第8章1

 皆が寝静まった深夜。

 ドンッ‼という大きく低い音が、家の中に響き渡った。

 驚いて目を覚まし、ベッドから跳ね起きる。

 その場でジッと耳をすませる。

「はっ・・・はっ・・・」

 突然の事に呼吸は乱れ、心臓は激しく動悸していた。

 周囲を見渡してみるが、暗がりのためよくは見えなかったがそれでも自分の部屋に特に目立った異常は見られなかった。

 しばらく耳をすませていたが、物音はなく静かなものだった。


「気のせい…?」

 まるで起きる気配のない委員長の上を跨いで部屋のドアを開ける。

 階段を下りていくと、玄関扉の前には、こちらに背を向けて立っている姫守君の姿があった。

「姫守君・・・」

 小声で呼び掛けてみるが、返事はなく、こちらへ振り向く事もなかった。

 状況が掴めずにいたが、今が緊迫した場面である事だけは理解できた。

「あの私、委員長を」起こしてこようかと、言いかけた瞬間だった。

ガチャンッ‼

 金属がぶつかり合う大きな音が家の外から響いてくる。

 おそらく玄関外にある門扉を力任せに閉めた音だった。

 きっと兄が来たんだ。それ以外には考えられなかった。

 

 緊迫した状況にも関わらず、姫守君はまるで微動だにしなかった。

「足音が離れていく。どうやら何処かへ行ったみたいだ」

 しばらくして警戒を解いてから姫守君は言う。

 まだ数日の付き合いでしかないが、姫守君の五感が優れている事は判っていた。私には聞き取れなくとも、姫守君が言うのであれば間違いないのだろう。

「あの、私どうしたらいいかな?」

 なんとか脅威は去ったようだが、それでも油断はできなかった。

「歌敷さんは部屋へ…斎藤さんは?」

 こちらを振り向いた姫守君は当たり前の疑問を口にする。

「寝てた」

「…そう。おそらく今晩はもう来ないだろうから、部屋で休んでいて大丈夫だと思う。何かあったら知らせに行くから。念の為、警察には僕から連絡を入れておくよ」

「ごめんね、ありがとう」

「気にしないで」

 私を安心させるように微笑むと、姫守君は居間へと戻っていく。


 部屋へと戻ると、さきほどと変らず委員長はすやすやと幸せそうに寝息を立てていた。

 ベッドに入るが、あんな事が起きた後では到底眠くなるはずもなかった。

「委員長が一匹、委員長が二匹、委員長が三匹、委員長が・・・」

羊の歌の替え歌を試してみたが、途中で飽きたので止めにした。


 ぼんやりとカーテンの隙間から窓の外を眺めていると、赤色灯の灯りが次第に我が家へ近づいてくるのが分かった。

 姫守君が連絡を入れて警察の人が来てくれたのだろう。灯りが家の前まで来ると、程なくして家の外から話し声が微かに聞こえてくる。話の内容までは聞き取れなかったが、その間も赤色灯は規則正しいリズムでグルグルと辺りを照らしていた。


 しばらくすると、赤色灯の灯りが遠退いていく。

 コンコンッと部屋のドアを小さくノックする音がした。次いで姫守君の声がドア越しに小声で聞こえてくる。

「歌敷さん、もう寝た?」

「ううん。まだ起きてるよ」

こちらも小声で返す。

「さっきの事は伝えておいたよ。巡回の回数も増やしてくれるそうだから、安心してぐっすり休んで」

「うん、ありがとう」

「おやすみなさい」

「姫守君も、おやすみなさい」

 ゆっくり足音がはなれていく。


 

 騒ぎのから、どれくらい時間が経ったのだろう。

 一時間は経ったかもしれないし、十分しか経っていないかもしれない。

 一向に訪れない眠気にだんだん嫌気がさしてきた頃、喉が渇いてくる。

 こっそりと部屋から出ると、洗面所へ向かうため階段を下りる。

 階段の中ほどまできたところで足が止まる。

 目の前、玄関横の壁にもたれかかるようにして姫守君が座っていた。

 目は瞑っていたが、眠っているようには見えなかった。

 

