第7章2

「熱いから気をつけてね」

 湯呑をそれぞれの前に置く。

「お茶菓子でも出せれば良かったんだけど」

「お茶請けならここに沢山あるよ」

 そう言うと、姫守君は下げてきたビニール袋を取り出し、テーブルの上に置く。袋の中には小袋に入った様々な洋菓子が雑多に詰め込まれていた。

なぜか委員長は嫌な顔をする。

「取り敢えず子どもにはお菓子をあげれば喜ぶだろう、なんて考え方が既に年寄りの思考よね」

 そう言いつつも、委員長は袋の中からお菓子を摘まむと、袋を破り中身を口に放り込む。よく分からなかったが、つまり委員長のお母さんが持たせてくれたのかな?


「それじゃあ私もいただきます」

 姫守君がコンロで温めてくれていた一人用のお鍋の蓋を取る。

 そこには大根、竹輪、ゆで卵、ジャガイモ、三角こんにゃく、肉串などのおでん種が黄金色のお汁に浸かっていた。

「おでん!美味しそう~」

「時期的には合わないのだけど、味は保証するわ」

「ううん、そんなことない。とっても嬉しい。二人は食べなくていいの?」

「私たちはもう食べてきたのよ」

「どうせなら三人でたべたかったな~」

「文句はウチの母さんに言って。『姫守君にご馳走するもん』って言って聞かなかったのよ」

「あははは。今度、お礼言いに行かなきゃね」

「べつに気にしなくてもいいわよ」

「私がお礼を言いたの!あと、委員長のお母さんにも会ってみたいし」

「わたしは全く会わせたくないわ」

「フフッ」

 姫守くんがクスッと笑う。

「姫守君は斎藤さんのお母さんに会ったんだよね?どんな人だったの?」

「お日様みたいに明るくて、とっても愉快で可愛らしい人だったよ」

「お願いだから、もう、母さんの前で可愛いなんて言わないでね。年甲斐もなくはしゃいじゃって、身内として恥ずかしいったらなかったわ」

「「アハハハ」」

 しばらくの間、お腹も心もポカポカになる時間を過ごした。

 自分の家で、また誰かとこんなに笑い合える日がくるなんて、まるで夢のようだった。


「あ、そうだ」

 おしゃべりに熱中するあまり頭から抜け落ちていたが、唐突に先ほど担任からの電話で聞かされた内容を思い出す。

「どうしたの?」

 あの事を二人に伝えるべきか迷ったが、黙っていたところですぐには分かってしまう事なので、伝えることにする。

「じつは明日から、しばらく学校をお休みする事になったの」

「えっ?」

 驚く姫守君とは対照的に、委員長は険しい表情で「そう」とだけ答える。

「あの教師、そういう根回しだけはほんと素早いわね」

 おおよその事情を察していたらしく、委員長は苦々し気に愚痴る。

「まあそんな感じかな…。あのさ」

「なに?」

「さっき、玄関で話した時、委員長言ったでしょ…色々あったって」

「…ええ」

「それってもしかしてだけど私関係…だったり?」


 それは疑問というよりも確信だった。

 放課後、教室に残ると言って委員長と別れた。

 その後に姫守君と連れ立って委員長はやって来た。

 ただそれだけの理由だったが、それでも自分の中で確信が持てた。

 云い出し難そうにしている委員長の様子を窺っていると、どうやら図星である事がわかる。それだけでどんどん嫌な予感が膨らんでくる。


「お兄さんが来たんだよ」

 姫守君の言葉に、まるで頭から氷水を掛けられたように全身が麻痺する。

「姫守君!」

「斎藤さん。歌敷さんはちゃんと気づいてるよ。だから嘘はつけない」

 姫守君の言葉に委員長は押し黙ってしまう。

 

 先ほどまでとは打って変わって、重苦しい空気が部屋の中を包み込んだ。

「あの・・・委員長・・本当に・」

 私の声は震えていた。

「やめてよ!」

 椅子から立ち上がり頭を下げようとすると、委員長が声を張り上げる。

「そんなことしてもらうために来たわけじゃないわ!」

「でも・・・でも・・」

 申し訳なさのあまり、涙がポロポロと零れ落ちた。

 壊されていく。自分の大切なものが壊されていく。

 それが分かっていても、何も出来ずにいる自分が歯痒くて、情けなくて、今にも大声を上げて大泣きしたい思いだった。

 私の身体を姫守君がそっと抱きしめてくれる。

「大丈夫だよ、きっと大丈夫。今は辛いことばかりかもしれない。でも、そんな日々にも必ず終わりは来るから」

「そんなの・・・わかんないじゃん」

「わかるよ。わかる。だって歌敷さん、こんなに頑張ってるんだから」

「頑張ってないもん」

「頑張ってるよ」

 お母さんが子どもを慰めるように、姫守君は私の頭を自分の肩に持たせ掛けると、そっと頭を撫でてくれる。ただ頭を撫でられているだけなのに

、なんだか懐かしさが込み上げてくる。走って転んだ時、意地悪されて泣いていた時、パパとママがよく私にこうして慰めてくれた。

 姫守君に触れられていると、そうした大事なはずなのに、見ないように心の奥深くにしまい込んでいた思い出が次々と蘇り、心の中が暖かいもので満たされていくのがわかった。

 ずっとこのままでいたいと願ってしまう。

 

