう、斎藤さん」

 中身を確認した姫守君が委員長にお礼を言う。

「2週間以上休んでいたから、授業の内容もだいぶ遅れてしまってるでしょ?その間の授業内容をコピーしておいたの。分からないところがあれば私か、先生にでも尋ねてちょうだい」

「助かります」

「それで催促するみたいで悪いのだけど、もし今度、暇な時でもあれば、またウチに来てもらえないかしら?「九狼君が来てくれないと力が出な~い」って、うちの母さんが駄々をこねるのよ」

 如何にも香さんが言いそうな台詞だ。いざという時はしっかり者のママさんなのだけど、普段はとてもお茶目な人で、事あるごとに娘である委員長に叱られている。最近は姫守君にご執心で、料理を教わりにお邪魔している時にも、頻繁にその話題が出る。

「うん、もちろん構わないよ。僕もひさしぶりに香さんにお会いしたいし」

「あんまりうちの母を甘やかしたくはないんだけどね。それじゃあ、予定を合わせたら、また招待するわね」

「はい、私も行きたいです」

「あなたはほぼ毎日来てるじゃない」

「ぶーぶー」

「はあ、分かったわよ。予定が決まったらあなたも誘うわ」

「やった」

三人でおしゃべりをしつつ、学校へと向かう。

何気ない事ではあったが、それでも私にはとても新鮮に感じられた。 

ひと月前までは、あんなに憂鬱だった学校への道のりが、今ではこんなにも楽しいと感じられるようになったのだから。

チラリと隣を歩く姫守君の顔を覗く。

「あ、そういえば」

校門前まで来たところで姫守君は足を止め、こちらを振り返る。

「えっ?」

「どうかしたの?」

「歌敷さん。結局、何処へ付き合えばいいの?」

「・・・」

 頭から冷や水を掛けられた気分だった。

姫守君を挟んで反対側にいた委員長は何かを感じ取ったのか、疑わし気な表情をこちらに向ける。

「ああーー⁉、あなた噂の転校生君でしょ!」

 校門前で風紀チェックをしていた三年の風紀委員の女生徒が大声を上げる。

すると、他の風紀委員や登校してきた生徒たちが一斉に姫守君の元へと駆け寄ってくる。あれよあれよという間に、姫守君の周りには女生徒と一部男子生徒の人だかりが出来てしまう。

 ちなみに、私と委員長は人の波に圧されてはじき出されてしまう。

「あーもう!」

苛立たし気に委員長は髪をかき上げる。

 これからしばらくはこんな光景を頻繁に見る事になるのだろう。

「ねえ、歌敷さん」

「何、委員長?」

「あなた、もしかして姫守君に・・・したの?」

ドキリと心臓が飛び出そうになる。

「ああ、したのね、告白。でも箱入り息子には意味が通じなかったと」

委員長はこちらの表情から瞬時に読み取る。あなたエスパーですか?

「それでもあきらめない」

「まァ、それもいいんじゃない。・・・お互いに苦労しそうね」

「それってどういう意味?」

「自分の心に嘘はつけないって意味」

委員長はいたずらっぽい笑みを浮かべると、姫守君を取り囲む人だかりの方へと向き直る。

「さてと、じゃあ姫守君を取り戻しに行くわよ!」

「あっうん!」

 委員長に手を引かれ、人だかりの中へ猛然と突っ込む。

 はたしてこんな事があと何回あるのだろう。

 ただ、そんな些細な事ですら、楽しいと感じられるようになってきた今の自分がわりと気に入ってたりする。

「コラァァーー、うちのクラスメイトを返しなさーーーい‼」

「あははは、返してーーー」

 こんな日々が続くのだと思うと、これからの生活が楽しみで仕方がない。

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狼少年と不幸な少女 @west8129

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