第5章2

 朝食を終え、お互いに準備を整えてると玄関前で合流する。


「お待たせ。それじゃあ行こっか」

「うん」

「ミィ!」 

二人して足元へ視線を向ける。 

「ミュ?」

 なぜかこちらも準備万端といった様子で、姫ちゃんは元気に尻尾を振る。

「姫ちゃん。昨日も言ったけど学校は生徒しか入れないんだよ」

(昨日も言ったんだ)

「ミィ…」


 元気よく立っていた耳が、ペタンと垂れてしまう。

 しかし、それでも諦めきれない姫ちゃんは、姫守君のズボンの裾を咥えて必死の抵抗を試みる。


「仕方ない。歌敷さん、ごめんちょっと待ってて」


 姫守君は姫ちゃんを抱き抱える。何かを察した姫ちゃんは悲痛な声を上げながら腕の中で暴れるが、そのまま姫守君のお婆様の部屋へと連れていかれてしまう。

 しばらくして戻ってきた姫守君の腕に姫ちゃんの姿はなかった。

 その表情は、まるで今生の別れを惜しむかのような切なげなものであった。


「お婆様に預けてきた」

「・・・うん」


 おそらく昨日もこのやりとりをしたのだろう。

 奥の扉からはなおも、姫ちゃんの悲痛な鳴き声が聞こえてきた。

 後ろ髪を引かれる思いではあったが、学生の本文を全うすべく私たちは屋敷を後にしたのだが、それでも何度も足を止めてはその度に後ろを振り返る姫守君に付き合ったため、結局学校に着いたのは予鈴ギリギリになってしまった。


 教室では昨日とほぼ同じく、姫守君の机の周りには人だかりができていた。違うところといえば、人だかりの中に他クラスの生徒たちまで混じっていた事だった。


 午前の授業が終わると、ひとりで屋上へと向かう。

 姫守君はと言うと、昨日と同じく井口裕子主動の元、包囲網を敷かれて身動きがとれなくなっていた。

 本当は一緒に昼食を食べたかったのだが残念だ。

 

 誰も居ない屋上で適当に座ると鞄の中をゴソゴソと漁り、茶色い紙袋を取り出す。

 これは姫守君が今朝用意してくれた物で、四時限目が終わる前に姫守君がコッソリと私に手渡してくれたものだ。

 紙袋を開けてみると、中にはピンクの可愛らしいランチボックスと紙製のお手拭きが入っていた。

 ランチボックスの蓋を開けてみると、三角に切り揃えられたサンドイッチと、その横にはプチトマトと茹でたブロッコリー、そしてラップに包んだレーズンクッキーが添えられていた。

 サンドイッチの具にはハムとレタスのシンプルな物と、割いてある白い鶏肉らしきお肉と人参やキノコを炒めてマヨネーズで和えた物が入っていた。


「おいしそう~いただきま~す」


 早速、サンドイッチを大きな口でパクリと頬張る。

 ハムとレタスの中にはマスタードが塗られており、ピリッと効いた辛味が良いアクセントになっていた。

 

「おいひい」


 プチトマトを摘まんでみると、食べなれていたトマトの味とは違い、まるで果物のように瑞々しくて甘かった。

 お次は鶏肉のサンドイッチにしようか、意表をついてデザート用のクッキーに浮気すべきか悩んでいると、突然後ろから声を掛けられる。


「随分幸せそうね」


 驚いてあやうくランチボックスを落としそうになるが、寸でのところで防ぐ。

 振り向くと、そこには委員長が仁王立ち姿で立っていた。どうでもいい事だけど委員長の仁王立ち姿はとても様になっていた。

 

「あ、委員長」

「あ、委員長。じゃないわよ!」

 

何故か分からなかったが、委員長はひどくご立腹の様子だった。


「あなたね、昨日私の言ったこと覚えてる?」

「えっと、……裏サイトのこと?」

「そこはちゃんと応覚えててくれたのね。昨日の今日でもう忘れちゃったのかとイライラしたわよ」

 

 棘のある言い回しだったが、他の子たちとは違い、悪意がない事は分かっていたので、嫌な気はしなかった。


「うん。注意してもらったから気に留めてるよ。それがどうかしたの?」

「あなた、また外泊したわね?」

「え⁉」

「はあ~どうやらホントみたいね。あれだけ注意したのに、このバカ女」

委員長はわざとらしく溜息をつく。

「バカ女って言った⁈」

「バカにバカと言って何が悪いの。そもそもあなた二日続けて外泊するなんて、見かけによらず、じつは本当に不良なんじゃないの?」

「私、不良じゃないです!」

「どうだか。どうせナンパな男とカラオケボックスへ行ったり、ディスコやクラブで一晩中踊り明かしたりしてたんでしょ」

(酷い偏見だ)

「この町にクラブってあるの?」

「知らないわよ!」


 自慢ではないが、地方都市のこの町の駅前には学生が屯して遊べるような場所はほとんど存在しない。しいて言えば駅前にあったシャッター通りを取り壊してできた大型スーパーの中にあるファーストフード店とゲームコーナーくらいである。ディスコやクラブは聞いたこともないし、カラオケボックスは数年前に潰れた。

 つまり、この町は学生が健全な日々を過ごせる日本有数のつまらない町だった。

 

「そこまで言うなら昨日の晩、何処で何をしていたの?返答次第ではもう金輪際あなたに肩入れしないし、場合によっては担任に報告だからね!」


 さて困った。委員長は良い人ではあったが、それでも級友の、しかも異性の家に泊めてもらったと、正直に伝えて良いものだろうか。


「どうしても言わなきゃ」

「ダメよ!」

「…さんの家にいました」

「何?聞こえないわよ」

「…友達の家にいました」

「友達って誰?まさか神園さん?でも彼女ここ最近音信不通よ。それにあなた、携帯電話なんて持ってないって言ってたでしょ。どうやって連絡取ったの?

