第8章7
さきほどのページから『YOUYOU!』宛てにメールを打ち込む。
内容はぶつ切りにした、如何にも切羽詰まって動揺した感を演出する。
自分で書いていて、まるで駄々をこねる子どもの言い訳だった。
「どう、こんなものじゃない?」
完成したメールを二人に見せる。
それは激情に駆られ、過ちを犯し続けて、それでも尚、己の非を認めようとしない浅ましい男の醜く不出来な嘆願書のようなものだった。
「なんというか、いいんじゃないかな…」
歌敷さんから、なにやら奥歯にものが挟まったような感想が返ってくる。
「ごめんなさい。その、どう反応したらいいのか・・・」
人が頑張って書いたんだから、賞賛はせずとも、せめて労いの言葉くらい掛けてくれてもいいじゃない。
「もういいわよ。それじゃ送るからね」
マウスをクリックして送信する。あとは待つしかなかった。
「クッシュン!」
張り詰めた気が抜けると、途端に肌寒さを覚える。
「委員長、もう一回お風呂入る?」
「ええ・・・」
今の今まで、自分がバスタオル一枚だという事をすっかり忘れていた。
気を利かせてくれたのだろう。すでに姫守君の姿は部屋にはなかった。
二度目のお風呂から上がると、姫守君が作ってくれた昼食が並んでいた。
テーブルの上に並べられた大皿が三枚。それぞれ野菜やハムなど具沢山なナポリタン、鷹の爪抜きのあっさり味のペペロンチーノ、定番のミートソースの三種のパスタがたっぷりと盛られていた。
「「「いただきます」」」
三人一緒に手を合わせてから頂く。
さきほどまでの緊迫した空気は何処へやら、和やかな時間が過ぎていく。
「わあ~迷うな~」
そう言いつつ、歌敷さんは三種のパスタ全て取り皿へと乗せていく。
「あ、これちょっと酸っぱくて美味しい。なんだか癖になりそう」
見た目はペペロンチーノだが鷹の爪が入っていないので辛くはなく、ポン酢の酸味が絶妙に利いた和風な味付けに仕上がっていた。
「辛いのがあまり得意じゃなくて」
「こういう味付けも新しくていいわね」
「私は美味しければなんでもいいかな~」
すでに取り皿の分を食べきった歌敷さんは二杯目に取り掛かる。隅に置かれた粉チーズを手に取ると、次々にふりかけていく。
「まァ、人それぞれだけど…」
「え、どしたの?」
「いいえ、なんでも。粉チーズ、私にも貸して」
ナポリタンにはピーマンに玉ねぎ、きのこにベーコンと、オーソドックスな見た目をしており、食べてみると何処か懐かしいような味わいがあった。
「ナポリタンって簡単に出来るけど、滅多に食べないのよね」
「あー、わかる気がする」
「知ってる?ナポリタンって日本発祥なのよ。だから、イタリア人に尋ねて
も知らないらしいわよ」
「へえ~、そうなんだ」
「イギリスではナポリタンって食べられてるのかしら?」
「どうだろう?僕も作り方をおばさんから教わっただけだから」
「それって家政婦さん?」
「うちのお屋敷の持ち主だよ。遠縁の親戚みたいな間柄かな」
つまり、あの屋敷の持ち主は日本人という事だろうか。姫守君の説明では
謎が深まるばかりだった。
「残り貰うよ~」
あれだけあった山盛りのパスタが気づけば二皿が空になっており、残りはミートソース皿が僅かに一人分を残すのみとなっていた。
「ちょっと待ちなさい」
歌敷さんの手を鷲掴んだ。
「私まだミートソースは食べてないんだから。そこは譲りなさい」
好物は最後に残しておくのが私のポリシーだった。
「ちぇっ」
歌敷さんは不服そうな顔をしながらも素直に従う。
そもそもこの子、一体何杯食べたの?
