第8章3
「キィッッ⁈」
そして、さらに間の悪い事に、偶然にも開いたページが咄嗟に視界に飛び込んできてしまう。
そこには妖艶な笑みを浮かべた女性が、男性と共に互いにあられもない姿で抱き合っている写真が一面に載っていた。
「キャァァァァーーーー‼」
腰が抜けてしまい、その場でベタッと尻餅をついてしまう。
「斎藤さんどうしたの⁉」
「姫守君は来ちゃダメーーー!」
部屋に飛び込もうとする姫守君を阻止すべく、歌敷さんは勢いよく扉を閉める。あまりに予想外の行動に反応できるわけもなく、姫守君は盛大にドアにぶつかる。ゴンッ!という大きな音が辺りに鳴り響いた。
「うわわわ、ご、ごめんね姫守君、本当にごめんね」
どうしたらよいのか分からず、その場でオロオロしながらこちらに視線を向ける歌敷さんに、こちらは大丈夫だとなんとか手で合図を送る。
目を瞑り深呼吸をすると、すこしづつ気持ちが落ち着いてくる。それにしても全くなんという醜態だろう。穴があったらひと月くらい籠もっていたい気分だった。
「委員長…その、大丈夫?」
姫守君の様子を確認してきた歌敷さんが、こちらに戻ってくる。
「大丈夫よ。みっともない姿を見せてしまってごめんなさい」
「ううん、全然気にしてないよ。それより私のほうこそ気が利かなくてごめんね。ちゃんと伝えておけば良かったのに」
お尻がジンジンと痛んだが、なんとか立ち上がる。
「えっと、姫守君呼ぶ?」
「駄目よ!アレを片してからじゃないと」
散乱している卑猥な雑誌群を顎で指す。よくもまああんなものばかり何十冊も集めたものだと心底呆れ返る。
「あ~うん、そだね」
歌敷さんからすれば身内の不始末なので、その困り顔からは複雑な心境である事が伺えた。
二人でもう一度、室内をざっと見渡す。依然として部屋はゴチャゴチャと物が散乱したままではあったが、本来の目的は片付けではないので、構わず放置して、視覚的に危なそうな物だけをまとめて押し入れに詰め込み扉を閉める。
「待たせたてごめんなさい姫守君。もう入って来ても大丈夫よ」
鼻の頭を赤くした姫守君は部屋へと入ってくると、即座にくしゃみをする。
「せめて窓は開けておきましょう」
気休めではあったが、この劣悪な環境ではもうそれくらいしか取れる手段がなかった。
部屋の中をあらためて見る。雑多に物が溢れてはいたが、基本的な家具の類は大体揃っていた。机にベッド、本棚に薄型テレビ、なぜか有名メーカーの空気清浄機まで置かれていたが、この部屋の惨状を見るに、おそらく故障しているか、もしくは機械でもお手上げかのどちらかなのだろう。
とりあえず、分担して手がかりになりそうな物を探す。
手近にある本棚を漁ってみる。上段の棚にはやたらと目の大きなキャラクターが表紙のシリーズ物の漫画がずらりと並んでおり、中段には野暮ったい衣装や学校の制服を着たアイドルの写真集がこれまたずらりと並べられていた。
下の段には赤本や参考書などが雑に詰め込まれており、それらの上には薄っすら埃が溜まっていた。
「これが凡そ大学生の自室なのかしら?」
「お兄ちゃん浪人生だよ」
机の引き出しを漁っていた歌敷さんがこちらを振り返り答える。
「そうなの?尚更駄目じゃない」
「最初の年に何処かの大学受験に失敗しちゃって。それから今年の初めに両親が亡くなったから、色々あって・・・あれ、今年はどうしたんだろう?」
「こんな調子じゃあ今年も無理でしょうね。わざわざあなたの私生活に首を突っ込んで来るくらいだから」
「そうかも・・・」
そうだ。そもそも、なぜ大事な時期にわざわざ妹の問題に首を突っ込んでこようとしたのか。始めの内は唯一の家族を不器用ながらも守ろうとしているのか、とも思ったが、学校での度重なる奇行、私への暴行、そしてこの部屋の惨状を見ていると、どうもそんな理由ではではないように思えてくる。
「もしかしたら、あなたのお兄さん」
「ああ、そこは開けちゃダメ!」
途中まで言いかけた言葉を歌敷さんの大声にかき消されてしまう。声に振り向くと、そこには押し入れの戸に手を掛けている姫守君がいた。
「そこはとっても危ない物がしまってあるの」
歌敷さんは小さな子どもを諭すように注意する。具体的な内容は一切語らなかったが、特に追及したりすることもなく姫守君は応じる。
本棚をひと通り調べ終えたが、残念ながら目ぼしい成果は獲られなかった。
どうやらそれは他の二人も同じようで、机を調べていた歌敷さんはごちゃごちゃと小物で溢れた引き出しを閉めると疲れた表情で椅子に座る。姫守君は床に散らばった衣類やゴミを丁寧に片付けながら、時々辺りを見回しては何か考
えている様子だった。
