第7章1

 夜の六時頃、リビングにある電話が突如鳴り響いた。

 「はい、もしもし歌敷です」

ここ最近、家の電話が鳴る事が無かった為、電話の音が鳴り出した時はおもわずベッドから飛び上がってしまった。

 もしかしたら兄からではと、一瞬躊躇ったものの、おそるおそる受話器を取ると、それは担任の川崎先生だった。

 安堵も束の間、手短に用件を伝えると、最後におざなりの労りの言葉を告げて川崎先生からの電話は切れる。

「・・・つまり、来るなって事か」


 電話の内容を要約すると、事態が落ち着くまでしばらくの間、自宅待機するようにということだった。それを告げる川崎先生の言葉の端々には、いかにもこちらを慮ってる風な雰囲気が込められてはいたが、その言葉は私の胸には全く響かなかった。私だってそこまで馬鹿じゃない。今迄の担任の態度を見ていれば、それが本心から出た言葉かどうかくらいは判断できた。

 

 ドスンと、リビングのソファーに身体を投げ出す。

「これって体のいい厄介払いだよね」


 皮肉なもので、今迄散々学校に通うことが嫌で仕方がなかった自分が、今は逆に学校へ行きたいと強く思うようになっていた。

 姫守君に会いたかった。委員長にも会いたかった。クラスではもう新しい友達は作れないかもしれなかったが、なにか新しい部活に入れば誰か新しい友達が作れるかもしれないと、その矢先にこれである。


「私、呪われてるのかな?」


 すこし前までの自分であったら、きっと全ての嫌な事に耳を塞ぎ、目を逸らして、ただ自分の人生に悲観し続けて布団に包まっていたことだろう。

 そうならなかったのは偏に、ここ数日での不思議な出来事から始まった出会いおかげにほかならない。ここ数日の経験で具体的に何が変わったのか、自分でもわからなかった。それでもひとつだけ心境の変化があったとすれば、それは『変われるかもしれない』と思えた事だった。

 

 だから前を向こう。過去の絶望の淵にいる私が後ろ髪を引こうとするが振り返っちゃダメだ。だって、振り返ったとしてもそこには、あの深夜の屋上で見た、ぽっかりと大口を開けた暗闇の怪物以外には何もないんだから。

 

 だから、私は前へ進む。

 進むんだ…

 進むんだ……けど、

「何をしたらいいんだろう?」

 天井をぼんやりと見つめながら、照明に向けて訊ねた。



 しばらくするとまた電話が鳴る。電話に出てみると、それは昼頃にパトカーで送ってくれた警察の人からだった。わざわざ念押しで確認の電話をしてくれのだった。

 

「・・・はい、わかりました。もし戻ってきましたら必ず連絡します」

 礼を言って受話器を戻す。

「兄さん、戻ってくるのかな」

 用心のために入口にはドアチェーンを掛けておいた。窓もきちんと閉めきっておいた。周辺の住宅街には警官が定期的に見回りに来てくれるという話だった。

 しかし、それでも不安は拭えなかった。


 時計を見ると、時刻はすでに七時を回っていた。

 部屋へ戻ろうかとも思ったが、そのまま今のソファーで休む事にした。

 もうソファーで横になっていても叱る人は誰もいないのだから。

「たまにはいいよね」


 灯りは消さずに目を瞑っていると、次第にうとうとしてくる。居間は静寂に包まれていたが、僅かに秒針が時間を刻む音だけが室内に響いていた。

 ピンポーンッ

「うわわっ⁉」

 驚きのあまり、ソファーから転げ落ちる。

「あいたたたっ」

 尻餅をついたお尻をさすりながら、室内をと見渡してみると、電話機の横に設置されたインターフォン用通話機のランプが点灯していた。


 こんな状況なので、出るべきか迷っていると、再びインターフォンが鳴る。

 「どうしよう・・・?」

 オロオロしていると、三度インターフォンが鳴る。心なしか、二回目の時よりも間隔が短かいような気がした。もしかしたらボタンを押した人は待たされて苛立っているのかもしれない。