「ん、美味しい。ソースにコクがあって、すごくパスタに合う」
「でしょ、でしょ!」
歌敷さんはまるで自分の事のように喜ぶ。
「市販のトマトソースなんだけど、そこにお味噌を加えたんだ。すこし加えるだけで料理にコクが出来るからなにかと重宝してるんだ。洋食にもとっても合うしね」
お味噌と言えば、お味噌汁や味噌田楽くらいしか浮かばない日本人の自分からすれ
ば、少々耳の痛い話だった。
「「ご馳走様でした」」
「お粗末さまでした」
三皿とも綺麗に平らげると、片付けを私と歌敷さんが分担して行った。
片付けを終えると、早速、リビングでさきほど送ったメールの確認をする。
メールを送ってから、まだ一時間ほどしか経っておらず、期待していなかったが予想に反して、返信メールが届いていた。
受信したメールを開く。じっとりと手に汗が滲んでいた。
【用件は昨日の晩に伝えたでしょ
何度も連絡してこないでよ はっきり言って迷惑なんだけど
それに泣き言なんて聞きたくない なに今更おじけづいたの?】
念の為、これ以外のメールをもう一度確認してみるが、特にそれらしい物はなかっ
た。昨日の段階で、おそらく歌敷兄は携帯で連絡を取っていたのだろう。
「用件ってなんだろう?」
歌敷さんが不安そうにつぶやく。
【たった一人潰したくらいで音を上げないでよ
あの子の周りにはまだまだイジメたがってる連中がうじゃうじゃいる
あんたが行動を起こさなければ一生あの子は救われないわよ】
『たった一人潰した』、その言葉の意味を察した瞬間、背筋が凍る。
「斎藤さん」
「委員長」
「そう・・・そういうことなのね・・・」
心のどこかで「まさか」と否定したい気持ちもあったが、井口裕子のこれまでの素行や、メールの内容を見れば十分ありえる話だった。つまり、歌敷兄と井口裕子は共犯ということだった。
【分かったら言われた通りにやって
こんなものじゃ全然足りないんだから
もしそれが出来ないならあんたの人生も全て無意味】
メールはそこで終わっていた。
怒りと苛立ちのあまり、ドンッ、と拳でテーブルを叩いてししまう。
驚いた歌敷さんがこちらを振り返る。
「ごめんなさい…」
叩いたこぶしがジンジンと痛かった。
「手、痛くなかった?」
「痛いわ…」
「斎藤さん、これ」
手の痛みを堪えていると、姫守君が水で濡らしたタオルを手渡してくれる。
「ごめんなさい。ありがとう」
「委員長、この後どうしよう?」
「もう一度、ダメ元で送るしかないわね」
向こうはかなり煙たがっていたけど、こちらも引き下がるわけにはいかなかった。あの文章からすると、井口裕子は歌敷兄について何かしらの情報を知ってはずだ。
「うん、でも教えてくれるかな?」
「無理そうでもやるしかないわ」
残念ながら取れる手立てはこれしか思いつかない。
「あの、僕が直接会って、訊いてくるのはどうかな?」
「「え?」」
姫守君から想像もしていなかった提案が出される。
「多分だけど井口さん。僕にはわりと好意的みたいだから、上手くやれば歌敷さんのお兄さんの事、訊き出せるんじゃないかと思って」
確かに悪い手ではなかった。が、
「それは駄」
「駄目!絶対駄目‼」
こちらが言うよりも早く、歌敷さんに否定されてしまう。
「でも…」
「駄目ったら駄目なの‼」
「という事らしいわ」
人の良い姫守君では、あの井口裕子を御せるとは到底思えなかった。むしろ、逆に井口裕子に付け込まれて酷い目にあう可能性すらあった。
「あきらめてもう一度返信しましょう」
再び、メール送信をしようとするが、操作していた手が止まる。
「斎藤さん、どうしたの?」
不審に思ったのか、姫守君が訊ねてくる。
「もう一通着てる・・・」
「えっ⁈」
驚いた二人も画面を覗き込む。
そこには、新着の印がついたメールが一通、受信箱に届いていた。
あれほど連絡をしてくるな、と言っていた本人がメールを送ってくるなんて、どう考えても嫌な予感しかしなかった。
「開けるわよ」
次の瞬間、冒頭の一文が目に飛び込んでくる。
【あんた誰】
いずれはばれるだろうと思ってはいたが、まさかこんなに早くばれてしまうとは。こんなことなら、ダメ元でさっさとメールを送ってしまうべきだった。
【だいたい予想はついてるけど残念でした
明後日をお楽しみに】
メールの内容はたった三行の短いものだった。
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