第8章2
翌朝、目覚まし時計のけたたましい合図で私たちは起床する。
目が覚めてみると姫守君の姿はなく、布団の上には姫守君が書いたメモだけが残ってた。メモには「散歩して来ます」と書かれていた。
「散歩…」
おそらく、散歩という名の視回りなのだろう。
「おはよぅ…」
寝ぐせでショートの髪をボサボサにした委員長は不機嫌そうに言う。
「おはよう。意外と寝れるもんだね」
昨夜の騒動の後、三人で川の字になって寝たわけだが、意外なほどあっさり眠りにつくことが出来た。これも頼もしいボディーガードのおかげだった。
「そうね。…でも、まだ寝足りないわ」
そう言うと、委員長はふたたび布団を被りなおした。
布団から出ようとしない委員長を懸命に洗面所まで引きずっていき、顔を洗わせる。
「うわっ、ちょっ、飛んでるってば⁉委員長~」
起こされて不機嫌な委員長は、水飛沫が辺りに飛び散るのもお構いなしに豪快に顔を洗う。そして洗い終えると、自分だけさっさとリビングの方へ行ってしまう。
「おはよう、斎藤さん」
「あら、おはよう姫守君。おかえりなさい」
玄関先で二人の話し声が聞こえてくる。さきほどまでの不機嫌な態度とは打って変わり、委員長はいつもの委員長に戻っていた。
「もうすこし待ってて。朝食の準備をするから」
「任せっきりなんて悪いわよ。私も手伝うから一緒に作りましょう」
「うん、ありがとう」
(しまった、先を越されてしまった!?)
顔を洗うのも忘れて玄関へと向かうと、コンビニのビニール袋を提げた姫守君が委員長に手を引かれて台所へ向かおうとしているところだった。
「お、おはよう、姫守君。エヘヘ」
「おはよう、歌敷さん」
屈託ない笑顔を向けてくれる姫守君に癒されるのが、なんだか最近の癖になってしまっていた。
「あら、もう少しグースカ鼾を立てて寝てていいわよ。朝食の準備は私たちがしてお
いてあげるから」
そう言うと。さっきの仕返しとばかりに委員長は、姫守君を連れて行ってしまう。
「あっ、私も手伝う!それに私、鼾なんてかかないし!」
「女はね、狼なのよ」
「え⁉」
姫守君は驚きのあまり、フライ返しを持つ手が止まる。
「まあ、男も狼って言うけど。つまりね、油断しちゃダメってことなの」
「…うん」
昨晩の事があり、学校生活におけるアドバイスも兼ねたつもりだったが、姫守君はあまりピンときていないようだった。この手の話題は長く触れていると、こちらが火傷する恐れがあったため、その辺りの線引きが難しい。
「つまりね、人って感情やその時々の状況次第では、聖人君子であっても、悪人に変貌してしまう事だってあるし、普段温厚な人が突然激昂する事だってあるの」
姫守君は一言一言を噛みしめるように何度も頷きながら、すこし焦がしてしまったオムレツを自分のお皿へと盛り付けると、二枚目の調理に取り掛かる。
「カッとなって別人みたいになってしまうのは分かるよ。僕も何度か経験があるから」
「意外。姫守君でもあるのね。・・・たとえばどんな時?」
「狩りに、あっ⁉・・・えっと、家族でその・・・」
「へえ、狩りをしたことあるの?ますます意外ね」
「へ、変かな?」
「珍しくはあるけど変じゃないわよ。アメリカでは合法的に鹿狩りができる州だってあるし、日本だって数は少ないけど、狩猟を生業にしてる人はいる。中には偏見をもつ人もいるけど、私は気にしない」
話をしながら、ビニール袋からパック入りのポテトサラダとプチトマトを取り出してお皿に取り分ける。
「それじゃあ、姫守君も狩りの最中には、人が変わったみたいに熱中してしまうわけね。たとえば、どんな獲物を取ったりするわけ?」
「う~ん、その時目についた物かな?ウサギとか…野鳥とか…」
「そ、そうなの?わりとアグレッシブなのね…ウサギ食べるんだ…」
「?」
「テーブル拭き終わったよ~。なになに、なんの話?」
布巾を手にした歌敷さんが台所に顔を出す。
「なんでもないわ。ただの世間話よ。それより出来たお皿、テーブルに運ぶの手伝ってちょうだい」
