第8章6
「はぁ~結局、手詰まりか」
二人に落胆する姿を見せたくはなかったが、ここまで大した成果も得られていないのも事実であった。もしかしたら、まだ何か手掛かりになる情報も眠っているのかもしれなかったが、煮詰まった今の頭では到底何も閃きそうになか
った。
「委員長、ちょっと休憩しよ?」
歌敷さんがこちらの気持ちを察してくれる。
「そうだね。そろそろお昼にしよう」
時計を見ると、お昼の十二時をとっくに過ぎていた。
「それもそうね。この散らかった部屋にいるとなんだか気が滅入るわ」
「ねぇ、リフレッシュにお風呂入ろう、お風呂」
「そうね。それじゃあお風呂に入ってから昼食にしましょうか」
「そうだね」
「やった!」
さきほどまでの憂鬱な空気を吹き飛ばすように、歌敷さんはうきうきと部屋を出て行く。
「プハア~、ああ~幸せ~」
身体を洗っていると、歌敷さんが湯船から勢いよく飛び出してくる。
「ちょっと、大人しく浸かっていられないの?」
小さな子どものようにはしゃぐ歌敷さんを嗜める。
「あはは、べつにいいじゃん。家のお風呂なんだし」
まるで意に介した様子もなく、再び頭の先まで湯船に浸かる。
「ホント子どもなんだから」
お湯で泡を洗い流すして、自分もやや手狭な湯船へと浸かる。
「プハァ~」
飛び跳ねたお湯がこちらの顔にまでおもいっきり掛かる。
「こら、いいかげんにしなさい!」
「あはははは!」
歌敷さんの身体を羽交い締めにして押さえつける。
「…委員長ってさ、あんまりないよね」
「こいつッ‼」
自分だって似たようなものだろうに、最早我慢の限界だった。
羽交い締めにしていた腕を解くと、そのまま空いた腕を首へと廻す。
「グエッ」
歌敷さんは断末魔の悲鳴を上げた。
伸びてしまった歌敷さんを放置して、ゆっくりとお湯に浸かる。
この休憩が終わったら、もう一度あのパソコンを調べてみよう。今できる事はそれ以外になかったが、何か見落としがあるような気がしてならなかった。
「ふぅ」
顔にパチャパチャとお湯を掛ける。
「あのね、委員長」
「なに?」
「もし、この騒動が落ち着いたらさ、買い物に付き合ってくれない?」
仰向けで天井を見ていた歌敷さんがこちらを振り向く。。
「それくらいなら構わないけど、何か欲しい物でもあるの?」
「えっと、携帯電話。やっぱりあった方がいいかなって」
アナログキッズの片割れに、どうやら心境の変化があったようだ。
「なにかしたい事でも出来た?」
「うん。あの掲示板見てて思ったんだ。いつでも人と話が出来たり、思ってる事を伝え合ったりできるのってやっぱり羨ましいなって。どうかな?」
歌敷さんはすこし照れ臭そうに応える。
「いいんじゃない?誰だって一人でいるのは寂しいし、苦しいわ。もし互いに共感できる場を持てるのなら、それはきっと良い事だから」
「ホント?なんだかそう言ってくれると嬉しいな~」
そこで、ちょっとした計画が頭に浮かぶ。
「そうだ。ねぇ、どうせなら、あのアナログ少年も一緒に連れて行きましょうよ」
「アナログ少年?もしかして姫守君の事?あ、それいいね!」
「この際だから文明の利器に少しでも慣れさせておくべきよ」
「それいいかも。姫守君、わりと世間知らずなとこあるもんね」
それはアナタも同類でしょ。という言葉を呑み込む。
「携帯買ったらさ、私たちのグループ作ろうよ」
歌敷さんは玩具を買ってもらう子どものようにはしゃぐ。
「グループ?掲示板のスレッドのこと?」
「そうそう、それ。私たちの新しいのを作ろうよ」
「べつに三人だけで使うなら、わざわざスレッド立てなくてもメールとかでいいじゃない」
一瞬、頭の中でチカチカと火花が舞った。
「あ~そっか」
「他にもその手のツールは探せばいくらでも・・・」
「そんなにあるなら選ぶのに苦労しそうだな~。ねえねえ例えばどうなのが」
頭の中の火花が大きくなるにつれ、歌敷さんの声が次第に遠のいていく。
突然、昨日の学校襲来の事が猛烈に頭に思い浮かぶ。
なぜあの時、歌敷兄は学校に来たのか。
ただの偶然かもしれなかったが、それでも二日も家に帰らない妹であれば、
そのまま学校に来ない可能性だって十分にありえた。
では、誰かが教えたのではないかと疑った。
パソコンのメールボックスにそれらしいものはなかったし、そもそも携帯でやり取りしてるのだとしたらお手上げだ。
だが、歌敷兄はずっと『福校外』をパソコンから閲覧していた。だとすれば可能性はあるかもしれない。
「どうしたの、委員長?」
おそらく険しい顔をしていたのだろう。歌敷さんが心配そうに見つめる。
「忘れてたの」
「忘れてたって何が?」
「メールよ。あるのよ、福校外にもメールがっ!」
僅かな可能性だった。それでも考えれば考えるほど、その僅か可能性は自分の中でどんどん膨れ上がり、確信へと変貌していく。
風呂場を飛び出すと、バスタオルを掴み取り、そのまま二階へと駆け上がる。歌敷兄の部屋へと駆け込むと急いでパソコンを立ち上げる。
さきほどとおなじ手順で『福校外』を開く。
