第9章2

 どれくらい時間が経っただろう。

 依然として隣から寝息は聴こえて来ず、ただ時間だけが過ぎていく。

 しばらくすると、ゆっくりとした溜息のような呼吸音が聞こえる。

 お互いに起きている事は判っていたが、声を掛ける事はしなかった。

 

 昨日と同じように、何処からか犬の遠吠えが聞こえてくる。

「あ、ほらっ」

 はじめの一匹の呼びかけに応えるように、次々と鳴き声は増えていく。

「意外と近いみたい」

 委員長は目を瞑ったまま、ポツリと返した。

 言われてみれば、たしかに町外れの山という感じではなく、この辺りから聞こえくるようだった。

「人騒がせよね」

「私はそんな嫌じゃないよ。委員長は動物好きじゃないの?」

「こんな夜中に騒音を聞かされたら好きも嫌いもないでしょ。それに私、現実の動物って好きじゃないの。色々と手間が掛かるし、・・・噛むじゃない」

「委員長、動物に噛まれた事があるの?」

「ないわよ。噛まれそうになっただけ」

 委員長はやや語気を強めて言う。よほど怖い目にあったのだろう。

「これが終わったらさ」

「うん?」

「二人で姫守君のお家に遊びに行こうよ。とっても可愛いワンちゃんがいるの」

 まだ、出会って二日足らずしか経っていなかったが、あのふわふわモコモコした姫ちゃんがとても恋しかった。

「ああ、以前話してたペット、じゃなくて、家族の姫ちゃんだっけ?まァ、あなたがそこまで言うなら考えておいてあげる」

 はじめは興味がなさそうだった委員長も、私が何度も褒めるのを聞いて流石に興味が湧いてきたようで、だんだんと乗り気になってきたようだ。

「絶対気に入ると思うよ」

「期待してる」



 ピピピッというスマホの電子音で目が覚める。

 昨夜はなかなか寝付けなかったが、それでもいつの間にか眠ってしまっていた。

 隣では、委員長が巻き寿司布団から腕だけをニュッと出して、ゴソゴソとスマホを探している。

「もうちょっと右、・・・もうちょい。そこ」

 なんとかスマホ停止に成功すると、腕は布団の中へスルスルと帰っていく。

 なんとも愉快な光景ではあったが、しかし面白がってもいられなかった。

 今日は月曜日で、井口裕子のメールが本当ならば、学校で何かが起きるかもしれない日だった。

 時計を見ると、時刻は六時を廻った頃だった。

 下の階から物音が聞こえる。おそらく香さんが朝の用事をしてくれているのだろう。あの事故がなければ、私のお母さんもきっとこんな風に家族がまだ寝むっている中、毎朝頑張ってくれていたんだと思うと、あらためて母さんの有難みを感じる。

