第4章2
そうしてしばらく狭い山道を進んでいくと、急に目の前の木々に覆われた山道が拓けてゆく。さらにその先へと進んでゆくと、そこにはひっそりと佇む古風な洋館が姿を現す。
「わぁ~」
屋敷の周囲は鉄製の高い柵にぐるりと囲まれており、柵の上には所々に精巧に作られた鳥の飾りが取り付けられていた。
屋敷の正面には巨大な鉄製の門が厳めしく入口を塞いでいた。
「うわぁ~わぁ~」
姫守君がそっと門に触れると、その鉄製の重そうな門はまるで重さを感じさせる風もなく、金属が擦れる僅かな音を出しながらあっさりと開いてしまう。
今のは一体どういう仕組みなのだろう?
門をくぐり、あらためて近くで屋敷を見ると、年数を感じさせる煉瓦製の壁面にはいくつも蔦が張り付いており、屋敷が建築されてから、かなりの歳月が経っている事がわかる。
さきほどまで感じていた恐怖はどこかへ消え去り、今は胸の中を興奮の波が押し寄せていた。
そんな事は知る由もない姫守君は、当たり前のように屋敷の扉を開ける。
「ただいま帰りました」
姫守君は色鮮やかな花を模したステンドグラスが嵌め込まれた両開きの扉を開く。
始めに目に飛び込んできたのは足元一面に敷き詰められた赤を基調とした絨毯であった。壁には私の腰の辺り位までの木目調のパネルが付けられていて、その上には真っ白な壁紙が張られていた。壁の上部には等間隔に古めかしいランプが備え付けられており、市販の蛍光灯とは違う穏やかな明かりが屋敷の中を照らしていた。
入口の正面には、入口扉と同じくらいのサイズの扉があり、その扉の両側には二階へと続く螺旋階段があった。正面の扉はわずかに開いており、扉の奥から微かに物音が聴こえた気がした。
屋敷の中へと通された私は、呆気に取られながら周囲の普段目にすることのない光景にしばし目を奪われる。
「あれ、出て来ないな…」
「どうかしたの?」
「うん、折角だから歌敷さんに姫ちゃんを紹介しようと思ったんだけど」
「姫ちゃん?ペットか何か?」
「ん~うん、そんなところかな。普段は屋敷の何処に居ても僕の後を着いてくる甘えん坊なんだけど。もしかしたら恥ずかしがってるのかもしれない」
しばらくここで待ってて欲しいと言い残すと、姫守君はそのまま奥の部屋へと行ってしまう。
入口付近をブラブラと観て回りながら待ちぼうけしていると、ほんの数分ほどで姫守君が戻ってくる。
「良かった。お婆様から泊まっていっても良いと許可を貰えたよ」
満面の笑顔で姫守君は告げる。
「泊まって?・・・え、私が泊まるってこと⁈」
ここまで着いて来ておいてなんだけども、まさか泊めてもらえるとは思って
もいなかった。だって姫守君、道中で何も言ってくれなかったんだもん。
「うん。お婆様もゆっくりして行って下さいって」
「それは、とてもありがたい申し出なんけど、よく許可してくれたね」
姫守君の事をかなり過保護に育ててきたお家だと思っていたので、異性の級友なんてすぐにでも追い出されてしまうかもと思っていたのだけど。
「ただ、まだほとんどの部屋が手入れできていない状態で部屋もひとつしか
ないんだ。だから気に入ってもらえるといいんだけど」
そう言いながら、姫守君は私を二階へと案内してくれる。
私としては泊めてもらえるだけでもありがたかったので、どんな部屋だろうと文句をいうつもりなど一切なかった。
階段を登ると廊下を左に曲がる。二階は通路沿いに扉が六つあり、どうやらそれらが私室や来客用の小部屋なんだそうだ。何年も人の出入りがなかったそうで、端にある部屋以外は人が休める状態ではないらしかった。
「ここだよ」
扉を開けて中へ入った姫守君が壁に付いたランプ型の電飾に明かりを灯す。
部屋の中には机にベッド、本棚と小さな木製のチェストが置かれていた。
シンプルながらも、どれも綺麗に整理が行き届いており、まるでホテルに宿泊しているような気分になる。
「わ~なにこれ、すごいオシャレだー」
ここまできちんとした部屋を見させられると、どうしても自分の散らかった部屋と見比べてしまう。もし万が一、私の散らかった部屋を姫守君が見るような事があれば、きっと気絶してしまうのではなかろうか?