 意を決してインターフォンの通話機の通話ボタンを押す。すると、通話機の小さな画面に見知った二人の友人が映る。

「うわぁ~~」

 感激のあまり、咄嗟に言葉にならない歓声を上げてしまう。

『うわぁ~ってなによ、アナタ』

 インターフォン越しに聞こえてしまい、即座に委員長からつっこみが入る。

「ちょ、ちょっと待ってて、すぐに行くから」


 玄関まで駆けていくと、大急ぎでドアロックとドアチェーンを外す。ドアチェーンがなかなか外れずすこし手間取ってしまう。

 ようやく外れると、急いで玄関先へ駆け出す。

「ゴメンね、待たせちゃって。エヘヘ」

 出来るだけ平静を装う。

「全然待ってないよ」

「待たせすぎよ」

 両者正反対の返事が返ってくる。


 門の前に立っていた二人は、寝間着の上にセーターを羽織った委員長と、制服姿の姫守君という、なんとも対称的な服装をしていた。

 そもそも、どうして二人が揃って私の家にやって来たのだろう。

「それで、どうしたの突然?」

「まァその、様子見よ。あんな事があった後だから一応ね」

「斎藤さんのお母さんが晩御飯のお裾分けを持たせてくれたんだ」

 そう言うと、姫守君は下げていたお鍋を見せてくれる。

「わ~、ありがとう。でもどうして?」

「あとで詳しく話すけど、色々あって母さんに今日の事を伝えたのよ。そしたらえらく心配しちゃって、力になってあげなさいって、ご飯を持たされたのよ」

「そうなんだ、それはそれは・・・」

委員長のお母さんには見覚えがあった。目がクリッとして丸顔のいつもニコニコ笑っているお母さんで、ママと井戸端会議してる所を見た憶えがあった。

「とっても明るくて素敵な人だったよ。事情を説明したら是非歌敷さんの力

になりたいって張り切っていたよ」

「ちょ、姫守君。そういう事言わなくていいから」

 照れくさかったのか、委員長は慌てて姫守君の言葉を制止する。


 二人が来てくれたのは素直に嬉しかった、斉藤さんのお母さんが親身になってくれたのも嬉しい。

 ただ、自分の知らない事情を二人が共有しているのを見ていると、不思議とすごく胸の内がもやもやしてくる。なんだか二人の距離が昨日よりも近いように思えた。


「そういう訳だから、お家にお邪魔させてもらっても構わないかしら?」

「…あっうん、もちろんだよ」

「じゃあ早く入りましょう。アナタもいつまでも裸足のままだと足が冷たいでしょ」

「えっ?」

 委員長の言葉に驚いて足を見ると、見事に素足のままだった。


 二人を我が家へと案内する。案内するといっても、姫守君のお家のほど広くも立派でもない平凡な我が家なのだけど。

 この辺りの土地は二十年ほど前に区のニュータウンとして開発されたもので、周辺の住宅もその時期に大量に建築されたもので、そのためか、この辺りの家々は敷地面積から家の外観に至るまで、どこも似たり寄ったりといった感じで、おそらく間取りすらそれほど差はないのではなかろうか。

 そんな面白味のまるでない我が家のはずなのだが、どうやら姫守君にとってはそうでもないらしい。


「へぇ~うわ~」

 姫守君は楽しげに家の中を見学する。

「狭いところでお恥ずかしい」

「知ってるわ。うちも一緒だから」

委員長は抑揚のない声で返事をする。

「委員長もこの辺なんだっけ?」

「連絡網で調べて来たんだけど、5分も掛からなかったわ」

二人を居間に通すと、急いで台所へと向かう。

「座ってて。すぐお茶入れるから」

 とは言ったものの、お茶など入れた事はなかったので、そこら中の棚や引き

出しを手あたり次第に漁る。

「私、煎茶がいいわ」

 人の苦労も知らずに、いや、横目で見ているので、知りながらも委員長は意

地悪な笑みを浮かべながら困難な注文をしてくる。

「うぐぐぐ」

「歌敷さんのお家はお湯を沸かすのに何を使っているの?」

 私が台所をひっくり返していると、その様子を見ていた姫守君が何気なく訊ねてくる。

「えっと、うちは電気ポットかな?・・・あっ」

 わずかな記憶を頼りに棚の上を探してみると、そこには使われなくなった電気ポットと、その隣には茶葉缶や箱入りのティーバッグが置かれていた。

「あった、あったよ!」

 ママはいつもここでお茶を入れてくれてたんだ。何気ない事であったが、なんだか嬉しくなる。

 早速、ポットにお水を入れてコンセントを差し込む。

「そういえば、どうして二人揃ってウチへ来たの?ちょっと意外だったよ」

「大した事じゃないわ。色々あって、姫守君が私を家まで送ってくれたの」

「色々?そうなんだ・・・」

 妙に引っ掛かる言い方に胸がざわつく。



















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