第7章4
「食後のお茶は私が入れるね」
食べ終えた食器を歌敷さんが流し台へと運ぶ。
「ありがとう」
あえて手伝いを申し出ることはせず、歌敷さんに任せることにした。
「さてと、じゃあ食事も済んだ事だから、そろそろこれからの事について話し合いましょうか」
「あ、何かするの?何するの?」
「あのね、一応言っておきますけど、別に遊びの計画じゃないからね」
「…うん、もちろんだよ!」
返答までにやや間があったが、あえて気にしないことにしよう。
「話を戻すわよ。じつは昨日から考えていた事があるの。これからの事についてね。まず一番の問題は、あの女の敵である兄を何とかしなければならないってことなのよ」
「「うん」」
歌敷さんが三人分のコーヒーをお盆に載せてやってくる。
その表情からはさきほどまでの笑顔は消えていたが、暗く沈んでいるような印象はなく、むしろ、確固たる決意が表情から顕れているように思えた。
「それでね、このまま成り行き任せにして待っているだけじゃ駄目なんじゃないかって思ったわけ。なんでも警察任せにしてちゃ、私たちの平穏がいつ訪れるのか分かったもんじゃないわ」
「・・・つまりどういう事?」
「こちらから攻める?」
「正解!」
「攻めるって?え、攻めるって事?」
「ええ、いつまでも後手後手じゃ、埒が開かないわ」
「でもでも、それって危ないよ。もしまた何かあったら」
「悪いけど私は泣き寝入りするような軟な女じゃないの。やられたら必ずやり返してやる!十倍返しでね!」
「僕も、反対するわけじゃないけど、二人に危険が及びそうな事は」
「大丈夫よ。べつに私達で直接捕まえてやろうってわけじゃないんだから」
「「?」」
まだ、こちらの意図を理解できていない二人はきょとんとした視線で私を見る。
「つまり、私達がすることは、あくまで歌敷兄の足取りを掴んで居場所を突き止めること。その後のことは国家権力に丸投げしてしまえばいいのよ」
「でも委員長、足取りを追うって言っても一体どうするの?発信機でも取り付けるの?」
「刑事ドラマの見過ぎ。まァ、わたしもだけど。生憎、歌敷兄本人の居場所が分からないんじゃ設置しようがないわ」
「だよね。じゃあどうしよう?」
早くも暗礁に乗り上げてしまったといった感じで、二人は揃って俯いて「う~ん」と唸る。
「まだ落ち込むには早いでしょ。追跡する手段はなくても、足取りを追う手がかりだったら、ほら、近くにあるかもしれないじゃない」
「どこどこ?」
辺りをキョロキョロと見渡す歌敷さんと、それに釣られてテーブルの下を覗き込む姫守君。なんでこの二人はさっきからコントをしてるの?
「あのね、…あなたの兄は普段どこに引き籠ってるの?」
「あっ、お兄ちゃんの部屋っ!」
三人で歌敷兄の部屋の前へとやってくる。
「ホントに大丈夫かな?なにか危ないものとかあるかも・・・」
「危ないって言っても、別にトラバサミが仕掛けられてるわけじゃないでしょ?」
「トラバサミってなに?」
「…ただの冗談だから今のは忘れて頂戴」
手を振り忘れてと伝える。
「危険があるかもしれないなら、僕が最初に入るよ」
「さっきのはホントに冗談だから。一般人の部屋にそんな物騒な物なんてあるわけないから」
「よし、わかった。ここは勝手知ったる我が家なんだから、私が責任をもって皆を先導するよ」
歌敷さんは立ち上がると、自分の胸をドンッ、と叩いて威勢よく応える。
「そんな雪山に登るわけでもあるまいし大袈裟よ。まァ、それじゃあお願いするわね」
歌敷兄の部屋という事で一抹の不安はあったが、家人が先導するというのならそれに従うべきだろう。
「じゃあ、開けるね」
私達が無言で頷くと、緊張した面持ちの歌敷さんがドアノブに手を掛ける。
僅かにドアが開きかけたところで、ゴンッという鈍い音と共に歌敷さんの手が止まる。
一瞬、ドキリとするが、部屋の中からは特に何の反応もない。どうやらドアの裏手にある何か物につっかえたのだろう。
おそるおそる開いたドアの隙間から中を覗き込んだ歌敷さんは、神妙な顔つきでこちらを振り返ると、息を呑む私たちに静かに口を開く。
「すっごいゴミゴミしてます」
「…そう」
「掃除する?」
