第9章1

 

 委員長の家に着いた後、委員長のお母さんである香さんに、昨日からの出来事を包み隠さずに伝えた。

 玄関での初対面の時とは打って変わって、真剣な表情でこちらの話に耳を傾けてくれた香さんは、話を終えると私の肩をやさしく抱き、頭を撫でて励ましてくれた。

 柔らかくて暖かくて、心まで包み込んでくれる、ホントのお母さんのようなそんな抱擁だった。

 学校への対応については、香さんが幹部を務めている団体が直接掛け合ってくれることになった。聞いたこともない名前に戸惑っていると、「PTAっぽいNPOみたいな婦人会よ」、と委員長から分かるような、よく分からない説明を受ける。

 

 夕ご飯は香さんが腕によりをかけてくれるとの事で、手伝いを申し出たが、「子どもは勉強してなさい」とあっさり断られてしまう。

そんなわけで、委員長のお部屋にお邪魔させてもらうことにした。

「明るくて優しくて、素敵なお母さんだね」

「つい昨日も同じ感想を聞いたような気がするわ」

「あはは」

委員長の部屋は、如何にも委員長という感じではなく、そこかしこにキリンやアザラシをモチーフにしたぬいぐるみが置かれていたり、壁には星や魚を象ったオブジェの壁飾りや、フクロウをモチーフにした時計など、なんだかとてもメルヘンで可愛らしいお部屋だった。

「へぇ~、なんだかとっても」

「言っときますけど、私の趣味じゃないからね。大体は両親から貰った物だから」

「あの時計も?」

「あれは誕生日プレゼントに私が選んで買ってもらったのよ」

「あのアザラシのぬいぐるみも?」

 ベッドの中から頭だけ出しているアザラシのぬいぐるみを指差す。

「これは私がお小遣いを貯めて買った抱き枕よ」

 なるほど、つまりそういう事だった。

「なによ、その顔は」

「いや、別に・・・」

「・・・とりあえず座ったら?」

 背もたれの付いたクッションに座るよう勧められる。

「とりあえずやれることはやったと思うわ。警察への通報も母さんにお願いしたわ

子どもが通報するよりは説得力があるはずだから」

「そうだと思う。でも…それでも不安で……」

 仮に万全な手を打てたとしても、この不安は拭えなかったと思う。

「私だって一緒よ。もしかしたら後になって、後悔する事になるかもしれない。でも、それはそれで仕方がな仕方がない事だと思うの。私たちは私たちでやれる事はやったし、貴方は貴方で十分に辛い現実に向き合ってきたじゃない」

 はたして私が向き合えたのかは疑問だったが、それでも委員長の暖かい言葉に勇気づけられた。

「委員長ってさ、とってもやさしいよね」

「う、うるさい」

 つい本音を口にすると、委員長は照れた様子で、ベッドに横になるとそっぽを向いて寝てしまう。

「委員長」

「なに?」

「暇です」

 委員長は面倒くさそうに部屋の隅の本棚を指差す。

 本棚を覗くと、各教科の参考書や教科書が並んでいたのはイメージ通りだったが、それ以外にも少女物やコミカルな動物の漫画があったり、かなり意外だった。

 何冊か適当に抜き出すと、クッションに寝そべって読み始める。



 その晩、委員長のお家で餃子パーティーが開かれた。

 オードブルに蒸し餃子、スープは水餃子、メインはテーブルに置かれたホットプレートで絶え間なく焼き続けられる焼き餃子。まさに餃子尽くしだった。

 作り過ぎだと抗議する委員長にお母さんは、「てへっ」、と舌を出しておどけてみせる。委員長は心底嫌そうな顔をしていた。

 仕事から帰宅した委員長のお父さんも加わり、次々と餃子を平らげていく。

 その様子を委員長は別の星の生き物でも見るかのような目で見ていた。

 

