第5章1
窓から差し込む朝日の眩しさに、僅かに意識が目覚める。
そういえば昨晩寝る前にカーテンを閉め忘れていた事に、今更気がつく。
「うぅ~眩しい、でも起きたくない…」
独り言を呟くと、頭まで布団を被りなおして二度寝をはじめる。
キィ、と僅かに扉が開く音が聴こえた気がした。
トコトコと軽い足音がこちらに近づいてくる音がかすかに聴こえる。
布団の上で何かがもぞもぞと動く感触があった。
「ん~ママ、あと10分だけ……く~」
「ミャウ!」
「あと15分だけ…」
「ミィ…」
ごそごそと布団の中で何かが這いまわる気配があった。
それは体をまさぐるように、足元から腰へと登ってくる。
「うぅん・・・だめ、ひめもり・・くん」
腰の辺りまで来た感触は、さらに胸元まで迫ってくる。
「・・・そんなとこさわっちゃ・・・」
なにかふわふわした物が首に触れる感触に、ようやく意識が朧げに目覚める。
「ダメだよ、そんなのまだ早いよ姫も・・・り・・くん」
寝ぼけ眼でおもむろに布団を捲ると、そこには小さな天使がいた。
「ミュ?」
白い毛に覆われたその生き物は、小さく円らな瞳をパチパチさせながらこちらを見つめていた。小さくて短い足に小さな垂れ耳、丸い尻尾をパタパタさせているそれはどうやら子犬のようだった。
「ミィ・・・?」
小首を傾げてこちらを見つめるその小動物と、しばし見つめ合う。
「…もしかして姫ちゃん?」
「ミャ⁉」
布団の中から勢いよく飛び出した姫ちゃんと思しく子犬は、一目散に布団の外へと飛び出す。しかし慌てているようで、上手く着地が出来ず、ゴムボールのようにコロコロと転がってしまう。
「あ、危ない」
こちらの声には耳を貸さず、短く小さな足で懸命にドアまで辿り着くと、部屋から逃げ出そうとするが、ドアの敷居に前足を躓くと、またコロコロと器用に転がる。
「大丈夫、姫ちゃん」
ベッドから起き上がり駆け寄ろうとするが、それを見た姫ちゃんは再び一目散に逃げ出す。
「ミィミィー」
誰かに助けを呼ぶように、愛らしくも懸命な鳴き声を上げながら、廊下をトコトコと走ってゆく姫ちゃん。
「待って、お願いだから待って姫ちゃん」
怖がられている事は承知していたが、それでも追わずにはいられなかった。
「仲良くしたいだけなの。あと、ギュッて抱っこしたいだけだから」
姫ちゃんは廊下の中ほどまで逃げてくると、廊下を勢いよく曲がる。
「あ、そっちはダメ」
下り階段を勢いよく飛び降りた姫ちゃんは、そのままボールが跳ねるようにのようにコロコロと階下まで転げ落ちていく。
「ミッミッミッミュウ~」
「姫ちゃん!」
ドタドタと階段を駆け下りていると、二階の騒ぎを聞きつけたエプロン姿の姫守君
が階下までやって来る。
「一体どうし…おっと!」
テニスボールのように跳ねる姫ちゃんを姫守君は見事にキャッチする。
「わわ、姫守君。ナイスキャッチ…じゃなくて、おはようございます」
「おはよう歌敷さん。もしかして歌敷さんが姫ちゃんと遊んでくれてたの?」
姫守君は腕の中で盛んに鳴き声を上げる姫ちゃんをやさしく胸元に抱き寄せるとやさしく撫でる。それが余程気持ちが良かったのか、姫ちゃんは姫守君の胸に頭を擦り付けて甘えん坊な赤ちゃんのような鳴き声をあげる。
「えっと、そういうわけじゃなくて。わたしが姫ちゃんに起こしてもらったというか、突然部屋にやってきたから、お互いにビックリしちゃったというか」
「ああ、なるほど。昨日は姫ちゃんと一緒に寝たんだけど、朝目が覚めた時に僕の姿が見えないから僕の部屋まで探しにきたんだね。それで歌敷さんとバッタリ出会っちゃったんだ」
姫ちゃんは返事の代わりに「ミャウ!」と鳴いた。
「僕の部屋?」