「そんなのいいから」
どうやらドア付近だけではなく、そこら中に物が溢れているらしかった。
歌敷さんは体を横にすると、開いたドアの隙間に身体を滑り込ませるようにして部屋の中へと入って行く。
とりあえず歌敷さんが部屋へ入ったのを確認すると、それに続いて私たちも部屋に入ろうとするが、
「わっ、あわわわ」
部屋の中から歌敷さんの吃驚したような声が響いてくる。
「え、なに」
「どうしたの?」
驚いた私と姫守君が急いで部屋の中へ入ろうとするが、慌てた様子の歌敷さんがドアの隙間を塞ぐようにして立ちはだかる。
「いや、あのゴメンね。ちょっと驚いただけだから。ほんとうなんでもなかったよ。アハハ・・・」
気まずそうなに頭を掻く歌敷さんではあったが、なにか隠しているのは誰の目にもあきらかだった。
「もう、驚かせないで。それじゃ私たちも一緒に手掛かりになりそうなものを
探しましょ」
隙間から体を滑り込ませようとするのを、歌敷さんが両手で制止する。
「いやいや、待って待って。やっぱりちょっと物でゴチャゴチャしてるみたいだからさ。その、・・・お掃除する時間くれない?」
「べつにそれくらいどうってことないわよ」
扉を押さえる歌敷さんの腕の下を潜り抜けて強引に部屋の中へ入る。後ろから「ああ~」という歌敷さんの声がしたが、そんな些細な事に気にしてなどいられない。
部屋の中はカーテンが締め切られていたためとても薄暗い。おそらく換気すら碌にされていないのか、部屋の中からは溜まった湿気と異臭が充満していた。すくなくとも半年以上はまともに掃除されていないのだろう。おまけに目や鼻に違和感を覚えたことから、今この部屋の中には相当な量の埃が舞っているようだった。咄嗟に口と鼻を手で覆う。
「酷い部屋ね」
ドアの前にいた歌敷さんは同意するように「うん」、と力なく答える。
「とりあえず明かりを着けましょう」
照明のスイッチを探してドア付近の壁を手探りしていると、足の指先がなにか堅くて厚い物にぶつけてしまう。
「痛っ、もうなんなの!」
「あ、ごめん。その辺り雑誌が山積みになってるから」
「そういうことはもうすこし早く言ってよ」
壁沿いに手を這わせていると、すぐにスイッチを発見する。
早速押してみると、チカチカと点灯した後、すぐに部屋中を蛍光灯の灯りが照らし出した。
「あァ~」、という歌敷さんの諦めに似た溜息が背後から聞こえるが、一体なんだというのか。
照明で照らされた部屋は、はたしてここが部屋なのか、物置小屋なのか、それすら判断できないほどに物で溢れかえっていた。床一面にや雑多に物が散らかり、碌に足の踏み場すらなく、脱いだ下着類はそこかしこに投げ出されていた。もはや目も当てられないような惨状であった。
「ありえないわ……どうしてこんな状態で生活できるの?」
こんな場所に敢えて住もうとするなんて、ネズミか例の黒いアレくらいなものだろうに、きっと前世はそのどちらかだったに違いない。
今からこのゴミまみれの部屋を探索しなければならないのが憂鬱でならなかったが、それでも云い出した張本人として避けて通るわけにもいかなかった。
「これで何もなかったら、アイツを呪ってやるわ」
手始めに、足元にあるドア横にうず高く積まれている雑誌の束に手を伸ばそうとするが、一番の上に乗っていた雑誌の表紙が目に入った途端、伸ばした手が止まる。
「ゥッッッ」
あまりの衝撃に声を出すことすら忘れてしまう。
「委員長…その……私が代わりに」
歌敷さんは、私と同じく羞恥に顔を赤らめながらも、こちらを気遣い提案してくれる。
「べ、べつにこの程度何てことないわ。ええ、そうよ、何てことない」
出来るだけ足元を見ないようにしつつ、ドア横に積み上げられた雑誌の束を持ち上げようとする。が、ここで私は大きな間違いを犯してしまう。積み上げられた雑誌は紐で縛られて束になっているものとばかり思っていたが、それは勘違いで、実際には文字通りただ積み上げただけの物だった。冷静さを欠いた私は、その事に気づかないまま雑誌を持ち上げてしまう。
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