「見つかんないね」
「…なかなか思う様にはいかないわね」
今になって自分の考えは甘かっのだと痛感する。そもそも歌敷兄の足取りを追うためとはいえ、そこはやはり素人。何を探せばよいのか分からず、闇雲に辺りを探し回ってみたものの、結局は無駄に終わってしまった。
「二人ともごめんなさい。無駄骨を折らせてしまって」
「そんなこと言うのやめてよ」
「そうだよ、斎藤さん。これは三人で決めたことなんだから」
「姫守君の言う通りだよ。それにまだ無駄だと決まったわけじゃないよ」
「そうだけど…」
二人の気遣いは素直に嬉しかったが、それでも手掛かりが見つけられない以上、自分たちが取れる手立てはなく、完全に手詰まりである事に変わりはなか
った。
「ねぇ、皆一旦ちょっと休憩にしない?お昼ご飯にはまだちょっと早いかもだけど。それになんだがこの部屋にずっといると、体がムズムズしてきちゃってシャワーでも浴びたい気分なんだ」
「あなた本当に自由ね」
それでも、今はその自由な物言いが頼もしく思えた。気軽な口調のおかげで
心の重石まで軽くなるように感じられた。
「まァ、でもそうね。それじゃあ交代交代でお風呂に入って頭と身体を休憩
させましょう」
「そうしよ、そうしよ。あ、なんだったら皆一緒に入ろっか?」
「まあ別に構わないけど・・・待って、『皆』って私とあなたの二人よね?」
「二人?いや三人で、だよ?」
「…破廉恥。あの兄にして、この妹ありね」
「な、なにを仰いますか⁉違うから。ちゃんと水着を着て入るんだから」
あきらかにそういうレベルの問題ではない。
「水着を着ていれば許されるっていう考え方が既に卑猥だわ」
「私まともだし!卑猥じゃないし!」
「浮かれるのは自由だけど、最低限の節度くらいは守りなさい」
「むう、違うのに~」
「はいはい、じゃあ私が一緒に入ってあげるからそれで我慢しなさい」
歌敷さんの背を押しつつ部屋から出ようとするが、姫守君だけは依然として部屋の真ん中で思案気な顔で佇んでいた。
呼びかけようとするが、歌敷さんから「しぃー」と止められる。さっぱり状況がのみ込めなかったが、成り行きを見守ることにした。
「やっぱりなにか聞こえる」
姫守君は歌敷兄のベッドへ近づき、その周囲をグルっと見回してから、辺りに埃が舞うのも気にせず、おもむろにベッドの布団を退かした。布団の下には大きな枕と皺くちゃになったシーツが敷かれているだけだった。
なんとなく予想はできていた事ではあったが内心溜息をつく。
「ん?」
まだ何か気になる様子の姫守君はさらに大きな枕を退かす。
すると、そこにはちょうど枕にすっぽり隠れるサイズのノートパソコンが隠れていた。
「「あっ」」
驚きのあまり、歌敷さんと二人して声を上げてしまう。
「それよ、それ!でかしたわ、姫守君!」
「うわーすごいすごい!…で、あれなんだっけ?」
「いや、どう見てもパソコンでしょうが。小中の頃から授業で何度も使ったじゃないの」
「あ~。でもあんな形じゃなかったよ?」
「学校の情報処理室にあったのはデスクトップ型だったけど、あれはノート型。拡張性のあるなしくらいで、できる事にはさほど違いはないわ」
「へぇ~」
まるで興味がなさそうな歌敷さんは相槌を打つ。
「あなた、どれだけアナログ少女なのよ」
「べつにいいもん。無くても困らないし」
「貴方、本当に平成産まれ?」
「・・・たぶん」
姫守君は早速ノートパソコンを開くが、あきらかに触り慣れていないのが分かる手つきで、ポチポチとキーボードを押していく。どうやらここにもアナログ少年がいたようだ。
「姫守君、それちょっと貸してみて」
姫守君からパソコンを受け取ると、歌敷兄の机の上に移動させる。
緊張した面持ちでパソコンの電源ボタンを押してみると、どうやらスリープモードのようで、パスワードの入力画面に映し出される。
「あ~もう」
当然と言えば当然なのだが、イライラのあまり頭をぼりぼりと掻く。
「どう、委員長?なんとかなりそうかな?」
横から画面を覗き込む歌敷さんが心配そうに訊ねてくる。
「パスワードがいるわ。歌敷兄の生年月日とか暗証番号とか、なにか思い当た
るようなキーワードははない?」
「えっと、生年月日なら判るよ」
そう言うと、歌敷さんは人差し指でキーボードのテンキーをポチポチと押し
ていく。入力を終えるとエンターキーを押してみるが、残念ながら違った。
「あ~」
「他になにか思い当たるものとかない?」
藁にも縋る思いで訊ねてみると、歌敷さんはしばし黙考する。
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