「あ、しまった…」
「もしかして、私が泊まったあの部屋?」
「・・じつは・・・うん」
「そう。そうなんだ。そっか~」
薄々、家人の誰かの部屋だろうとは思っていったが、まさかあの部屋は姫守君の部屋だったとは。嬉しいような恥ずかしいような、なんだか複雑な気分だった。
朝の騒動を終えて、制服に着替えて食堂まで降りてくると、すでに姫守君が朝食の準備を整えてくれていた。
「手伝えなくてゴメンね」
「昨日も言ったけど、歌敷さんはお客様なんだから気にしないで」
姫守君が朝食の載ったお皿を運んでくる。
こんがり焼いたトースト、大皿にはスクランブルエッグにカリカリのベーコン、レタスとスライスした玉ねぎのサラダ、その脇にはスライスしたリンゴとオレンジが乗せられていた。
二人分の朝食を運び終えた姫守君は、次にハムやソーセージを刻んだ小皿を自分の隣の席に置く。
「ミィミィ」
「おまたせ、姫ちゃん」
姫守君は足元にいた姫ちゃんを抱き上げると、小皿の前に乗せる。姫ちゃんは目を輝かせながら皿に飛びつくと、一心不乱にゴハンを食べる。
「それじゃあ僕らも頂こうか」
「うん、いただきます」
二人と一匹での食事は昨日よりも賑やかで、さらに楽しいひと時だった。
「姫ちゃんは生後1歳くらい?」
「う~ん、まあそんなところかな」
食事を終えて満足そうな姫ちゃんは、今度は姫守君の膝の上に乗り、食後のミルクを哺乳瓶で貰っていた。
「姫ちゃんは甘えん坊さんなんだね」
「なかなか目が離せないけどね。その分とっても可愛いよ」
「ミャ~」
口の周りをミルクまみれにした姫ちゃんは満足気な鳴き声をあげる。
姫守君はそんな姫ちゃんの口元を布巾でやさしく拭いてあげた。
ミルクを飲み終えたが、口寂しいのか甘えたいのか、今度は姫守君の親指を
甘噛みし始める。
「なんだかホントに親子みたい」
「家族だからね」
なんの躊躇いもなく、「家族」という言葉を口にできる姫守君を素直にうらやましいと感じた。
「私も」
思わず口から出てしまいそうになった言葉をあわてて止める。
「ん、どうしたの?」
「ごめん、なんでもない」
我ながら、なんて図々しい人間なのだろう。友人の好意に甘えるばかりか、そこへさらに重荷を背負わせようとするなんて。
「ミィ・・・」
いつの間にか、足元まで来ていた姫ちゃんは私の足をよじ登り始める。
「抱っこして欲しいみたいだよ」
「え、いいの?」
確認するように姫守君と姫ちゃんを交互に見返す。
登ってはずり落ちるを繰り返す姫ちゃんを丁寧に抱き上げる。姫ちゃんは想像していたよりも遥かに軽く、そして温かかった。ぬいぐるみのようにフワフワと柔らかく、すこしでも力を加えると壊れてしまいそうなほどだった。
「大丈夫だよ。姫ちゃんは結構丈夫だから」
私のあたふたする様子に察したようで、姫守君がアドバイスしてくれる。
気を取り直して、母親が子どもをあやすようにやさしく姫ちゃんを撫でる。
やさしく、やさしく姫ちゃんの頭を撫でていると、まるで自分がそうされているような錯覚を覚えた。
そういえば、わたしもちっちゃい頃は母からよくこうして頭を撫でてもらったっけ。母のお手伝いを頑張った時、テストで良い点を取った時、母や父に褒めても
らえるのが何より嬉しくて、そして誇らしかった。
「そうだった…わたしも甘えん坊だった」
「ミャ~」
リラックスした様子で、姫ちゃんは小さな口を大きく広げて欠伸をする。
その仕草に、こちらまで自然と笑顔になる。
「なんだかお母さんになった気分」
姫守君は静かにその様子を静かに見守っていた。
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