第12章2
「よいしょっと」
お弁当を提げて屋上へ上がってくると、日陰を見つけて腰を下ろす。
いつものように屋上には誰一人おらず、貸し切り状態だった。
最近は、昼食を屋上で取るのが定番になりつつあった。一人で食べる事もあれば、委員長を誘って二人で食べたりもしていた。
「委員長、来ないのかな~」
その委員長はなにやら生徒会から呼出を受けていたため、仕方なく一人で屋上へ来たのだった。
空を見上げると、ちょうど厚い雲が太陽の光を遮ってくれていた。おかげで、日差しもやわらかく、ポカポカと暖かい陽気はまさに絶好のお弁当日和と言えた。
「クァー」
真上のフェンスに止まったカラスが、こちらのお弁当を物欲しそうな目で見下ろしていた。
「かーかー」
カラスの声真似をしてみた。
「クァークァー」
こちらに返事をするように再びカラスが鳴く。
「お弁当が欲しいの?」
試しに米粒を手で丸めてすこし先に放り投げてみた。
カラスはしばらく逡巡するように、周囲をキョロキョロと警戒していたが、バサッと羽根を広げると、そのまま飛び立ってしまう。
「あー、いっちゃったか・・・ん?」
飛び立ったと思ったカラスは上空でくるりと旋回すると、屋上入口上の屋根
へと着地する。
その光景にどこか既視感を覚えた。
「まさか」
お弁当を床に置き、立ち上がると入口横の梯子へと近づく。
「まさか」、と否定する気持ちと、「どうか」、と願う気持ちが、心の中でせめぎ合っていた。
梯子に手を掛けると、手がじっとりと汗ばんでいるのが判った。
一段一段を緊張した面持ちで登っていく。
頭をひょいと出して屋根の上を確認すると、そこには真っ白のシャツに水色
のデニムというラフな格好で寝そべっている誰かがいた。
「あっ」
咄嗟に声が出てしまう。
こちらの声が聴こえたのだろう。寝そべっていた人はゆっくり起き上がると
、眠たげな眼を擦り、大きな欠伸をした。
「ふぁ~」
両手を広げて大きく伸びをすると、まだ眠たげな碧い瞳をこちらへ向ける。
「おはよう、歌敷さん」
起き抜けだというのに、まるで驚く様子もなく、姫守君はいつもの柔和な笑顔でこちらに挨拶する。
「お、おはよう。姫守くん」
釣られてこちらも挨拶を返す。会える事を期待していたとはいえ、いざ本人を前にすると、何も喋ったらよいのか、頭から全て抜け落ちてしまっていた。
「えっと、元気にしてた?」
ああ、我ながらなんて頓珍漢な台詞なんだろう。自分自身に「そんなわけないだろ!」とツッコミを入れたくなる。
「うん。おかげさまで、もうすっかり元気だよ」
「そっか、それならよかった。変な事聞いちゃってゴメンね」
「全然気にしてないよ。あ、それよりも」
「どうかした?」
「あれ・・・」
姫守君が指差す方を見ると、そこには私のお弁当を美味しそうについばむカラスの姿があった。
「あっ」
「捕まえようか?」
さも当然のように、姫守君は私に尋ねてくる。
「あはは、いいよいいよ。そんな大した物は入ってないから」
鳥を捕まえるなんて常軌を逸した事を口にするのが、如何にも姫守君らしくて微笑ましかった。
「もう体調の方は良くなったの?」
「バッチリ。元々、体は丈夫なほうだから」
「そっか、それなら良かった」
どうしても視線が姫守君の脇腹辺りに行ってしまう。
「歌敷さんの方は大丈夫だったの?」
「私の方もバッチリ。ほら、頭の傷も目立たないでしょ」
前髪をかき上げて姫守君に見せる。
「ホントだ。良かった」
姫守君は安堵したようで、自分の事のように嬉しそうに微笑む。
しばらくの間、近況報告も兼ねて、ひさしぶりに姫守君とおしゃべりをした。
裁縫部に入部した事や、香さんから料理を習っている事を話すと、姫守君はまるで自分の事のように嬉しそうに聞き入ってくれた。
クラスの状況が一変して、井口裕子が転校した話をすると、姫守君は複雑な面持ちで聞いてくれた。最後に兄の事を伝えると、姫守君は私を気遣って励ましてくれた。
話しに夢中になっていると、五限目のチャイムが鳴り響く。
「あ、時間だね。それじゃあ、話の続きはまた今度」
立ち上ろうとする姫守君の手を握り、その場に引き止める。
「ううん、まだ駄目」
教室に戻るつもりはなかった。
先延ばしにしていたが、まだ、大事な事を話していなかった。
こちらの真剣な表情に、姫守君は黙ってその場に留まる。さきほどまでの和やかな雰囲気は何処かへ消え、私たちには似つかわしくないピリピリとした空気が辺りに立ち込める。
