第10章2
斎藤さんと職員室までやって来ると、タイミングよく校内放送が流れる。
放送の内容は、今日の朝礼を校庭ではなく、講堂で行うというものだった。
「講堂?」
もしかしてあの丸い形をした屋根が特徴の建物の事だろうか。
「そっか、姫守君はまだ行ったことがなかったわね。まァ、講堂というか私たち生徒は体育館って呼んでるわ。普段は雨の日の体育の授業の時とか、あとは入学式とか特別な催しの時に使われる場所よ」
冬や夏は毎回あそこで朝礼して欲しいだけど、と呟く委員長と一緒に教室へ向かう。
教室に入ると、すでにクラスの半数以上の生徒たちが登校しており、友だち同士でおしゃべりをしたり、本を読んだりと、思い思いに過ごしている。
「いないわね」
教室を見廻していた委員長が小声で呟く。
「そうだね」
もうじき予鈴が鳴る時間だったが、井口さんの姿は何処にもなかった。
「あ、姫守君だ。おはよー」
「おはよう姫守君」
こちらに気づいたクラスメイトたちが元気に挨拶してくれる。
「おはよう」
数人の女生徒がこちらにやってくる。その女生徒たちは普段から井口さんと仲の良い子たちだった。
「おはよう、姫守君。てかさ、なんで委員長と一緒なの?」
「偶々廊下でばったり会ったのよ」
なんと答えるべきか、迷っていると委員長が代わりに応えてくれる。
「へえ~そうなんだ」
僕へ向ける視線とはあきらかに違う目つきで、女子たちは委員長を見た。
彼女たちが頻繁にするその仕草が好きではなかった。
「ねえ、あなたたち。井口さんの姿が見えないけど、今日は休み?」
「さあ?返事来ないから知らない」
女子の一人が興味なさそうに応えると、他の女子たちはもう話は終わったと言わんばかりに、僕の袖を引っ張る。
「ねぇねぇ、それよりまた姫守君のお話聞かせてよ」
「ごめんね。ちょっと用事があるから、また後でね」
不満そうな女生徒たちを残して、教室を後にする。
その足で屋上へ向かう。
まだ数日しか経っていないが、ここは自分にとって特別な場所になりつつあった。
高いフェンスに囲まれたフェンスの内側をぐるりと歩きながら、学校の敷地内や近隣に立ち並ぶ民家の周囲を慎重に観察する。
「ん?」
民家の物陰で動く影を見つける。しかし、その影は塀の上に飛び乗ると、呑
気に欠伸をしてうたた寝を始めた。
「はぁ・・・」
そうこうしている内に予鈴のチャイムが鳴る。
中庭を見ると、校舎にいた生徒たちが、ぞろぞろと講堂に移動しているのが見えた。生徒の一人として行くべきなのだが、生憎ここから離れるわけにはいかなかった。
周りの皆は、朝礼というものにあまり良い印象を持っていなかった、未経験な身としては、是非体験してみたかっただけに残念で仕方がない。
「機会はまたあるさ」
そうしてまた周囲の警戒に戻る。
しばらくすると、誰かが階段を駆け上がってくるのが足音で判った。その足音から、その人物が何か切羽詰まった状況にある事は容易に想像できた。
バンッ、と乱暴に屋上の扉が開かれると、そこには息を切らせ委員長が手に携帯を持って立っていた。その尋常でない様子に全身の毛が逆立つ。
「何があったの?」
「ハア…ハァ…あの子が…」
委員長の表情からはあきらかな焦りが見えた。
「家から…いなくなったって…」
ドクン、と心臓が大きく早鐘を打つ。
「委員長なら何処へ行ったと思う?」
今すぐにでも駆け出したい気持ちを抑えて委員長に訊ねる。
「分からない。分からないけど、もしあの連絡のあったメールが歌敷兄からの物なら、おそらく歌敷さんを脅迫したんじゃないかと思うの。たとえば学校の生徒を標的にするぞ、みたいな感じで」
「それじゃあ学校の近くにいるかもしれない?」
斎藤さんは頼りなげに頷く。
「わかった。ありがとう」
もし距離が離れていればどうすることも出来なかったが、近くにいるのならきっと見つけられる。
「どうしよう。ねぇ、姫守君?先生に知らせるべきだったのかな?」
斎藤さんはオロオロと落ち着かない様子で、握り締めている両手が小刻みに震えていた。
「うん、それは斎藤さんに任せるよ」
ここ数日、見てきた限りでは、生徒の動向にあまり関心のない教師もいれば、ちゃんと助けてくれる大人もいた。今はその人たちが助けになってくれると信じたかった。
「じゃあ、行くから」
「ちょっと、行くって何処へ行くのよ⁈」
斎藤さんの横を急ぎ通り過ぎようとすると、驚いた表情で腕を掴まれる。
「歌敷さんを探しに」
「なっ、もし何かあったらどうするの!」
井口さんのメール見た時と同じ、凄い剣幕で怒鳴られてしまう。てっきり、歌敷さんを探すために呼びに来たのだと思ったが、違ったようだ。
「でも、僕たちの大切な友達だから」
委員長は再び僕の腕を掴んだ。
「ええ、たしかに大切よ。でもね、それはあなただって同じなのよ」
委員長は真っ直ぐな瞳でこちらを見ていた。
その時、心が暖かいもので満たされていく。
委員長は、こんな僕を、まだ出会って間もない僕を大切だと言ってくれた。
なんだか無性に抱きしめたい気持ちに抗えず、委員長の腕を力任せに引くと強引に委員長を抱きしめた。
「きゃっ、えっ、っは⁉」
「ありがとう」
お礼を言うと、委員長から素早く離れて、屋上の扉へと飛び込む。そのまま校舎を駆け下りる。途中、なにやら屋上から委員長の抗議のような声が聞こえたが、また今度叱られる事にしよう。
校舎の階段を駆け降りながら、耳をすませて辺りに人の気配がない事を確認
する。
一階と二階の踊り場まで来るとそこから勢いよく飛び降りた。
目を閉じて、意識を自分の心のさらに内側へと集中する。意識を向けた先には一面に真っ白な空と、一面に真っ黒な大地がどこまでも果てしなく続いていた。
その遥か先、空と大地がちょうど交わる境界線は蜃気楼のように白と黒が混じり合い境界線をぼんやりと曖昧にしていた。
そしてその不思議な空間の中心には波間に映る月のような青白い光が、松明の炎のようにゆらゆらと揺れていた。
祖母や母に教えられたとおりに、幾度となくやって来た事を行う。
その光へと歩み寄る。何歩かは分からない。そもそもここには距離など存在しない。触れたい、近づきたいと願えば、光は自ずとやってきた。
普段であれば、そっと壊れないようにやさしく触れる光を、気持ちの焦りからか強く握りしめた。
次の瞬間、突然意識が現実へと押し出されてしまう。同時に全身が軋むように激痛が走る。
「クゥゥッ」
しかし、痛みの波はあっという間に消え去り、それと代わるようにピリピリとした振動の波が全身を駆け巡る。
力の波がごうごうと肉体を変容させていく。時間にすればほんの僅かな間であり、廊下に着地する頃には、すでにピリピリする波も、肉体の変容も終えていた。
「グルルゥゥゥ」
着地すると同時に四本の足で廊下を蹴り、外へと飛び出した。
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