「別の友達」

「だから、それは誰なの?」

「中学時代の友達…」

「ちなみに言っておくけど、私とあなた校区一緒だからね。慎重に答えなさい」

(姫守君ゴメンもう駄目だ…)

「……姫守君の家に泊めてもらいました」

「………はっ?」

「だから、無理を言って泊めさせてもらったの…姫守君のお家に」

「あっあっ…」

 委員長は金魚のように口をパクパクさせる。

「こ、こここここ」

「こ?」

「この痴女‼」

「痴女⁈」

「ええ、痴女よ!よりにもよって、あんな純真な子を毒牙に掛けるなんて」

「毒牙⁈」

「心底見損なったわ。あなたの境遇に少しでも同情した私が馬鹿だった!」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「何を待てと?あなたのふしだらな日常なんて、これ以上聞きたくもないわ」

「だから誤解だってば。たしかに姫守君の家には泊めてもらったよ。でも当然親御さんからきちんと許可を貰ったし、委員長が想像してるような変な事なんてこれっぽっちもなかったから!」

「……昨日、私と学校で別れた後の出来事を全て白状しなさい」

「わかった」


 昨日、委員長と校門で別れた後、無理を言ってお屋敷に泊めてもらった事を、かいつまんで説明した。


「学校へ向かう途中、脇道があるのは知っていたけど、まさかあんな山奥に洋館があったなんてね」

「やっぱり委員長も知らなかったんだ」

「あたりまえでしょ。そもそも同年代なのにどうして皆揃いも揃って、私にだけ生き字引的な扱いをするのかしら!」


 なにやら日頃から鬱憤が溜まっていたようで、ここぞとばかりに委員長は周囲に対しての愚痴をこぼす。


「まあ、それはともかくとして。私も川崎先生に姫守君のことについて何度か尋ねてみたのだけど、どうも的を得ないのよね。雲を掴むような話というか」

「それってどういう事?」

「どうも担任の川崎先生ですら、よく知らされていないみたいなの。姫守君の素性についてはもちろん、転校してくるのを知ったのも、ついこの間だって言ってたわ」

「へぇ、そうなんだ」

 不思議な子だとは思っていたが、謎はますます深まるばかりだった。


「それで?」

「え?」

「だから続きよ、続き。屋敷の中で一体どんな粗相をしでかしたの?」

「な、粗相なんてしてませ・・・」

 昨晩、バスタオル1枚でお屋敷を徘徊して姫守君に見つかってしまった時の記憶が脳裏を過ぎる。


「語るに落ちたわね」

委員長は、それ見たことかと鼻で笑う。

「うぐぐぐ」

「あなたのみっともないエピソードはそのうち聞くとして、それで一宿一飯に与ったわけね。ご家族はどんな様子だったの?」

「それがお母さんは留守で、お婆さんにも会えなくて。会えたのは姫ちゃんだけ」

「姫ちゃん?」

「とっても可愛いワンちゃん。ちっちゃな足でトテトテ歩いてきて」

「はいはい、わかりました。それでお父さんもいなかったの?」

「姫守君のお父さんは亡くなられたって」

「あ、そうなの……ごめんなさい」


 べつに私に謝る必要なんてなかったのだが、委員長は少々バツが悪そうな表情で申し訳なさそうに謝る。


「それじゃあ、結局、ご家族と呼べる方には直接は誰とも会ってないのね」

「姫ちゃんとは会ったよ」

「ペットでしょ」

「ペットでも家族は家族」


 姫守君は姫ちゃんを家族だと言った。あのお屋敷で一晩過ごした私も、今は同じ気持ちだった。


「なんだか雰囲気が随分変わったわね、アナタ。以前はもっと冷めた印象だったけど」

「そうかな?」


 いや、そうかもしれない。ここ数日は嵐のように目まぐるしい出来事の連続だった。それこそ今迄の価値観など余裕で飛び越えてしまう位の。


「まあいいわ。それで昨日は二人と一匹で仲良く過ごしたのね」

「仲良くっていうか・・・その、晩御飯ご馳走になって、一番風呂に入らせてもらって、その晩はひさしぶりに熟睡できて、そうしたら朝は姫ちゃんが起こしにきてくれたの…エヘヘ」

今朝の出来事を思い起こすと、ついつい頬がゆるんでしまう。

「チッ」

わりと近くから舌打ちの音が聴こえたが気にしない。

「あのね、このお弁当も姫守君のお手製なんだよ。すっごく美味しいの」


 そう言うと、委員長にお手製弁当を見せびらかす。さきほどから委員長の冷ややかな視線が突き刺さっていたが、今の私はその程度ではまるでびくともしないのだ。


「さっきから薄々思っていたけど、あなた相当図々しいわね」

「うっ⁉」

 びくともしないはずの心に致命傷が入る。
































 






 





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