「今だから言えるんだけどね。じつは私、イジメられてた時、何度か自殺しようとし事があったんだ。一度なんて、この屋上から飛び降りたんだよ」
姫守君は真剣な表情で聞き入ってはいたが、何も喋らなかった。
「嘘じゃないよ。信じてくれる?」
姫守君はコクリと頷く。
「……驚かないんだね?」
「……」
姫守君はどこか思いつめた様子で俯いてしまう。
ああ、やだな。べつに姫守君の事をいじめたいわけじゃないのに、そんな顔されたら話し辛いよ。
「ちょうど姫守君の転校してくる前日だったの。色んな事があって、もう駄目だって、限界だと思って。あそこのフェンスを乗り越えて死のうとしたの。そこでね、不思議な狼くんと出会ったの。とっても綺麗で、すっごく賢くて、なによりとびっきり優しい子だった」
自分が乗り越えた辺りを指し示すと、姫守君もそちらを向く。
「その狼くんに色んな話をしたんだ。まあ、全部私の愚痴なんだけど。とっても幸せな時間だった。それでも、結局、最後は飛び降りちゃったんだけど」
姫守君へ向き直り、話を続ける。
「でも、どういうわけか私はこうして五体満足で生きてます!どうしてかは分からないけど、きっと、その狼くんが助けてくれたんだと私は信じてます!」
両手を大きく広げる。
「そうかもしれないね」
ようやくこっちを向いてくれた姫守君は、私を見てすこしだけ微笑んだ。
「だからね。私、もう一度、その狼くん会いたいなって思ってたの。会ってお礼が言いたい。できるなら一緒にいたいなって」
真っ直ぐに姫守君の事を見つめながら言う。
「そしたらね、ちゃんと来てくれたんだ。お兄…兄が来た時に。まるでピンチに駆けつけてくれるヒーローみたいに、私の事を助けてくれたの」
だんだんと目が潤んでくる。
「とっても勇敢で、すごくカッコよくて」
姫守君は私から眼を逸らさずに聞いてくれる。
「でも、私のせいで大怪我をさせてしまって。だから、どうしても謝りたくて」
「きっと、その子は謝罪なんて求めてないと思うよ」
確かにそうなのだろう。出会ってまだ間もないが、姫守君の性格が眩しいくらいに真っ直ぐである事は分かっていた。それでも、せめてきちんと礼を言いたかった。
「それじゃあ、せめて、お礼だけはちゃんと言わせて下さい」
あらためて、きちんと姫守君に向き直る。涙でボヤけて姫守君の顔がはっきりとは見えなかった。
「今迄、何度も命を救ってくれてありがとうございます」
頭を深く下げると、涙がポロポロと地面に零れ落ちた。
ああ、ようやく言えた。
「どうして?」
姫守君は否定も肯定もせず、ただ質問で返した。
「・・・なんというかズバリ言ってしまうと、勘です」
「勘?」
姫守君が聞き返すのも当然だった。元々、きちんとした根拠なんてなかった。
ちょっとずつの情報と違和感の欠片を拾い集めた末に、そういう結論に達しただけなのだ。
「推理ドラマみたいにちゃんと説明できればいいんだけど、生憎とそんなに頭良くないから。まあ、しいて言うなら姫守君は嘘はつかないから、かな」
「どういう事?」
「姫守君入学した時に言ってたでしょ。『家族はお祖母さんと母さんと姫ちゃん』だけってさ」
「あぁ」
合点が言った様子で姫守君は頷く。
「それでさ、私姫守君の秘密を知っちゃったわけでしょ?その大丈夫なのかな?」
あまり考えないようにはしていたが、姫守君の秘密を知ってしまった以上はホラー映画のような展開もありえるかもしれない。
「大丈夫ってなにが?」
「なんというか・・・口封じ?みたいな」
「それって何をするの?」
「あ~、やっぱりなんでもないです」
どうやら私の思い過ごしらしい。
「でも場合によっては引っ越さなきゃいけないかも」
「えっ?」
「噂になると、色々と面倒事が増えるかもしれないから」
反射的に姫守君のシャツの袖を両手でがっしりと掴む。
「言わないから!絶対誰にも言わないから!」
「多分、大丈夫だと思う。それに僕も引っ越したくはないから」
血相を変えた私に驚いた姫守君は、自分の手を私の手に重ねて安心させるよ
うに宥めてくれる。
「ほんとに?絶対だよ?」
「うん」
それからしばらくの間、姫守君の手を放さなかった。
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