第4章3

 制服から手渡されたパジャマに着替え終わると、途端に暇になってしまう。

 しばらく布団の上で寝転がり部屋の中をぼんやりと眺めていると、木製の本棚が目に入る。


「なにかあるかな」


 ベッドから起き上がると、暇つぶしに自分でも読めそうな本はないかと本棚を物色する。

 本棚に並んでいた本は英語で書かれた物がほとんどだったが、それでも幾つかは英語が得意ではない自分でもなんとか読めそうな本を発見する。

 それはニッコリと微笑む雪だるまや、ギターを奏でる猫などが表紙の絵本だった。

 しばし時間を忘れて、絵本の中のやさしい世界に浸かる。

所々、訳せない英文もあったが、絵本なのでイラストだけでも物語はある程度理解できるのが良かった。色々な絵本を次々と手に取り、童心に帰って読み耽った。


「あ、このウサギのイラスト」


 手に取った本には青い上着の可愛らしいウサギが印刷されていた。そういえば今朝、姫守君が自己紹介の時に、以前住んでいた場所はピーターラビットが誕生した場所だと言っていた気がする。

 表紙を捲ると、上着を着た主人公のピーターや、エプロンをしたお母さんウサギ、そしてその横にはなぜかパイのイラストが載っていた。よく見ると、パイの下にはpeter's fatherとあった。


「イラストでしか知らなかったけど、意外とハードなストーリーだったんだ…」



しばらくするとドアをノックする音に顔を上げる。


「は~い」

「お待たせしました。食事の支度ができたよ」

「やったー。もうお腹ペコペコだよ~」

 お腹が同意するように「クゥ~」と鳴る。


姫守君に伴われ、一階の食堂へとやってくる。

扉を開けると、なんとも食欲をそそる良い匂いが部屋中に満ちていた。

テーブルに着くと、今さらになって、なぜ先ほど食事の手伝いを申し出なかったのかと後悔した。

その事を姫守君に謝ると「歌敷さんはお客様だから」と、まるで気にした様子もなかった。


 テーブルの上には、トマトやアスパラ、レタスといった彩り豊かに盛り付けされたサラダ、斜めに切り分けたフランスパン、そしてメインの皿には赤茶色のスープに浸った切り株のように大きな輪切りのお肉が皿に載せられていた。その隣には一口サイズの人参やジャガイモが添えられていた。


「うわーすごいお肉。ステーキみたいだね。これなんてお料理?」

「一般的なビーフシチューだよ。煮込み用のお肉を輪切りにして表面に焼き目を付けたら、あとは寸胴鍋で煮込んだり、冷ましたりを繰り返して、最後に野菜を加えて完成。とっても簡単だよ」

「す、すごい迫力だね」

「どうぞ、召し上がれ」

「でも、お家の方は?私たちだけで先に食べるのは悪いような…」

「母さんは出掛けていて、しばらく家にはいないんだ。お婆様は自室の書斎からあまり出てこないから、僕が食事を運んでる。だから遠慮しないで」

 

 食事の席で、ご家族に直接お礼を言いたかったのだけど残念だった。


「それではいただきます」


気を取り直して早速、手元のスプーンでシチューを一掬いすると口に運ぶ。


「ん~~」


 お肉の脂と濃厚なコク、わずかな酸味が口の中に広がる。

 牛肉の塊をフォークで指してみると、牛肉はホロホロと簡単に身が割けてゆく。フォークで割いた一口大のお肉を頬張ってみると、ソースの染み込んだ牛肉は噛むごとにじゅわっと肉汁が染み出してくる。こんな食べ応えのあるお肉は生まれて初めてだった。思わず歓声の声を上げてしまう。


「ひゅっごくおいひぃ~」


 おもわず顔がほころんでしまう。姫守君は満足気な表情を浮かべる。

 

「これまで家族以外に料理を振舞う機会なんてなかったから。じつはちょっと不安だったけど、喜んでもらえてよかった」

「手作りの料理ってこんなに美味しい物だったんだね」


 両親が亡くなってからまだ数カ月しか経っていなかったのに、手作りの味を忘れてしまっていた。もしかしたら、思い出したくなかっただけかもしれないが。

 スープを口に運ぶと、なぜか一緒に涙まで零れてしまう。

 それを見た姫守君はただやさしく微笑んだ。

 しばし、静かで温かな食事が続いた。



食後に入れてくれた紅茶を一口啜ると、私はおもむろに訊ねる。


「姫守君のお母さんはいつ頃お戻りになるの?」

「う~ん、それが僕もよく分からないんだ。母さんは普段から忙しい人で色んな国を飛び回ってるから」

 

 例の凄い寝間着の人に興味が湧いていたので、ちょっと残念だ。

 