 階下から香さんの嬉しそうな声が聞こえてくる。

「こんな朝早くから、誰か来たのかな?」

 気になってこっそり覗いてみると、そこには制服姿の姫守君の姿があった。

「どうぞ、上がって上がって~」

「はい、お邪魔します」

 階上から覗いていると、姫守君とバッチリ目があってしまう。

「おはよう、歌敷さん」

「ひゃっ⁈はようございます」

 今更、寝間着姿を見られて恥ずかしい訳でもないのに、おもわず隠れてしま

う。

「す、すぐに行くから」

 急いで部屋まで戻ると、巻き寿司状態で眠っている委員長を揺する。

「起きて、委員長。姫守君迎えに来てくれたよ!ねえってば!」

 ユサユサと布団を揺する。

「あと十分だけ・・」

「駄目、すぐ起きるの!」

 先ほどよりも強い力で布団を揺する。

「じゃあ・・・二十分でいいから・・・」

「駄目だよ、観念しなさい」

 言うが早いか、委員長の頭を両手で掴むと、そのまま引っ張り出そうとするが、負けじと委員長も抵抗する。

 畑から作物を引き抜くような構図に、咄嗟に幼稚園時代に芋ほりに行った時の思い出が蘇ってくる。

そんなこんなでベッドの上でドタバタしていると、

「貴方たち、なにやってるの?」

 声に振り返ると、騒ぎを聞きつけた香さんが扉を開けて立っていた。

「べつに」

「すいません」

 友達の家へ行くたびに、醜態を晒している気がする。



「貴方はべつに着替えなくてもいいでしょ」

 さきほどまでのぐうたらの化身が嘘のように、制服を着替えた途端に委員長はいつもの真面目な委員長に戻っていた。

「なんとなく気分で・・・」

 深い理由はなかった。ただ、二人と同じ制服姿でいたかった。

 着替え終えて居間へ降りてくると、姫守君と香さんがお茶を飲みながら楽しそうに、おしゃべりしていた。ていうか、香さんの距離がめちゃ近かった。

「へえ、それじゃあまだ手を握っただけ?」

「はい」

「なるほどなるほど。てことは、おぶってもらった分、雪ちゃんが一歩リー

ドって感じかしら」

「リード?」

「んふふ~♪青春ね~甘酸っぱいわ~。いっその事、私も参加しちゃおっかな♬」

「うるさいわよ、おばさん」

「きゃん⁈」

 姫守君の腕にしな垂れ掛かろうとする香さんの頭を、委員長はグーで叩く。

「いった~い!ひどいわ、雪ちゃん」

 香さんは叱られた子どものようにべそをかく。が、どうにも演技臭いので、おそらくあまり痛くはなかったのだろう。

「九狼君~娘がイジメる~」

 姫守君に抱きつき泣き真似をする香さん。そしてそんな香さんを姫守君は「よしよし」とやさしく頭を撫でてあげる。

「もう、姫守君に迷惑掛けないでよ!」

「別に気にしてないよ。うちの母さんもよく不意に抱きついてきたりするから慣れてるんだ」

 姫守君のお母さんは香さんと同じタイプのようだ。

「あ~、それ分かる。九狼君、なんだかすごく抱き心地が良さそうなのよ」

「分かるな!」

 即座に委員長のツッコミが入る。

「うぅ・・・あれ?舞子ちゃん、どうしたの?」

 ようやく香りさんは私が制服を着ている事に気がつく。

「寝間着のままだとちょっとアレだったので・・・あはは」

 何度も説明するのは、さすがに気恥ずかしかった。

「焦らなくても、また直ぐに学校に行けるようになるから」

 私の気持ちを察してくれたようで、香さんは暖かい言葉を掛けてくれる。

「はい、でも大丈夫です。もう落ち込んでないので」

 半分は本当で、もう半分はただの強がりだった。

「そう。・・・さあ、じゃあ揃った事だし朝ご飯にしましょう」

 香さんは優しく微笑むと、立ち上がり台所へ向かう。

 さきほどまでの子どもっぽい雰囲気から一変、お母さんモードになる。


 テーブルに並べられたのは、焼き鮭、白米、お味噌汁、ほうれん草の和え物、焼き海苔、とこれぞ日本の朝ご飯といった内容だった。

 「「「いただきます」」」

「あら、九狼君お箸の扱いが上手ね」

「ちいさい頃から練習しましたから」

「健気ねぇ~。100点満点‼」

 その意見には全面同意である。

「姫守君、相手するのが面倒なら無視してくれて構わないから」

 娘の冷たい言葉に、香さんは口を尖らせて抗議する。



「忘れ物はない?」

「ん、ない」

 学校へ向かう斎藤さんと姫守君を、香さんと一緒に玄関から見送る。

「二人とも気をつけてね」

「心配しなくてもきっと大丈夫よ」

 結局、あの件のメールの後、新しいメールが届く事はなかった。メールの真

偽は不明のまま、それが心配でならなかった。

「じゃあ、行ってきます」

「行ってきます」

「あ、そうだ!忘れ物よ、雪ちゃん」

香さんは委員長に駆け寄ると、おもむろにハグをして頬にチュウをする。

「ちょっ、やめてよ‼」

慌てて委員長は香さんを振り解く。

「愛情表現で~す♪」

香さんはいたずらっ子のように微笑むと、今度は姫守君にも同じようにハグ

しようとする。

 姫守君なら簡単に避けれるだろうと思われたが、意外にも姫守君は香さんのハグを素直に受け入れる。それどころか、チュウを迫る香さんの頬に、逆に自分から軽くキスをする。

「「「⁈」」」

 これには私や委員長は当然ながら、香さんも驚く。

「きゃあ~、パパ以外の男性にキスされるなんて何年ぶりかしら~♪」

 頬を赤く染めた香さんは嬉しそうにはしゃぐ。

「姫守君ってさ・・・」

「大胆よね・・・」


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