ベッドに腰を下ろしてみると、ふわふわと弾力のある感触がお尻に伝わってくる。掛け布団に触れてみるとポカポカとしたお日様の匂いがした。
「その、どうかな。匂いとか気になったりしない?」
こちらの様子を注意深く観察していた姫守君は、なにやら緊張した面持ちで訊ねてくる。
「もちろんだよ。こんな素敵な部屋なのに気にいらないなんて言える訳がないよ。もうもう、とっても気に入りました」
「そう、それなら良かった。」
私の返事に安堵したようで、姫守君はホッと胸を撫でおろす。
「お風呂場は一階に降りて、右手に曲がった先にあるよ。お湯を足しておくからあとで入れるよ。食事はもうすこし掛かるから、それまで部屋でゆっくりしてて」
そう言い残すと、部屋から出ていこうとする姫守君を慌てて止める。
「あ、ちょっと待って」
ベッドから急いで立ち上がり姫守君に駆け寄る。
「?」
「今日は本当にありがとう。きちんと理由も話せてないのに、私なんかの我儘をきいてくれて。それとこんな私の友達になってくれてありがとう」
姫守君家のお屋敷のインパクトに気圧されて、今迄言い出せずにいた感謝の気持ちを口にする。
「僕のほうこそ、歌敷さんと友達になれて本当に良かった」
姫守君は優しく微笑みを浮かべながら応えると、部屋を後にした。
「うっうっ・・・」
嬉しさと恥ずかしさと興奮で身体がプルプル震え出す。
「うきゃあああーーーーー」
布団に勢いよく飛び込むと、枕を顔に押し付けて体をゴロゴロと左右に揺らし、足をバタバタさせながら一頻り悶える。
「あんなの卑怯だよ」
あんな殺人級な微笑みを向けられたら、誰だって勘違いしちゃうに決まってる。危うく私も勘違いしてしまうところだった。だからまだ私は勘違いしてはいないのだ。いないのだけど・・・。
「もしかしたら私のことを」
すでに十二分に勘違いしてしまっているような気もしたが、自分でもどうしようもなかった。自分の中の恋心はもはや手が付けられないほど脳内を暴走気味に駆け巡り、初デートやロマンティックな告白など、欲望全開な妄想を生み出し続けていた。
ヒートアップしてベッドで悶え苦しんでいると、ドアをノックする音と同時に、扉の外から姫守君の声がする。
「今いいかな?」
「ひゃい⁉」
ベッドから跳ね起きると、足が絡まりそうになりながらも、なんとかドアの前まで辿り着く。ドアを開けるとそこにはバスタオルと数着の寝間着を持った姫守君が立っていた。
「寝間着を持ってきたよ。母さんの物を適当に持って来たから、合いそうな物があればいいんだけど…」
手渡された寝間着を受け取る。そのまま広げてみると、たしかに私の身体のサイズよりだいぶ大きかった。だが、そんなのは些細な問題だった。それよりも遥かに大きな問題をこの寝間着は抱えていた。
始めに手にした寝間着は全体を深紅に染めたシルクの生地に、手首と裾にはヒラヒラした飾りが縫われていた。そして何より特徴的だったのが、この無駄に開けた胸元と、凄まじく薄い布であった。
「…これ『ネグリジェ』だよね?」
たしかに寝間着には違いないのだけれど、同級生の女の子にこれを勧めるのはどうなのだろう。いや、でも、もしかしたらイギリスの女の子たちは就寝時にこういうのを着て寝てるのかもしれない。
姫守君の顔を覗いてみると、私と同じく寝間着を見つめたまま茫然としていた。
(ああ、これは着てないわ)
他の寝間着も確認してみたが全てさきほどの物と同じようにきわどい作りだった。
「ちょっと待ってて」
申し訳なさそうに、姫守君は部屋の隅に置かれたチェストを開けると、中から白色のパジャマを取り出す。
「なんだ、普通のもあるんだ」
「男物だけど」と申し訳なさそうに渡されたパジャマを受け取る。広げてみても至って普通の青色の無地のパジャマだった。なんとなく匂いを嗅いでみると、先ほどのお布団のようにお日様の香りがした。
「そ、それじゃあ後ほど」
姫守君はなんだか気恥ずかしそうな様子で、そそくさと部屋を出て行く。
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