第4章1
太陽が傾き始めた夏の夕暮れの時刻。グラウンドではまだ運動部員たちが掛け声をあげながら汗を流していた。
三人は校門の前までやってきた。
「本当は運動部もいくつか回りたかったのだけれど、さすがに無理だったわね。続きはまた明日にしましょう」
私は同意の印に頷く。
「斎藤さん、今日は本当にありがとうございました。おかげで沢山の人と友達になれましたし、沢山初めての事を経験できました。もうとってもとっても楽しかったです!」
満面の笑みで委員長に詰め寄ると、そのまま委員長の手を両手で握り締めながら姫守君は礼を言う。
「え、いや・・・べ、べつに・・・ほら私委員長・・だし」
照れる委員長なんて初めて見た。まあ、姫守君に詰め寄られれば誰だって照れちゃ
うよね。
こちらの視線に気づいた委員長は、コホンと咳払いすると、「それではまた明日」と告げると、そのまま足早に立ち去っていく。
「あの、今日はありがとうございました」慌てて私も礼を言う。
さて、これからどうしよう
委員長が一人で帰ってしまい、姫守君と二人きりになってしまった。
「じゃあ、僕たちも帰ろうか」
「・・・そうだね」
二人でゆっくりと歩き始める。
歩きながら、今日の部活見学での出来事について話に花が咲く。
姫守君にとって今日一日の出来事は、まるごと全て初めて尽くしだったらしく、幸せで目まぐるしい一日だったと感想を述べる。
話題の流れで、気になる部活について感想を訊ねられたので、裁縫部が楽しそうだったと答えた。
実際、部長が率先して和気藹々とした雰囲気を創り出していたあの部は、僅かな時間ではあったが接してみてとても居心地が良かったのは事実だった。
もし私にあんな不幸が重なって起きていなければ、きっとあの部に入っていたかもしれない。
「たしかに、あの部の和やかで明るい雰囲気はとっても良かったね。まるでひとつの家族みたいだった」
「部長さんがみんなのお父さんって感じだったでしょ?」
「あはは、たしかにそうだね。懐が広くて、親切で、素敵な人だったね。あの部長さんの思いが部全体を形作ってるように感じられたよ」
「うんうん、ほんと居心地良かったよねアットホームっていう感じで」
「あ、でも、もしかしたら僕の事はあまり良く思われてなかったかもしれない」
「え、どうして?」
「帰り際に部長さんが僕の事を睨んでいたから」
姫守君は部長の熱い視線には気づいていたようだ。ただ、その意図までは理解でき
なかったようだが…。
「プフフッ」
「あれ、どうしてそこで笑うの?」
悩みを打ち明けたのに笑われてしまい、姫守君は戸惑う。
「あはは、ごめんね。でもそれは姫守君の勘違いだよ。部長さんは別に悪気があって姫守君を見てたわけじゃないんだよ」
「そうなの?」
「うん、部長さんはね、ただ姫守君に・・・そう!見惚れてたんだよ」
「んン?」
なんとか誤魔化しましたよ、森部長。
しかし、まだ納得いっていないという様子の姫守君であった。
「姫守君はこれまで周りの人から、可愛いね、とか綺麗だね、って言われた事ないの?」
「綺麗はないけど、可愛いならあるよ。母さんやお祖母様からよく言われて育ちまし
たから」
「他の人からは?」
「他の人と出会う機会があまりなかったので…」
そう言うと、姫守君はすこし寂しそうな顔をする。
「そうなんだ…」
つまり、彼は箱入り娘ならぬ箱入り息子、という事なのだろう。たしかに、こんな初心で可愛い見た目をしてたら、外に出したくないという気持ちもわからなくはない。
「あのね…姫守君。その…」
「?」
「もし良かったら、私と友達に・・・なってくれませんか?」
精一杯勇気を振り絞り、そして使い切った。すでに残量はゼロに等しかった。
姫森君の顔を見ることも出来ず、ただじっと地面をみていた。気が遠くなるくらいの時間(数秒)待ったが、彼からの答えは返ってこなかった。
意を決して振り向いてみると、なんとも不思議なモノを見るような顔で姫守君はこちらを見つめていた。
「あのべつに嫌だったら…」
「ボクたち」
「え?」
「まだ友達じゃなかったの?」
「もう友達だったの?」
二人揃って、呆気にとられたような表情でお互いに見つめ合う。
「「フフッ」」
しばしの沈黙の後、どちらからともなく笑いがこみ上げてくる。
二人で他愛のない会話を楽しみながら坂道を歩いてゆく。そのまましばらく進んで行くと、道路脇に舗装された歩道から外れた脇道が現れる。両側を木々に囲まれたその脇道へ差し掛かると姫守君は歩みを止める。