古臭いレイアウトのトップページ、その最上部の隅に小さな封筒マークがあった。
「どうしてこの程度の事に気づけなかったんだろう」
自分の間抜け具合に苛立ちながら、メールボックスを開く。
画面にごく最近の日付の付いた件名無題のメールがいくつか表示される。
「これって…」
マウスを持つ手が震えた。同時に燃え上がるような怒りが込み上げてくる。
メールの宛名には『YOUYOU!』、と表示されていた。
普段からクラスの中心的存在に納まり、傍若無人の如く振舞っている彼女ではあったが、まさかここまで陰険な方法を取る女だとは思いもしなかった。
「井口裕子、アイツ・・・ここまでするの・・」
受信メールの中から、日付の近いものから開いていく。
井口裕子は本名でない事をいいことに、歌敷さんの学校での日常を現実以上に大袈裟に尾ひれをつけて書き込んでいた。だが、重要なのはそこではなかった。何より驚かされたのは、イジメの張本人が井口裕子ではなく、普段からイジメに関わらないようにしている生徒たちの名前を上げ連ねていることだった。そしてその中には私の名前もあった。
「あのクソ女っ!」
怒りのあまり口汚く罵る。
「委員長・・・」
振り返ると、部屋の扉の前には歌敷さんとエプロン姿の姫守君が立っていた。今の独り言も聴かれていたようだ。
「なに?」
だが、怒り心頭の今の私にあるのは、如何にして井口裕子に仕返しをしてやろうかという事だけだった。
「いや、あの、急いで行っちゃったから、その・・・」
隣で「うんうん」、と頷く姫守君。
心なしか、二人の様子が普段とは違い、なんだか怯えているように見える。
「べ、べつに委員長の事が怖いとか、そんなつもりはないよ。ないない」
隣でまた「うんうん」、と頷く姫守君。
怖くないのなら、もう少し近くに来ればいいじゃない。
まあいいでしょう。今はそんな事より重要な事がある。
「今、分かった事なんだけど、井口裕子と歌敷兄が裏で繋がっていたわ」
あまりに衝撃的な事実に、歌敷さんはその場に固まってしまう。
「それはどういう意味なの?」
歌敷さんに代わり、姫守君が訊ねてくる。
「井口裕子が『福校外』のメールを使って、歌敷兄にある事ない事吹き込んでるの。ちなみにイジメの主犯のひとりは自分じゃなくて、私だそうよ」
「なにそれ、意味わかんない‼」
全く同感だった。
「委員長、もし二人が連絡を取り合っているなら、お兄ちゃんの居場所について何か書いてない?」
「それが、まだ全部読めてるわけじゃないけど、ここ数日分を読む限りではその手の情報はなかったわ」
「そっか…」
落胆する歌敷さん。私も気持ちは同じだった。すこしづつ前進できてはいたが、まだ決定的な決め手となるようなものには至っていない。
「あの」
姫守君がおずおずと声を上げる。
「どうしたの?」
「よく分からないのだけど、こちらから連絡を取るのはどうかな?」
「え、連絡って誰に?」
「ああ、なるほど。そういうことね」
理解出来ていない様子の歌敷さんを置き去りに、二人で頷き合う。
「つまり、鎌をかけるってことよ」
「え?・・ん?・・」
尚も置いてきぼり状態な歌敷さんはこの際無視して話を続ける。
「上手くいけば、なにか情報を引き出せるかもしれないわね」
さて、そうするとどうやって井口裕子を引っ掛けるか。
「姫守君、何か案はあるかしら?」
「はいはい。えっと、何の案ですか?」
「そこ、しずかに」
外野がうるさいので窘める。
「歌敷さんのお兄さんからすれば、おそらく井口さんは自分にとって唯一の味方だと思ってるはずだから・・・」
姫守君はしばし考え込んでから、ぽつぽつと話し始める。
「ええ、確かにそうね」
「ここでもしお兄さんが井口さんへ助けを求めたら、井口さんは手を差し伸べてくれるんじゃないかな?」
「それは、難しいと思うわ。井口裕子からすれば歌敷兄妹が共倒れしてくれるのが一番だと思ってるはずなのよ。だから、現状でも目的の半分くらいは達成しているようなものだから、敢えて危険を冒すような真似をするとは思えないのよね」
「そっか。そういうものなのか…」
姫守君は落胆した様子で肩を落とす。
「はいはい。委員長、はい!」
また歌敷さんが手を挙げる。当てなきゃ駄目なのだろうか。
「んっ」
顎で指した。
「投げやりっ⁈」
「なによ」
「いや、あの、私も姫守君の意見と似てるんだけど、逆に井口さんを助けるみたいな事を口実にするのはどうかな?」
「ああ、助けてもらうんじゃなくて、助けてあげるから協力してって事ね」
確かに井口裕子の性格的にそちらの方が食いついてきそうではあった。
歌敷さんにしては的を得た意見だった。
井口裕子からすれば、直接の手助けは避けたいところだが、自分の思い通りに動く駒が手に入るとすれば、油断して隙を見せる可能性も十分にありえる。
「よし、じゃあそれでいきましょう」
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