第6章3

「ねえ、ホントに重くない?無理はしないでね」

「気にしないで。それに斎藤さんはすごく軽いよ」

「そう・・・あはは・・それはどうも・・」

 一応、褒められているはずなのだが、嬉しいというよりは恥ずかしかった。

 なぜなら、今、私は姫守君におんぶされながら自宅へと運ばれているから。


 姫守君に助けられた後、病院まで送ってくれると申し出てくれたのだが、これを丁重に断った。もし病院に行くことになれば、間違いなく学校に知られてしまう。そうなれば遅かれ早かれ学校中に知れ渡り、歌敷さんの立場がさらに悪くなる。


 そういうわけで病院は辞退したところ、それを聞いた姫守君は甚く感激してしまい、『せめて自宅まで送らせて欲しい』と、なったわけである。

 もちろん、始めは私も断った。

 だが、結果はコレである。

(だって仕方がないじゃない! あの碧く澄んだ瞳で真剣に見つめられたら、断り切れるわけないじゃない!)


「卑怯よ…」小声でポツリと愚痴をこぼす。

「どうかしたの?」

 耳聡く姫守君がこちらを振り返る。

「なんでも。姫守君は優しいなって」

「当たり前の事をしてるだけだよ」

 これを方便ではなく、心の底からそう思っているのだから性質が悪い。


「それにしても、姫守君ってほんとタフね」

 本人も丈夫だと言っていたが、たしかにその通りだった。服越しに触れてみても特に筋肉質という感じではないのだが、ここまで崖を登り、山道を下り、住宅地へと入るまで、およそ三十分くらいは経っていだが、姫守君はまるで息を切らした様子もなく、汗すらほとんど掻いていなかった。

 結局、我が家に到着するまでの間、一度も休憩を挟むことなく姫守君は私をおんぶしていた。


「ここよ。ここが私の家です」

 閑静な住宅街にある一軒家。特に大きくも小さくもない。周囲には似た形の家がそこら中にある。そんなどこにでもある量産された二階建ての家が我が家である。

「よいしょ」

 姫守君は私をおんぶしたまま、器用にチャイムを押す。

 ふと重要な事に気がつく。

「あ、そうだった」

 母さんにはなんて説明しよう。私のこの姿を見たら、きっと取り乱すに違い ない。そうなれば慌てた母さんが学校に連絡を入れるかもしれなかった。もしそんな事になれば、歌敷さんの立場がさらに悪化してしまう。ここはなんとしても適当な嘘で言いくるめなければならない。


「はい、もしもし」

 インターフォンから聞き慣れた声が返ってくる。

「すいません、斎藤雪さんのクラスメイトで姫守九狼と申しますが」

適当に崖から落ちた事にしようかと考えていると、姫守君はチャイム越しに用件を伝えていた。

 しかし、姫守君が用件を伝え終わるよりも早くマイクが切れてしまう。

「これはまずいかも…」


 インターフォンのカメラを見たのだろう。屋内からはドタドタ走る足音と、ガチャガチャと慌ただしく鍵を開ける音がここまで響いてくる。

 普段はのんびり屋のわりと子どもっぽいところのある母さんだが、ここまで取り乱しているのは珍しかった。しかし、それも我が子が傷だらけで帰ってくれば仕方のないことではあるが。

「きゃあああーーー!!」

 予想はしていたが、扉を開けた母さんの第一声は悲鳴だった。

「あのね、母さん。これには深い事情があって」

「遂にやったわね!雪ちゃん‼」

「・・・・」

 母さんの事を理解してるという自負心が粉々に砕け散った。



「これじゃ子どもっぽいかな?」

 家に戻ると、いろいろと質問責めしてくる母を無視して、まず汚れた制服を脱いでシャワーを浴びた。その後は自室で下着を新しい物に履き替えると、タンスから着替えを物色する。

「べつになんでもいいんだけど。なんでこんな事で悩んでるんだろ、私?」

 手に持っているのは普段から部屋着代わりに着ている赤い布地に黒猫がプリントされた寝間着だった。

「う~ん」

 鏡の前であれこれ悩んでいると、階下から母の楽しそうなはしゃぎ声が、二階のこちらまで聴こえてくる。

「あーもう、なんでもいい!」

なんだか悩んでいるのが馬鹿らしく思えてきたため、手に持っていた寝間着に

素早く着替えると、急いで階下へと降りてゆく。

 