「へぇ、なんだかキャリアウーマンみたいでカッコいいね」

「そうだね。なんというか男勝りな性格だよ」

「そういえば、さっき探してた姫ちゃんって子は見つかったの?」

「ああ、うん。やっぱりお婆様の書斎にいたよ。知らない人の匂いがしたから、びっくりして隠れちゃったみたい」

「そうだったの。なんだか悪い事しちゃったね」


 姫ちゃんという可愛らしい響きから、ちっちゃな小動物を予想していたので、できれば一目その姿を見てみたかったが、この調子ではおそらく私の前に姿を現してくれる事はなさそうだ。すごく残念だ。



「うわ、すごい」

 湯気が立ち込めるお風呂場へと一歩入ると、そこにはまるで旅館のような見事な檜風呂が設えてあった。

 さきほどお風呂に入る前に通った脱衣所も、床には大理石のタイルが敷き詰められていて驚かされたが、この屋敷を作った人はお風呂にまで並々ならぬこだわりがあるようだ。


「でも、その割に住んでる人はお風呂嫌いなんだよね」


 私が一番風呂を辞退した時、じつは姫守家は全員お風呂が苦手、だと告白されてしまい唖然とした。せっかく綺麗な容姿なのに清潔にしなきゃ駄目だと説得したが、姫守君は終始俯いていた。あれはきっと納得していない顔だった。


「ハア~気持ちいい~」


 昨日からの汚れを洗い流すと、暖かい湯に首まで浸かる。全身の筋肉が解れていくようで吐息が漏れる。

 天井を見上げると、ゆっくりと舞い上がった湯気が天井に渦巻くように溜まり、いくつもの水滴となっていた。


「なんだか昨日から夢をみたいな不思議なことばっかりだ」

 

 昨夜の狼クンとの出会いから始まり、不思議な魅力の転校生が私の隣の席になって、おまけにその転校生が住む立派なお屋敷に泊めてもらえるなんて。

 全部、あの夜から始まった。あの不思議な出会いから。


「そういえば、あの時、「今日は家に帰りたくない」って言ったんだ」


 思い返してみると、まるで恋愛ドラマのヒロインが、意中の彼氏に向けて言う決めセリフのようだと今更になって気づいてしまう。


「あ~もう、何言ってんだよ、わたし~」


 思い出すだけでみるみる顔が紅潮していく。



 少々のぼせてしまい、フラフラとした足取りでお風呂から上がり、脱衣所へ戻ろうお扉を開けると、トコトコという小さな足音が遠ざかってゆくのが聴こえる。

 脱衣所を見渡してみるが、とくにさきほどと変った様子はなかったが、よく見ると廊下側の扉が僅かに開いていた。

 

「そこに誰かいるんですか?」


 しかし返事はなかった。

 バスタオルを体に巻き付けると、そろりとそろりと扉の方へ近づく。開いた扉の隙間から顔を出して確認してみるが、廊下には誰の姿もなかった。


「まさか姫守君・・・な訳ないか」


 先ほど耳にした足音は、人間のものよりもだいぶ軽い音だった。もしかしたら食事の時に話題に出た、この屋敷で飼われている姫ちゃんだったのかもしれない。


「姫ちゃん」


 試しに名前を呼んでみる。

しばらく廊下を注視していたが、残念ながら何の返事も変化も起きなかった。あきらめかけて着替えに戻ろうかとした、その時だった。

 

「ミィ」


 廊下の先、玄関前の階段の辺りから微かな鳴き声が聴こえた。


「わあ、やっぱり姫ちゃん?姫ちゃんなの?」


 着替えの事などすっかり忘れて、声のした方へと慎重に近寄る。

しかし、私が近づいてくる足音に気づいた姫ちゃんと思しき声の主は、トトトッと、軽快な足音で玄関正面の奥の扉、姫守君のお婆さんがいる書斎へと逃げられてしまう。


「ああ、惜しい。もうすこしでだったのに」

 

 あの鳴き声は絶対に可愛い小動物の鳴き声に違いない。おそらく子犬か子猫のどちらかだろう。わざわざ近づいてきたという事は、こちらに興味があるのかもしれない。


「だとすれば、これは案外早く姫ちゃんを抱っこできるかも。ふっふっふ」


可愛い小動物を抱きしめて頬擦りする様を想像すると、ついつい顔が緩んでしまう。


「何してるの。そんな恰好で?」


 突然の声に驚いて振り向くと、そこには玄関の扉を開けたまま、こちらを見たまま茫然と立ち尽くしている姫守君の姿があった。


「えっいや、これはその・・・アハハ」


 なんとか誤魔化せないものかと悩むが、玄関前でバスタオル一枚で立っている時点でもはやどのような言い訳も通用しそうにはなかった。


「姫守君こそこんな時間にどうしたの?」

「うん。すこし見回りとか…」

「へえ~そっか~…」


 話題が途切れた。


「あの、とりあえず風邪を引くと行けないから」

「あーそだね、そうだそうだ」

 

今にも走り出したい気持ちを必死に抑えつつ、足早に脱衣所へと戻る。



























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