第12章1
ふらふらと家に帰り着いたのは、ちょうどお昼を過ぎた頃だった。
自宅の玄関に立ったところで、そういえば今朝、斎藤家から抜け出してきた事を思い出し、Uターンして斎藤家のチャイムを鳴らした。
直後、家から飛び出してきた香さんにいきなり抱きしめられる。よっぽど心配させてしまったのだと、申し訳ない気持ちで一杯になる。
しばらくの間、母の抱擁に身を任せていると、突如、香さんの抱擁は締め技へと移行し、そのまま斎藤家へと連行されてしまう。
家にはすでに委員長も帰宅していて、委員長と香さんのダブルお説教が始まる。「どうして一言も相談しなかったのか」、「何時間も何処へ行っていたのか」など、叱咤と質疑が延々と続いた。
その日、私はこれまでの人生の中で一番「ごめんなさい」を口にした。
一通りのお説教が終えると、委員長から学校の近況を教えられた。
全校集会が終わり、一限目が始まると同時にサイレンを鳴らした救急車とパトカーが学校へやって来たそうだ。騒ぎ出したクラスメイトに紛れて教室から抜け出した委員長は校舎の陰から様子を伺ったところによると、教員数名と警官に監視されながら、兄が救護隊員から治療を受けていたそうだ。
その間、兄はずっと支離滅裂な言動を繰り返しながら泣き叫んでいたらしい。
警察と救急隊員の会話によると、発見当初、兄は血のついたナイフを持ったまま徘徊していたらしく、手当を終えた兄は救急車ではなくパトカーに乗せられて何処かへ連れていかれたそうだ。
「ホント、いい気味だわ」
逮捕された男の妹の前で、委員長は清々した様子で感想を述べる。
「…うん、いい気味」
その言葉に同意すると、委員長はこちらを見てニヤリと笑った。
それから数日は、めまぐるしく色んな出来事が起きた。
始めに、逮捕後も支離滅裂な言動を繰り返した兄は、拘置所に拘留されることになった。私の元にも事情を聞きに警察の方が来たが、香さんに付き添ってもらいながら、あの日起きた事をぼかして説明した。話を聞き終えた警察の方が言うには、兄は実刑を受ける事になるだろうとの事だった。
結局、私と兄は最後まで家族に戻る事が出来なかった。肩の荷が下りたといえば聞こえは良いが、残された唯一の家族との繋がりがプッツリと途切れた、その喪失感はかなり堪えた。
学校からの自宅待機が解けたのは、それから三日後の事だった。
もしかしたら学校から忘れられたのでは?、と内心ひやひやだった。
休学開けの教室は、やはり今迄とあまり変わらず、いつも通りクラスメイトたちはよそよそしく、話し相手といえば委員長だけだった。と言うのも隣の席の姫守君はここ数日、学校へ来ていなかった。
委員長の話では、体調不良で欠席すると連絡があったそうだが、それについて、特に驚いたりはしなかった。
ただ、自分の中でグルグルと渦を巻いていた疑問が、ひとつの答えへと変わった。
他人が聞けば、熱でもあるのかと疑われそうな内容ではあったが、それでもこれは真実なんだと確信を持った。
登校再開から二日目にして、ようやく教室の二つの変化に気がついた。
一つ目は担任の川崎先生が休職した事だった。理由はよくわからないが、心労が祟ったか、逃げたのだろうと委員長は言っていた。元々、この春からまだ三カ月くらい
と担任した期間も短く、印象も薄かったためか、クラスから残念がる声や、心配する声はそれほど上がらなかった。
二つ目は井口裕子の転校だった。
これも私が休学している最中に突然決まった。遠方にいる父方の家に引っ越したそうだ。
なぜ、突然そんな事になったかと言うと、委員長が井口裕子を追いつめたからだ。
騒動の後、学校へ向かう委員長は学生鞄の他に大きな紙袋を大事そうに抱えながら家を出た。その時は聞きそびれてしまったが、後から聞くと、それは兄のノートパソコンだった。
委員長はクラスメイトたちの目の前で、井口裕子と兄の繋がりを全て暴露した。始めのうちは井口裕子も激しく抗議したそうだが、委員長は兄に送られたメールをその場で返信して見せて、井口裕子にスマホの開示を要求した。
井口裕子が『福校外』のアカウントを持っている事は、クラスでは周知の事実だった。
井口裕子はスマホの開示を頑なに拒み続けたが、その様子を見た周囲の懐疑的な視線に耐えられなくなり、最後には教室から逃げ出してしまった。それから井口裕子は学校へ来なくなり、さらに数日後、転校という流れになった。
帰宅した委員長は、その話を得意満面に私に聞かせた。
「憶えてるかしら?私、やられたら絶対やり返すって」
「あ~」
そういえば、そんな事を言っていたような気もする。
「十倍にして、百倍にして、いいえ、千倍にして返してやるって!」
「あ~?」
そこまで言ってたかな?増えてない?
なんとも拍子抜けな結末ではあったが、ようやくうちのクラスにも多少ギスギスした感は残るものの、まあまあ平穏な日常が訪れるようになった。
しかし、そこに姫守君の姿はなかった。
騒動から一週間が過ぎた。
最近は学校から帰ってくると、自宅に鞄を置いて、そのまますぐに委員長のお家へお邪魔する日々が続いている。と言うのも、いずれは家事全般を一人でこなせるようになりたかったので、香さんから家事ご指導してもらっているのだった。
ちょっと意外だったのは、そこに委員長も混ざってきた事だった。「べつに、なんとなくよ」、と照れくさそうに答える委員長を、香さんは楽しそうに眺めていた。
さらに、一週間が過ぎた。
私の学校生活も以前と比べると、だいぶ様変わりしてきた。
まず、部活に入る事にした。入部したのは当然、裁縫部。
入部届を持参して部室へ入ると、私を憶えてくれていた部員さんたちに熱烈歓迎を受けた。どうやら姫守君に関係なく、この部のテンションは普段からこんな感じなようだ。
裁縫部と手芸部を兼任する森部長からは「きっと、また来ると思ってたよ」、と男前な台詞で出迎えられた。その日の部活動は急遽、何処に隠していたのかスナック菓子やジュースを持ち寄っての歓迎会に早変わりした。担当がおらず、部長が率先してやっていたため、やりたい放題だった。この部を選んで良かったと心底思えるほど楽しい時間だった。
そういえば、最近はお昼ご飯もパンで済ませるのではなく、お弁当を作るようになった。とは言っても、買ってきた魚の切り身を焼いて白米の上にドン、と乗せたり、失敗したオムライスを炒飯だと言い訳する程度の、まだまだ人には見せられない腕前であった。
それでも、姫守君が「料理が楽しい」と言っていた意味がすこしづつだが分かってきた。
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