 そっと近づく。

「ねぇ、ずっとそうしてるの?」

「…もうすこししたら寝るつもり」

 心の内がパッと熱くなる。それは怒りに似た感情だった。

「来て」

 姫守君の手を引く。

「どうしたの?」

「いいから来なさい」

 有無を言わせない言葉に、姫守君は戸惑いながらも従う。 

 多少強引だったかもしれない。それも仕方ない。私は怒っていたから。

 だが、叱るつもりはなかった。私にそんな資格はない。

 だから、逆の事をすることにした。


 私の部屋まで連れてくると、私のベッドと委員長の布団の間にお気に入りのクッションを置き、そこへ座るように促す。

 「みぅ・・・」

すっかり委縮してしまい、子犬のよう鳴き声を上げると、姫守君はゆっくりとクッションに腰を下ろす。

 さっきの騒動の時の雄姿は何処へ行ったのか、借りてきた猫のようにちょこんと座るその姿に、一瞬我を忘れそうになる。

「はい、どうぞ」

掛け布団を横向きにして、半分を姫守君の肩に掛ける

「ねえ、どうしてそんなに怯えてるの?」

「お祖母さまから忠告で。『仲の良い友人であっても、決して女性の部屋に入ってはいけない』って。あと、『入ったら恐ろしい目に遭う』とも言われて」

「…はっ?」

 開いた口が塞がらなかった。

「つまり、姫守君は私が怒ってたから怯えてたんじゃなくて、この部屋が恐かったから怯えてたの?」

「え、歌敷さん…怒ってたの?」

「……まあ、すこし」

 あ~もう、姫守君のお祖母さん、なんて事を言ってくれたんだ!

「姫守君は私がなにか恐い事するって思ってるの?」

 姫守君は即座に首をふる。

「だよね!だよね!あー良かった」

 他の誰かに怖がられるのはともかく、姫守君に怖がられるのだけは嫌だった。

「じゃあ仲直りしよう」

 喧嘩をしたわけではなかったが、細かい事はどうでも良かった。

「仲直り?」

「え~っと、どうしようかな」

 なんだか勢いに任せて色々と突っ走っているような気もするが、ここまで来てしまったらしょうがない。

 とりあえず握手だろうか?

 いやいや、高校生にもなってそれは味気ないような。

 そういえば私が落ち込んだ時にハグで慰めてくれたんだし、私がしてもなんの問題もないはず。

「じゃあさ、仲直りの印に・・・そのハグでも」

「却下!」

 突然の乱入者に渾身のセリフを遮られてしまう。

「もう少し泳がせておこうかとも思ったけど、いいかげん耳障りだから、そこ

でストップしなさい」

「い、委員長起きてたの⁈」

「当たり前でしょ!人の枕元でごそごそされたら起きるに決まってるでしょ」

(さっきの騒動の時はあんなにグッスリだったくせに)

「委員長、これはその違うの。姫守君を休ませてあげたくて」

「それがなんでハグなのよ!貴方、言ってる事とやってる事がまるで噛み合っ

ていないじゃない」

「ぐぅ~」

 全く持って反論の余地がなかった。

「・・・あの、斎藤さん。どうか歌敷さんを責めないであげて。歌敷さんは僕

の事を気遣ってくれようとしただけなんだよ」

「・・・はあ、しかたないわね」

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 布団の上で土下座して感謝を述べる。

「今回は初犯だから特別に大目にみてあげるけど、次はないわよ」

「ははー」

「そもそもどうして姫守君を連れて来たのよ。男女別って決めたじゃない」

「いや、玄関前でずっと動こうとしないから・・・」

「どうして姫守君がずっと玄関前にいたの?」


 私たちはさきほど起きた騒ぎを委員長に説明した。

 委員長は驚きの表情を浮かべる。

「そう、まさかそんな事があったなんて…」

 昼間の出来事が蘇ったのか、委員長は自分の両手をさする。

「大丈夫だよ。絶対に守るから」

 姫守君の励ましの言葉に委員長は笑みを浮かべる。

「ありがとう、頼りにしてるわ。ハァ~、それにしてもそんな大きな音がしたっていうのに、呑気に寝てたなんて。我ながら恥ずかしすぎる」

 委員長は顔を手で覆うと、布団の上に倒れ込み悔しがる。

「アハハ、委員長ほんと幸せそうな寝顔だったよ」

「ていうかっ!なんでさっさと起こさないのよ‼」

ガバッと起き上がると、さきほどの表情とは打って変わり、鬼のような形相で私に詰め寄ってくる。

「ヒィッ」

 その後、しばらく委員長からのお説教が続いたが、結局、三人で寝る事を許容してもらえた。ただし、肉体的接触は禁止だと、散々念押しされてしまう。

 姫守君がそれに「わかりました」と応じると、「いや、姫守君に言ったんじゃなく

て、アナタに言ったのよ」と、真顔でこちらを指差してくる。












 








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