「おしゃべりしてるとホントあっという間だね」
「あ、もしかしてこっち?」
「うん。それじゃあまた明日」
「…じつは私もこっちなんだ」
考えるよりも先に口が滑る。
「えっ?」
姫守君は驚いた様子ででこちらを見つめる。
「奇遇だね・・・ははは・・」
苦しい嘘だったが、一度云い出した手前、訂正する事も躊躇われた。
「…それじゃあ行こうか」
すこしの間、考える素振りを見せていた姫守君は、納得してくれたかは不明だが、再び帰宅の途に就く。
しばらく歩いていると、次第に足元の砂利や道にはみ出している木の根が多くなってくる。ここまで来るともはや完全な山道だった。
初めのうちは、きりの良いところで謝って帰るつもりだったが、結局、言い出す事ができず、ずるずると山奥まで着いて行ってしまう。
木々の切れ間から見えた空はすでに夕焼け空から暗く染まり始めていた。いくらなんでもこのままでは拙いのは承知していたが、それでも話を切り出すことどうしてもできない。
「歌敷さんのお家はこの辺りなの?」
そうして思い悩んでいると、ふいに姫守君がこちらを振り返り訊ねてくる。
「えっ、あーたぶんもうすぐだったかな…?」
今ここがどの辺りなのか、さっぱり分からなかった。
「歌敷さん」
「えっ」
「なにか隠してる事はない?」
「そ、そんなの一杯あるよ。誰だってそうだし・・・」
「もしよければ、その中で僕に話しても良いものだけ教えてくれない?」
「………実は私の家はこことはだいぶ逆方向なの。…その、姫守君と話をするのが楽しくて、どうしても言い出せなくて、ごめんなさい」
「ううん、それは歌敷さんだけのせいじゃないよ。僕も歌敷さんと話しをしていてとても楽しかったから、つい夢中になってしまった。だからこれはお相子」
自分と一緒にいて楽しいと言ってくれる。それが本心からの言葉であること
は姫守君の瞳を見ればすぐに理解できた。
「ありがとう。それじゃあ私、帰るね。また明日バイバイ」
「あ、ちょっと待って」
踵を返すが、すぐに姫守君に引き止められる。
「きゃっ」
「暗い夜道を歌敷さん一人で帰らせるわけにはいかないよ」
「大丈夫だよ。もう高校生なんだからこの位全然怖くなんて」
そう言いつつ、先ほど登って来た道を振り返る。しかし、視界の先に広がっていたのはただの暗闇だけだった。
すでに日は沈み、木々に覆われた山道は僅かな月明かりすら遮り、街灯などあろうはずもなく、そこに道があるのかどうかさえ定かではなかった。数メートル先すら見通せない暗闇に完全に尻込みしてしまう。
「姫守君・・・よくこんな暗いところに住めるね・・」
もし今、この場所で姫守君がおらず一人ぼっちだったら、きっと泣いてしまっていた。
「慣れてくれば危なくないよ。この辺りの地形にはもう慣れたし」
「慣れでどうにかなるものなの⁈」
姫守君は掴んでいた腕を一旦放すと、今度は私の手を優しく握る。
「え、あの・・・」
「こうすれば暗くても安心だから」
そう言うと姫守君はさきほど来た道を戻り始める。
「ちょっと待って。お願いだから」
今度は逆に、私が姫守君の腕を掴み引き止める。
「どうしたの?」
「・・・」
姫守君の瞳に見つめられていると、その場しのぎの嘘ではぐらかす事など到底できそうにはなかった。
「家には帰りたくない…」
言ってしまった。姫守君の瞳を直視することが出来ず俯いて目を逸らす。
姫守君はなにも言わなかったが、こちらをジッと見ているのはなんとなく分かった。なにやら思案をしているのか、そのまま時間だけが過ぎていく。
「帰ろう」
姫守君はぽつりと呟く。
私は項垂れたまま、「はい」とだけ返事をした。
まるで悪戯がばれてしまい、叱られている子どものような気分だった。
そのまま姫守君に手を引かれながら、鬱蒼とした山道を、ただ二人は黙然と進んで行く。
次第に山道は狭くなってゆき、所々に木々の根が道側にまではみ出してきて歩き辛かったが、私の手を引く姫守君はまるでそんな様子もなく、どんどん山道を突き進んでいく。
「あの、…こっちでいいんだよね?」
あきらかに、さきほどまで歩いてきた道とは雰囲気が違っているように感じられたが、姫守君「うん」と一言だけ答えると、そのまま気にせず歩き続ける。
周囲の風景と相まって、この状況がだんだん恐ろしくなる。
握られた手は振り解く事はできそうだった。しかしそれはしたくないという抗い難い気持ちが心にはあった。
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