 家族の団欒、と言っても私はよそ者なのだけど、委員長のご両親はそんな事まるで気にする様子もなく、和やかに家族の輪に加わる事ができた。

 食事中の話題は専ら姫守君についてだった。すっかりファンになってしまった香さんの熱弁に、隣で聞いていたお父さんも興味をそそられているようだった。

 私というよそ者がいても、斉藤家の家族の団欒は和やかに過ぎていく。



 深夜にふと目が覚めた。

 薄暗い室内には、隣で眠る友人の寝息と、フクロウ時計の時を刻む音だけが響いていた。

 窓の外、どこか遠くで犬の遠吠えが聞こえる。しばらくすると、その遠吠えに応えるように、別の場所からも遠吠えが起き、次第にその数が増えていく。

「近所にこんなに飼い犬いたっけ?」

 こんな夜更けに、自分と同じく起きている動物がいる事が不思議と嬉しくて、なんだか自分まで彼らに交じって声を上げたい衝動に駆られてくる。

 もちろん、そんな訳にはいかないので、大人しく犬たちのコーラスにしばし耳を澄ませて聴き入っていた。

 すると、次第にその遠吠えに守られているかのように不思議と安心感を覚える。そのまま遠吠えのコーラスを子守歌に、いつの間には眠りについていた。



 翌朝、カーテンの隙間から漏れる朝の明かりで目覚める。

「ふわあ~~」

 大きな欠伸をしてから、布団から起き上がる。

 欠伸に反応したのか、隣のベッドで布団がモゾモゾと動く。

「おはよ、委員長」

 しかし、布団をスッポリ頭まで覆った委員長から返事は返って来なかった。

「朝だよ、委員長。朝~、グッモーニーン」

 返事がないので布団を捲ってみようとするが、委員長は自分の身体に布団を巻きつけていたためびくともせず、さながら、その姿は巻き寿司のようだった。

「お~い、雪ちゃん朝だよ~」

 布団の中を覗き込むと、アザラシのぬいぐるみを大事そうに抱えて安眠する委員長の姿があった。まさに『雪アザラシの巻き寿司(時価)』だった。

 結局、委員長はお昼過ぎまで寝ていたため、香さんとパパさんの三人で朝食を摂った。


 その日は、特に何か予定があるわけではなかったが、外出するわけにもいかなかったので、委員長と一緒に部屋でのんびり映画鑑賞をして過ごした。

 リクエストを訊ねられたので、イギリスと答えると『007』シリーズを両手で抱えるほど手渡されたが、2本目を観終わった辺りで飽きてきたので、残りの作品は返却し、代わりに大人向きの恋愛映画を鑑賞した。


 友達と一緒に過ごす時間はあっという間に過ぎていく。

 今晩も昨晩と同じく、委員長の隣で眠る。

「そういえばさ」

「ん、なに?」

「昨日の深夜なんだけど、たくさんの犬の遠吠えが聞こえたんだけど、委員長は気がついた?」

「遠吠え?いいえ、昨日はぐっすりだったら気付かなかったわ」

 やはり初耳なようだ。

「でも、ずっとここに住んでいるけど、夜中にそんな大きな音は聞いた事がないわね。この辺りのお家は犬を飼ってたとしてもどこも室内犬がほとんどだし、多分だけど周辺の山に住み着いた野良犬とかじゃないかしら?」

「野良犬……」

 ふと、脳裏にあの晩の野良狼くんの姿が蘇る。昨晩の大合唱の中にもしかした

らいたのだろうか。

「ねえ、そんなことより明日のことだけど」

 委員長の言葉に現実へ引き戻される。

「もうしばらくウチにいなさい」

「え?」

「学校については、明日の職員会議で話し合いがされるでしょうから、早ければ数日中には待機処分は解けると思うの、でも自宅にはまだ帰らないほうがいいわ」

「でも、迷惑じゃない?」

 委員長のご両親は嫌な顔一つせず暖かく迎え入れてくれたが、だからこそ、これ以上迷惑は掛けたくなかった。

「迷惑だと感じるくらいなら、そもそも連れてこなかったわよ。それに、母さんなんて家族が増えたみたいだって喜んでたんだから」

「あはは…」

「私たちは子どもなんだから、もっとわがままを言っていいのよ」

 普段から我がままなんて言いそうにない委員長のその言葉に、自然と笑みがこぼれてしまう。

「委員長でも我がままって言うの?」

「もちろん言うわよ。まァ、ウチの場合、私よりも母さんの方が多いけど」

 二人してクスクスと笑い合う。

「だから気にしないで。ちょっと長めの連休だと思えばいいのよ」

 まだ遠慮する気持ちはあったが、こちらを気遣ってくれる委員長やご両親の

気持ちを無碍にするのも気が引けた。

「うん、そうだね、そうするよ。…不謹慎だけど、月曜がお休みだとちょっと得したような気分」

「そう?どうして?」

「ほら、月曜は全校集会があるでしょ。夏のグラウンドで何十分も立ってるのって結構大変だから」

「ああ、なるほどね。確かにあの熱さじゃ、まともに校長の話なんて……」

 言い終わる前に委員長は口を閉ざしてしまう。

「どうかしたの?」

「そうよ、すっかり忘れてたわ。たしかに月曜と言えば全校集会だった」

 委員長が何を考えいてるのか分からなかったが、訊き返すことはせず、ただジッと委員長の次の言葉を待った。

「万が一ということもあるから、もう一度、母さんにお願いして、朝一で学校に連絡を入れてもらう事にするわ」

「学校に?」

 急に不安な気持ちが津波のように押し寄せてくる。

「ええ、もしかしたらだけど、全校集会の時に現れるかもしれない」

「あっ⁉」

 いまだに実感が湧かなかったが、可能性は十分にあった。

「でも、いくらなんでも先生も生徒も沢山いる場所でそんな…」

 口では否定したが、あの兄ならば何をしでかしてもおかしくはなかった。

 委員長はベッドから起き上がると、その足で両親の部屋へ向かう。

 しばらくすると委員長は戻ってくる。

「念の為よ、念の為」

 まるで自分に言い聞かせるように委員長は言うと、再びベッドに入る。

「それじゃあ寝ましょう。おやすみなさい」

「うん、おやすみ…」

 そうは言ったものの、今の話を聞かされては、到底眠れそうになかった。

 そして、それは委員長も同じで、二人して薄暗い中、天井を見つめていた。














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