「はーい」
「よし、できた!」
姫守君は見事なフライパンさばきで三つ目のオムレツを完成させる。
出来上がったオムレツにサラダとトマトを添えてテーブルへと運ぶ。
「うわあ~~美味しそうなオムレツ!」
すでに席に着いていた歌敷さんは、今か今かと待ち切れない様子で、テーブルに並べられる皿を目を輝かせて覗き込む。
「ええっと、フォークは出てるわよね」
「早く、早く」
歌敷さんは、まだかまだかと待ち遠しそうに身体を揺らしている。普段の学校での大人しい印象とは対称的に、実際はかなり子どもっぽい性格をしていた。もしかしたら、両親を亡くした反動なのかもしれない。
「今行くから、ちょっと待って」
こんがり焼けたトーストを半分に切り、それを乗せたお皿をテーブルの真ん中に置くと、姫守君がその隣にマーガリンの容器と苺ジャムの瓶を並べる。
「うちにこんなのあったっけ?あ、買ってきてくれたのか」
新品のジャムの瓶を手に取ると、早速開封しようとする。
「むむぅ、ふんぬーー……無理」
たった三秒であっさり諦めてしまうと、なぜか私に手渡してくる。
「どうしてそこで私なのよ。あなたが開けられないのに私に開けられる訳がないでしょ」
「でも、私より腕太くなかった?」
「全然変わらないわよ!」
寝間着の袖をグイッと捲り、これでもかと見せつける。釣られて歌敷さんも腕を出してきたので、互いに比べ合うが、どちらもこれと言った運動はしていないため、ただ細いだけの筋肉などまるで付いていない似た者同士な腕をしていた。
「ほら、見なさい。どっちも一緒じゃない」
「う~ん、やっぱり私のほうがやや細いような~」
「まだ言うか!」
「どっちの腕も白くて細くて綺麗な腕だよ」
そんな私たちの様子を微笑ましそうに眺めていた姫守君は、のんびりと自分の感想を述べる。そういう事ではないのだけど…。
「綺麗だって。良かったね、委員長」
こっちはこっちで満更でもない様子だし。
「よいしょ、はい」
軽々とジャムの蓋を開けた姫守君は歌敷さんに手渡す。
「わあ、やっぱり男の子だね」
腕の太さでいえば、姫守君も私達と変わらないと思うのだけど、そこはやっぱり男女の違いなのだろうか。
「ジャムを塗った焼きたてトーストってひさしぶりだなあ」
そう言うと、歌敷さんは一枚目二枚目と、あっという間に食べてしまう。
「ウチは和食が多いのだけど、たまにはこういう朝食もいいわね」
歌敷さんはさらに二枚のジャムトーストをペロリと平らげてしまう
「そんなに食べるとメインが入らなくなるわよ」
大食い娘はほっておいて、メインのオムレツに取り掛かる。フォークで切り込みをいれると、半熟の卵と具がとろりと溢れ出てくる。フォークで掬いパクッと一口。
「ん、おいしい」
「おいひィ~」
同時に歓声をあげる。
オムレツの中には、刻んだチャーシューにグリンピースやトウモロコシ、角切りの人参が入っていた。甘口のチャーシューに卵にはほんのり塩味が利いていて、野菜の歯ごたえも相まってなんとも絶妙な味加減だった。
「焼き加減も絶妙だし、見事なものね」
「あ、やっぱりこれ作ったの姫守君だったんだね。」
「むっ」
たしかにこれと同じ物を作れと言われても作れる自信はなかった。
「あら、なんだか引っ掛かる言い方ね、歌敷さん?」
「そんな事なくってよ。おほほ」
なんて白々しい。
「斎藤さんはお料理好きなの?」
「う~ん、どうかしら?まァ多少は…」
焼きそばや目玉焼き程度であれば作ったこともあるけど、このオムレツを前
にして料理好きを自称して良いものだろうか?
「えぇ、委員長も料理できるの⁈」
どうやら歌敷さんにとってはョックだったらしく、すっかり押し黙ってしま
う。少々、気の毒な気もしたが、依然として口とフォークは休みなく動き続け
ていたので、訂正するのは止めておいた。
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