 居間のテーブルの上には山積みのお菓子と、ティーカップに注がれた紅茶が置かれていた。

 姫守君の隣では、密着するくらい近くに座った母さんが姫守君の手を握り、姫守君の事を根掘り葉掘り聞き出そうとしていた。

「そう、海外から転校してきてまだ二日なの。それじゃあ色々と心細いでしょ?私の事は香さんって呼んで、いくらでも頼ってね」

「ありがとうございます。斎藤さんにはとても親切にしてもらっていてすごく心強いです」

「あら、そうなの?あの子ったら学校での事はな~んにも教えてくれないのよ。高校生っていったら子どもの頃でも一番多感な時期だっていうのに。私心配で心配で」

 微塵も心配そうな素振りは見せず母さんは言った。


「母さん」


「楽しい事も多いけれど、やっぱり辛い事だってきっとあると思うの。だからね、学校生活での悩みとか鬱憤をもっと私に吐き出して欲しいのよ。だって娘の私生活や学校生活を知っておくのは母の義務なんだから。そうすればもっとあの子のことが理解できるし、色々アドバイスだってしてあげれるじゃない?」


「母さんってば!」


 「もちろん母として、あの子の事はきちんと理解してるわ。趣味や好物はもちろん、体重やスリーサイズだって知ってるんだから。あ、もしかして知りたい?雪ちゃんの秘密知りたいの?ん~、そこはやっぱり男の子だから気になっちゃうよね~」

 

 言葉を挟む隙もなく呆気に取られる姫守君を尻目に、一人訳知り顔でうんうん頷く母さん。


「刺激が強すぎるかもだから。最初は ひ と つ だけ。バストとウエストとヒップのどれがいい?」

「こらっ‼」

「きゃっ」

 ようやくこちらに気がついた母さんは驚いてこちらを振り返る。

「なんだ、雪ちゃんかァ。もう、ビックリさせないでよ~」

「それはこっちのセリフです。それにさっきから何度も呼びました」

「そうなの?あ、今ね、九狼くんと世間話してたところなんだけど」

「娘のスリーサイズは世間話の内に入りません‼」

「大丈夫よ、雪ちゃん。バストのサイズは言うつもりなかったから」

「なにが大丈夫なのよ!それにもう高校生なんだから、中学生の頃よりもだいぶ成長してるに決まってるでしょ」

「え、でも雪ちゃん…中学の頃から下着は変わって」

「うるさい‼」

 まるで闘牛のように鼻息荒く母を威嚇する。

「あははは、ゴメンね、雪ちゃん。母さんちょっとだけ舞い上がっちゃって。だってこんな可愛らしい彼氏と一緒に」

「お茶」

 有無を言わせず、母の言葉を遮り、会社の重役のように母に命じる。

「え?あ、ハイハイただいま~」

 そそくさと母は台所へ消える。

「まったく」

 その様子を、姫守君はまるで微笑ましい物でもあるかのように見守る。

「明るくて楽しいお母さんだね」

「幼稚なだけよ。まったく。いい歳してなにをはしゃいでるのかしら」

「とってもカワイイお母さんだと思う」

「ホントに⁈きゃあー口説かれちゃったー」

「口説いてない!」 

台所から耳聡く聞きつけた母を嗜める。


 むしゃくしゃしてテーブルに置かれた大量のお菓子の中から、小袋に入ったバームクーヘンを取ると、乱暴に袋を破り中身を口に放り込む。甘ったるいというチープな感想しか浮かばない味だった。それでも2つ3つと口に放り込んでいると、母がお盆に紅茶を乗せてしおらしくやってくる。

「粗茶ですが」

「知ってる」

 お盆の上からひったくるとグイッと一気に飲み干す。めちゃくちゃ熱かったが、表情にもそんな素振りは微塵も表わさない。いつもの冷静な私そのものだ。

 隣で母さんが口を手で押さえ、肩を震わせていたが気にしない。










 






 



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