 しばらくそうしていると、おもむろに委員長が口をひらく。

「クラスの女子たちが見たら発狂物ね」

 頬杖をつき、まるで退屈なテレビドラマでも見ているかのように、頬杖を突いて眺めていた委員長がぼやく。

「べつにそういうのじゃ…」

 委員長は気にせず続けてと手で合図を送ると、テーブルの上のお菓子を摘まみ、また退屈そうにこちらを眺める。

「えっと、ありがとう」

 委員長の視線が痛かったので、断腸の思いで姫守君から離れる。

「あら、もういいの?」

「もう大丈夫で~す。あんまりしてると誰かさんが羨ましがるからね」

チラッと姫守君の方を見て微笑む。

私の中では「ありがとう」の意思表示のつもりだったが、姫守君はどうも勘違いしてしまったようで、今度は委員長の方へ歩み寄り両手を広げる。

「ぶはっ⁈や、やらないから」

 盛大にお菓子を吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、委員長は慌てて拒否する。

「姫守君ってホントすごいな…」



「う~~ん」

 委員長は椅子の背もたれにもたれ掛かると大きく伸びをした。

 すっかり話し込んでしまったが、時計を見ると時刻は十時を廻っていた。

「あ~、もうこんな時間なんだ。二人とも今日はわざわざ来てくれて本当にありがとう。二人のおかげでなんだか元気が湧いてきたよ」

「そう、それならよかったわ」

「歌敷さんの元気そうな顔が見られて良かった」

「さてと、それじゃあそろそろ…」

 委員長が椅子から立ち上がる。

 友達が家に訪ねて来る事など、ほとんどなかったためとても名残惜しかった。それでも私の都合でいつまでも二人を付き合わせるわけにはいかなかった。

「就寝の準備をしましょうか」

 なので、ここは笑って見送…なに?

「あの、今なんて?」

「だから就寝の準備よ。替えのお布団くらいはあるんでしょ?まあ、この際タオルケットでも、なんでもいいんだけど」

 委員長が何を言っているのか理解できない。「しゅうしん」ってなに?お布団が要るの?

「つまり・・・どういうこと?」

「つまり、泊まるってことよ。ホラ、姫守君も準備準備」

「はい!」

 こちらも初耳だったらしい姫守君は慌てて立ち上がると、テーブルの上を片付け始める。


「どうせ明日は土曜で休みなんだし、べつに構わないでしょ?」

 たしかに友人を泊める事自体は全然構わなかった。だが、ここで重要な問題を忘れている。

「もちろんオッケーなんだけどさ、あの、ちょっと訊きたいんだけど…」

「なによ?」

「委員長は泊まるんだよね?じゃあ姫守君は?」

「もちろん一緒に泊まるわよ。か弱い乙女の二人だけじゃ不安でしょ?」

 委員長の言葉に、身体の体温が一気に沸騰する。昨日は私が姫守君のお屋敷に泊まったが、まさか、翌日には、逆に姫守君を泊める事になろうとは思いもしなかった。

「へ、へぇ~そっか、そうなんだ~」

 努めて表情に出ないよう平静を装う。

「…一応言っておきますけど、部屋は当然私たちとは別よ」

 あなたのの魂胆なんてお見通しよと言わんばかりに委員長は釘を刺す。

「も、もちろんだよ。やだなー委員長」

 委員長の冷ややかな視線がとても痛かった。


押し入れから布団を二組引っ張り出して、それぞれの部屋へと持っていく。

 その間に、委員長がお風呂を沸かしてくれていたので、順番に交代で入る。

 「着替えがないから…」と、お風呂を拒む姫守君に、パパの物だった寝間着を手渡し、委員長と二人でお風呂場へと押し込む。

 しかし、三分足らずで出てこようとしたため、再びお風呂場へと連行する。


 案の定、パパのパジャマは姫守君にはぶかぶかだった。

 「他にサイズが合いそうな物はないの?」

 「女物しかない」

 「…」

 「…」

 ((べつに女物でも似合うのでは?))

 私たちの心の平穏のために、やめておいた。


 出したお布団は、委員長のは私の部屋へ、姫守君のは居間にそれぞれ敷く。

 ちなみに、委員長のお布団は元はママの物で、姫守君のお布団はパパの物。

 居間に敷いたパパのお布団を見ていると、なんだか切ない気持ちになる。それで感慨に耽っていと、なぜか「メッ!」、とまるで行儀の悪いペットを躾けるように、委員長に叱られた。

 なので「ワンッ」、と吠え返してやった。

 

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